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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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十三話

 あの宴の日から数週間後、桜花は勉強も手につかずにため息をついていた。

化け物、と言われたわけではない。

しかしあのおびえた瞳が如実に語っていた。

桜花は胸をぎゅっと抑える。はじめて、好意的に話すことができた同じ年頃の人間だった。桜花が樹に手をついて話しても何も言わなかった、神様だと言ってくれた。おもしろいが、桜花はそんな存在ではない。

桜花はあの日、公竹と出会った後にあった人魂のことを思い出す。あれは最後、人にもなれず、妖怪にもなれない、哀れなと言った。寂しい、寂しいと言っていたあれは、私と同じ存在だったのだろうか……。

山の中に放り捨てられた、化け物たち。

多くはそのまま死んだだろう。

しかし私は生き残ってしまった。

雄飛に、命を助けてもらった。

いいや、生きることを、命を与えられたのだ。桜花の今は全て雄飛によって与えられたものと言っても過言ではない。

桜花は机に頭を乗せながら唸る。狐の、橘が言っていたことが頭でグルグルと回る。

桜花と雄飛が一緒にいることは決して幸せなことではないと彼は言っていた。桜花は急に苦しくなって胸を抑える。どうして、一緒にいたい、ただそれだけ。それ以上は何も願っていないというのに、どうして叶わないと周りの者はいうのだろうか。

「なになに、どうしたの? 死んじゃいそう?」

伏せったまま唸っていると、深刻な自分の感情とは全く逆なやけに明るい声が耳に滑り込んでくる。桜花がそれにはじめ目を見開いたが、この数週間の間でそれは聞き慣れてしまった声だったので黙って顔をあげる。

「橘様…」

「わーひっどい顔。墨が頬についているよ。お似合いだね」

にんまりと意地悪げに微笑む橘に、顔色をあまり変えずに黙って頬を手で拭う。反応をしめすと彼が喜ぶことはもうわかった。

この人を楽しませてやる義理はないので、桜花は黙って頭をさげる。

「面白くないな。雄飛の入れ知恵かい? 本当に過保護なんだからな」

最後は吐き捨てるようにして言った橘に、桜花は目を伏せたまま黙っている。

「あれーだんまりを決め込むのかな、それはそれで鳴かせるのが楽しんだけどね」

何をしても無駄かと桜花が深いため息をつくと、橘は桜花の勉強机の上に両肘をついてこちらを見てくる。

「頬の墨まだとれてないよ」

手でぬぐっただけだから、それはそうだろう。桜花が立ちあがって顔を洗ってこようとすると、突然がくりと膝が崩れ落ちる。畳の上に両ひざをつかされる形になった桜花は、痛む両ひざに眉をしかめるといきなり自分の腕を引いた橘に視線を向ける。

「いきなりなにするの?」

「ああっ! 駄目だよ。桜花ちゃん、お口が悪いね~。君のそういう態度の悪さは全て雄飛の責任になっちゃうんだよ。だから雄飛が大好きなら、ちゃんとしなくちゃね」

橘のその言葉に桜花はぐっと言葉を飲みこむ。橘はそんな桜花をうっとりとした顔で見つめてくる。

「君に無視されるのは嫌いだけど、嫌われるのは存外いいね」

変態と罵りたいのを抑えて桜花が睨みつけると、橘はぞくぞくと震えた。

「雄飛もこういう趣味があったんだ……。確かにこれはいいね~。君、怒った顔は綺麗で僕好みだよ。よかったね」

何が、よいこと、なのだろうか。桜花はワナワナと震えそうになる手を、ぎゅっと握りしめながら目の前の男を見つめる。

この人はいったい何がしたいのだろう。

嫌われているものだと思ったけど、こうしてよくちょっかいを出してくる。そしてそのたびに雄飛が出てくるから実に楽しそうな顔をするのだ。だけど今日はまだ雄飛の姿はない。それでも楽しそうな顔をしている。

桜花が嫌な顔を隠しきれずに橘から顔をそらすと、数秒後に頬に生ぬるい濡れた感触が触れてきた。それは下から上へと、べろりと動いた。

桜花がぎこちなくそちらを振り向くと、そこには少し長い赤い舌を出した橘の姿があった。橘の赤い下の上には黒いものが浮かんでいた。橘は舌を出したまま、辛そうに眉をひそめている。

「まずーい。桜花ちゃん責任とってよ。代わりに甘いの頂戴」

ぺろりと舌を口の中に隠してしまった橘が猫なで声で顔を寄せてくる。

桜花は近寄ってくる整った顔に、蛙がつぶされるような汚い声をあげて抵抗することしか出来なかった。



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