37 もふの魅力あふれる白猫
魔法がかかった絵をユリアにも見てもらったが、結局なぜ絵が完成していたのかは分からずじまいだった。ジルバもガランも、首を傾げるだけでそんな魔法は聞いたことがないと言っていた。セシルは朝食を食べ終わってから、ずっとその絵を見ている。あの胸の高鳴りと興奮は、そう簡単に冷めず、思わず声が漏れ出た。
「すごい……何度見ても新しい発見がある。なんて高い技術力なんだろ……悔しい、けど、尊敬できる」
よく観察すると、特別な描き方をしているわけではなかった。おそらく道具も絵具も同じだ。
「きっと、色を捉える感覚が鋭いのね」
ささいな色の変化や奥行きを捉え、表現している。しかも全体の調和がとれており、勉強になる点が多かった。セシルは模写をすることに決め、新しいキャンバスを用意する。
「絶対この技術を盗んで、もっといい絵をかいてやるんだから」
セシルは意気込み、集中して絵を写していく。よく観察し、筆遣いや色の重ね方を研究した。教えてもらえる人がいない環境のため、この一枚の絵がありがたかった。昼ご飯を食べたらすぐに絵を描き、気づけば日はとっぷり暮れていた。
(あ、しまった。夕食を食べ損ねちゃう)
そうして人が少なくなり片づけをし始めていた食堂へ滑り込み、コルに「遅れるなんて珍しいな」と言われてから、置いてあった食事をもらった。本日のメインは魚で、スープにベーコンが入っている。
「セシル、明日の夜空いてるか?」
「うん、大丈夫だけど?」
「じゃ、晩御飯食べたら散歩しようぜ。景色がいいところ見つけたんだ」
セシルは「見たい」と目を輝かせて、二つ返事で了承した。今から楽しみになる。その返事にコルはほっとしたように笑みを零し、「また明日な」と言い置いて片付けに戻った。
そしておいしく夕食を食べたセシルは、食後の運動と城内を歩いていた。広さも十分、階段も多いとなれば運動には持ってこいだ。とくに行く当てもなくふらふらと歩いていると、少し開いたドアから賑やかな声が漏れてきた。音に興味を引かれて視線を向けると、ドアの隙間から宴会をしている様子が見える。
(あ、そういえば、お偉いさんたちが式典のお疲れ様会するって言ってたっけ)
ガランが今日はお酒が飲めるとうきうきしていたのを思い出した。
(肉食べ放題とかだったら行くんだけどね~)
セシルも誘われたが、お酒は飲んだことがないのと、大臣などと一緒にご飯を食べても緊張して味がわからないと思ったので、遠慮したのだ。加えてレオにも「お前が行くところではない」と言われたため、大人しく従ったのである。
(お酒はいつかゆっくり飲んでみたいかなぁ)
人間は16歳で成人であり、お酒も飲むことができる。だが、お酒などという贅沢品にセシルが手を出せるはずがなかった。それに酒に酔うと手元が震えて絵が描けないと聞いたので、気が乗らない。
そんなことを考えながら歩いていると、廊下に見知った人影を見つけて手を振った。
「あ、ガランさーん!」
ふわふわと歩いてきたガランは、セシルに目を留めると「元気?」とふにゃっと笑った。いつもは見せない緩みきった笑顔に、セシルの目が点になる。
「今から宴会に来る~? おいしいお肉とお酒があるよぉ」
「ガランさん、酔ってますね」
近づけばふわりとお酒の香りが漂ってきた。けっこう飲んだのか、体がゆらゆらと揺れている。旅で何人も見てきた酔っ払いが、目の前にいた。
「だって、今日はレオ様あんまり飲みたい気分じゃなかったのか、僕のとこにばっかり注ぐんだもん。猫の時は、あんまり量飲めないのにさぁ」
そして何がおかしいのか、口元に手を当ててくふふと思い出し笑いをする。
「レオ様、むさくるしい大臣ばっかりに囲まれてさ、あれは絵に描けないよ」
そして、大口を開けて欠伸をすると、のろのろと首を巡らせて何かを探した。セシルは口から覗いた四つの鋭い牙に目が奪われる。
(口の中もちゃんと猫だぁ)
すごい薬だなと感心していると、ガランはふらふらと壁際へと歩いて行き、座り込んだ。
「ちょっと、ガランさん?」
セシルが駆け寄ると、ガランは壁際で丸まって眠ろうとしていた。
「こんなとこで眠っちゃだめですって!」
セシルが声をかけながら体をゆすると、ガランは嫌そうに体をよじらせて低く唸る。完全に猫だ。
「ガランさーん。お水を持ってきましょうか? それとも、部屋まで運びましょうか?」
ガランの背はセシルの胸当たりだ。体重もそれほどないと思われるため、頑張れば部屋まで引っ張っていけそうだった。
「も~、寝かせてよぉ」
嫌々と、首を横に振っており、目を開こうともしない。
(困ったなぁ……)
誰か助けを呼ぼうかなと考えた時、ガランが「ん~」と声を漏らす。
「愛しているからさ。ララ」
「……え?」
予想だにしなかった言葉に、セシルは目を丸くしてガランをじっと見つめた。
(恋人がいるのかな……聞いたことなかったけど)
魔人の中で唯一猫になっているような人だ。恋人がいると思ったことはなかった。そもそも、猫型の人と付き合う人は一体……とまで考えてから、それ以上はやめる。今は寝てしまったガランをどうにかしないといけない。
「よし、引きずろう」
セシルは決断し、両手でガランの手首を掴んだ。ふわっと柔らかな毛と肉質。ついもみもみと握って感触に感動した。
(すごい、猫だ)
俄然興味が湧いてしまい、視線はピンクの肉球へと移る。普通の野良猫だってそこは滅多に触らせてくれない。
(今がチャンス!)
日ごろからガランの肉球を堪能し、毛並みを撫でたいと思っていたのだ。セシルは親指で肉球を押し、ざらっぷにの感触に溜息をもらした。押す指が止まらない。
「気持ちいいな~」
肉球の感触を味わいながらセシルは後ろに歩いてガランを引っ張っていく。それほど重くはなく、これなら運んでいけそうだと思った時、パチンと指が鳴る音がした。
「きゃっ」
とたんにセシルの手から柔らかい感触が消え、ガランの姿が無くなった。後ろに引っ張ていたセシルは勢いのままに尻もちをつく。
「いった~い!」
「お前は何をしている」
お尻に手を当てて痛がるセシルに、低く尖った声が投げつけられた。肩を跳ねさせて驚いたセシルは、弾かれたように振り向く。
「え、魔王様!?」
「先に部屋に戻ったガランの様子を見にくれば、人間に襲われているとは思わなかったぞ」
レオは腕組みをして立っており、怒りのこもった目でセシルを見おろしていた。凄みがあり、セシルの肝も冷える。
「え、いや。違います! 私は酔って寝てしまったガランさんを部屋まで送ろうと!」
「ほう。完全にガランの肉球を弄んでいたように思えたが?」
鼻で笑うレオに対し、セシルは必死に弁明する。
「それは、ちょっと出来心といいますか。猫の肉球が悪いんです!」
だが咄嗟にいい言葉がでず、ガランのせいにしてしまった。あっと思うがもう遅い。
「お前は猫が好きなのか? 生憎だが、あの猫には首輪がついているぞ。飼い主は嫉妬深いからな、やめておけ」
「だから違いますって、そうじゃなくて。レオ様もガランさんの肉球を触ったら分かりますって!」
どんどん弁明の方向がおかしくなっていることに気づかないセシル。慌てるとあまり考えない頭がさらに使い物にならなくなるのは、いつものことだった。
「黙れ」
とうとう我慢の限界に至ったレオは、指を鳴らす。
「魔王さっ」
次の瞬間にはセシルの姿は消え、レオだけが一人廊下に立っていた。
「腹立たしい」
レオはそう吐き捨てると、足音荒く宴会場へと戻っていった。飲み直さなければやってられない。そんな気分なのである。




