33 美しく歪んだ魔王様
自室に戻ったセシルは、ぼんやりと考え事をしながら筆やパレットを洗っていた。あの女の言葉とレオの顔が頭から離れない。
(上手くいきかけている時に限って、なんかつっかえるんだよな~)
好きなだけ魔王の絵が描け、衣食住は完備されている。この上ない状況だが、人間は満足したらその先が欲しくなる。
(たくさんの人に私の絵で喜んでほしいし、魔王様に笑ってほしい……ってのは、欲張りなのかなぁ)
セシルは魔王の意向に沿って、人間との平和につながる絵を描いているつもりだ。その成果は、報告や式典での国民の様子から感じることができた。だが、肝心のレオを喜ばせることができたかは、自信がない。
(式典の絵は褒めてくれたけど、あれは魔王として褒めてくれた気がする)
式典を成功させるため、魔王という役割に添った言葉をかけてくれた。それはなんだか、レオ本人とは別のような気がしたのだ。特に、先ほど魔王として振舞っていないレオと話した後ではことさら強く感じる。
(レオ様は、どんな絵が描いてほしいんだろう……)
そう思い悩んでいると、ドアがノックされ、セシルは道具を乾かすために窓際に置いて、手をハンカチで拭いた。
「はーい」
「セシルちゃーん。お茶でもしましょ~」
ドアが開くと同時に明るい声が飛んできて、ユリアが入って来た。お茶のセットをトレーに乗せて持っている。時間はおやつの時間を少し過ぎた頃。集中して絵を描いたため、少し小腹が空いていた。
「あら、そんな顔してどうしたの?」
浮かない顔をしているセシルを見て、ユリアは丸テーブルに茶器を並べながらそう訊いた。本当は二人の護衛のため壁と同化してあの場にいたが、セシルは知らないので改めて聞いたのだ。
「あ、まぁちょっと……魔王様の機嫌を損ねちゃいまして」
セシルは困ったように眉尻を下げ、椅子に腰かけた。
「レオ様は機嫌がいい方が珍しいわよ」
そうばっさりと切るユリアは、レオの機嫌が急降下した瞬間、額に手を当てて天を仰いでいた。セシルが出て行った後、ついつい「大人げない」と詰ってしまったのだ。
「ほら、リラックスできるハーブティーよ。式典の疲れもあるでしょう? 何かあったなら話して。楽になるから」
茶器にハーブティーが注がれ、湯気とともに香りが立ち昇る。ユリアの心遣いが嬉しくて、セシルは心のつっかえが少し楽になった。姉御肌で包容力のあるユリアに甘えて、話を聞いてもらうことにする。
「仕方がないことなんですけど、全ての人に受け入れられることはできないなぁって」
きっと見えないところで、セシルの絵に対して反感を持っている人はいるだろう。そう思うと、セシルは憂鬱になるがある程度は割り切っている。人の好みも事情も様々で、好きと同じだけ嫌いもある。
「それに、魔王様に喜んでもらえる絵が描きたいなって……」
断片的な言葉をユリアは黙って聞く。セシルはハーブティーでのどを潤し、言葉を続けた。
「なんだか魔王様、自分のお顔が好きではないようで、それも悲しくなったんですよね……」
「そう、ね……」
レオの顔は誰が見ても美しく、褒めたたえた。だが、その言葉がレオを喜ばせることが無いのを、ユリアは良く知っている。
(ユリアさんはきっと、理由を知ってるんだろうな)
押し黙ったユリアを見て、セシルはぼんやりとそう思った。レオと幼馴染なのだから、知っていて当然だ。そこに一抹の寂しさを感じ、そのことに戸惑いを浮かべる。
(うん?)
よくわからないひっかかりを感じ、足を止めて考えようとした矢先、ユリアの声に意識が戻された。
「レオ様はね、自分の顔にいい思い出がないのよ」
ユリアは悲し気に目を伏せ、ハーブティーを一口飲む。セシルは「どうして」と問い返したくなったが、勝手にレオの事情に首を突っ込んでいいのか迷い、口をつぐむ。それを見通したように、ユリアは「実はね」と話し始めたのだ。
「私とレオ様が幼馴染という話はしたでしょう? それで、レオ様は子どもの時から美しく、神のように扱われていたわ。レオ様を見ていると心がかき乱されて、私たちの醜さに頭を地面に押し付けたくなるような……そんな美しさだったのよ」
幼少期は天使の如き可愛さで、少年時代はまさに一時の美という儚さを持っていた。初めてレオに会った人々が涙を流すほど、清らかで心が洗われる美しさだった。セシルはその話を聞いて、そうだろうなと頷く。
「でも、レオ様のお母様は、その美しさをひどく憎んでいらっしゃったの」
「え。でも魔王様は、親はいないって……」
式典の晩餐会で、ぼそりと呟いた言葉をよく覚えている。ユリアは「そうね」と複雑そうな顔で一呼吸置き、続きを口にする。
「レオ様のお父様は、誰かわからないそうなの。でも、レオ様はお母様と似てなかったから、きっと父親似だったのね……だからなのか、お母様はレオ様に冷たく当たることが多かったわ」
レオの食事を作らず、空気のように無視をする。だが冷遇していたかと思えば、何かに憑りつかれたようにレオを心配し抱きしめていた。
「憎んでいるようで、愛しているようで……でも、レオ様が10歳を過ぎたころから、レオ様を使って客を取るようになったの」
魔人の10歳といえば、人間の5歳だ。客を取ると聞いていいイメージはなく、セシルは自然と険しい顔になる。
「私も後から大人に聞いたのだけど、レオ様を見世物にしていたそうよ……。レオ様は金持ちによって着飾られて、人形のように扱われていたらしいわ。体を弄ばれることはなかったようだけど、確実に心は死んでたわね……。無理もないわ。美しいと賞賛する相手の、気持ちが悪い視線に晒され続けるんだから。その頃からよ……嘘くさい笑みを張り付けて、本当に笑いたい時に眉間に皺を寄せるようになったのは」
「そんな……」
セシルは今のレオからは想像もつかない過去に胸を痛め、俯いて泣きそうな顔になる。その頭をユリアは優しく撫で、「ありがとう」と呟いた。
「それが、お母様が亡くなるまで続いたわ。たしか30歳くらいだったかしらね……だから、レオ様は自分の顔がお好きじゃないのよ。自分のことを美しいと言って近づく人たちもね。魔王に着任されてから、ジルバ様やガラン様と関わられる中でだいぶ安定してきたの。まだ不安定なところがあるから……。セシルちゃんも気にかけてあげて」
ユリアの言葉はセシルの心にずしりと沈み、無言でうなずいた。そして顔を上げ、眦に浮かんだ涙を指で拭う。
「……こんな大事な話、私にしてもよかったんですか?」
「ちゃんと許可は取ってるわ。好きにしろってね……私たちは、セシルちゃんに少し期待しているのよ」
「え?」
きょとんと不思議そうな顔をするセシルに、ユリアは優しく微笑んだ。
「セシルちゃんの絵、本当に美しいから……その美しさに、全く嫌味がなくて、ただそのままを写し取っているみたいだもの。だから、レオ様はセシルちゃんを選んだのよ」
「ユリアさん……」
ユリアの言葉がセシルの心をじんわりと温める。セシルはぐっと拳を握り、力強い眼差しをユリアに向けた。今の話を聞けば、なおさらレオが喜ぶ絵を描きたくなる。
「私、レオ様と話をしてきます……そして、どんな絵を描いてほしいのか、しっかり聞いてきます」
本来、絵を描く前に何のための絵か、どんな絵が欲しいか、それを見てどんな気持ちになりたいかを依頼者に訊くのだ。それをレオには今までしていなかった。
(私にできるかわからないけど……本当の笑顔が見たい)
それは、セシルが想像で描いているキャンバスの中の笑みを凌駕するに違いないからだ。




