51 始まりの絵の真実
セシルが小首を傾げた瞬間、空気が凍り付いた。愕然とするトラストに、疑わしい目を向けるレオ。
「セシル、お父さんを忘れたの!?」
「え? 父は人間ですけど? ん、あれ。でも、ちょっと声が似ているかも?」
悲しそうに眉根を下げるトラストに、混乱気味のセシル。だがすぐにトラストがあっと声をあげた。
「あ、そういやセシルにこの姿を見せたことなかった」
しまったと口に手を当ててから、トラストは「あはは」と軽く笑う。そのしぐさは見覚えのあるもので、さらにセシルは混乱した。言われてみれば雰囲気が父親っぽいが、姿が全く違う。まさかレオのいたずらかと疑わしい視線をレオに向けるが、レオも戸惑っているようだった。トラストはセシルの困惑など気にするそぶりもなく、得意げにパチンと指を鳴らす。
するとキャンバスの下にもう一枚絵があったように、姿が切り替わった。人間の、栗色の髪をした中年の男性に……。本来のトラストの面影もあり、どことなくセシルにも似ている。
「お、とう、さん?」
そこでセシルはあんぐりと口を開け、考えるのをやめたのである。
その後セシルが放心状態になったため、レオが顔をトラストに向け、目で説明を求めた。トラストは軽く肩をすくめると、固まっているセシルの頭を撫でつつ、「実はね」と話し始めたのである。
「さっき、クレア王国に行ってたって言ったでしょう? でも、クレア王国で魔人族は目立つし、平和協定も結ばれる前だから魔法で姿を変えてたんです。向こうで幸いなことに愛する人に恵まれて、セシルという可愛い子どもを授かることができました」
妻には先立たれましたけどねと付け加えたトラストは、寂しげに微笑んでいる。だが幸せな生活だったことは、彼の満足そうな表情とたくましく育ったセシルから伺えた。
「お父さん……魔人族だったの?」
ようやくショックから立ち直り始めたセシルは、低い声でそう尋ねる。
「まぁ、一応ね」
セシルは軽い口調で返す父親をキッと睨みつけた。父親の姿はいつのまにか本来のものに戻っている。その顔を見れば、確かに瞳の色は同じだし、口元も少し似ている気がする。
「トラストが、本当の名前?」
セシルが知っている父親の名前はラトスだ。今まで信じていたものが崩れていくようで、悲しくなってきた。
「まぁね……ラトスはあだ名みたいなものかな」
「お母さんは知ってたの?」
「うん。結婚する前に話したよ。……今まで言えなくてごめんね。大きくなってからと思ってたら、ずるずる引き延ばしてしまって」
「……じゃぁ、私も魔人族なの?」
セシルの最大の衝撃はそこだった。父親が魔人族なら、自分にもその血が流れていることになる。今まで人間と信じて生きてきただけに、理解が追い付かない。
険しい表情をしているセシルに、やりとりを黙って聞いていたレオが言葉をかける。
「俺は、お前は人間だと思うが……。魔人族なら耳が違うし、何より魔力が感じ取れるはずだ」
「うん。セシルは人間だよ。まぁ、そもそも僕は魔人族と人間の間に生まれた子だし、僕からは絵の才能以外は受け継がれなかったみたいだね。まぁ、顔は母親に似て可愛いからよかったと思うよ」
トラストは隠すこともなく、すらすらと答える。二人は聞き捨てならない言葉に、声をそろえて問い返した。
「魔人族と人間の間に生まれた?」
そんな存在はめったにいない。頭の回転が速いレオは何かに気づいた顔になり、まさかと驚いた表情を見せた。トラストはその反応をおもしろがっており、タネを明かすように「ふふふ」と笑う。
「ここにあるんでしょ? 始まりの絵。今回はレオ様に会いに来たのもあるけど、それを見に来たんだよ。母が描いた僕たちの絵を」
そこまで言われれば、セシルにだってわかる。本日二度目の衝撃を受け、セシルは父親の顔を穴が開くほど見つめた。あの絵は後ろ姿だったが、その髪色は同じだ。
「……だから、あの絵は懐かしかったんだ……。書き方と色の使い方が、お父さんの絵に似てるもの」
始まりの絵を見た時に感じた懐かしさの理由がすとんと胸に落ちた。それはレオも同じで、「確かに似ているな」と頷いて納得している。そしてふと気づいたように目を瞬かせ、トラストの顔をじっと見た。
「人間の血が入っているということは、年を取るのが少し早いのか」
「あぁ、はい。人間の1.5倍くらいです。なので、クレア王国に行くときに人間の姿になったのもあるんです。年を取らないと不審がられますからね」
トラストの歳の話になったところで、セシルは「ん?」と首を捻る。
「あれ、じゃぁおじいちゃん生きてるの?」
セシルは小さい時から父親の両親はもう他界したと聞かされていた。人間であった祖母は無理だが、魔人族である祖父なら生きている可能性はある。期待を込めた眼差しを向けられたトラストは、うっと言葉を詰まらせてから言いにくそうに口を開く。
「まぁ、一応……あの絵を売ったって知った時に大喧嘩になって、それから帰ってないけど、たぶん生きてるよ」
「お父さん……」
それを聞いたセシルは、祖父が生きていることを喜んでいいのか、微妙な気持ちになった。父親はわだかまりがあるようだが、セシルとしては会ってみたい。
「いつか、会わせてね」
「……努力はする」
「トラスト。あの絵を買ったのはガランのはずだが、何かまずかったのか?」
あの絵は美しいものを求めて各地を旅していたガランが惚れ込み、所有者を説得して買ったと聞いていた。結果として平和の象徴の絵となったが、絵に描かれたトラストが快く思っていないのであれば、レオとしても対処したかった。
「まぁ、ちょうど子どものレオ様を描いていたころに売られて……父親は渋ったそうなんですが、ガランさんの熱意に心打たれたそうなんです。それに、母の絵は他にもありますしね。でも、恥ずかしながら未熟だった私は勝手に売られたと怒ってしまい、家を飛び出したんです」
その勢いでクレア王国へと向かい、姿を変えて定住してしまった。結婚して子供が生まれればなかなかアルシエルに帰ることもできず、結局父親と会わずじまいなのだ。
「すぐにクレア王国に行ったので、まさかあの絵が多くの人々の目に触れ、人間との平和を望む象徴の絵になるなんて思いもしませんでしたよ」
今回久しぶりにアルシエルに戻り、絵について情報を集めている中で耳にしたので驚いてやってきた。
「始まりの絵は俺の部屋にある。返してほしいなら、検討してみるが……」
「いえ、人間との和平のきっかけとなった誉れある絵ですから、魔王城で飾ってあげてください。父の決断が今に繋がっているのですから、私も誇らしいですよ」
そして若気の至りですと、トラストは恥ずかしそうに笑うのだった。
その後、トラストはレオの部屋へと案内され、何十年ぶりに母の絵と対面した。子どもの時に見た時から色あせることなく、優しい懐かしさがそこにあった。
「魔人族の父と、人間の母と、私……きっと、これから世界はこの風景がありふれたものになるんですね」
そうしみじみと呟いたトラストの後ろで、レオとセシルは顔を合わせた。もしかしたら、あの絵の二人になるかもしれないと思うと気恥ずかしくなって頬を染める。どちらからともなく顔を絵に戻し、心に浮かぶのは同じこと。
(いつ、言おう)
二人は絵の世界に浸っているトラストの背後で、思い悩むのだった。
次で本編完結です(*'ω'*)
後日談でリクエストがあれば、割烹か感想欄にどうぞ! 全部応えられるとは限りませんが、よろしければー。




