44 戦場に降り立つ魔王
その頃、セシルをガランに託して戦場へと向かったレオは、町はずれの小高い丘から進軍する私兵団を睥睨していた。この道はクレア王国へと続く大きな道であり、軍が通るならここしかないと踏んでいたのだ。そのため、先の森へ入る辺りに兵を伏せてある。
レオの背後には隠密部隊が10名控えており、命令を下される時を待っていた。
(あの軍の中央辺りにいるのが大将か……)
一際大きい馬車があり、警護が厳重であることからそう伺えた。敵は3000と言っても、武力、魔力ともに強そうだ。魔王城ならまだしも、人間の街ではひとたまりもないだろう。
「レオ様。全て滞りなく進んでおります」
隠密部隊の一人からそう報告を受け、レオは肩越しに振り返った。その顔を満月が照らし、この世と思えない美しさを醸し出す。その美は戦いに臨む彼らにとって、勝利をもたらす神に感じられた。
レオは口端を上げ、好戦的な笑みを見せると、顔を進軍する敵に向けて手を挙げる。
「俺の目指す世界を否と言うならば、排除するしかない。だが極力命は取るな。血にまみれた平和はいらん」
そして私兵団が森へと入りかかったのを確認し、レオは手を下ろした。
「行け」
それを合図に隠密部隊が丘を駆け下り、森に潜んでいた部隊が集団魔法を発動させた。固まって進軍する敵を包み込むほどの巨大な魔法陣が展開され、紫の光が放たれる。
「魔法阻害の陣、展開完了しました」
護衛と報告のため、二名の隠密がレオの側に残っていた。その一人が報告をすると、レオは満足そうに頷き返す。人間を攻めるなら、必ず魔法に特化した軍にするだろうと魔法を無効化する陣を設置しておいたのだ。魔王側の戦力は隠密部隊が中心であり、武力に優れた者たちである。
森から現れた部隊と、丘を駆け下りた舞台に挟撃され陣形が崩れていく。案の定、敵は魔法に依存しており、碌に反撃ができないようだった。
「敵を分断し、各個撃破せよ」
レオの指示を伝達係が全軍に伝える。魔王軍は兵の練度が高く、士気も高い。
「敵は恐慌状態に陥り、次々に無力化しています」
軍は一度崩れると、いともたやすく瓦解する。魔王軍は中央の大将へと迫る勢いであり、馬車から男が出てきたのを見たレオは護衛の二人に目で合図すると、戦場の真ん中に転移した。
怒号と剣戟が飛び交う戦場に一際眩い光が立ち昇り、ふわりと髪を風に靡かせて魔王が姿を現す。それだけで敵は戦意を失くし、武器を落として跪いていった。レオの周囲を四人の隠密が固め、レオは指を鳴らして空間を裂くと抜き身の剣を取り出した。振り払い、空を斬ればヒュンッと鋭い音がする。
「魔王レオ・アルシエル! なぜ貴様がここにいる!」
空気が重くなった戦場に、野太い声が響いた。鎧に身を包んだ男は反協定派の大将、ガザンだった。先代魔王の頃には、将軍を務めていた男で、剣の腕は名高い。
「無論、お前の企みを潰すためだ」
「黙れ小僧が! 大人しく城にいれば傀儡として使ってやったものを。お前たち、魔王を討ちとれば報酬を倍にするぞ!」
ガザンは卑しい笑みを浮かべ、まだ闘志を失っていない男たちを鼓舞する。私兵の中には金で雇われたならず者もいるようで、野盗崩れのような集団がレオ達の周りを取り囲んだ。レオは金に目をぎらつかせている男たちを見回し、右手に持つ長剣を正面で構えた。護衛たちはジリジリと男たちに迫り、レオを守りつつ迎え撃つ態勢を整えた。
「やれ!」
ガザンの指示と共に雄たけびを上げて突撃してくる男たちを、隠密部隊が身軽に交わし、がら空きの首の後ろを狙って足技や手刀を繰り出す。レオは護衛たちが取りこぼした敵の剣を受け、その弱さに溜息をついた。
「このレベルで戦場に立つとは……恥を知れ」
嘲笑を浮かべたレオは手首を返して相手の剣を絡めとると、肉薄して剣を持つ男の腕を蹴り上げた。それだけで男の剣は弧を描いて遠くへ飛び、後ろに倒れ込む。すかさず男の腿を傷つけ、戦闘力を奪うと向かって来ようとする一団の中に身を投じた。護衛が慌ててレオを囲むように移動し、敵の戦力をそいでいく。
「生ぬるい」
魔王に就任してから六年。毎日ジルバや将軍から鍛錬を受け、ある程度の実力は手に入れた。レオはかかってくる男たちの剣戟をかわし、それを受ければ火花が散る。衝撃が痺れとなって肩へと抜けた。レオが体を動かし剣を振るう度に髪が広がり煌めく。魔法陣から淡く放たれる紫の光は、レオの銀の髪を妖しく照らし、紅い瞳を際立たせていた。
敵がその姿に息を飲んだ次の瞬間には、意識が刈り取られているのだ。
「この役立たずめが!」
ガザンは怒りに顔を真っ赤にし、腰の剣を抜くとレオに切っ先を向ける。私兵団は暗殺部隊によって無力化され、戦場に立つのはガザンのみ。ガザンは相当の手練れであり、一対一ではレオには分が悪い。
「魔王レオ。お前は先祖の嘆きと怨念を踏みにじり、国を売った。その行為は許されるものではない! 我らは英霊に報いるため、人間を滅ぼさなければならないのだ!」
「黙れ! 亡霊に憑りつかれているだけだ。戦争をなかったことになどできん。嘆きも悲しみも、憎しみもあって当然だ。だが、それを乗り越え未来につなげることが、今を生きる俺たちの仕事だろう!」
互いの主張が交わることはない。レオは理解できないことは重々承知で、腰を低く落として剣を寝かせて上段に構える。レオが得意とする瞬発力を生かした突きの態勢だ。一方のガランはレオより太さのある長剣を両手で正面に構えていた。獲物を定めるような、ぎらついた目つきをしている。
レオが手出しをするなと周りの護衛に視線で指示すれば、彼らは大人しく距離を置いた。戦場が静まり返り、全員の注目が二人に集まる。
「小僧。お前を殺し、俺が王になる。力が全てを支配する世界に戻すんだ」
「はっ、馬鹿が。化石のような奴は、俺の国にはいらん。闇の中で眠れ」
「勝てると思うのか? 剣を握ったばかりのひよっこが」
ガザンは魔王軍の将軍を務めたこともある実力者であり、レオは今代の将軍に勝てたこともない。だがレオに怯む様子はなく、不敵な笑みを浮かべていた。
「哀れだな。もともとお前は魔王の器ではない。前線で戦うのは、魔王の仕事ではないのだ」
「まさしく、化石は粉砕しなければいけませんね」
緊張の糸が張り詰め、互いが動き出そうとしたその瞬間、女の声が響いた。ガザンの背後から。
「なっ」
ガザンの言葉が続くことはない。首を短剣で斬りつけられ、膝から崩れ落ちたからだ。レオは半分顔を布で覆った隠密に視線を向けた。
「ユリア、遅かったな」
「セシルちゃんが戦場に行くって駄々をこねたのよ。あぁ、安心して。眠らせてガランさんに預けたから」
「あの馬鹿は……まぁいい。ここを片付けたら、すぐに戻るぞ」
そしてレオは大将を失い、完全に沈黙した敵兵団を見回した。
「武器を捨て投降しろ。蜂起したことは紛れもない罪だ。法の裁きを待て」
完結にそう言い放つと、レオは踵を返して収束した戦場を後にする。その背をユリアが追った。ユリアからは甘い香水の匂いに混ざって、血の臭いがする。
「ユリア、ご苦労だった」
「いえ、レオ様の手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした」
ここが終わっても、まだすることはある。ガザンの屋敷を取り押さえ、街や他の街に潜む反協定派を捕えなければならない。街の住人や周辺の領主にある程度、話を付ける必要もある。
レオはひとまず大幅に減った魔力を回復させようと、魔王軍側が押さえている屋敷へと向かうのだった。




