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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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十四話

桜花の悲鳴に飛んできた雄飛の手によって、橘の魔の手から逃れることができた桜花は、雄飛の胸の中で涙目になっていた。

「なめくじが、なめくじみたいな、なにかが…」

半泣きでいう桜花に、雄飛が橘にするどい声をあげる。

「橘! お前何をした!?」

雄飛に蹴り飛ばされていた橘は、腰を撫でながらなんとか上体を起こして潤んだ瞳で仁王立ちする雄飛を見上げた。

「ちょっと味見しただけ……」

「どこをっ!?」

「どこをって……」

頬を染めた橘に、雄飛がぶちぎれた。

「ふざけるな! 頬を染めるな! 気持ち悪い!」

雄飛の暴言に橘が袖で口元を隠しながら、泣き真似をしだす。

「そんな、そんなに言わなくたって…」

真面目に答えない橘に雄飛は冷たい声で最終宣告を告げる。

「馬鹿狐、山に放り出すぞ」

絶対零度の瞳で見下ろされて橘が少し慌てる。橘は雄飛の足元に縋りついてくる。

「ちょっと頬を舐めっただけだよ。冗談、冗談」

「お前の冗談は笑えないんだ。なんたって冗談で帝の嫁さん候補に手をだすんだからな。お前のその女癖の悪さはどうにかならないのか?」

「違うよ、雄飛。僕は美しいものが好きなんだ! だから女癖とか、そういうのに僕は囚われない! ……だから雄飛、大好き」

熱弁した後に、やけにキラキラとした瞳で両手を広げた橘に、雄飛が鉄拳を飛ばす前に桜花の腕が動いていた。桜花は涙目のまま、紅葉のような手で橘の頭を上から叩く。これ以上喋らせると、雄飛が汚される気がしたからだ。

雄飛の身の危険を感じた桜花の迅速な行動に、雄飛はよくやったと言わんばかりに桜花の頭をよしよしと撫であげる。

桜花によって叩かれた頭を抑えたまま、それを呆然と見上げていた橘はわざとらしい鳴き声をあげると「ひどい」と捨て台詞をはいて大きな風を巻き起こすと去っていった。

教本や紙が舞い上がり、ひどい惨状になった桜花の部屋を見て、雄飛は本当に疲れたと大きなため息をもらすと、桜花の手を引いて部屋から出ていくのだった。



「頬を舐められたぐらいで、ああも騒ぐな」

いつもの縁側に座らされると、雄飛がまだ揺れる肩を掴みながら窘めてくる。

「ごめんなさい。でも、びっくりして…」

「それくらいで騒ぐなんて、色々と不安だな」

「何が?」

雄飛の顔を見上げると、雄飛はなんとも言えない顔でこちらを見下ろしていた。

「何でもない」

「何でもないわけないじゃない。何が?」

「……いや、本当になんでもないからこれ以上聞くな」

雄飛が疲れたように頭を抑えたので、桜花はそれ以上追及しないで、雄飛の胸の中に顔を埋める。

「あの人、いつ帰るの?」

「俺も聞きたい……」

二人は同時にはため息をつく。

――会話が終ってしまった。

桜花が黙ったままぐりぐりと頭を埋めると、雄飛の手が頭を撫でる。

「あの人、いつもちょっかい出してくるから苦手」

「こんな山奥じゃ、あいつの興味をひくものはお前くらいしかないのだろう」

一番構ってほしい雄飛も無視だもんね。桜花は顔をばっとあげて雄飛を涙目で見つめる。

「なんで? だってあの人はじめて会った時私にひどいことしたのに、それなのになんで構ってくるのよ。嫌いなら構わなければいいじゃない。私あの人にどうやって返せばいいかわからない。嫌いならいっそ叩いてくれたほうがまだわかりやす……」

桜花が言いきる前に雄飛の指が桜花の口を抑え込む。桜花がむっとした顔で見ると、雄飛は難しい顔でこちらを見下ろしてきた。

「あいつは面白いものを見つけたから遊んでいるだけだ。お前が嫌いなわけじゃない。だからそう安直的に叩くだの、叩かないだの暴力的な方向に話を持っていくな。お前が昔置かれていた立場は少しおかしかったのだから……全てをそれで当てはめるな」

叱りつけるように雄飛が間近で桜花を見下ろす。桜花が素直にその言葉に頷くと、ようやく雄飛の指が桜花の口元から離される。

「お前はやっぱりもう少し他の者と話すべきだな」

腕を組んで真面目に頷く雄飛に桜花は声をあげて笑いだす。

「何がおかしい?」

「雄飛がそんなこというなんて」

鬼のくせに。その言葉を飲みこんで桜花は更に笑い続ける。人間ではない彼が私に一番優しくて、そして今私を拒絶しようとしている。なんて皮肉なことなのだろう。桜花は一番大切な人に否定される自分の身の上がたまらなく辛くて、喉の奥が少し塩辛かった。




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