27 謎の多い白猫
休みが明ければ、式典への準備が本格的になってきた。一週間後に迫っており、城全体が慌ただしい。セシルは大きな仕事が終わったので、技術を磨くために日々デッサンやスケッチをしている。絵を描くことはゆったりとできているが、その一方で、式典で正式に紹介されることが決定しており、衣装合わせ、立ち方、礼の仕方などのマナーの練習に時間を取られた。
当然庶民のセシルは礼儀作法など齧ったこともなく、私は絵描きなのにと内心愚痴りながら、ユリアの指導のもと修練に励むのである。今もユリアとコース料理に見立てた少し豪華な昼食を食べながら、マナーを教わっていた。そんな中、セシルはどうしても気になることがあるので尋ねてみる。初めて見た時からずっと疑問に思っていることだ。
「ユリアさん、どうしてガランさんが猫なのかご存知ですか?」
城の誰についても答えがでなかった難問だ。ジルバは知っていそうだったが、「私の口からはお答えしかねます」とかわされてしまったのだ。ユリアはナプキンで口元をふいてから「そうね」と口を開く。その所作一つとっても優雅で美しかった。
「私も会った時から猫の姿だったから、知らないわ。でも、色々噂は飛んでるわね」
「何かの呪いとか、魔法実験の失敗とかですよね」
噂についてはセシルも聞いたことがある。またたびが手放せないのも、その影響ではないかと言うのだ。それにまたたびのわりには、ガランが酔ったところを見たことがないので、別の何かではとかんぐる使用人もいた。
「さすがに生まれた時から猫の姿じゃないと思うけどね」
ユリアは赤ワインに見立てたぶどうジュースを一口飲んで、再び肉に手をつける。セシルの皿には小さめのステーキが乗っており、ナイフとフォークのきれいな使い方を教わりながら食べていた。
「お肉はおいしいですけど、マナーを気にせず食べたほうがもっとおいしいです」
肉にかぶりつきたいのに、お上品に一口サイズに切ってからチマチマと食べなくてはいけない。それだとなんだか食べた気がしないのだ。
「そう言わないの。これから必要になることだからね」
セシルはユリアに宥められ、「はーい」と返事をして最後の肉を口に入れたのである。
ユリアとのマナーレッスンが終ったセシルは、食後の運動に城内を散歩していた。片手にスケッチブックを持っており、いい景色があれば止まって描くのだ。今日は温かく、日向にいればすぐに眠くなる季節だった。
(庭園の花がいいかな~。たまには虫を描くのもいいかも)
セシルがそんなことを考えながら庭園につづく外廊下を歩いていると、一人の侍女が立っていた。彼女は凛とした佇まいで庭園の方を向いて立っている。その視線の先に顔を向けると、白いもふもふがいた。
(あれ、ガランさん?)
日当たりのいい庭園のベンチで寝ているガランの姿があった。珍しいと思いながら侍女のところへと行くと、彼女は微笑んでから小声で話しかけてきた。
「今、ガランさんはお昼寝をされているのです。時間が来たら起こすようにと仰せつかっております」
セシルもガランの眠りを妨げないように、小声で返す。
「へ~。今日は絶好のお昼寝日和ですものね」
「よろしかったら、スケッチをされてください」
「いいんですか」
「ガラン様の猫姿ファンは多いので、お休みの姿を他の人にも見せてあげたいのです」
ガランのファンがいると聞いて、素で驚くセシルだった。目を瞬かせ、少し離れたところで眠るガランをじっと見る。
(中身おじさんだけど、たしかに見た目は可愛くて癒されるもんね)
その寝姿は猫が丸くなるものではなく、仰向けになって片足が外に飛び出ている人間らしいものだったが、それでもなんだか可愛い。またたびをかいでいて眠くなったのか、手には袋をしばる紐がかかったままだった。
「ではさっそく」
セシルは忍び足でガランに近づき、地面に座ってスケッチブックを開く。デッサンをして色粉を固めたもので簡単に色だけつけておくつもりだ。そうすればあとで絵具を塗る時に色合いが分かりやすくなる。
セシルはささっと寝ているガランを写し取り、その毛並みのやわらかさを描きこんでいく。きれいな白い毛並みからは太陽の匂いがしてくる気がして、なんとも癒される。
(前に触ったらちょっと怒られたんだよね~。でも、やっぱり触りたい~。あの肉球の柔らかさはたまらないわ)
じっくり肉球を観察して、その質感を表現していく。
(ぷにぷに、やわらかい感じ。ちょっとざらっとしているのが、またいいのよね)
ガランのファンクラブがあるなら、入ってもいいなと思うくらいセシルはガランの猫姿が好きだった。そして視線は自然と、その肉球にひっかかっているまたたびの袋へと向けられる。
(いつも嗅いでるやつ……どんな匂いなんだろ。それに、またたびじゃないかもしれないし……気になる)
セシルは息を殺して寝ているガランの様子を伺う。気持ちよく寝ており、起きる気配はなさそうだ。
(それに、この袋は絵を描くのに邪魔だし……モデルのセットをするだけよ。そう。大丈夫……)
そっと慎重にガランの手から袋を浮かせて紐を抜く。無事ガランを起こすことなく袋を取ることができ、セシルは静かに息を吐いた。そしてそのまま脇に置こうとしたのだが、好奇心がうずく。
(ちょっとだけなら、いいよね)
袋は軽く、振ってみるとカサカサ音がする。中には何かの粉末が入っているようだった。セシルは好奇心に勝てず、そっと袋の紐を緩める。中を覗くとやはり木のような粉末が入っていた。
(これがまたたびね)
それほどいい匂いがするのだろうかと思い、顔を近づけて嗅いでみた。
(あれ、思ったより匂いがしない)
昔下町に住んでいた時は、近所に猫好きのおじさんがいて、またたびは鼻にくる独特な匂いと言っていたのだが……。
(こんなのの、何がいいんだろう)
人間にはわからないが、猫の嗅覚ならいいのだろうか。そもそも、ガランの嗅覚は猫と同じなのかと疑問はつきない。期待と少し外れてがっかりしたセシルは袋の紐を縛り、地面に置いた。
気を取り直して絵を描こうと炭を手に持った時、頭がむずがゆくなった。
(ん?)
虫でも乗ったかなとセシルは頭の上に手をやる。もふっとした、何かがあった。
(んん?)
ありえない感触に、セシルは慌ててその形を確認するように両手で触る。しかもなんだか触られている感覚があって、ぞわぞわとしてきた。
「セ、セシルさん?」
後ろから見ていた侍女が、声を震わせて名前を呼んだ。その反応に嫌な予感しかしないセシルは、恐る恐る振り返る。ぱちりと目が合った途端、侍女は目を剥いて叫んだ。
「セシルさんの頭に猫耳が生えてます!」
やはりさっきの感触は耳だったかと、セシルは呆然とする。そこに追い打ちをかけるように、手がむずがゆくなってくる。
「え、え?」
手に茶色い毛が生え始め、指先が変化していく。みるみるうちにセシルの手は可愛い肉球がついた猫の手になった。
「い、いやぁぁぁ! これじゃぁ、絵が描けない~!」
「うわっ、何、え? 何!?」
絶叫したセシルの声で跳び起きたガランは、目の前で茶色い猫耳を生やすセシルに、あんぐりと口を開けた。




