45 優しい魔王様
セシルが目を覚ましたのは、翌日の夕方ごろだった。優しく誰かに撫でられたような気がして、セシルはゆっくり意識を浮上させる。
(レオ様の、絵を描かないと……)
レオは今頃戦場で戦っているはずだと思い出し、セシルは一気に覚醒した。バッと飛び起きれば、側にいた人影が驚いたように動く。
「……起きる時ぐらい大人しくしろ」
その低く優しい声に、セシルは目を丸くして顔を横に向けた。
「え、レオ様? 戦いに行ったんじゃ……」
そこにはいつも通りのレオがいて、まるで攫われたことがなかったかのようだ。レオは傷を負っている様子もなく、夢だと言われれば信じてしまいそうだった。
「あんなもの、戦いに入らん。隠密部隊が敵の連携を潰したから、後は将を叩いて終わりだ。人間と戦争をすると言ったわりにはあっけないものだった」
レオは軽々しく、大したことではないように話すが、その裏にはジルバやユリアの細かな情報収集と対策があったからこそだ。
「皆さんは、無事なんですか?」
「無事だ。敵も街も、それほど被害はでていない。お前を攫った女も、然るべき法で裁かれる」
それを聞くと、セシルはほっとして静かに息を吐いた。そして少し落ち着くと、レオがここにいてくれていることが、途端に嬉しく、また恥ずかしくなる。
「あ、あの。それで、レオ様はいつ帰って来たんですか?」
なんだかまともに顔が見られず、セシルは遊ばせている手を見ながら問いかける。
「今日の昼頃だ。俺はしばらく事後処理があるから忙しくなるが、お前はゆっくり休んでおけ……落ち着いたら、どこかへ遊びに行こう」
そう言ったレオは、セシルの頬に手を添えて自分の方を向かせる。
(わわ、う、美しすぎる……)
目元は優しく和み、口元は弧を描くようにゆるりと上がっている。背後に薔薇が咲き誇っているようであり、それだけで一枚の絵画だ。一気に心拍数が上がり、頬が真っ赤になった。
「そのお顔を、絵に描かせてください」
自然な笑顔を向けてもらえていることが嬉しく、何としてでも描きとめないと画家の使命感に駆られる。だが、次の瞬間レオは真顔に戻り、深々と溜息をついた。
「この絵描き馬鹿が」
呆れたような、残念なような顔で吐き捨て、席を立つ。また機嫌を損ねてしまったと、セシルは後悔する。
立ち上がってドアへと向けて歩き出したレオは、途中で足を止めた。セシルを振り返らずに、ぽつぽつと静かに言葉を紡ぐ。
「セシル……もう二度と、危険な目には遭わせない……お前は、ずっとその能天気な顔で笑って絵を描いていろ」
「レオ様……それ、どういう意味ですか?」
素直に喜んでいいものか、セシルは複雑な気持ちになる。レオは肩越しに振り返ると鼻で笑い、「またあとで」と部屋を後にしたのだった。
(レオ様……まだ信じられない。恋人、なんだよね)
レオがセシルを見る目は優しく、甘い。そしてそんなレオを見ていると、心臓が高鳴ってもじもじしてしまう。セシルはそんな感情初めてで、どう扱っていいのかまだ分からない。レオのことを考えると自然と顔がにやついてしまい、一人照れていると不意に声がした。
「セシルちゃん……どういうことか、教えてもらえるかしら」
「ひゃっ! え、ユリアさん!」
突然背後から声がし、セシルが驚いて振り返るとユリアが窓際に立っていた。どうやら初めからそこに控えていたらしい。
「え、まさか、聞いてたんですか?」
「……しっかり見えてたわよ。レオ様、私がいるにも関わらず、まぁ甘いことを……あれは何? 人って、あんなすぐ変わるものなの?」
ユリアはレオとセシルがそういう関係になったなど、ついさっきまで知らなかった。ガランも城についてから泥のように眠っており、まだ目を覚ましていないからだ。迅速に事態を収束させ城に飛んで戻ったかと思えば、すぐにセシルの部屋へ向かったため不思議だとは思ったが、まさかここまで進んだとは思わなかった。
先ほど、常に不機嫌で嘘くさい笑みを張り付けているレオが、セシルの前では別人のように微笑み、優しい言葉をかけていた。ユリアは最初目と耳を疑い、頭でも打ったんじゃないかと本気で心配したのである。
「えっと……なんといいますか……」
気恥ずかしそうにしているセシルを見て、ユリアはますます口を開く。なんとなく好意はあるような気はしていたが、恋愛未満と思っていたのにとんだ進化だ。
「ほんとにいいの? レオ様、相当面倒くさいわよ?」
長年一緒にいるユリアが言うのだから、重みが違う。セシルは乾いた笑みを浮かべ、少し考えるそぶりを見せると照れたようにはにかんだ。
「それでも、好きだって思ったんです。どれだけ面倒くさくても……」
その純粋な表情を見たユリアは両手で顔を覆い、天を仰ぐ。
「セシルちゃん天使! あの馬鹿を見捨てないであげてね! そしてガランさんが起きたら、ジルバ様を交えて報告会を開くわよ」
顔を戻したユリアの目がキラリと光り、セシルは逃げられない己の運命を悟ったのである。




