34 画家の想い
廊下を足早に歩く。窓から入る陽射しは、温かな夕焼けの茜色だ。セシルはレオの自室の前に着くと、深呼吸をした。
(依頼者には誠実に、こちらの想いを伝える)
宮廷画家だった父親が、常々口にしていたことだ。それはセシルの信条にもなっている。軽くノックをすれば、中で控えていた顔見知りの侍女が取り次いでくれた。彼女はそのまま部屋を後にし、入れ替わりにセシルが入る。
レオは先ほどと変わらず、長椅子に座って本を読んでいた。ちらりとセシルを一瞥し、すぐに本へと視線を戻す。歓迎されていないことが伝わってくるが、セシルは意を決してレオへと近づいて行った。
するとレオは視線を上げずに口を開く。
「ユリアから聞いたのか」
「……はい」
力なく頷き返すと、レオは鼻で笑った。
「それで、憐れみでも覚えたのか。馬鹿馬鹿しい」
そう吐き捨てたレオの表情は苦々しく、触れられたくないことがありありと分かる。セシルは何を言っても空虚な気がして、当初の目的を口にした。
「いえ……その、絵描きとして話をしに来ました」
「なんだ」
レオは視線をセシルに向けることなく、淡々と返す。それはどこか、自分を守ろうとしているように見えて、セシルはレオが抱える過去の重さを感じた。
「私は、魔王様専属の絵描きです。だから、魔王様が望まれた絵を描きます……魔王様は、どんな絵を描いてほしいのですか?」
「……どういう意味だ」
「今までの絵は、国策のためでしょう? そうではなく、レオ様自信が望む絵を描きたいのです」
レオ様と名を呼ばれ、レオはようやく顔を上げた。少し眉間に皺が寄っており、セシルではその表情が不愉快なのか嬉しいのか判別できない。
「俺が、望む絵?」
怪訝そうな声で、理解しにくそうな表情のレオにセシルは絵描きとして話をする。
「レオ様が好きな場所でもいいです。好きなものでも……レオ様が欲しい絵を言ってください」
そう言われたレオは、視線を右にずらしてしばらく黙り込んだ。セシルは馬鹿らしいと突っぱねられなかったことに安堵する。
「そうだな……始まりの絵のような、温かな絵が欲しい。見ていると懐かしく、落ち着ける絵だ」
レオは目を細めて優しい声音で話す。何かを思い出しているかのようで、レオの自然な表情にセシルの心が動く。
(きれい……この一瞬を、留めたい)
尊大で気品があり、カリスマ性に満ちた魔王のレオより、ぎこちなく表情を動かす等身大のレオに惹かれた。
(キャンバスに残して、自分だけのものにしたい)
誰かに見せるのがもったいないと思ってしまった。絵描きであれば、自分の絵はより多くの人に見てもらい賞賛されたい。それと相反する想いに、微かに戸惑う。
レオの視線がセシルへと戻り、目が合うと胸が苦しくなった。
「俺を描いた絵描きは何人もいたが、俺が望むものを描いた絵描きはほとんどいなかった……お前は、変わっているな」
「絵描きは、依頼者が望む絵を描くべきだと思うからです。そして、絵に描かれる人が望むものを」
その言葉に、レオの瞳がわずかに見開かれた。そして喉の奥でくつくつと笑う。皮肉めいた笑い方で、セシルは注意深く表情を観察した。
「絵に描かれる人が望むもの、か。確かに、意に反して描かれたものほど、消し去りたいものはないな」
その言葉に、そういう経験があるのだろうとセシルは察する。
「もし、私が描いた絵で意に添わないものがあれば、言ってください。焼きますから」
絵描きにとって自分の絵を焼くのは、自分の身が焼かれるのと同じだ。だが、それでもモデルの想いを優先しなければならない時もある。
「過激だな。お前の絵はそれでいい」
レオはセシルに描かれるのを嫌だと思ったことはなかった。その絵柄が好みだというのもある。だがそれより……。
レオは真剣な瞳を向けているセシルに視線を絡める。小さな頭でめいいっぱい考え、伝えようとしているのが伝わってくる表情で、不思議と心が温かくなる。思えば、セシルが城に来てから凍てつくような孤独を感じていなかったように思う。
そんなセシルはレオに真剣な瞳を向け、意を決したように口を開いた。
「魔王様。最後に、ご不快に思われるかもしれませんが、美を追求する者として一つ言わせてください」
そしてセシルは一拍間を置き、偽りのない気持ちを伝える。
「魔王様は、私が今まで見てきたものの中で一番美しいです。魂が震えたんです。だから、私はその美しさを絵の中に息づかせます。そして、見た人の心を震わせてみせます。絶対に、魔王様の本当の笑顔を、描いてみせます」
静かながらも確固たる意志。芯のある声で届けられた思いは、乾いていた土に水が染みこむようにレオの心に染みこんでいった。ドクンと心臓が脈を打つ。
レオは口端を上げ、挑戦的な表情になった。
「いいだろう。してみるがいい」
「はい。必ず!」
セシルはそう言い切ると、ばっと頭を下げてから部屋を後にした。レオはその後姿を目で追い、ドアが閉まってからくつくつと笑う。
(俺を美しいと言うやつの心が美しいことはなかった……)
胸に広がっていく喜びと苦しさ。レオは暗くなった外へと視線を向けた。部屋の明かりが反射する窓には、自分の顔が映っている。母に疎まれ、自らも嫌悪する顔が。その顔を片手で覆い、笑いをかみ殺す。
(母は色恋に狂い、望まぬ俺が生まれた。恋など愚かな感情だ。人を狂わせ不幸にする)
レオはその手で首筋を撫でて胸へと下ろした。レオは聡い。先ほどの胸の高鳴りが何かぐらい、察しがついた。
(なのに、俺も狂えというのか。あの女のように……)
レオは目を瞑ると、長椅子に横になった。この感情の扱い方をレオは知らない。しだいに苛立たしくなってきて、盛大に舌打ちをした。




