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いいえ。欲しいのは家族からの愛情だけなので、あなたのそれはいりません。  作者: 桜井ゆきな


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(第11話)叶った願いと失ったもの~母~

「親子で話をしたいので、ブラウン公爵は席を外してください」


 ブラウン公爵家の応接室でかなりの時間待たされた私の前に現れたのは、ソフィラだけではなかった。なんでブラウン公爵までいるのかしら? 彼のことは呼んでいないのだから、退席をお願いをした。

 お金の無心だなんて思われたら困るもの。家族だから助け合うのは当たり前なのに。


「先触れもなく勝手に訪れた不審者を、大切な妻と二人で会わせるはずがないだろう?」


 醜い傷跡と、冷たい声。ソフィラにはぴったりの相手だわ。……いいえ……ダメよ……。赤い瞳のことは、私の誤解だったんだもの。これからは、ソフィラに優しくしてあげなくちゃ。


「伯爵夫人。ご用件は何ですか?」


「ソフィラ。貴女にも『ママ』と呼ぶことを許します」


「…………」


「私が貴女に辛く当たったことは、グレンが大切なことを教えてくれなかったせいなの。でも誤解は解けたからもう大丈夫よ。これからはローズと同じくらいには愛してあげるわ」


「いいえ。欲しいのは家族からの愛情だけなので、あなたのそれはいりません」


 訳の分からないことを無表情で言い切るソフィラに、寒気がした。

 何? この子? 私は家族なのに何言ってるの? それになんでこんなに無表情なの? 前からこんなに無表情だったかしら? ……分からないわ。だって今までソフィラの表情なんて、しっかり見たことがなかったから。

 ……いつだってその赤い瞳に怯えて、顔を逸らしていたから。


「ソフィラは誤解しているのよ。ママはね、ちゃんと貴女のことも家族だと思ってるから安心してちょうだい。……苦しかったのよ。姑……貴女のおばあ様に、酷いことをたくさん言われてね、それでとっても辛くて……。それにね、悪い商人に騙され……」


「結構です」


 信じられないことに、涙ながらに語る私の言葉をソフィラが遮った。


「ちょっと! 最後まで聞きなさいよ!」


「伯爵夫人の主張を聞くつもりはありません」


「はぁ? 何なのよ! 実の親に向かって、そんなことを言っていいと思ってるの!?」



「相手の意見を聞いて主張をぶつけ合うのは、お互いを理解するために必要なことです。私は、伯爵夫人と分かり合うつもりはありませんので、伯爵夫人の主張を聞く必要がありません」



「何よ! 何を言ってんのよ? 私はお前の親なのよ! 誰が産んでやったと思ってるの!? 誰のおかげでここまで育つことが出来たと思ってるのよ! 全部私のおかげでしょう? そりゃあちょっとした誤解があって、ほんの少し酷いことをしたかもしれないけど……。でも、私は……」


「結構です」


 無表情なソフィラの、その真っ赤な瞳が、私にはやはり恐ろしかった。


「だけど、だけどきっと分かり合えるはずよ。だって私とソフィラは、正真正銘血の繋がった家族なんだから」


「私にとっての家族は、レオとレイン。それに私を育ててくれたマリー達だけです」


 はぁ? 誰よそれ? マリーだけはどこかで聞いたことがある気がするけど、誰だったかしら? でも、誰だったとしてもどうでもいいわ! 


「目を覚ましなさい! ソフィラ! お前の家族は、私とジャレットよ! お前が愛さなくてはいけないのは、敬わなければいけないのは、私達だけなの! 過去のことをまだ根に持っているのね。……仕方がないから、理由を教えてあげるわ。私がお前を冷遇していた原因は、その赤い瞳のせいなのよ。その瞳が……」


「結構です」


「何が結構なのよ! 聞きなさいよ! お前だって知りたいでしょう?」


「知りたくありません」


「何を……。何を言ってるの……。実の親に向かって……。私は、私は別にグレンに嫁ぎたいわけじゃなかった。政略結婚だから仕方なく、あんな冴えない男と結婚してやったのに。それなのに生まれたのが女だからって跡継ぎ跡継ぎってしつこく言われて! だから私は……」


「夫人の心情に興味がありません」


 実の親に対してのあまりの対応に、私はソフィラを睨みつけた。

 そんな私の視線を遮るように、ブラウン公爵がソフィラの前に立った。


「形だけでも謝罪くらいするかと思ったが、それすらしないとは」


 それは、冷たい、とても冷たい声だった。


「あっ、謝ろうとは思ってました。でもソフィラの態度があまりに酷いので、その……」


「俺もお前の自分勝手な主張を聞くつもりはない。今日会ってやったのは、もう二度と来るなと伝えるためだ。今後ソフィラに近づいたら、すぐに警邏に突き出すからな」


 醜い傷跡と鋭い視線に射抜かれて、私の身体はガタガタと震えだした。

 私は、助けを求めて縋るようにソフィラに声をかけた。


「ソフィラ。貴女は私の娘なのよ? 私を助けてくれるわよね?」


 こんなに切実に誰かの名前を呼んだのは、生まれて初めてだった。

 それなのに、私が助けを求めた実の娘からの回答は……。


「お帰りください」


 ただ、それだけだった。


「……っ。そっ、そもそもソフィラの瞳が赤かったのが、いけないのよ! お前の瞳が茶色だったらこんなことにはならなかった! お前の瞳さえ赤でなかったら、私はお前を愛せたし、夫は出て行かなかったし、ジャレットは堂々と伯爵になれたはずなのに! お前の瞳さえ赤でなかったら!」


「お帰りください」


「どうして! どうして何も言わないのよ! 恨み言とか、憎しみとか、私にぶつけてみなさいよ! 聞いてあげるから! お前の気持ちを私に言ってみなさい!」


「私は、伯爵夫人と分かり合うつもりはありません」


 私がずっと恐れていた真っ赤な瞳が、視線を向けることさえ許さなかったその赤い瞳が、私の顔を見ていた。

 だけど私に向くその瞳には、何の感情も乗っていなかった。

 『許さない』と言われるかもしれないとは思ってた。憎悪をぶつけられるかもしれないとも思ってた。

 

 だけどまさか、何の感情も向けられないとは思ってなかった。


 赤い瞳なんて生まれるはずがないと思っていた。だからずっと怖かった。ソフィラの赤い瞳がずっとずっと怖かった。

 だけどそれは私の勘違いで、赤い瞳が生まれても何もおかしくなかった。……だから……まだ間に合うと思ったのに。

 ソフィラの憎しみを聞いて、私の当時の辛い気持ちを伝えて、だけど私達は血の繋がった親子だから、だから最後には分かり合えると思っていた。

 私が誰より愛するジャレットのために、ソフィラはお金を出すと思っていたのに。


 なのにまさか、話すら聞いてもらえないなんて思ってもなかった。

 ……これならまだ会ってすらもらえなかった方が、いつか会えると希望を持てたのに。


「お帰りください」


 ソフィラの無感情な声が、応接室に響いた。


★☆★

 

「ママ。話があるんだ」


 やっと家に辿り着いた私を待っていたのは、今まで見たことがないほどに深刻な顔をしたジャレットだった。

 きっとジャレットにもこの結果が分かっていたのね。これからのことを二人で考えるんだわ。


「ジャレット。ソフィラのことはもう忘れましょう。これからも私達二人で協力して……」


「ビリー様が、少しなら援助してくれると言ってくれているんだ」


「ビリー? 誰だったかしら?」


「ママ……。ビリー様は、ローズの婚約者だよ?」


「あぁ! そうね! ソフィラの婚約者だったあの冴えない男ね?」


「……。とても厳しい状況だけど、国から派遣される官僚に教えを仰ぎながら『経営』のスキルでなんとかスタンリー伯爵領を立て直すよ」


「ジャレット! なんて頼もしいのかしら。さすが私の愛する息子だわ」


「……だからママは……サバラン地区で、のんびり過ごしてほしい」


 はっ? 何を言ってるの? ジャレットは、何を? そんな深刻な顔で冗談を言うなんて、まったく笑えないわ。


「サバラン地区だなんて、あんな誰も住んでないような僻地で、私がのんびり暮らせるはずがないでしょ?」


「さすがにサバラン地区のことは知っていたんだね。だけど住人はいるよ。……極少数だけどね……」


「ジャレット! こんな時に変なことを言っている場合じゃないでしょ? そんなことより、ローズに言ってもっとお金を出させましょう! そうすれば何も変わることなく私達は幸せに暮らせるわ!」


 なんだ! そうよ! すっかり忘れていたけど、ローズだっていたじゃない! 


「ママ、忘れたの? ローズの婚約者は、ママがずっと馬鹿にしていた格下の子爵家だよ?」


「それがなに?」


「すでに提示してくれている額で、あの家にとっては精一杯だよ」


「そんな……。まったくなんでローズはもっと役に立つ家と婚約しなかったのかしら!」


「……ママ……」


「どうしたの? ジャレット? そんなに悲しい顔をして」


「資産の確保が出来て領地経営を立て直しただけじゃダメなんだ。社交界での評判も取り戻さないと」


「そんなのは大丈夫よ。今まではサボっていたけど、これからは私も積極的にパーティーに参加するわ。そうすれば評判なんてすぐに回復……」


「ママは、何が問題になっているかすら知らないの?」


 ジャレットは、悲しいを通り越して呆れたような顔をしていた。


「ママがしたことが評判になっているんだよ」


 私がしたこと? まさか……まさか、ジャレットがグレンの子どもでないことが……。


「ママは、ソフィラだけでなく、祖母のことも虐げていたんだね」


「あぁ。なんだそのことね。それなら大丈夫よ。私がパーティーに参加すれば、きっとすぐに……」


「ママ!」


「……そんなに怖い顔をして、どうしたの?」


 ジャレットが私に向ける視線はいつも優しくて甘えん坊で、それなのに見たこともない怖い視線を向けられた私はとても戸惑った。


「お願いだから、サバラン地区に行ってくれ!」


「さっきの? 本気で言ってたの?」


「子爵家から援助をもらえる条件なんだ。ママがいる限り、スタンリー伯爵家を立て直すことは出来ないから」


「何よ! 格下の子爵家のくせに偉そうに! ローズを呼んでちょうだい! 今まで甘やかしすぎたんだわ!」


「それだけじゃない! 僕も……僕も、同じ意見になったよ」


 ジャレットは、とても悲しそうに呟いた。


「……ママには、この屋敷から出て行ってほしい」


 信じられなかった。愛するたった一人の息子からまさかそんなことを言われるだなんて。


「どうしてよ!? ママはジャレットを誰より愛しているのよ! ジャレットを当主にすることだけがママの願いだったのに! それなのにこんなに大事な時に、どうして私だけあんな碌な生活も出来なさそうなわけのわからない場所にいかなきゃいけないのよ!?」


「サバラン地区だって、大切なスタンリー伯爵領の一部だよ」


 まだまだ子どものようだと思っていたジャレットは、この数日でなんだかすっかり大人の顔になった気がした。

 ……あの日、ソフィラの許からひどく疲れた顔をして帰ってきた、あの日から……。


「……ママさえソフィラを虐待しなければ……」


「えっ?」


「お願いだよ。ママ。僕は、ママを……嫌いになりたくないんだ……」


 苦悩に満ちたジャレットの顔を見て、やっとジャレットが本気なんだと分かった。


 ジャレットが生まれた時、本当に嬉しかった。

 やっと姑に勝ったと思った。

 だから絶対にジャレットを当主にしたいと思った。

 まさか願いが叶うその時に、自分だけ僻地に捨てられるだなんて思ってもなかった。


 グレンは、私を捨てた。

 ジャレットも、私を捨てた。 

 ……私は……私には……何が残るのかしら?



『ミラー』


 ふいに頭に響いたのは、ソフィラがこの屋敷を出て行った時の声だった。

 私は、あの時初めて自分の娘であるソフィラの声を聞いたのだったかしら? 前にも何かを懇願するようなソフィラの声を聞いたことがあるような気がするけど、覚えてないわ。


 『ミラー』とは、どんなスキルなのかしら? 聞いたらソフィラは教えてくれたのかしら?


 夫であるグレンは、私を捨てた。

 最愛の息子であるジャレットも、私を捨てた。

 ずっと虐げてきたソフィラは、私に対して一片の感情も持っていなかった。


 これから未知の場所で生活する私に残ったのは、ソフィラからかけられた『ミラー』という謎のスキルだけだった。

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