16 魅惑のお姉さん
そしてその日の夜。
「ねえ、セシルちゃん。ポーズはこれでいい?」
ぎゅっと腕で胸を寄せ、悩殺ポーズを披露するユリア。それに対し、キャンバスの向こうに座って構図を決めているセシルは、真面目な顔で返した。
「いえ、仕事のできるお姉さんというテーマで描きたいので、美人秘書のようにお願いします」
セシルは仕事の終わったユリアにお願いして、絵のモデルになってもらっていた。場所はアトリエにしているセシルの部屋で、すっかり絵具の匂いがする空間になってしまった。部屋は夜でも魔道具によって明るく、蝋燭の何倍もの光が部屋を照らしている。これで夜遅くまで蝋燭代や油代を気にすることなく描ける。
「え~。このポーズ、自信があるのに~」
ユリアは不満そうに唇を尖らせるが、すぐに「かっこいいお姉さんもいいわね」と気を取り直して、椅子の前で凛とした立ち姿に澄まし顔を作ってくれた。
「あの、座ってくださってもいいんですよ」
急いで書いたとしても、それなりの時間になるのだ。特に女性の場合は座ってもらうことが多かった。
「あら、そんなやわな鍛え方はしてないわ。存分に仕事ができる女として書いちゃって!」
ユリアは問題ないとウインクを飛ばし、すっと澄まし顔に戻る。その切り替えの早さと演技力の高さはさすが魔王付きということか。
(よくも悪くも個性が強い)
レオに近い人たちは、そういう人が多いなと内心呟きながら炭で線を入れていく。特にその魅惑の流線は念入りに。セシルが今まで描いた女性でも、ここまで豊満な方はいなかった。それゆえに腕がなる。
輪郭が取れたところで、世間話でもとセシルは話を振った。
「ユリアさんは、実家に帰っておられたんですよね。どんなところなんですか?」
セシルはアルシエルの王都の一部しか知らない。外の世界に興味が湧いた。
「何もない田舎よ。小さな村で、畑しかないようなとこ。空気はいいし景色もきれいだけど、退屈だったわ~」
「そうなんですね」
セシルは筆に持ち替え、色を置いていく。セシルの髪も瞳も明るい色で、それが出るように色を作る。
「やることと言ったら、レオ様の悪口を言いふらすくらいだったわね」
「え、魔王様の悪口ですか?」
筆を止めて顔を上げたセシルの反応を見て、ユリアは「あぁ」と忘れていたかのように話し出した。
「私とレオ様はね、同郷なの。幼馴染ってやつ」
「え、そうだったんですか!?」
確かに言われてみれば二人の年齢は同じくらいに見えた。セシルは二人の意外な関係を聞いて目を丸くする。ユリアは特に隠すことでもないのか、おしゃべりが好きなのか、すらすらと話した。
「そう。昔っからいけ好かないやつだったけど、まさか魔王になるなんてね~。世の中分からないわ。それで、魔王候補として城からの迎えが来た時に、ジルバ様がレオ様一人では少々不安だから親しい者も付き添いとして来てほしいって言われてね……レオ様をよく知ってて、結婚もしていない私が選ばれたわけ」
「へ~。そうだったんですね」
「そのせいで、さらに婚期を逃して、今絶賛お相手募集中よ!」
ユリアの明るく、飾らない物言いにセシルは小さく笑った。年上の仕事のできるお姉さんという印象で、少し近寄りがたかったが、一気に親密感が湧いたのだ。
「もしこちらでもお見合いがあるのでしたら、絵を描きますので言ってくださいね」
クレア王国では、貴族たちの恋愛はほとんど親同士が取り決めをするため、絵は重宝されていた。そこにはどこまで実際より良く描くかという依頼主と画家の攻防、良心のせめぎあいがあるのだ。
「あら、それはいいわね。その時はお色気路線でいこうかしら」
と言いながら胸を揺らす。そのたわわさに、セシルはおぉと目が釘付けになり、羨望を絵でその質感を表現する欲求へと変換した。
(包容力がありつつ、仕事のできる女……最高)
セシルの好みまっしぐらで、わき目も振らずに描き進める。背景は後回しにして、ユリアの全体像が描けたところで一息ついた。
「は~。ユリアさんありがとうございます。ひとまず描けました」
満足げに笑ってユリアに視線を向けると、ユリアは目を輝かせて駆け寄って来た。一時間半立ちっぱなしだったが、一度も姿勢が崩れることなくすぐに動けるとは、鍛えているというのは嘘ではないようだ。セシルがユリアの身体能力に驚きを隠せずにいるのも知らず、ユリアはセシルの方へと回り込んで喜声を上げた。
「きゃ~! 嘘! これが私? は~、こんな完璧な美人侍女。罪じゃない」
髪の色は空のような水色。瞳は森林のような緑。口元はゆるやかに弧を描いており、お淑やかな笑みを浮かべていた。侍女の制服に身を包み、しゃんと立っている姿はまさしくできる女。セシルも満足のできだ。
ユリアはうっとりと自分の絵に見入っており、絵描きとしては嬉しい反応だが、自分への賞賛っぷりに少し引いてしまったのも事実である。そしてユリアは気持ちが昂った勢いに任せてセシルに横から抱きつき、頭を撫でた。
「セシルちゃん最高~! 私は絵のこと全くわからないけど、この絵、見ていてすごくいい気持ちになるわ。レオ様が気に入るだけあるわね」
「え、気に入られてるんですか?」
セシルは目を瞬かせ、柔らかな圧力に逆らって顔を上げる。ユリアはにこにこと上機嫌に微笑んで、セシルの頭をさらに撫でていた。
「そうよ。だって嬉しそうな顔をしてたもの」
「え……あれのどこが?」
セシルの記憶にあるレオの顔は、どれも眉間に皺を寄せたしかめっ面ばかりだ。笑顔どころか頬が緩んだところすら見たことがない。信じられないと思っているのが顔に出ていたようで、ユリアはセシルの頬をつつきながらうふふと意味ありげに笑った。
「そのうち分かるわよ。さ、セシルちゃんはそろそろ寝ましょ。夜更かしはお肌の敵よ」
セシルの頬をつつき、軽く撫でて肌のチェックをしたのか、「秘蔵の美容液をあげるわね~」と言い残して、颯爽とユリアは出て行った。まさに嵐のような人だ。
(ユリアさんって、色々すごい……)
終始圧倒されたユリアは、一人になった部屋でふぅと息を吐いた。知らないうちに力が入っていたらしい。
「気に入られている……ねえ」
微塵もそうは思えず、セシルは首を捻るのだった。




