29 君臨する魔王様
ガランのさらなる謎と猫耳の羞恥に悩まされながら一週間を過ごせば、式典当日である。前日は念入りにリハーサルが行われ、セシルは足腰が痛くなるほど美しい礼と立ち姿の練習をした。
レオの在位6周年を祝う式典は、各地方の長や有力者との謁見から始まる。王国中の権力者が集まり、魔王へ挨拶と貢物を贈るのだ。人間の国クレア王国でいう貴族のような扱いだが、クレア王国ほど確固とした貴族制度があるわけでもないらしい。各地域の有力な役人と説明を受けたが、政治が弱いセシルは微笑むだけで頭には残らなかった。
なんにせよ丁重に扱わなければならない方たちであり、王宮は侍女から料理人まで忙しく動き回っている。ガランやジルバもレオの補佐と陳情の対応に追われていた。
そんな中、セシルは謁見室の一角で防音魔法の泡に包まれて絵を描いていた。今回は透過魔法もかけてあるため、謁見者にセシルの姿は見えない。セシルはここで魔王として君臨しているレオを描くように指示されたのだ。
数段高い位置にある玉座に座るレオからは、若いながらも魔王の風格が出ている。服はいつもよりも格式高い正装で、髪と肌の艶から入念に手入れされたことが分かる。話の内容は分からないが、しっかり王として務めを果たしているようだ。そして何よりも驚くべきが……。
(魔王様が、笑ってる……)
謁見が終わった時に、相手に向かって微笑みかけるのだ。目元が和み、口角が上がる。完璧な美しい微笑み。セシルは初めて見た時目を疑い、床に絵具を垂らしてしまった。
(すごい、全員があの笑顔にやられて、顔を赤らめて帰っていく)
恐ろしい破壊力だ。なぜレオが顔で魔王に選ばれたのか。それはおそらく顔以上に、笑顔が魅力的すぎるからだ。あの微笑みを向けらえたら誰でも魅了され、要求を呑んでしまいそうだった。
(最高の笑顔、絶対描ききる!)
その笑顔を見たら心臓が高鳴って仕方がない。素晴らしい絵画を見た時のように、圧倒的な風景に魅入った時のように、セシルは夢中になってキャンバスに表現していく。三時間ほどの謁見で、気づけば6枚の絵を仕上げていた。
謁見が終わったレオはすぐさま無表情に戻り、「疲れた」と自室へ戻っていく。
(あの笑顔をこっちにも向けて欲しいな……そうしたら、もっとうまく描けるのに)
セシルを包んでいた魔法が消え、道具を片付けながら描き上げた絵に視線を向けた。その微笑を浮かべたレオは一瞬で消えてしまい、幻かと思うほどだ。その後セシルは自室に戻り、夜の晩餐会まで絵の細部を描き入れて過ごすのだった。
晩餐会は、各地の長や有力者との親睦を深めるために行われる。そしてこの晩餐会でセシルが紹介され、この日のために描いた特大の絵が披露されるのだ。セシルは何度も考えて練習した挨拶の言葉を頭に浮かべ、小さな声で繰りかえし呟く。そんなセシルをガランは呆れ顔で見ていた。
「セシルさん、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「だ、だって。たくさんの人の前で話すなんて初めてですし」
セシルは今、広間に繋がるドアの前に立っている。大きな扉の向こうではすでに会が始まっており、魔王とジルバの話が終わったころだった。そしていよいよセシルの出番となる。
「さ、いくよ」
扉の向こうで控えているユリアが、ノックを二回した。それが合図となり、扉が開かれる。わっと声が押し寄せ、ジルバの高らかな声が飛んできた。
「我らの魔王様専属の画家です!」
温かな拍手が起こり、セシルは緊張した面持ちで慣れないドレスに足を取られそうになりながらも、背筋を伸ばして歩く。ヒールは歩きにくいことこの上ないが、それも我慢だ。ガランと共にカーペットの上を歩いて、レオとジルバがいる壇上へと向かう。
「セシルさん、足元が不安なのはわかるけど前を向いて」
あぶなっかしく歩くセシルを見かねて、小声でガランが声をかける。本来なら男性が腕を組んでエスコートをするのだが、ガランはセシルの胸程の身長なので手を引いてもらっているのだ。会場からは「あれが人間」やら、「ほんとに子どもね」と驚きの声があがっている。晩餐会に参加している人たちはグループになってテーブルを囲んでおり、興味深げにセシルに視線を送っていた。
そして壇上には布がかかった絵が置かれており、その隣にある長机にレオとジルバが座っている。レオはしっかり外向けの営業スマイルを発動させていた。そのレオがすっと立ち上がり壇を降りる。手を引かれて歩くセシルに近づくと、ガランからエスコートを引き継いだ。
無言のままさし伸ばされた手を、セシルが戸惑いながら取ると、優しく引き寄せられて壇上まで連れていかれる。確かにセシルより背が低いガランよりは歩きやすかった。魔王の振る舞いに会場からは「お優しい」、「人間との平和が来た」など賞賛の声が上がる。ありえないレオの行動にセシルが驚きを隠せないでいると、レオはセシルにしか聞こえないように呟いた。
「演出だ」
身も蓋もない言葉に、ですよねとセシルは半笑いを浮かべた。そして大衆へ振り返ったセシルは、注目を一身に集め唾を飲み込む。レオはセシルの隣に立ったままであり、会場を見回すとそれだけでざわめきが静まった。ジルバがセシルへと視線を向け、柔らかな声で紹介する。
「魔王様の専属画家、セシルさんです」
ここからの流れは何度も練習した。拍手を受けて一礼し、一歩踏み出す。肩の力を抜いて会場を見渡し、息を吸った。
「初めまして。専属画家のセシルです。まだまだ技術も未熟で、魔王様の素晴らしい美しさを表現しきれませんが、皆様の心に届く絵を描きたいと思っています。私は、アルシエルでの生活が本当に楽しくて、充実しています。魔人族の方々は優しく、ご飯もおいしいです。特にお肉料理がおいしくて感動しています!」
お肉への熱い思いを語るセシルに、ジルバとガランは微笑ましい視線を向けている。それは会場を守る衛兵や給仕をする侍女も同じだ。皆が温かく見守っているからこそ、会場全体が温かくなる。
「私はこれからも魔人族と人間の平和に貢献できるような絵を描いていきますので、よろしくお願いします!」
なんとか噛まずに言い切って、セシルは頭を下げた。練習の甲斐あってまずまずきれいな礼を披露できた。皆から拍手と「がんばれ」「かわいい」などの声援をもらい、顔を上げたセシルは安堵の笑みを零す。そして壇上に用意された席、レオの隣に座った。ガランがその隣に座り、ユリアが果実水を持ってきてくれる。
壇上の長机には賓客から見て左からジルバ、レオ、セシル、ガランと並んでいる。セシルはリハーサルでこの席順を聞いた時、「魔王様の隣に座るなんて恐れ多すぎます!」と叫んだのだが、レオににべもなく却下された。この晩餐会はセシルを内外に知らせる意味もあるからだ。
そしてレオも席へと戻り、ジルバだけが立ち上がって皆を絵に注目させた。
「では、お待ちかね。セシルさんが式典のために描かれた絵でございます!」




