25 小姓はお叱りを受けるのです
「クロフティン様は一体どうしてここに?」
「グレン様の魔力を追ってきた。これだけ濃厚な魔力の気配で気づかないという方がおかしいだろう」
キール様は、僕とヨシュアの前まで歩み寄ると周りを見渡した。
僕、捜索とかの魔術苦手なんだよなぁ……人の密集した中で特定の人物の魔力を探るというのは、かなり高度で魔力負担も大きい術のはずなのに、キール様は事も無げに言ってくる。
「残念ながらグレン様はここにはいらっしゃいませんよ」
「当たり前だ。グレン様は先ほどまで俺といたのだからな」
「えっ!?」
色んな意味で僕は当惑した。
グレン様、最近いやに僕を放っておいているなと思ったけど、まさかのキール様と一緒だったの?
……虐待に遭わないのはいいが、それはそれで釈然としない。
それに、今普通にグレン様って言った?
え?キール様ってグレン様を崇拝しすぎて、グレン様のお名前を出すのも躊躇って、あのお方とか、名前を出しちゃいけないような人扱いして、お名前を言うときもぎこちなく話してなかったっけ?
僕の怪訝な顔を見て、僕の疑問を見通したのか、キール様は僕に付け加えた。
「俺は、グレン様の直属の部下となった」
ぽかんとする僕に対し、横でヨシュアが、わーすごいですねーと能天気な声を上げている。
いや、おかしくないよ?僕が言うのもおこがましいけど、キール様は同世代の中では魔術師としての適性にずば抜けているし、本人もグレン様に師事したいと言い続けていたんだし。
「で、でも、まだ大会は途中ですよね。終わってから正式に御就任されるものかと思っておりました」
「大会なぞで順位を見なくても自分の目で実力を見られれば十分だと仰った」
グレン様らしい。そりゃーグレン様にとっちゃ、大会の順位付けなんて自分の目で見ることに比べれば大した価値を持たないだろうし、欲しいと思った人材のために宮廷魔術師の一ポストを融通するくらいできるだろう。
でも、こう、言葉で表しにくい釈然としない思いがもやもやするのはなぜなんだろう。
僕が途中で黙りこくったからか、キール様が鼻を鳴らした。
「ふん、グレン様の小姓でありながらグレン様を放置するから俺のようなやつに出し抜かれるんだぞ」
「……別に、グレン様がクロフティン様を必要だと考えられたのなら別に僕に何か言う権利はございませんし、僕は特に何も思っておりません」
「そのような顔には見えないがな」
そのとおり。嘘。苦い味が喉の奥で広がるような悔しさがある。その気持ちの正体も、自分で分かっている。
僕だけがグレン様のお傍にいることを許されているんだっていう、謎の自信と、ある種の独占欲。
小姓としての地位にありながら、それ以上にグレン様の一番の地位にいるのは自分のはずだ、という根拠のない思い込みによるもの。
僕自身は、宮廷獣医師と掛け持ちしているっていうのにね。
くっそ、独占欲の強いご主人様から少し移っちゃったみたいだ。
僕がグレン様に対して、独占欲を持っていたなんて。
「クロフティン様はどうやってこちらにいらしたんですか?」
「あぁ、アッシュリートン……あ、お前ではない、エルドレッドの方に用があってな。グレン様がご自分の魔力の行方を追った先にいると仰ったから、アレで来た」
「アレ?」
隣で話すヨシュアとキール様の会話を聞き、二人の見る方向に釣られて見上げると、太陽の近くに小さな黒い影が見えた。
その影は、僕が視線を向けた途端、段々と大きくなっていき――つまり近づいてきて、段々とバサバサと翼を羽ばたかせる茶色い被膜がはっきりと見えてくる。
「ここまで来るのにこんなに苦労するとは思わなかった。躾けられていない翼竜なぞ初めて乗ったぞ」
「ピギー!」
「おい、こんな町中で呼ぶんじゃない、大混乱になることくらい分かっているだろうな」
「あっと、そうだった。ピギー、それ以上来ちゃダメだよ」
「ぴっ……ぴぃー」
まだぎりぎり人が見つけてパニックになるほど近くに来ていなくて助かった。
僕に「待て」をされたピギーは、遠くから悲し気な声をあげ、僕の頭上高くを旋回するように飛び回り始めた。おりこうさんだ。
「なんでクロフティン様がピギーを?」
「グレン様がアレに乗っていけと。お前の魔獣なんだろう、ならばちゃんと躾しとけ。まだ登録もされていないから、町中に入ることもできんだろうが。アレの飼い主だと知られれば恥をかくぞ」
「ピギーの最近のことは、イアン様にお任せしていたので……やっぱりイアン様だとどうしてもピギーに甘くなっちゃうのかなぁ」
「……」
イアン様もピギーを育てていたことは知らなかったのか、キール様は一瞬虚を突かれた顔をし、そしてごほんと咳ばらいをした。
「まずはここであったことを包み隠さず話せ」
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キール様が、僕との間だけに通じる例の防音魔法を張り、そこで事情聴取は行われた。
事情聴取の前に、僕とヨシュアの身体を確認したところ、ヨシュアは首元や手首を打撲しており(あいつらに無理矢理拘束されていたからね)、僕も、おそらくカマイタチくんに魔封じの手錠を切らせたときに出来たものであろう、手首の近くに大きめの切り傷があって、そこから血が垂れていたことが分かったので、僕がまとめて治療をした。
ついでにヨシュアが助けたカマイタチくんの治療も行った。
先ほど狙われたこともあるのでヨシュアを放置できないと主張した結果、キール様が、阻害魔法により近くの人が近づいたり状況に気付かないような結界を施し、事情聴取の間、ヨシュアはその結界の中、ちょうど元々小屋のあった場所で休むことになった。同じ場所に降り立ったピギーの相手をしてくれている。
ピギーは、もう見上げるほどに大きくなった全長に反し、中身は相変わらず子供のままで、ヨシュアが鼻づらや喉を撫でてくれるのに喜んでごろごろと喉を鳴らしていた。
僕とキール様は、その結界付近に立って、簡潔に報告を進めていく。僕がこれまでの一連の内容をある程度詳細に話し、キール様が質問を挟みながらそれにメモを取っていくというやり方だ。
改めてみると、キール様って、万能なんだな。魔法はできるし、頭もいいし、事務処理能力も高い。まさに宰相クラスが欲しがる才能の宝庫だ。こういう人材こそ、グレン様の傍にいるべきだよな、ほんと。
こんなキール様と僕が、グレン様のお傍を巡って競い合ったのはほんの少し前のことだ。
大会の結果は、判定上僕の負け。でもキール様はあれ以来、僕を前よりは対等に見てくれている感じだった(言葉遣いは相変わらずで、僕がへまをするたびに貴様呼ばわりになるけどね!)
僕は、キール様に対等に扱ってもらえるほど、グレン様のお役に立てているんだろうか。
キール様がグレン様の近くに登用されたのは、僕が力不足だからなのかな。
さっきカマイタチくんを診たところ、動物使いの術は解けていなかった。術者が死ねば、物に付与した呪いでない限り、ほとんどの呪術は効力を保てない。この術も例に漏れないことが分かっている。
つまり、動物使いは生きていて、あの爆発からは逃げられたってことだ。あの炎の鷹の前で逃げられた相手だったということに愕然とする。
それほどの使い手ってことは、僕よりも魔獣に関するものも含め、魔力の使い方に長けている可能性が高い。
そもそも今回の事件だって、偶然グレン様のくれたペンを持っていたからなんとかなったけど、あの時もしあのペンがなかったら、と冷静に振り返るとぞっとしない。
獣医師としても、小姓としても今の僕は中途半端でぐだぐだな気がする。
僕が話しながらそんなことをぼんやり考えていると、キール様は事情聴取を辞め、呆れた顔で僕を見て、息を吸うように貶してきた。
「お前、なんという顔をしている。元々の阿呆が透けて見えるぞ」
「あなたもあなたで僕を挑発しないと気が済まないんですか……」
「変に落ち込むからだろう。お前の能力が足りていないのは元々のことだ」
「それは分かっておりますよ。別に僕の方が上だとは決して思っておりません」
「何を言っている。最初にお前が俺に喧嘩をふっかけてきたとき、お前は自分こそがグレン様のお傍にふさわしいと言っていただろう」
「それは……っ、そうですけど」
「何をいまさらそんなに落ち込むのか俺には分からない」
「お、落ち込んでなんかっ」
「いい加減にしろと言っているんだ」
抑えられた声音での急な恫喝に驚き、肩がびくりと震えた。
キール様の切れ長の瞳が吊り上がっていて怖い。
「何をぐじぐじとしているんだ。それでもお前は、俺と同じく……いや、俺の立場よりはるかにあの方に近い、小姓としての地位を任された者なのか?俺に喧嘩を吹っかけてきた時の覇気はどうした。あの時のお前なら、俺は、お前が小姓でもおかしくないと思ったのに」
「えっ」
「お前のグレン様に対する小姓としての覚悟はその程度のものなのか?だったらさっさと死んでその座をグレン様に返せ!」
「く、クロフティン様、僕が小姓にふさわしいとお考えなので?」
「ふさわしいとは思っていない」
「なんですかそれっ――」
「だが、おかしくないとは思った。お前がグレン様に恥じない小姓でいようとしていたのは間違いないからだ」
言いかけた僕の言葉を遮った内容に、僕の呼吸ははっとして一瞬止まった。
『お前自身ではなく、僕に恥じない小姓であることを、お前に命じる。それ以上無駄なことで悩むな、エル』
そう言ってくれたのは、ご主人様自身だったのに。僕は今の今まで忘れていた。
絶対忘れそうもない記憶なのに、どうして僕は忘れていたんだろう。
「……すみません、クロフティン様、僕、目が覚めました。僕、クロフティン様が羨ましくて、我を忘れてました」
僕が謝ると、キール様はふんと鼻を鳴らした。
「俺がずっと苦虫を噛み続けてきた気持ちの片鱗すらもお前には分からないだろうが、その気持ち、決して忘れるなよ。二度と言わないからな」
「はい、クロフティン様」
僕が頷くと、キール様はぼそりと付け加えた。
「あと……俺のファーストネームを呼ぶことを、お前には許してやる」
「……はい?」
「二度と言わん!」
「えっと、キール様とお呼びしてよろしいのですか?」
「聞こえているなら聞き返すな!大体お前、前に俺のことをファーストネームで呼んだことがあっただろうが!」
そんな命知らずなことをしたことがあったっけ?
もしかしてアリクイさんに襲われたとき?それはそこまで気が回る状態じゃなかったってだけだ。
「我が耳を疑いまして。これまたいったいなぜ?」
「グレン様がファーストネームで呼ばれていて俺だけ呼ばせないのもどうかと考えたからだ」
プライドの高いキール様が自らこんなことを言い出すなんて。
僕がぽかんとしていると、キール様は冷たい目をした。
「お前がまたふざけたことを言えば今度こそ俺が完膚なきまでにお前の精神を壊してやる」
仰ることまでグレン様そっくりになってきてますよ!
いくら変態仲間とはいえ、あのグレン様の嗜虐趣味までは移らないことを祈る。
「兄上様!兄上様!」
と、遠くから堰切ったようにヨシュアが走ってきた。
ヨシュアの顔色は真っ青だ。何かあったのは間違いない。
「キール様、阻害魔法を切っていただけますか?……どうしたの、ヨシュア?」
「リッツさんが!リッツさんが近くの瓦礫の中に!」
言葉を聞いた途端、すぐさまその場を飛び出して、ヨシュアがいるところまで走っていくと、瓦礫を咥えたピギーの側に、倒れたリッツの姿が見えた。黒髪は埃で汚れ、目はつむられ、両手足は投げ出されている。
「リッツ!」
「ピギーがあたりの匂いを嗅ぎ始めたかと思ったら、瓦礫を取り除き始めて……それでリッツさんが見つかったんです」
駆け寄るって口許に手を当てると、かすかな呼吸を感じる。意識は失っているみたいだが、幸い瓦礫の空洞の中に倒れていたのか、目に見える大怪我はないし、魔力も大きな乱れは感じない。
リッツの無事を確認し、ほっと安堵の息が漏れた。
「それにしてもどうしてリッツがここに……」
「分かりません。でも僕が攫われたことを考えると、もしかすると、リッツさんも目を付けられていて、僕たちと別れた後にあいつらに襲われたのかもしれません」
ほら、とヨシュアが見せたところに視線をやると、倒れたリッツの両手両足が魔封じの縄で括られているのが分かった。
「僕の方が抵抗できなさそうだからあの場では僕が人質になったのか……僕が殺された後の第二の人質としてなのか分かりませんが……」
「なんにせよ、あいつらと一緒に炎の鷲に焦げにされることなく瓦礫に押しつぶされることもなく助かったなんて……よかった……本当によかった……」
リッツの日ごろの行いは決してよくなかったはずなのに、これだけの幸運に恵まれて、本当によかった。
意識のないままに倒れているリッツの服をぎゅっと握っているのに、じんわりと目頭が熱くなるのを止められなかった。
「リッツを医者につれていかなきゃ……」
「それは俺がやろう」
キール様は、リッツの方の様子を確認しながら僕にそう言った。
「お前にはやるべきことがある」
「やるべきこと?」
「グレン様からお前にこれを渡すように言われている」
そう言って、キール様は、僕に、手紙と重みのある袋を渡してきた。
「グレン様はなにやらお考えがあるらしい。お前には今すぐこれを読んで指示通り動くようにとのことだ」
「……かしこまりました」
でも、と言いたい気持ちは堪えた。
僕はリッツが大事だ。大事な友達が意識を失っているのだから、僕が医者に連れて行きたい。
だが、僕はグレン様の小姓。リッツは幸いにして命に別状はなさそうで、変な呪いを掛けられたような様子もないから、小姓として、グレン様の用事を優先しなければいけないことは分かる。
「移動手段には俺の乗ってきたお前の翼竜を。それから、これも渡すように言われている」
手に渡されたのは、目に見える小姓の証として渡された、アルコット家の紋章入りの赤い首輪だった。
ここ最近、グレン様が改良したいと言って持ち去っていた首輪を久しぶりに着けると、すぅすぅしていた首にいつもの感触が戻り、なんだか安心してしまった。
あぁほんと、僕も大分ご主人様に毒されている。
「キール様、ヨシュアとリッツをよろしくお願いいたします」
「分かっている」
僕がピギーの傍に行くと、ピギーは嬉しそうに僕の顔をべろんべろん舐め、「早く乗って、乗って!」と言わんばかりにお腹を地に付け、鞍を見せつけて来る。
「ピギー分かっているよ、落ち着いて」
僕が鞍に跨ると、ピギーはより一層、ふん、ふん、と鼻息を荒くし、その場でばたばたと羽を上下させているので、言葉が分からなくても、「ピギー、できるようになったの、見せる!」という気合を感じる。
そして、ピギーの足がぐっと地面を蹴り上げる感触がしたと同時に、僕の体は宙に浮かび上がった。




