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22 ぶっきらぼうな魔王様

 今日も今日とて、セシルは執務室で大きなキャンバスに向き合っていた。製作開始から二週間も経てば、大まかな色塗りは終わっている。だがキャンバスが大きいと全体のバランスを見るのが難しく、セシルは何度も脚立から降りて遠ざかり、絵の色合いを確認していた。


(ん~。上をもう少し明るくしてもいいかな)


 キャンバスにはレオの全身が描かれており、正装で帯刀をしていた。まさしく魔王といういでたちで、角の生えた兜と黒い鎧を着させれば、戦争では始めそうだ。

 絵の出来具合をじっくり見ていたセシルの隣に、ガランがやって来た。レオに書類を出し、少し話してからこちらを見に来たのだ。


「お~。立派なもんだ」


「あ、ガランさん。これが置かれる会場の明るさって、どれぐらいですか。あと光の場所と」


 周りの明るさや光の向きで絵の見え方は変わる。普段はあまり気にしないが、式典で飾られるからには、最も美しい見え方を追究したい。


「会場で一番目立つ場所に飾るから、明るいし、上からと下からもライトを当てるつもり」


「わかりました。じゃあ、反射が少ないように色を塗りますね」


「頼んだ」


 ガランは「がんばれよ」と言い残して執務室を後にした。彼は式典の装飾を統括しているらしく、忙しそうにしている。

 先ほどからレオのところにはひっきりなしに書類が届けられており、あるものが決裁済みの書類を受け取ってはどこかへ消えていた。今日はジルバは各会場の視察があるようで、朝から姿は見えない。


(政治って本当に大変そうね。あんなに紙にサインをして、いるのかしら)


 セシルはレオの仕事ぶりを見てつくづくそう思う。防音のための泡はもうないが、レオとは距離が離れているため大声で話していないかぎり聞こえない。そのため仕事の内容は分からないが、休まずにもくもくと作業するレオを少し見直した。


(真面目にやる時はやるのね)


 そしてセシルも続きを描こうと脚立によじ登り、最上段に座って絵の上部の色を整えていく。


(式典か~。豪華なパーティーがあるんだろうなぁ。絶対、いい肉があるはず……コルに言ったら、余った肉でなんか作ってくれないかな)


 想像しただけでお腹が空いてきた。肉祭り以降もコルとはよく話しており、最近の話題は式典の晩餐会で出す料理についてだ。コルは料理人としては未熟で使用人たちの厨房で修行をしている。そのため、普段はレオや高官たちの食事には関わっていないのだが、城でパーティーがある時だけは、料理人総出で取り組むらしい。コルは肉の下処理や盛り付けを担当すると言っていた。


(あ、いけない。肉のこと考えてたら、色が肉によってしまう)


 無意識に筆で色を混ぜて茶色を作り出していた。腰にぶら下げた水入れで色を落とし、新たな色を作り出す。ここからは気持ちを込めて、色を入れていく仕上げの段階だ。


(魔王様の美しさと、お祝いの気持ちを込めて……これからもこの平和が長く続きますように)


 背景の仕上げをし、光の加減を考えながら絵に明暗を描き入れていく。特に紅く強さのある瞳に神経を使い、今にも動きそうな息づかいを吹き込む。


(なんか、ずっと見られているみたい)


 正面にはレオの顔。左に顔を向けてもレオの姿。


(でも、こうやって好きなものを描けるのは、すっごく幸せ)


 瞳に光を入れ、セシルは微笑んだ。レオを初めて見た時のような高揚感に包まれ、胸が高鳴る。セシルにとって絵描きになれた原点であり、美の根源。


(本物もいいけど、物言わぬ絵っていいわ)


 好きなだけ眺められるし、何より眉間の皺も煩わしそうな目もない。セシルは遠くからの見え方も確認しようと、降りるために立ち上がった。表を向いたまま絵の方に降りることもできるが、万が一前につんのめって絵に水をかけたくもないので、毎回絵と反対側に回って降りている。

 だが立ち上がった瞬間、急に眩暈に襲われた。ずっと座りっぱなしだったからか、ぐらりと体が後ろに倒れる。


「きゃっ!」


 手で脚立を掴もうと伸ばすも宙をかき、視界には天井が映っている。


(まずい、水が零れる!)


 後ろに倒れているから絵への被害は少ないだろうが、一滴でもかけたくなかった。この絵具は完全に乾けば防水効果がある魔法付きだが、それでも嫌だ。倒れるさなか思ったことはそれだった。

 バシャリと水が床に叩きつけられる音がして、セシルも衝撃に身を固くするが痛みがこない。それどころか、背中に柔らかな温かみがあるような気がする。


「馬鹿が」


 すぐ近くで焦ったような声が聞こえ、セシルは驚いて目を開ける。心臓が止まるかと思った。目の前に端整な顔があり、先ほどまで見つめていた紅い瞳がある。遅れて、自分が抱きとめられていると気づいたセシルは、ぼんっと顔を真っ赤にさせた。


(お、お姫様だっこされてる)


 レオは宙に浮かんでおり、ゆっくり高度を下げると無言のままセシルを床におろした。


「あ、ありがとうございます」


 レオに助けられたことが信じられなくて、戸惑いを隠しきれないままセシルは頭を下げる。レオの服には水がかかっており、指を一つ鳴らせばたちまち染みはなくなった。


「脚立で絵は描くな。うっとうしい」


「は、はい。もう、完成したので大丈夫です」


 完成したと聞いたレオは、ゆっくりと絵に顔を向けた。とたんに眉間に皺が寄り、口が引き結ばれる。


(うわ、気に入らなかったかな)


 さすがに毎度その表情をされると、心が折れそうになるセシルだ。


「お前はどう思う」


 まさかの意見を求められ、セシルは言葉を詰まらせてから絵とレオに視線を行き来させる。


「見に来た方は、魔王様の美しさの虜になるかと」


 自分の絵について出来を話すのは恥ずかしく、曖昧な答え方になってしまった。この返答でよかっただろうかとレオの顔を見上げれば、無表情に戻っている。そしてセシルを見ることもなく、吐き捨てた。


「美しいなど戯言を抜かすやつは嫌いだ」


 踵を返してレオは書類が積まれた机へと戻る。


(あ~、失敗した)


 機嫌を損ねたと落ち込むセシルに、レオは足を止めずに言葉をかけた。


「絵はいい出来だ。よくやった」


 それはセシルがレオから初めて得た労いの言葉であり、一瞬で疲れも憂いもはじけ飛んだ。嬉しくてしかたがない。


「ありがとうございます!」


 セシルはばっと頭を下げ、満面の笑みで道具を片付け、床の掃除をして部屋を後にした。足取りも軽く鼻歌が漏れてしまう。


(最高~! こんな日は肉ね! 今日の晩御飯は何かな~)


 セシルは浮かれ気分で自室に戻り、昂る気持ちをレオのデッサンへとぶつけるのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 水彩だったんだ!? (キャンバスに描いていたからずっと油彩だと思っていました。) 乾いたら耐水性になるってことは、アクリルなんですね。
[一言] 結局、肉なんかい!! いや、分かってましたけど。 それにしても、魔王様は顔の事で色々言われるのが嫌なんですね。 過去によっぽどイヤな目にあったのかな?
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