50 魔人族の画家
部屋を後にしたレオは速足で廊下を進む。本当にトラストならば、謁見の間で魔王として会うのは気が進まないが、形式上仕方がない。レオに敵意を持つ者がトラストの名を名乗っている可能性もあるからだ。
「トラスト様はすでに中でお待ちです」
レオが謁見の間、玉座へと続くドアの前に着くと、控えていた衛兵がそう告げた。このドアは魔王のみが使用し、玉座が誂えられた高座の右奥に繋がっている。衛兵が魔王の到着を告げ、場が引き締まった。
(本物か……敵か)
レオは気を緩めることなく、謁見の間に足を踏み入れたのである。
他者をひれ伏させる威圧感を纏いながら、レオは玉座へと進み腰を下ろした。高座から少し離れたところに、栗色の髪をした男性が膝まづいて頭を垂れている。髪色は記憶の中のものと同じだが、顔は分からない。だがその雰囲気は、なんだか懐かしかった。
「顔を上げろ、トラスト」
そしてその顔を見た瞬間、レオは息を飲んだ。空のような水色の瞳は優しく細められていて、栗色の柔らかそうなくせ毛からは魔人族特有の細長い耳が覗いている。記憶より年を取っていたが、間違いなくあの画家だった。
「ご尊顔を拝す光栄に預かり、恐悦至極でございます」
謁見の口上を述べるトラストをレオは手で制し、じっとその顔を見つめる。
「久しぶりだな、トラスト」
「えぇ、レオ様。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありませんでした」
「さすがに年を取ったな」
子どもの頃に会ったトラストは青年だったが、ガランと同じぐらいに見えた。
「それはそうです。私はもういいおじさんですからね」
そう言って優しく笑うトラストは、昔と変わらない。レオは玉座から降り、トラストへと近づいた。
「トラスト、立ってくれ。今はレオとして話したい」
「レオ様……」
トラストは戸惑いながらも、ゆっくり立ち上がる。トラストの背は思ったよりも低くて、子どもの時はあれほど大きく思えたのにと、レオは時の流れを感じる。
「レオ様はすっかり大きくなられて、今や魔王様ですか……。本当に驚きましたよ」
「俺も、まさかこうなるとは思わなかった……今まで、何をしていたんだ。あれ以来、魔人族の絵描きの話を聞くこともなかったが」
レオは魔王になってから、各地の有力者や絵に関心があるものにトラストについて尋ねていたが、欲しい情報は得られなかったのだ。レオがそう問いかけると、トラストは申し訳なさそうに眉根を下げる。
「実は、クレア王国の方へ行っていたんです。絵はあちらのほうが進んでいますから」
「それでか。今も絵を描いているんだな」
「もちろんです。私の生き甲斐は美しいものをキャンバスに閉じ込めることですからね」
トラストはそう豪語し、屈託のない笑顔を見せた。その笑顔に既視感を覚えたレオは、トラストに視線を注ぎつつ記憶を探る。
「そういうレオ様はどうなんですか? 絵は描かれてますか?」
昔を懐かしむようにトラストは目を細めた。その脳裏には幼きレオと過ごした日々が思い出されているのかもしれない。
「……いや、あれ以来ちゃんと描いたことはない」
そう返すと、トラストは残念そうに眉根を下げた。じぃっと訴えるような目を向けられ、レオの良心が少し痛む。
「そうですか。レオ様が絵を政策に取り入れられたと聞いて、今も描かれているのかと思ったのです。あれほどの才能がもったいない」
トラストはレオを描く時間を余分に取り、その間絵を教えてくれていた。最初は感情が死んでいるレオを少しでも楽しませようと思って始めたのだが、その才能に本気になって技術を教えたのだ。
「……まぁ、また始めてもいいとは思った」
「では、一緒に絵を描きましょう。あぁ、それに、ここに来るまでにアルシエルも旅していたのですが、各地に飾られたレオ様の姿絵は見事でしたよ。絵と共に置かれている刻印を集めたら、レオ様のポストカードがもらえるんですってね。年甲斐もなく、集めてしまいましたよ」
「あぁ……ジルバとガランが観光の増進のためにと始めたんだ」
「すばらしいと思いますよ。あの絵を見て、レオ様に、そして描いた人に会おうと思って来たんです」
「ちょうどいい。紹介しようと思っていた。魔人族に画家はほとんどいないからな」
そして二人は場所を変えることになり、侍女が先導をしてセシルがいるサロンへと向かう。
「あの画家は人間の女の子だそうですね」
その途中でも二人の話は尽きない。
「あぁ、絵と肉が好きなおもしろい画家だ」
「あはは、それは変わった子ですね。もしかしたら、私が思っている子と同じかもしれない」
「トラストはクレア王国でセシルに会ったことがあるのか?」
含みのある言い方をしたトラストに、レオがそう尋ねた。セシルはクレア王国を旅していたため、トラストと接点があってもおかしくはない。
「あぁ、やはりセシルですか」
「なんだ、知り合いなら話は早い」
話しているうちにサロンへと着き、侍女がノックをしてからドアを開けた。二人が部屋に入ると、セシルは絵を描き終えてスケッチをしているところだった。レオの隣に客人がいるのに気づくと、慌ててスケッチブックを閉じて立ち上がる。
「セシル、彼がトラストだ。知り合いなんだろう?」
「ひさしぶり、セシル。元気そうでよかったよ」
にこやかに手を軽く挙げたトラストを、セシルは険しい表情で凝視する。ん? と大きな疑問符が頭の上に浮かんでいた。
「えっと、どちら様ですか?」




