43 猫を被っていない紳士
常は落ち着いた紳士的な声が、今回ばかりは昂り上ずっている。レオはセシルの頭の後ろに手を添え、自分に押し付けるように引き寄せた。ガランはセシルの無事を知り、ほっと強張った顔を緩める。
「遅かったな、ガラン。そちらは解決したか」
「はい。潜んでいたものどもを炙り出しました。一部侍女や衛兵に息がかかっておりましたが、全て排除しました」
城で働くにはそれ相応の身元が必要で調査もするのだが、思想を完全に把握することはできない。そのため注意していても、一部反協定派の手の者が忍び込んでいたらしい。
「そうか。こちらも国境である山岳地帯に潜ませた兵に指示を出した。俺もすぐに向かう」
レオは落ち着き払った様子で、淡々と指示を出した。それに対してセシルは驚き、顔を上げる。
「え、レオ様、行くんですか? 戦うんでしょう?」
蜂起したということは、戦いが起こっているということだ。そんな戦場にレオがいく。そう考えただけで不安になる。
「問題ない……」
レオは澄ました顔でそう返すと、視線をガランに向けた。少し怒っているような、嫌そうな表情であり、ガランはため息をついて軽く両手を上げる。
「いや、だって。あの姿じゃ戦えませんし……」
ガランの言葉に、セシルはまさかと好奇心をうずかせる。
「え、ガランさんの本当の姿なんですか?」
こんな時だけ感のいいセシルは、好奇心が押さえられず振り向こうとした。その瞬間にレオがセシルの両耳を手で塞ぎ、振り向かないよう顔を前で固定する。
「ガラン。セシルは俺の絵描きだ……傷一つつけてみろ、その首、無いものと思え」
「……この短時間に何があったのかは、ゆっくり聞くとしまして」
ガランはレオのあからさまな独占欲に毛に覆われていない顔を引きつらせてから、ゆっくりと片膝をついて頭を垂れる。
「その命、しかと承りました。必ずや、レオ様の宝玉を守り抜きます」
ガランは一人旅も長かったため、それなりに腕は立つ。集団戦は不得意だが、セシルの護衛くらいはできた。
「お前たちは転移の魔道具を使い、城へ帰れ。俺も片付けたらすぐに戻る」
そしてレオはセシルの耳から手を離し、そのまま滑らせて両手で頬を包んだ。
「セシル、城で待っていてくれ。すぐに戻る」
そう言い残し、レオの足元が光ったかと思うと転移でどこかへ飛んでいった。置いて行かれたセシルは、寂しく思いながらもそろっとガランを振り返る。いつもの高さに顔がない。男の人の腰が見え、セシルは口を半開きにして視線を上げていく。
「やぁ、この姿では初めましてだね」
声はガランそのもの。だが、身長は遥かに高くなり、なによりもふもふの毛並みがない。
「あ、あ、え。おじさんじゃないですか!」
いい具合に渋みのある紳士で、若すぎず、かといって年を取っているわけでもない。髪は毛並みと同じ白で、少し長めの前髪に後ろは首筋で切りそろえられている。瞳は猫の時と同じ宝石のような緑色で、優し気な目元をしていた。さすがに猫目ではない。
(あ、でも。渋みのある感じもいい絵になりそう。おじ様好きの女の子が好きそうな顔だわ)
あまりに猫の時と違うので、衝撃を受けたセシルはまじまじと見つめた。観察されているガランは気まずそうに半笑いを浮かべ、セシルを手招きして牢屋を出る。牢屋の鉄格子は、レティシアの炎によって溶かされ、壁も崩れていた。セシルが牢屋を出ると同時に、どこかに潜んでいた黒ずくめの人たちが三人出てきて、レティシアを捕縛して連れていく。
「……隠密部隊ですか?」
「そう。この土地は危なかったから、事前にこういう部隊を複数送り込んでいたんだよ」
そして開けた廊下に出たガランは、指を鳴らして空間から一枚の巻かれた紙を取り出した。それを広げると人が乗れるくらいの大きさで、魔法陣が描かれている。
「これを使って、魔王城まで帰るよ」
「え、でも。レオ様はまだここにいるんでしょう?」
「……レオ様は魔王としてすることがあるからね。僕は、レオ様からセシルさんを城に連れて帰るように命を受けたんだ」
同じ声なのに猫ではないのは違和感しかないが、表情は変わらず優しいガランだった。
(レオ様……)
レオからも戻れと言われた。紅い瞳は心配だと訴えていた。だがセシルは後ろ髪が引かれる。セシルは床に広げられた魔法陣に視線を落とし、しばらく黙ってから顔を上げた。
「ガランさん。私も戦場に向かいます」
「はっ!? 何を言ってるんだ。さっさと城に帰るよ」
当然ガランは却下し、先に魔法陣に乗る。そしてセシルに手を伸ばすが、セシルは一歩後ろに下がって首を横に振った。
「ガランさん。私は、画家です……画家は、美しいものを描くだけが仕事ではありません。歴史を、事実を残すことも仕事です」
画家はもちろん芸術家であり、作品は美を極めたものである。その一方で、歴史を残すための絵を描くこともある。
「それに、レオ様が戦っているのに、私だけ安全な城の中で待っているなんて、嫌です!」
「わがままはやめてくれ、セシルさん。あなたを戦場に連れていけば、僕の首が飛ぶ」
「嫌です……」
セシルはもう一歩後ろに下がった。その後ろに、黒装束の姿が一つ。
「セシルちゃん。ごめんね?」
ユリアさん? とセシルが思うと同時に甘い香りを感じ、そこでセシルの意識は途切れた。
「……ユリア、助かったよ」
「いえ。セシルちゃんをお願いしますね。私はレオ様の援護に向かいます」
ユリアは眠りに落ちたセシルを抱き留め、軽々と抱きかかえてガランに手渡した。
「頼んだよ。セシルさんも、レオ様も、誰も欠けてはいけないから……もちろん、ユリアも」
そしてセシルを受け取ったガランは、その軽さに驚きながらも魔法陣に魔力を流し込み始めた。ガランは転移魔法を使えないため、魔法陣が描かれた魔道具を使っている。北の街から王都までかなりの距離があり、むろんこの魔道具は特注品で相当値も張った。それだけレオ達はこの事態を見越して、対策を練っていたのだ。
「じゃ、また城で」
ガランが魔力を注ぎ終わると、枯渇寸前になった。意識が飛びそうになるが、なんとか踏ん張り転移先の魔王城を思い描く。魔法陣が光を発し、次の瞬間には二人の姿は消えたのだった。




