30 式典を記念する絵
場の期待が一気に高まると同時に布が取り払われた。セシルはドキドキと鼓動を感じながら、皆の反応を伺う。
「おぉぉ」
一人が呟いたのかと思えるほど、皆の声が揃った。誰もが絵に釘付けになり、ついで本物の魔王と絵を見比べる。そして最後に描いたセシルへと視線が移っていった。セシルが10人ほど寝転べる大きさのキャンバスに描かれた魔王は、今にも動き出しそうなほど繊細で立体的だった。表情は凛々しさの中に優しさがあり、纏う空気は魔王そのもの。
そして誰からともなく絵に吸い寄せられるように席を立ち、膝をついて頭を垂れていく。
(……え?)
セシルは予想を超えた反応に目を見開くが、彼らは絵からにじみ出るレオの魔力を感じ取ったのだ。レオの魔力が込められた絵はいわばレオそのもの。
(え、私も跪いたほうがいいの?)
どうすればいいのかわからず、困惑顔でジルバを見れば、微笑みを返され小声で「そのままで」と教えてくれた。引き締まった会場に、レオの声が響く。
「顔を上げろ。そしてセシルの絵を目に焼き付けておけ。俺は魔王として人間との平和を目指す。セシルの実力はこの絵を持って証明された。それを心せよ」
魔王の覇気に人々がひれ伏していく。魔法の適性が皆無のセシルは感じ取れないが、頭を上げることができないほどの重圧がレオから放たれているのだ。その覇気は純粋に魔力が高いこととは別の、レオが持つ特有の能力だった。
レオが威圧を止めれば人々の体から力が抜け、ジルバが着席するように促す。席に座った人々は絵から目を離すことができず、「晩餐会の準備が整いましたので、お寛ぎください」と、ジルバが声をかけるまで感動の沈黙が場を支配したのだった。
晩餐会はもちろん豪勢な食事が出る。セシルが日ごろ「おいしそう、私も食べたい」と言っていた前菜から始まる格式高い料理だ。このためにユリアから食事の作法を教わっていたのだが、上品に少しずつ食べるというのがセシルにはもどかしい。
どの料理もお上品な量で、セシルにすればついばむ程度。もちろん野菜も魚もおいしい。屋台でもレストランでも食べられないような手の込んだ料理ばかりだ。
(あ~! 肉にかぶりつきたい!)
セシルはナイフとフォークを何とか操って上質な肉を一口大に切り分け口に運ぶ。
(おいしいけど物足りないよ~)
物足りないが噛む必要がないほど柔らかくとろける肉に、セシルの頬は緩む。辛うじて鼻歌は出ていないが、体がゆらゆら揺れていた。上機嫌で幸せそうなセシルの隣で無表情のレオ。セシルが上品を装いつつもそこそこの速度で肉を食べ進めているのに気づき、少し眉間に皺を寄せる。
「そんなに肉が好きか」
突然レオに話しかけられ、セシルは驚いて肉が付いたフォークを口に入れたまま顔を向ける。そして慌てて肉を噛んで飲み込み、フォークを下ろしてから答えた。
「も、もちろんです。すごくおいしいですよ。これならあと5枚は食べられます」
そのステーキはすでにセシルの皿からは消えている。セシルの掌ぐらいの大きさだったそれは、給仕をしているユリアが、ごく稀に出現する金モダバの肉だと教えてくれた。しかも希少な部位で、1トンはある金モダバから数キロしか取れないらしい。
「……金モダバが絶滅する」
肉っ気を出すセシルに対してぼそりとレオが呟けば、それを耳にしたガランがごふっとむせ返った。小刻みに震えており、笑いだすのを我慢しているようだ。同じく聞こえていたジルバは、無理矢理精神統一をして笑いを押し殺している。セシルはむぅと唇を尖らせ、付け合わせの野菜をフォークで突き刺して口に入れた。
そして何食わぬ顔で食べ進めるレオに視線を向ければさすがの手つきで、優雅な動作に見惚れる。絵を描いていた時は手元に注意しなかったが、ユリアのマナー講習を受けた後ならその動きがどれだけ洗練されたものかが理解できた。
「魔王様の所作って美しいですよね」
つい、素直な感想が口を突いて出た。レオは少し手を止めてから眉間に皺を寄せ、セシルに流し目を向ける。
「当然だ」
一言そう返し気品あふれる顔をしているが、手元はしっかりと嫌いな野菜を避けていた。人参とピーマンは食べているのに、ブロッコリーを避ける意味がセシルには分からない。
「ほんと、好き嫌いが多いですね……うちの親なら、全部食べなさいって口に放り込まれてますよ」
セシルは基本的に好き嫌いはない。苦手な食べ物はあるが、絶対食べられないほどではないのだ。それに、セシルの家は裕福な方ではなかったため、食材は貴重であり好き嫌いは許されなかった。自分の分のブロッコリーを口に入れて、おいしいと頬を緩めたところに、レオの低い声がで落とすように呟く。
「俺に親はいない」
その言葉にセシルは固まって、しまったと顔を強張らせた。申し訳なさそうにレオの顔色を伺うセシルに、
「気にするな」
と、レオは言葉をかけたきり、口を開くことはなかった。
「セシルさん、大丈夫だよ。ほら、僕の肉も食べる?」
すかさずガランがフォローに入り、セシルは肉を一切れもらった。レオの言葉が気になりつつも、晩餐会はつつがなく終わった。
かと思ったのだ。
それが起こったのは、晩餐会が終わってセシルが食後の運動と城内を歩いていた時だった。出席者の中には城に泊るものもいるようで、普段よりも人通りが多い。セシルの顔はしっかり知れ渡っており、頭を下げられたり話しかけられたりした。右を見ても左を見てもお偉いさんばかりで、人間という珍しい生き物に彼らは興味津々だった。珍獣扱いされるのも嫌なので、自分の部屋へと回れ右をして戻る。
セシルが部屋をもらっている侍女たちの区画から、一人の女性が出てきた。服装から侍女ではなく出席者の一人のようだ。装飾の少ないドレスはサテンの生地で、廊下の灯りが光沢を浮き上がらせる。赤色のドレスなので嫌でも目がいき、ついで顔へと視線が上がっていた。
金色の髪は編み込まれて結い上げられており、深緑色の瞳がキッとセシルに向けられた。目は吊り上がっており、強気な印象を受ける。ヒールを鳴らして歩く彼女に会釈をしてすれ違った時、冷ややかな声がセシルの背中に飛んできた。
「人間の絵描き風情が」
(え?)
明確な悪意を持った一言にセシルの心が凍り付き、足を止めて振り返った。だが、その女は足を止めることなく廊下を進んでいく。ぞわっと遅れて鳥肌が立ち、チクチクと視線が刺さるような気がする。
(やっぱり、皆に歓迎されているわけじゃないんだ)
晩餐会でも針のような視線があることに気づいていた。もちろん少数ながら城内でもだ。ただこうやって直接敵意を向けられたのは初めてであり、胸の内に苦みが広がる。
(……負けない。私は人間と魔人族の平和のために、絵を描くんだから)
レオは晩餐会ではっきりと人間との平和を願うと宣言した。それにセシルは心を打たれたのだ。明日には茶会も開かれ、セシルはその様子を絵に描くことになっている。悪意の一つや二つで怯んでいる暇はない。
セシルは大きく深呼吸して気を落ち着かせると、一歩前に踏み出した。




