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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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十一話

桜花が雄飛にひっついたままでいたら、芙蓉が誰からを引き連れて歩いてきた。しずしずと歩いてきた芙蓉は二人の前までくると後ろを振り向いて、前へとその誰かを押し出してきた。

桜花は芙蓉が連れてきた客人を見て、目を丸くした。

「……あっ」

あの時、山道で怪我をしていた男の子だった。

「公竹君」

桜花の声に公竹は少しほっとした顔をすると、雄飛に頭を下げた。

「……公竹と言います。本日はお招きありがとうございます」

緊張した様子の公竹の言葉に、雄飛は鷹揚に頷くと座るようにと促す。

おずおずと腰を下ろした公竹に、桜花は雄飛の着物の袖を引っ張るが軽く無視された。

「君は、酒はいける口か?」

「いただきます」

頷いた公竹の横に芙蓉が座って酒を注ぎ始める。静まりかえってしまった宴の席に、桜花は気まずくなって口を開いた。

「公竹君、怪我はもう大丈夫?」

「…うん。大丈夫だよ。この前はありがとう」

「そう、よかった」

その言葉に桜花は手を合わせてほほ笑むと、公竹は視線をウロウロと彷徨わせた後に軽く微笑んだ。桜花と公竹が何を話したらいいか解らなくてもじもじとしていたら、雄飛が突然立ち上がる。

「少し用事を思い出したから、俺はちょっと席を離れるぞ。君、ゆっくりしていけ」

一方的に告げると歩き出した雄飛に桜花は思わず手を伸ばしたが、さし伸ばした手は無視された。

残された二人で見つめあっていると、気まずそうに公竹が座りなおしたので桜花は慌てて口を開いた。

「公竹君はどうして今日ここに…?」

桜花がずっと気になっていたことを尋ねると、公竹は困ったような顔をして首を横に振った。

「森を歩いていたら、僕をここまで連れて来てくれたあの女性が現れて、君の話し相手になってもらいたいと言われて、それでここまで連れてこられたんだ」

山の奥にあった豪邸を公竹は困惑した様子で見回す。

「こんな家があったなんて、今まで知らなかったよ…。どうして君がこんな山の奥にいるかと不思議に思ったんだ。……もしかして僕が見たのは、人間ではない、困った僕を助けてくれた森の神様なのかと思ったりしたんだけど…君は本当にいたんだね。よかった」

そういってほほ笑んだ公竹に桜花は何やらざわめくような感覚を覚えて、それを振り払うようにして口を開いた。

「ごめんね。仕事の途中だったのにいきなり芙蓉が連れてきちゃって」

桜花の謝罪に公竹は首を横に振ると、目の前に並ぶごちそうに目を向ける。

「ううん。最初はびっくりしたんだけど、こんなごちそうがいただけるなら―」

へへと笑って鳴ったお腹に手を当てた公竹に、桜花は吹きだすと未だに料理に手をつけられずにいる公竹の横に座って、皿に料理をとって差し出した。

「ありがとう」

御礼をいった公竹は戸惑いがちに食事をしだす。桜花はそれを横で見ながら、未だに居心地が悪そうな公竹を甲斐甲斐しく世話をしてやるのだった。

そうして暫く食事を楽しんだ公竹はお腹がいっぱいになったのか、これ以上はいいと言って皿を下に置いた。そして隣で桃にかぶりついている桜花に目を向けてくる。

「桜花、って言うんだね」

「うん。そうよ。私の名前は桜花。雄飛がつけてくれたの」

「あの人は、君の父上――?」

公竹の言葉に桜花は首を横に振った。

「ううん。父上じゃないよ。雄飛わね――私の……全て」

「えっ?」

桜花の言葉に公竹は戸惑いがちに声をあげた。桜花は公竹を見つめながら真面目な顔で頷いた。

「雄飛が私を拾って、名を与えて、生きることを許してくれたの。私に命を与えてくれた人」

桜花がそう言ってほほ笑むと、公竹は少し複雑な顔をしながら頷いた。

「そう…なんだ」

「すごく大切な人なの―」

桜花がうっとりとしながら口を開いた。少しの間二人の間に沈黙が訪れた。じっと黙ったまま見つめあっていると、二人の空気を割って入るかのように大きく風が舞った。

庭から駆けてくるようにして花や草を巻きあげて吹きつけてきた風に目を開けることも叶わずにいると、耳に甘く響く声が入ってきた。

「すごく大切な人、か。べたぼれだね」

やれやれとでも言いたげな、聞いたことが今まで一度もない声に桜花が目を開けようとするが、風が更に大きく吹いてそれを許さない。

「先に言っておくけど、その想いはお前も雄飛も、誰も幸せにはしないよ。もしお前が幸せになりたいと言うならその子供についていくのが利口な判断だね」

その宣告に桜花は吹く風にも関わらず、ばっと目を見開いた。

 そこにいたのは一人の男だった。深い群青色の狩衣を着た男の髪は太陽に透けて白く輝いていた。着ているものとは逆に発光しているかのように見える男は、桜花が風の中でこちらを見ていることに気づいて、にんまりと口元を歪めた。面白いものを見るような目でこちらを見つめる男が、落ちついていく風の中をこちらへ歩み寄ってくる。桜花がじっとそれを見つめていると、後ろで悲鳴があがった。

「うわああああっ」

それは公竹だった。

桜花が後ろを振り向くと、ようやく顔をあげられたらしい公竹が怯えて様子で男を見つめている。公竹のその様子に男の瞳に冷たい色が宿るのを見て、桜花はとっさにかばうようにして公竹の前に飛び出る。

よくわからないけど、この男は危険だということだけはわかった。公竹をかばうようにして立ちふさがった桜花に、男は奇妙なものを見るように片眉をあげた。薄い糸目の奥で金色の瞳が輝く。こちらの心を覗きこむような不思議な瞳に、桜花の頭が惑わされるようにぐらりと揺れる。

懸命に助け合う小さい者たちを笑う男の背後に白い大きな尾が見える。桜花は揺れる視界でそれをようやく見つけて、公竹が悲鳴をあげたのはこれが原因かと冷静に考える。男は桜花の前までやってくるとしゃがみ込んで桜花の顎を掴みあげる。無理やりあげられたことで桜花が苦悶に顔をゆがませると、それを見て実に楽しそうに糸目を細めてほほ笑む。

「全く、困ったものだよ。雄飛は弱いんだからこれに手を出したらいけないと言ったじゃないか」

男はそう言いながら後ろを振り向く。引き攣れるほどに伸びた喉で苦しむ桜花の目に雄飛の姿が飛び込んできた。後ろには驚いた様子で口元を手で覆った芙蓉の姿もある。

「ゆう……ひっ」

やっとの思いで桜花が雄飛の名前を呼ぶと、雄飛が眉間に眉を寄せた。

「……相変わらずいい趣味をしているな。橘」

「そういう君こそ、相変わらずかっこいいね。こんな山奥に引っ込んじゃったから、おじいちゃんみたいな生活していると思ったら……ずいぶんと楽しいみたい。こんなのも飼っちゃってさ」

「わかったからそいつを離せ」

雄飛の不機嫌な様子に気がついたのか、橘と呼ばれた男はニコニコ顔でようやく桜花の喉元から手を離した。ぱたんと床に倒れた桜花に雄飛は瞳だけで大丈夫かと尋ねてきたので、桜花はなんとか頷き返す。

「何しに来た」

「遊びに来たんだよ。何十年ぶりの親友との再会だよ。もっと喜ばない、普通?」

「何も連絡無しでくるような親友は俺にはいない」

「あっれー、ちょっと不機嫌じゃない? 怖いなー君が本当に怒ったら僕じゃ太刀打ちできないじゃないか」

「よくいう、狐め」

雄飛はそう吐き捨てると、ぐったりとしたままの桜花に近寄ってきた。

「怪我は?」

「大丈夫」

桜花が首を横に振りながら雄飛の首に手を回すと、橘の顔が雄飛の頭越しに見える。睨みつける桜花に気がついたのか、橘が手を振ってきたが桜花はそれを無視して雄飛の肩に顔を埋める。

「芙蓉、こいつを頼む」

雄飛は芙蓉に気を失ってしまった公竹の世話を頼むと、桜花を抱いて歩き出す。

「えー、雄飛。久しぶりの再会なのに、そっちに行っちゃうのー?」

「置いてくるだけだ」

苛立ち気味に雄飛が言うと、橘はにんまりとほほ笑むと「待ってるよー」とやけに呑気な声をあげた。



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