48 お忍びの魔王様
魔力を使い果たしたレオが目覚めたのは、翌日の昼だった。そこから、捕らえた者の処罰に、事件の公表、滞っていた政務の決済など慌ただしい日々が過ぎた。セシルもさすがに修羅場の執務室に入って絵を描く勇気はなく、レオと話す時間が取れないまま三日が過ぎた。
そして、セシルが絵の練習をしていた昼過ぎ、突然窓が開いたと思うと、レオが滑り込んで来たのだった。
「え、レオ様?」
驚いて思わず声を上げれば、レオは鋭い視線をセシルに向け、シッと唇にたてた人差し指を当てた。それだけで見とれてしまい、セシルは頭の中のポーズリストに追加する。
「もう限界だ。仕事ばかりで息が詰まる。街に出るぞ」
「え、でも」
今はまだ仕事が山積みになっているはずだ。すると、廊下が騒がしくなり複数の足音が近づいてきていた。レオはセシルに近づき舌打ちをする。
「早い奴らだ」
そしてレオに腕を掴まれ立ち上がらされたと思えば足元が光り、次の瞬間には全く知らない場所に立っていたのだった。何度転移魔法を経験しても心臓に悪い。
「ほんと、急ですね」
転移した場所は物置のようで、服や靴などが所狭しと並べられていた。どこかの店かもしれないとセシルが思いながら眺めていると、レオはためらうことなく服を物色し始める。
「ちょっと、何してるんですか?」
魔王がどろぼうのようなことをしてと目を丸くしているセシルに、一着のワンピースを投げつけられた。反射的受け取ったそれは、空色でシンプルながらもかわいい模様がついた品のよいものだった。
「それに着替えろ。ここは俺が借りている部屋だ。お忍びで街を歩くための服を置いている」
なるほどと、各種揃えられた男物の服を見て納得する。だが、なぜ女物まであるのか。その疑問が顔に出ており、レオは舌打ちを返すと嫌そうに顔をゆがめた。
「前まではなかった。俺がこうすることは、お見通しということだろうよ」
そしてワンピースに合う靴とアクセサリー手早く選び、自分の服装を取ると、隣の部屋で着替えると言って出ていった。残されたセシルはかわいいワンピースたちを見下ろし、「センスいい」と呟いたのである。
手早くワンピースに袖を通し、靴を履き替えた。不思議とサイズはぴったりで、着心地は抜群だ。生地もなめらかで、とても質がよい。そして着替え終わったセシルが隣の部屋を覗けば、見知らぬ男がいた。
「……誰?」
「よく見ろ、俺だ」
「え、レオ様?」
声は確かにレオだが、見た目がまったく違う。銀色の絹のような髪は藍色になり、首筋で切りそろえられている。瞳は翡翠色で、優しい色みをしていた。服は質はよいが質素なもので、これなら町の風景に紛れ込めそうだった。
「魔法で髪と瞳の色を変えている」
そう呟いたレオが指をならせば、光がセシルの周りを取り囲んだ。魔法をかけられたようだが、変化が分からず、セシルはキョロキョロと自分の体を見る。
「髪を長くして耳を尖らせた。それなら魔人族に見えるだろう。人間の姿ではお忍びにならんからな」
セシルが部屋に置かれた鏡で姿を確認すると、たしかに髪が腰まで伸び、耳が少しとがっていた。
「うわ~。これが魔人族の姿なんですね。けっこう似合ってますね」
髪が長い顔は久しぶりな気がする。母親が亡くなってからは髪の手入れが面倒になり、短めだった。それに加えて旅に出てからは男装していたため、さらに短くしたのだ。
セシルは尖った耳をおもしろそうに触っていた。
「遊んでないで行くぞ」
そう言ってさし伸ばされた手に、セシルは気恥ずかしくなりながら、そっと手を重ねるのだった。
レオに手を引かれ、セシルは頬を赤く染めながら隣を歩く。先ほどから心臓の音がうるさくて仕方がない。
(わぁぁ……これって、デートだよね。嘘みたい。あのレオ様とデートしてるなんて)
ガランとも、コルとも街を歩いたことはあるが、こんなドキドキすることはなかった。ただ一緒にいられて、手をつないでいるだけで幸せを感じる。セシルが緩む頬を止められないでいると、それを盗み見たレオは照れたのかすっと視線を逸らす。
「そのだらしのない顔を引き締めろ……」
「ひゃぁ! ちょっと、見ないでくださいよ」
「見せる方が悪い」
互いに初々しい雰囲気を出しながら、歩いて行った先はガランとも来た屋台が集まる広場だった。漂う肉の香りに、セシルは目を輝かせる。
「いつ来てもいい匂い~」
肉祭り以降、今まで見なかった珍しい肉料理の店が増えた気がする。珍しいソーセージの店ができていて、セシルはレオの手をくいくいと引いて指さした。
「あれを食べましょう!」
「……本当にお前は、肉を前にすると顔が変わるな」
呆れ顔のレオは串にささったソーセージを二本買い、一つをセシルに渡した。他にも近くの屋台で串肉や焼き鳥を買って、広場の中央にあるベンチに座る。その慣れた様子に、セシルは目を丸くした。
「レオ様、屋台のもの食べるんですね」
ソーセージにかぶりついて「うまい」と言っているレオは、肉の焼き加減が気に入らずにやり直させた魔王と同一人物に思えない。見た目は全く変わっているが。
「……度々、遊びに降りていたからな。それに、屋台には屋台の楽しみがある。それにケチはつけん」
「へぇ、けど、こうやって一緒に屋台の肉が食べられて嬉しいです」
セシルはそう言ってから、ソーセージにかぶりつく。パリッと皮が弾ければ肉汁があふれ出し、セシルは幸せのあまり足をばたつかせた。今回はケチャップとマスタードを少しかけてもらっていて、味に変化とアクセントがついている。
「おいしすぎる!」
スパイスが効いた串肉も、甘辛いたれの焼き鳥も、セシルはほっぺたが落ちそうになりながらぺろりと食べきった。レオは食べるよりも、食べているセシルを見ており、自分の分の串もあげていた。
「その顔を見ながら食べれば、いつもよりおいしく感じるから不思議だな」
「おいしいじゃないですか。あ、レオ様が嫌いなものが出た時は、一緒に食べてあげましょうか。きっとおいしく食べられますよ」
その言葉にレオは嫌いな食べ物の甲殻類でも思い浮かべたのか、嫌そうに口をへの字に曲げた。その表情がおもしろくて、セシルは声をあげて笑う。その口元にケチャップがついているのを目に留めたレオは、細長い指を伸ばしてぬぐい取ると、ペロリとひとなめした。扇情的で、セシルは固まって顔を真っ赤にする。
「そ、それは、ずるいです……」
「俺は、この顔をどう使えば効果的か、理解しているからな。好きに絵に描けばいい」
そう得意げに話すレオは、にぃっと口端を上げた。どの表情も絵になって、セシルは脳裏に焼き付け、帰ったらすぐにスケッチしようと決める。でもその一方で、ちらりと画家とは違う気持ちが顔を覗かせた。
「……でも、その笑顔は私のものだけにしたい気もします」
顔を赤くしてそう口にしたセシルにつられ、レオの頬にも朱が差す。視線に耐えられなくなったのか顔を逸らしたレオに、セシルがにまっと笑ってからかった。
「レオ様、顔が赤くなってますよ?」
「馬鹿が……夕日だ」
そう言われて西の空を見れば茜色に染まっており、そういうことにしてあげようと小さく笑う。意地っ張りなレオが、なんだか可愛く思えた。そして沈みゆく陽を見ると、昼が短くなったことに気づく。だんだん肌寒くなってきて、もうすぐ寒い季節がやってくるのだ。レオは無言で立ち上がり、手を伸ばす。そしてセシルがその手を取ると、つまらなさそうに後ろの方へと視線をやった。
「城に帰るぞ。ユリアの馬鹿たちが着いてきている……そろそろ帰らないと、攫われそうだ」
「え、ユリアさんが?」
レオの視線を追ってセシルはキョロキョロと顔を動かすが、どこにもユリアの姿はない。
「そう簡単に見つかるわけがないだろ……あいつは隠密だぞ」
「え、ユリアさん隠密なんですか!?」
「……言ってなかったか。あいつはどこでも潜めるからな。気を付けろよ」
そうしてレオは人目がつかない路地裏に入ると最初の物置まで転移し、服を着替えてから城へと何食わぬ顔で戻ったのである。転移した執務室では意味ありげに笑うジルバとガランが待ち構えており、遅れてユリアも入って来た。
レオは三人の姿が揃った瞬間に転移魔法で一人逃げ、売られたセシルは見事三人の餌食になるのである。




