17 始まりの絵
セシルが魔王専属画家として務め始めて、二か月が経った。へろへろになりながら35枚の魔王等身大姿絵を完成させ、各地域に配置が終わったところである。全て異なるポーズと指示があったため、だいぶ頭をひねった。
服装と小道具をうまく使い乗り切ったのだが、ユリアがどこから持ってきたのか犬耳の飾りを付け、セシルは笑いをこらえて腹筋がつりかけたのもいい思い出である。当然気づいたレオは激昂し、その日の絵描きは無くなった。
久しぶりに追われるもののない休日を楽しんでいたセシルだったが、昼過ぎにジルバに呼ばれたのだった。
「どうされたんですか?」
しかも呼ばれたのは執務室や謁見の間ではなく、魔王レオの自室前だった。ドアの前に立つジルバにそう問いかけるが、ジルバはいつもどおりにこやかな笑みを浮かべてドアノブを回したのだった。
「レオ様、セシルさんが来ましたよ」
部屋の中にはレオがいて、一人がけ用のソファーに座っていた。歓待用のスペースのようで、テーブルを囲むようにソファーがある。そしてレオの向かいに大きな絵と思われるものが布がかけられて壁にかかっている。前にレオの寝転がっていた寝椅子はソファーから離れた右手にあり、さらにその奥に寝室と思われるドアがある。
改めて見るとかなり広い自室だった。窓辺に侍女であるユリアが控えており、軽く手を振っており、セシルは軽く頭を下げた。
「あぁ」
どうやらレオも関係しているようだが、返事をしたっきり言葉を発っさず、紅茶を静かに飲んでいる。セシルがなぜ呼ばれたのか分からずにいると、ジルバがソファーの方へと近づきセシルを手招きした。
「セシルさんもここの暮らしに慣れましたし、城の者や民にも顔が知られてきたので、一つお見せしたいものがあるのです」
「見せたいものですか」
何だろうと思いつつ、手招きされるままにジルバの隣に立つ。ジルバの視線は壁に向けられ、自然とセシルもそちらに顔を向けた。
「これ……」
セシルも前、部屋に入った時に気になっていたものだ。ジルバが壁際に控えていたユリアに合図をし、丁寧に布を取り払う。金の額縁が見え、やっぱり絵だったんだと思った次の瞬間には、息を飲んでいた。
現れた絵は風景と人物を描いたもの。ゆるやかな丘が続き、奥には小さな家々が集まっている長閑な田舎。手前の木陰には三人の人物が座っていた。どれも後ろ姿なのに、不思議なぐらい心が惹かれる。右は金色の髪をした男性で、少しとがった耳から魔人族であることがわかる。左は栗色の髪が長い女性、後ろ姿だけなのに優しそうな雰囲気がする。そして二人の真ん中には子どもがいた。栗色の髪をした男の子のようだ。
「……なんだか、懐かしさを感じる絵ですね」
見ているとぽかぽか胸が温かくなるような絵で、そのタッチや色使いに親しみを感じる。まるで故郷に帰ったような気持になった。
セシルが目元を和ませ絵の世界に浸っていると、ジルバが優しい声音で絵を見ながら説明をし始める。
「これは、始まりの絵と呼ばれるものです」
「始まりの絵?」
「はい。以前、どうして魔人族は突然平和条約を結ぼうと動いたのかとおっしゃいましたよね。これが、その答えです」
答えだと言われて、セシルは絵を隅々まで見るが、なぜ平和になるのかは分からない。
「この絵とともに、一つの言い伝えがあるのですよ。これを描いた人は、人間の女性だったそうです。大戦の終結から40年が経った頃に、ふらりとある村を絵描きの少女が訪れたそうです。まだ人間に対する恨みも警戒も強く、最初は苦労もあったそうですが、やがて少女はその村で住み、青年と恋に落ちます」
セシルは絵の中の栗色の髪の少女と、金髪の青年をじっと見つめる。この絵の背景にそんな物語があるなんて、とても素敵なことだ。
「そして、子どもが生まれたそうです。小さな村ではもう人間との垣根なんて無くなっていたんですね。この絵はその人間の女性によって描かれ、長い間村の倉庫で眠っていたといいます。それを30年前にガランが見つけ、絵に感銘を受けたそうです。ガランはこの絵に人間との未来を見たと言っていました。そこでガランは絵を売ってもらい、多くの魔人に絵を見せて回った結果、魔人族の中で人間との平和を願う声が大きくなったということです」
セシルは絵から始まる壮大な話に圧倒され、「ほー」としか言えない。絵から伝わるのは無限の優しさと愛情で、平和を望みたくなる気持ちも分かった。
「それで、始まりの絵なんですね」
いつか自分も歴史を変えられるような絵を描きたいと思いながら、セシルは目に焼き付けるようにその絵に熱い視線を注いでいた。その背に声が飛んでくる。
「お前にそれを超える絵が描けるとは思えないが、それを目指して描け」
セシルが振り返るとレオは小憎たらしい顔をしており、まるで挑発しているようだ。どこまでも人を見下したような態度に腹が立つセシルだ。
「もちろん超えてみせますよ! もっと魔王らしく鼓舞できないんですか!」
二か月もあればある程度気安い口も利くようになる。レオに近い人たちが礼を持って接しつつもどこか気兼ねの無い態度であることにも影響された。
むっとして目が三角になったセシルに、ジルバが微笑みかける。
「期待していますよ。セシルさん」
「はい! 頑張ります!」
セシルはころりと笑顔になり、元気よく答えたのだった。そして「貴重な絵を見せていただきありがとうございます」とお礼を述べてから、部屋を後にした。
部屋に残ったジルバは、溜息をついてレオに顔を向ける。レオはむすっとして、ひじ掛けにひじを置き頬杖をついていた。
「なんで、セシルさんを選んだ理由を言わなかったんですか。ちょうどいい機会だったでしょう?」
ジルバはレオの向かいにあるソファーに座り、侍女として空気になっていたユリアがお茶を淹れた。そしてレオのカップにも紅茶を注ぎ、憐れみの視線も注いでから壁際へと戻っていく。それにレオは舌打ちで返した。
「セシルさんの絵の描き方は、この絵に似ている。そう思われたのでしょう? 優しいタッチですからね」
「別に、ただの気まぐれだ」
ふんっと鼻を鳴らして、レオは絵を見ながら紅茶をすする。
「そうですか。まあそういうことにしておきます」
ジルバは呆れ顔で紅茶をすすり、ユリアも無言で首を横に振った。ある休日の午後。平和な時間が流れていくのである。




