32 興味を持つ魔王様
次の日は国民に向けた挨拶があり、レオとセシルは城のバルコニーに出て広場に集まった人たちに手を振った。そこでレオは簡単にスピーチをし、民衆の心を掴む。続いてセシルが絵と共に紹介され、万雷の拍手が送られた。
セシルは笑顔で歓声にこたえ、ポストカードを掲げて喜んでいる人々を目に焼き付ける。背後からジルバに、「セシルさんの絵は国民に受け入れられております」と言われ、セシルは少し目頭が熱くなった。絵を描く作業は基本的に孤独である。描きあがった作品を渡すときに反応を見ることはできるが、その先作品がどうなるかを見ることはほとんどない。
そのため、国民の多くがポストカードや小さな絵を持っていることに、胸が熱くなるのだ。
(全ての人に受け入れられているわけじゃないけど、この人たちのために頑張ろう)
セシルは胸の中の怒りとわだかまりが少しずつ溶けていくのを感じる。だが、それですべてすっきり流せるわけでもないのが、難しいところなのだ。
国民に向けた挨拶は午前中で終わり、午後はレオを描くことになっていた。レオは休みのようで、自室の長椅子に寝そべって読書をしている。完全にオフモードであり、服装も襟元が開いたシャツにズボンだけと、色気が増していた。休日の魔王様が見たいという要望に応えた絵を描くのだ。
レオは連日の式典で疲れたようで、少し気だるげな顔で寝転んでいた。貴重な魔王の気の抜けた姿だが、セシルにそれを堪能する余裕はない。レオの顔を見ていたら、一昨日の嫌な女の顔と言葉が思い出されてキャンバスを睨んでしまう。
(あぁもう、最悪。こんな気持ちじゃ、いい絵なんか描けないわ)
心がささくれ立っていると、線が荒くなる。パサついた毛先が、まるでセシルの心のようだった。
(落ち着いて、絵に私情を入れちゃだめ)
セシルが深呼吸をしてからレオに視線を向けると、紅い瞳と目があった。レオがセシルを見るのは珍しく、セシルは驚き動けずにいたためしばらく見つめ合うことになる。
「今日は静かだな」
レオは本を閉じ体を起こして、体をセシルに向けた。セシルは被写体が動いたため、答えながら新しいキャンバスを置く。
「口を閉じろとおっしゃったのは、魔王様でしょう?」
あの時の恥ずかしさは、一生忘れられない気がするセシルだ。
「今は仕事もない。俺の暇つぶしに付き合え」
尊大な物言いに、俺様魔王と思いながらセシルはレオに視線を向けつつ新しく線を入れていく。セシルにしても、相手と話しながら描く方がよりよく人物を表現でき、気も紛れるのでちょうどよかった。
「生活に問題はないか」
レオの声は淡々としていて、表情も読めない。休日のため表情筋もお休みのようだ。
「はい、大丈夫です。ガランさんとユリアさんがよくしてくれます」
ガランの名前が出た時、レオの口角が少し上がり視線がセシルの頭へと向けられたので、何かを思い出したようだがセシルは記憶を封印した。
「そうか。ならいい……」
そしてレオは黙り、じっとセシルの手元を見ている。絵具を混ぜ、色を塗り、筆を持ち替えて描きこんでいく。セシルにとってはいつもの作業だが、見られていると変に緊張してきた。
(うー、沈黙が辛い。なんか、話題でも……)
世間話でもしようかと思うが、すぐに話題が出てこない。式典について話してもいいのだが、少々嫌な思いでがあるのでできれば避けたかった。そうこうしているうちに、レオがぽつりと問いかける。
「お前はなぜ絵を描いているんだ?」
唐突に尋ねられ、セシルは筆を止めて顔をレオに向けた。専属画家として働き始めてから三か月。初めてレオがセシル自身のことに興味をもったのだ。セシルはどう答えようかと思案顔になり、筆をパレットに置いた。
「えっと、絵が好きで、美しいものを描きたいと思うからですかね」
「子どもの時から絵を描いているのか?」
「あ、はい。父が宮廷画家で自然と……」
そこでセシルは言葉を切って、レオの表情を伺った。続きを口にするか迷うそぶりを見せるセシルに、レオは黙って続きを待つ。その様子が最初の頃からは考えられないほど優しさが滲んでいて、セシルは照れ隠しで微笑みながらきっかけを伝えた。
「それと、魔王様を見たからです」
「……俺を?」
自分の名前が出るとは思っていなかったようで、驚いたレオの眉が上がる。セシルははにかんで、懐かしそうに目を細めた。
「魔王様が王都に調印式でいらした時のパレードを見たんです。その時、衝撃を受けたと言いますか、この世にこんな美しいものがあるんだって……描きたいって思ったんです」
「あの、パレードか……」
「はい。その時から、暇があれば魔王様の絵を描いて……だから、ガランさんからお話をいただいた時は嬉しかったです」
その後本物の魔王を目にし、その態度に憤慨したのだが……。それも今となっては懐かしい思い出だ。
レオも出会った時の事を思い出しているのか、少し口元が緩んでいた。セシルは筆を持ち上げ、色を塗りながら話を続ける。
「私が、絵を描くのはそういう理由なんですけど。魔王様がそういう質問をされるのは珍しいですね」
最近はいないように扱われることは減ったが、必要以上に話しかけられることはなかった。思わぬ言葉を返されたレオは、「あぁ」と小さく呟いて視線をすっとセシルから外す。
「部下のことを知るのも、魔王の務めだ」
「あぁ、なるほど」
セシルの中で最初の印象は最悪だったが、側で仕事ぶりを見れば見るほど、しっかり魔王をしていた。それは役者に近く、もちろん執務能力も高いのだが、計算された笑顔による人心掌握が上手いのだ。
(私には、笑顔を向けてくれないけどね)
式典で惜しげもなくふりまかれていた笑顔が、セシルに向けられたことはない。
「式典はどうだった?」
「まぁ、さすがに疲れましたね。あんなに多くの人の前に立つことはほとんどないですし。礼とかマナーばかりで」
嫌な女のことは触れずに、そう言葉を返す。もう口にして思い出すのも嫌だ。
「そうだな。俺もあいいう堅苦しい場は嫌いだ」
面倒くさそうな顔をしているレオに、セシルは親近感を覚える。そのおかげか、キャンバスの中のレオがいつもより優しく描けている気がした。だがその気のゆるみは、ぽろりと不用意な言葉を生む。
「でも、きれいな女性たちに囲まれて、いい絵になっていたじゃありませんか」
女性に囲まれるのは男の夢でしょうと、何の気もなしに口にした言葉だった。だが、突如レオの眉間に深い皺がより、不愉快そうに睨まれたため、失言に気づく。さーっと血の気が引いて来た。
「お前の目は節穴か。あのような、俺の顔だけを目的とした女といても不快なだけだ」
機嫌が急降下したレオは、会話は終わりだと舌打ちをして本を開いた。そこから一切言葉はなく、セシルは針の筵のような心地で手早く色をぬっていく。
(あ~! 私の馬鹿!)
一刻も早く、この場から逃げ出したかった。
それと同時に、あそこまで急激に態度を変えられたら、普段頭を使わないセシルだって気づく。
(魔王様、自分の顔が好きじゃないんだ……)
美を愛するセシルとしては、物悲しい想いになる。思い返せば、顔の美しさについて褒められた時は不機嫌になっていた。周りもレオの美しさについては、ほとんど話題にしなかった気がする。
(なんでだろう……あんなに、美しいのに)
そして去り際を探っていたセシルは、ノックの音についで入って来たユリアに天の助けと、魔王の部屋を後にするのだった。




