26 物思いに耽る魔王様
一方、ユリアにからかわれ、不機嫌なまま眠りについたレオは早朝に目を覚ました。陽が上ったところで、起きるには早いが目は冴えている。早朝に目が覚めることは珍しくない。レオは水差しからコップに水を入れて呷ると、指を鳴らして部屋の明かりをつけた。
美しい銀髪は寝ぐせ一つなく、ゆったりとしたシルクのシャツに伸びのいい紺のスラックスという姿だ。開いた襟から見える鎖骨が艶めかしく、セシルがいたらぜひ一枚とスケッチを始めただろう。
レオはぼんやりとする頭でソファーに座り、壁にかかっている布を浮かせて取り去る。始まりの絵。レオはこれを見ていると、不思議と心が落ち着くのだ。しばらく眺めた後で、指を鳴らし空間から一枚の絵を取り出す。
(あの絵描きは、今頃どこで何をしているのだろうな)
宙に浮かせている絵は、小さなキャンバスに描かれた風景画だ。変哲もない麦畑が広がる田舎。見ていれば麦畑を通り抜ける風を感じ、鳥のさえずりが聞こえそうだ。
そこが、レオの故郷だった。だがレオは故郷に対していい思い出がない。魔王になってからは一度も帰っていなかった。その中で、画家との思い出はいい部類に入る。
レオが幼い頃、旅人の画家が村にやって来て絵を描いたのだ。今思えば、魔人で絵を描く技能を持っていた彼は相当珍しい部類に入るのだろう。
(変な男だったな)
男はずっと風景を描いていた。いつも見ている山や川が、男の手にかかれば一段と美しく大切なものに思えたのだ。彼は、村から出たことが無く、山や川で遊んだことすらなかったレオに、外の世界を見せてくれた。湖、火山、海、街。絵を見ながら彼はそこでしたこと、感じたことを話してくれた。それをユリアと二人、目を輝かせて聞き入っていたことを思い出す。
懐かしさを感じると同時に、忌々しい記憶も絵は呼び起こす。思わず舌打ちが漏れた。レオは眉間に皺を寄せ、指を鳴らして絵を空間にしまい、始まりの絵に布をかけた。そして部屋の隅に、イーゼルにかけて置いてあるセシルの絵へ視線を向ける。式典用の大きな絵だ。正直邪魔なのだが、絵に魔力を込める必要があったためここに置いているのだ。
(似ているから、なんだと言うのだ)
始まりの絵に、画家の絵、そしてセシルの絵。描き方は多少違うが、感じ方が似ている。どこかやさしい、懐かしさを感じる絵だ。
(……不愉快だ)
レオは体を動かそうと部屋を出る。そろそろ衛兵たちが朝の訓練を始めるころだ。今日は祝日であり、衛兵たちの大半は午後から休みとなる。中庭でバーベキューをする許可が欲しいと、一週間前に申込書が来たことを覚えていた。
バーベキューに引きずられて、肉好きの画家の顔も出てくる。レオは眉間に皺を寄せ、理解できない不快さを感じながら訓練所へと向かうのだった。
そして剣を振るい、将軍と手合わせをすればだいぶすっきりとした。
(やはり適当に運動するのがいいな)
最近執務室と自室の往復だったので、気晴らしにちょうどよかった。この後も、ジルバと式典について少し話さなくてはならない。魔王であるレオが丸一日休める日など、稀であった。
執務室へと続く廊下を歩いていると、外から賑やかな声が聞こえた。中庭に視線を向けると、衛兵たちが集まってバーベキューをしているのが目に入る。
(たまにはああやって羽目を外すのも悪くはない)
衛兵たちは厳しい訓練に耐え、職務に励んでいるのだ。焼き始めているところのようで、肉を運んだり酒を用意したりと楽しそうに動いている。その中に茶色の頭を見つけた。椅子に座り、必死に何かを描いているようだ。
(あそこでも絵を描くのか)
つい足を止めて描いている様子を見てしまった。そしてセシルの視線の先を追っていく。
(肉……と、料理人の男)
手を動かしながら、楽しそうに話している。セシルが何を描いているのかはわからない。肉か、男か、その両方か。レオは眉を顰め、不可解だと言いたそうなな表情を作った。この瞬間、胸の内で何かがひっかかったような、小さな苛立ちが生まれたのだ。
(なんだか、不愉快だ)
わからないことがさらに不快にさせる。
(話が終わったら、ジルバを誘って鍛錬をしよう)
気分が優れない時は剣を振るうと決めている。レオは窓から視線を外し、執務室へと歩き出す。晴れない気持ちを抱えたまま。




