春の嵐を感じるお姉さん
翌日。セシルはレオに許可を取り、訓練場に来ていた。何度か見学の話は出ていたのだが、今まで来ることができなかったのだ。セシルは安全な場所に座り、スケッチブックに描きこんでいく。兵士たちは止まってくれるわけがないので、その一瞬を網膜に焼き付け描き写していった。
(すっごい、美形がいるわ……)
ユリアは後方で控えているのだが、教えてもらわなくても彼だと分かった。それぐらいむさくるしい男たちの中で浮いている。すらりとした体つきながらも剣筋は鋭く、屈強な男たちと対等に手合わせをしていた。茶色に近いオレンジの髪は首筋にかかるくらいで、頬にかかる横髪を耳にかき上げる仕草が色めかしい。
丁寧にハンカチで汗を拭うところや、水を飲む姿は優雅で絵になる。打ち込み過ぎた時に相手にかける言葉の優しさや、ユリアとセシルの存在に気づいて会釈する気遣いなど、セシルはユリアが惚れるのも無理ないと思うのである。
そして訓練が終わると、彼は汗を拭ってからセシルたちへと近づいて来た。栗色の瞳が優しそうに細められる。
「ユリアさん、見に来ていらしたのですね。そちらのお嬢様は、魔王様の専属画家でいらっしゃるセシル様ですか?」
産毛が立つような美声で、高くも低くもない。張りがあって通る声だ。セシルは慌てて立ち上がり挨拶をする。
「あ、はい。初めまして、セシルです」
「あぁ、これは失礼を。わたくしはノエルでございます。セシル様の絵、拝見いたしました。わたくしは、絵に関しては疎いのですが惹きつけられましたよ」
品のある笑みを浮かべていて、物腰は柔らか。近くでも見てもその容姿に欠点は無く、魔王とはまた違う中性的な美しさがある。
「ありがとうございます。ノエル様は剣がお強いのですね」
「いえ、修行の身でございます。セシル様の絵に比べれば、何の価値にもなりません。陛下と宰相閣下を描かれた絵には胸を打たれました。閣下たちのお側にいられるのは、羨ましいかぎりです」
ユリアは護衛のため壁際で控えているが、なんだかそわそわとしている。熱いまなざしを送っており、たまに目が合うと喜びを噛みしめていた。セシルは視界の端でそんなユリアを見ながら、応援したくなる。ユリアの話でも振ってみようかと思ったところで、周りが騒がしくなった。あちらこちらから「魔王様」という声が聞こえ、みんな膝を付き始めたのだ。
「え、レオ様にジルバ様……?」
「魔王陛下に、宰相閣下」
ノエルが片膝をついたのに合わせて、セシルも軽く膝を折る。ついスカートを履いていないのにドレス用の所作をしてしまった。だが騎士でもないので、これでもいいかと思う。
「楽にしろ」
レオの声が響き、それぞれ体を休めて入って来た二人に視線を向けた。
(ユリアさんの相手が気になったのかな……)
このタイミングでレオが見に来る理由は一つしかない。ジルバが運動を兼ねてたまに訓練場に顔を出しているそうだが、レオはまれだとユリアが言っていた。レオはノエルと話しているセシルに目を留めると、まっすぐ二人へと近づいていく。ノエルはさっと身を引いて場所を開け、レオ達に吸い寄せられるように視線を向けていた。
「セシル、いい絵は描けたか?」
「あ、はい。おかげさまでたくさん練習ができました」
「それならいい」
レオはセシルと話をしつつ、悟られない程度にノエルを観察していた。ユリアは顔には出していないが面白くなさそうで、邪魔をしに来たのと言いたそうだ。
「それで、お前は誰だ」
レオがノエルへと視線を向けると、彼はハッと顔を引き締めて軽く頭を下げる。
「ノエルと申します。お目汚し、ご容赦ください。本日はありがたくも訓練に参加させていただいています」
レオはノエルを見極めようとしているようで、鋭い眼光を向けていた。セシルはレオがユリアを怒らせるようなことを言いださないかハラハラし、ジルバは面白そうに微笑みながら見ている。
「……そうか。訓練に励め」
「頑張ってくださいね。ノエルさん」
レオは問題ないと感じたのか言葉少なに切り上げ踵を返す。ジルバも言葉をかけると、ノエルは弾かれたように顔を上げた。
「あ、ありがとうございます!」
感激したのか目は潤んでおり、訓練後ということもあって頬は上気している。思わず唾を飲んでしまうほど色っぽかった。そしてノエルは辛そうに顔を歪めると、一瞬思い悩んでから一歩踏み出す。
「あ、あの!」
上ずった声。セシルはノエルが声をかけるとは思わなかったため、驚いて顔を向ける。ユリアも目を丸くしていた。レオとジルバは振り返り、怪訝そうな顔をしている。ノエルはじっと熱い視線を向けると、もう一歩近づいた。
「ず、ずっと。ずっと憧れていたんです」
それは剣を持って打ち込んでいた時とは違う顔で、声にも余裕がない。
「もう一度お会いしたくて、お側にお仕えしたくて……」
突然訴えかけてきたノエルに、レオはどういうことだと眉間に皺を寄せる。魔王をしているとたまに熱心な、信者ともいえる人に詰め寄られることがあった。そのためにユリアを利用したのだろうかと怒りが芽生え、攻撃を放てるように指を合わせる。
「村にいたわたくしに声をかけてくださった時に、あなたのために生きようと決めました。どうか側に置いてください、ジルバ様!」
空気が固まった。セシルたちはおろか、聞き耳を立てていた兵士たちも驚愕する。そして特にセシル、レオ、ユリアは別の意味で驚いていた。
(え、ジルバさん? どういうこと? ユリアさんとデートして、いやでも忠誠的な?)
あまりにもノエルの想いが熱く響いたので、愛の告白のように聞こえたが、セシルは慌てて思考を修正する。ユリアが報われない展開にはならないでほしい。皆の視線がジルバへと集まり、そのジルバは小首を傾げると「あぁ」と小さく声を漏らす。
「ノエル……魔王候補を探していた時に会った子ですね。これは、見違えましたね」
「はい! 覚えてくださっていたのですか!?」
ノエルは感激のあまり涙を浮かべ、片手で口を覆った。レオがどういうことだと目で説明を求める。
「私が魔王候補を探して、視察を繰り返していた時に出会ったんですよ。レオ様に会うより前でしたかね。残念ながら魔王候補にはしませんでしたが……」
「はい。その時からずっと忘れられなくて、いつかお城で働こうと剣を習ったのです」
「そうですか……兵士は随時募集していますが」
そこで一度言葉を切り、ジルバはじっとノエルの顔を見つめた。小難しい顔をして、必死に記憶を手繰り寄せる。
「たしか、記憶によると……あなたは女性ではありませんでしたか?」
その発言に、セシル、レオ、ユリアの声が合わさる。
「……は?」
そこにいる全員の目がノエルに向けられた。その胸へ……きれいな、平坦な胸へ。
「あ、はい。女です。女の身で剣を持つとうるさいので、普段は男装をしております」
あっさり認められ、セシルは衝撃に頭が追い付かない。セシルも男装をしていたが、質が違った。ユリアも同様で、壁にもたれかかって何かぶつぶつ呟いている。兵士からは、信じられない、負けたぞと悲壮な声が聞こえてきた。そんな混沌とした空気を、レオの声が一掃する。
「まぁ、お前が女でジルバのために兵士になりたいのはわかった。……で、なぜユリアに近づいた?」
「……え、ユリアさんですか? ユリアさんはわたくしが王都で道に迷っているところを助けてくださり、そこから仲良くさせていただいています。侍女とおっしゃっていたので、ジルバ様のことを伺っていたのです。もちろん素敵な方ですし、これからも女友達として仲良くできればと思っておりますが……」
その言葉にレオは残念そうな顔になって、憐れみの目をユリアに向ける。ユリアは壁に頬をつけ、思わぬ形での失恋に打ちひしがれていた。すっと視線をノエルに戻す。
「そうか……女だとは言わなかったのか」
「え、私が女だと気づいて声をかけてくれたのだと思っていたのですが……」
悲しいすれ違いがあったようだ。この展開にセシルは胸を痛め、すっとユリアに近づくと背中に手を当てた。
「……分かった。試験を受けてみろ。そこからはお前次第だ」
「あ、ありがとうございます!」
ノエルは直角に腰を折り、喜びを噛みしめる。その一方で幸せな恋心が打ち砕かれたユリアは、虚無を抱えた顔をノエルに向けた。目が合った彼女は無邪気に笑い、話しかける。
「ユリアさん。絶対にジルバ様付きの護衛になってみせますから。職場仲間としてよろしくお願いします! これからもお茶しましょうね!」
「……う、うん。応援してるわ」
振り絞った声が痛々しい。セシルは「今日は付き合います」と小声で話し、ユリアの背を支えながら訓練場を後にしたのだった。
そしてその夜。セシル、レオ、ガラン、ジルバは集まってユリアのやけ酒に付き合ったのだった。どうも毎回この流れらしく、セシル以外は慣れたものだ。ユリアは空き瓶が並ぶテーブルに突っ伏して管を巻く。
「も~! 今回は上手くいくと思ったのに、毎回こんなんばっかよ! なんで寄って来るのにまともな人がいないのよ! あのわがままでねじ曲がったレオはさっさとこーんな可愛いセシルちゃん捕まえるし! ガランもララさんとイチャラブだし! 最後の砦だったジルバ様まで~!」
しまいには今までの散々だった男たちを愚痴り、セシルに抱き着いて泣く。最後はレオに魔法で眠らされ、やっと静かになったのだった。
その後、ノエルは無事試験に合格し、兵士の道を歩み始めた。そしてすぐに頭角を現し、半年後には宰相付きの護衛の任につくことになるのである。
ユリアの春は、まだ遠そうなのであった……。




