41 セシルの怒り
「ふざけんな!」
セシルは怒りに目を吊り上げ、レティシアを睨みつけた。
「さっきからごちゃごちゃと意味が分からない! 人間だからって蔑まれる筋合いはないわ!」
そう啖呵を切れば、レティシアは不愉快そうに眉を吊り上げ、クワっと目を見開く。
「筋合い? 人間は醜悪で残虐な生き物なの。そんなもの、滅ぼしてこの世から消してしまえばいいわ!」
「は? 魔王様が人間との平和を望んでるのに、あんたは何言ってんの?」
「そんなもの、人間が誑かしたに決まってるわ。だから、わたくしが目を覚まして差し上げるの。そうすれば、人間を滅ぼしてくれる」
全く言葉が伝わらない。ここまで平行線だと、逆に頭が冷えてくる。鉄格子の冷たさが、セシルの気を落ち着かせてくれた。
(このままじゃ、本当に殺される……この人、やばい!)
人間を虫と同程度にしか思っておらず、先ほどの絵のように簡単にセシルを焼き殺してしまいそうだ。それを本能的に感じたセシルは、必死に時間をかせぐ。そうすれば、誰かが来てくれると信じて。
「本気でそう思ってるの? それに戦争を望む人なんていないわ」
「ここにいるわ。私たちは祖先の無念を晴らすために、戦うの。この北の国境で散った同朋のために、私たちは人間を殲滅するわ」
レティシアの瞳には憎しみしか映っていない。空虚な憎しみだ。
「なんでそんなことが言えるの? 戦争があったのはもう100年も前じゃない。知らないでしょ?」
そう言い返せば、レティシアは鼻で笑い憐れみの眼差しを向けた。
「ほんと、人間って救いようのない馬鹿ね。人間は100年も経てば死ぬでしょうが、魔人族は生きているわ。戦争を生き延びた人たちの恨みは、簡単には消えないのよ!」
思いもよらない言葉がセシルの胸に刺さる。
「私はおじい様たちから、人間の残酷さを聞いて育ったわ。多くの人たちが人間を亡ぼせと言い残して死んだ……あんたには、この無念さと憎しみは分からないでしょうね!」
レティシアの顔は夜叉のようで、セシルは動揺する。セシルの周りに直接戦争の被害を受けた人たちはいなかった。クレア王国では急速に戦争に関する伝聞が廃れ、むしろ平和協定は歓迎されたのだ。
だから、セシルは軽率に「わかる」など口にできない。
(でも……そのままではいけないことは、わかる)
過去はなかったことにはできない。きっと、戦争ではセシルが知らないような残酷なことがたくさん起こったのだろう。今回の平和協定の裏では、たくさんの人の想いが入り混じり、まだ心が戦場にある人たちがいるのだろう。それでも。
「そこで、立ち止まってちゃいけないんだよ。私は、戦争を知らない。でも、戦争はいけないって分かる。人間が悪いことをしたなら、裁かれるべき……だけど、全員を滅ぼしていいはずがない!」
想いが一度口から出たら、もう止まらない。セシルはあまり考える方ではない。だから、今まで感じたものを直感的に言葉にしていく。
「あんたたちは、戦争という過去に留まってる。魔王様は、人間と和平を結んで一緒に生きていく未来を見せようとしてくれたんじゃないの!? 未来に生きなさいよ!」
あの日。平和協定を結ぶために王都を訪れたレオ。セシルが見たのは、美しい魔王の姿と共に、人間と魔人族が手を取り合える未来の姿だった。その美しさだけでなく、可能性に感動したのだ。だがその言葉はレティシアには届かず、彼女は目を吊り上げて拒絶した。
「黙りなさい! 今頃お父様たちが蜂起し、魔王城を制圧して人間の街を蹂躙しているわ。私は未来の王妃だから大人しくしていろと言われたけど、私だって戦えるの。だから、城の協力者に手引きしてもらって、あの夜あなたの部屋に魔法陣をしこんだのよ」
喜々として話すレティシアは優越感に浸っており、踵を打ち鳴らして拳大の炎を飛ばした。セシルがとっさに目を瞑って体を縮めれば、左の耳元に熱を感じ、ジリッと嫌な音がする。焦げ臭さが鼻につき、髪が焦げたことを理解した。
「あははは! 無様ねぇ。こんなのが絵を描くだなんて、美しいレオ様が汚れるわ。レオ様は、欠点の無い素晴らしい魔王様なの。人間如きが同じ空気を吸うのすらおこがましいわ」
狂気すら感じる笑い顔で、まさに信者だ。コルが言っていた言葉が、セシルにしっくり来た。だが、同時に怒りが再燃していく。
「あなた、何も見えてないじゃん! どこが欠点がないって!? 俺様でわがままだし、急に機嫌が悪くなるし、嫌いなものは食べないし、肉の焼き方が気に食わなかったら焼き直させるのよ!」
最後の方は私情が混じってしまった。
「それが何? 全てはあの美貌の前では、欠点にすらならないわ。レオ様は存在しているだけでいいの。神なのよ」
セシルは怒りを通り越して呆れかえった。加えて虚しさすらある。
「あんたみたいなのがいたら、そりゃ、魔王様もひねくれるわ……何も、レオ様のこと見てないじゃない。そんな外見だけが欲しいなら、私の絵を見てればいいじゃない! レオ様はわがままでめちゃくちゃなところもあるけど、それを含めてレオ様だわ! それが分からないあなたは可哀想ね!」
何も見えていないレティシアが、何より空虚な妄想で塗り固められ、本来の姿を見てもらえないレオが可哀想だった。
レティシアは怒りに顔を真っ赤にし、大きく踵を踏み鳴らした。両手に炎の塊が現れ、どんどん大きくなっていく。それは両手で抱えられるほどあり、一気に飛んでくれば避けられない。
「ちょ、待って! 落ち着いて!」
「もういいわ。うるさい蠅と会話するなんて、私が間違ってたわ。消し炭になりなさい」
炎が渦を巻き、熱気が押し寄せる。すでに火にあぶられているようで、顔が痛い。レティシアとの距離は二メートルもない。
(まずいまずいまずい! 誰か来て! いないの!?)
セシルはレティシアに背を向けガタガタと鉄格子を揺らす。廊下に視線を向けても人の姿はない。
「私の手で死ねることを、ありがたく思いなさい」
そして次の瞬間。目の前に火の玉が迫り、セシルは死を覚悟してぎゅっと目を瞑った。
(ごめん、お父さん! ……レオ様!)
最後に浮かんだのは、レオの顔だった。




