36 闇を斬りさく魔王様
「レオ様、侵入者です。およそ30人。狙いはセシルちゃんかと」
「排除しろ」
「御意」
短く返事をした瞬間には、ユリアの姿はもうない。気配を探れば遠くのほうで小競り合いをしているのを感じ取れた。だがそことは別の方向から迫って来る気配がある。城より南東に少し行った城下町の路地裏を移動しているようだ。
(ちょうどいい気晴らしだ)
レオはお得意の転移魔法を使って迫って来る気配の前に現れ、剣を抜いて首を切り裂いた。一瞬の早業で、やられた方は何が起こったのかすら分からなかっただろう。
「迎撃しろ!」
残る敵は三人。リーダーと思われる男の掛け声と共に、全員後ろに手を回して剣を抜いた。刀身が湾曲した、短剣の部類に入る珍しい剣だ。弱い月の光が刀身を照らし出す。
(やはり、北の街か……)
その剣は北に多く見られ、暗殺を請け負う部隊があるという報告も上がっていた。
(芽は早めに摘まないとな)
レオは男たちが連携を取る前に、闇に同化しリーダーと思われる男の背後を取った。レオの武器は長剣であり、間合いでいえばレオが有利になる。そして何より、レオは本業の隠密であるユリアが褒めるほど、気配を消し闇に紛れるのがうまかった。
「なっ」
男が振り返りつつ飛んで避けようとするのと、切っ先が男の首を捉えたのは同時。レオの右手から短剣を振りかざして躍りかかってきた男に向け、リーダーを蹴り飛ばした。そちらの動きを封じ、背後に斬りかかろうとしていた男を振り向きざまに斬り捨てる。返り血を浴びないように体をずらし、流れるように残る男へと切っ先を向けた。瞬きすら許されない刹那。
「は、速すぎる」
レオが右下方から斬り上げたのを、男は辛うじて受け流した。長剣は、短剣に比べれば大振りになり、動きに隙ができやすいが、レオは華麗な足さばきと転移魔法で付け入る隙を与えない。
「舐められたものだな。雑魚ばかりだ」
レオは魔力に殺気を込め、男に向けて放つ。それだけで男は震え上がった。レオは決して魔力が強大というわけではない。歴代の魔王の中でも、強さで言えば下から数えた方が早い。だがその質は特異で、相手を思わず跪かせるような畏怖を持っていた。魔力をぶつけ、男を怯ませた隙に剣を振り下ろす。男は目を見開いたまま横に崩れ落ちた。
「生ぬるい……」
レオは剣の血を振り払い、鞘に収める。そして辺りに敵がいないのを確認すると、一瞬で城へと戻った。城はいつもと同じ静寂に包まれており、襲撃があったとは思えない。
(こちらはユリアたちがうまくやったか)
隠密を兼ねた護衛はユリアを含めて五名いる。最終的には衛兵たちを向かわせればいいが、なるべくことを荒立たせたくない。レオは念のため標的となっているセシルの部屋へと向かった。
(やはり動き出したか)
式典が終われば反平和協定を掲げる連中が動き出すとは踏んでいたが、思ったよりも行動が早かった。レオは足音を消して廊下を進み、セシルの部屋のドアノブを回した。鍵はかかっておらず、不用心さにため息が出る。
部屋に灯りはついておらず、寝ているのかとベッドに視線を動かす途中で目が留まった。月明かりが差し込む窓辺にイーゼルが置いてあり、そこに座るセシルの姿があったのだ。寝る前に絵の練習をしていたようで、レオは呑気なものだと呆れつつ部屋へと足を踏み入れた。
未婚の女性であるセシルの部屋に入るのは気がとがめたが、椅子に座ったままでは体に悪いからと自分に言い聞かせ、魔法を使ってベッドに運ぼうとセシルに近づく。ふとキャンバスに視線を落とせば、月明かりに照らされるビンや花を描いていたらしい。セシルがあまり描かない静物画だった。
(光の練習か……)
月光は昼間に描く太陽の光と違って明暗がくっきりとしながらも、闇へと溶け込むような色合いが求められる。寝落ちしてしまったセシルの手からは筆が滑り落ち、パレットは辛うじて膝に乗っていた。体が丸まっており、もう少しで頭がキャンバスにぶつかりそうだ。
(こんな日くらい早く寝ればいいものを……)
レオはイーゼルをセシルから離して、床に落ちた筆を拾いパレットをそっと取る。筆の先は乾いており、眠ってから長い時間が経っているようだ。
(静物画か……)
そういえばトラストも月光に浮かぶ静物画を描いていたなと思い出す。記憶の中ではあるが、見比べるとトラストの方が技術面は上だったようにも思う。それも、経験の問題なのかもしれないが。魔人は人間よりも長い時を生きる。その分、一生で描ける絵の量も格段に変わる。
レオはセシルの寝顔を眺め、ふわりと微笑んだ。
「期待している」
翌朝、太陽の光で目を覚ましたセシルは、ベッドの上で伸びをしてから首を傾げた。
(あれ、私、ベッドに入ったっけ)
昨日は久しぶりに静物画の練習をしていたはずで、道具を片付けた記憶もない。それに服は絵を描くスモックのままだ。
(う~ん。眠たすぎて、無意識にベッドまで歩いたのかな……まぁ、いいや)
考えてもわからないことは考えない。セシルは欠伸をしてもう一度大きく伸びをすると、ベッドから出た。顔を洗って、ユリアのおかげで増えた服から今日着るものを選ぶ。相変わらずスカートはないが、色合いや飾りがずいぶん女の子らしいものになっていた。
(朝ごはんの前に、道具を片付けないと……)
きっと筆は絵具で固まってしまっているだろうなと、憂鬱な気分になりながらイーゼルのところへ歩く。寝落ちした時は、たいてい周辺に筆とパレットが散乱しているのだ。
「……あれ?」
だが床はきれいで、道具は手入れをされた状態で椅子の上に置いてあった。
(昨日の私、えらい)
眠気に打ち勝ったなんてと自分を褒めたセシルは、何気なく視線をキャンバスに向けて目を見開いた。
「……え?」
月光に浮かぶビンと花。そこだけ夜のようで、月の光は柔らかく、ビンの透明感に花びらの瑞々しさが表現されている。光が当たらないところは輪郭がぼやけ、闇へと同化していった。
ドクンと胸が高鳴る。血が体中をかけめぐり、眠気が一瞬で覚めた。
「なに、これ」
セシルが描いたものではない。セシルにこんな絵は描けない。
(すごい、きれい、悔しい、わからない!)
次々と感情があふれ出し、涙が伝う。絵にここまで感動したのは久しぶりだった。高みへの羨望と嫉妬、美しさへの崇拝。
「ガランさん? いや、ユリアさん? だれに、え? どうしたら!?」
あまりの衝撃に混乱するセシルは、ひとまず隣の部屋にノックもせず駆け込んだ。
「ユリアさん! 絵に、魔法がかかったんです!」
「……え?」
突然飛び込んできたセシルに、唇に紅をさしていたユリアは驚いて手元を狂わせ、頬まで伸びた口をぽかんと開けたのである。




