16 小姓は二の舞を演じないのです
長めですが、続けておきたかったので一気に投稿します。
次の日。僕は、アイネさんの妹からお借りした服を携え、二人でのお出かけという決戦に向けて心を整えていた。
心構えと言っても、別に「男のこと二人でお出かけっ!」「きゃっ!うふふ」みたいな感情は一欠片もなく、単に何を考えているのか読めないリッツの行動原理と、今後の対策を練るために心身統一していただけだ。試合直前のヨンサムの心境と似ていると思う。あいつに言ったら「くだらないことと一緒にすんじゃねぇ!」などと怒るだろうけど。
しかし、よくよくきちんと考えると、この服、どこで着ればいいんだろう?自室から着ていくこともできないし、王城内で着替えるには町娘の服は目立ちすぎる。下手に隠ぺいの魔法なんかで抜けようとしたら王城の門にかかった探知魔法に引っかかって非常に困った事態になりそうだしなー。そこのところ、リッツは考えているんだろうか?
「うーん……どうしたものか」
唸りながら廊下を歩いていると、「兄上様っ!」というほんの少し高めの声が聞こえた。聞き覚えのあるその声の方向に顔を向けると、僕めがけて早足で近寄ってくる、黄金色の円らな瞳が特徴的な、見慣れた姿があった。
「兄上様、お久しぶりです」
「ヨシュア!しばらく見ないうちにまた大きくなったね!」
「成長期ですもん」
ヨシュアはこの2年でぎゅんと成長し、今では身長が僕よりも少し低いくらい、体型も華奢だけど見るからに不健康な影は見当たらなくなった。
男の子は成長期が分かりやすくていいなぁ。僕のお胸はいつ成長期を迎えるんだろうか。氷河期かな。
「それにしても、ヨシュアはどうしてこんなところに?」
「王立図書館で父上様に頼まれた調べものをしていたのですが、それも昨日終わったので、兄上様にご挨拶していこうかと、ちょうどご連絡しようとしていたところでした」
僕が普段勤務している研究棟は関係者以外立ち入り禁止で、貴族であろうとなかろうと、部外者の立ち入りは認められていない。一方、王城自体は、貴族であれば、応接棟までは立ち入ることができる。もちろん、国王陛下が日ごろ執務をしていらっしゃる本城は一番警戒が厳重なので、よほどの理由がない限りは立ち入れない。
しかし、僕は、本城で勤務しているグレン様の小姓である関係で、本城に立ち入ることができ、今もご不在のグレン様の代わりにグレン様の室内に異常がないか、お届け物はないか等を確認してきた帰りだ。
そして、今日の待ち合わせ場所になっている資料室は、本城を出て、一般貴族の立ち入ることのできる応接棟を抜けた後、さらに王城との渡り通路を通った、研究棟のちょうど一番手前の位置にあり、今の僕は応接棟を抜けようとしていたところだった。どうやらヨシュアと会えたのは偶然の産物のようだ。
「へぇ、父様がこっちで調べもの!珍しいね」
「実は一昨日までこちらに姉上さ……マーガレット様の関係でいらしていたんですよ」
「えっ、僕のところには来てるって連絡さえなかったよ。薄情だなぁ~」
僕が唇を尖らせると、ヨシュアは苦笑する。
「父上様も、ほら、アデラ様のことがおありですから。王城に来ると肩身が狭い、などと仰って早めに領にお戻りになったんです」
母様を伯爵家から手順をとばして嫁にしたことについてはもう過去のことだと思っていたけど、貴族ってそういう噂話とか評価とか大好きだもんなぁ。父様がそういうのを一応あれでも気にしていたということが一番の驚きだ。
「それで、代わりに僕にやり残したことを頼まれていかれたんですよ」
「やり残したこと――父様から僕へのお小遣いとか預かってない?」
「残念ながら」
ヨシュアはふるりと横に首を振ってから、僕の手元の荷物を見た。
「兄上様、これはお仕事の道具ですか?」
「いや、これは、えーっと……その、罰ゲーム、みたいなものでさ」
「罰ゲーム、ですか?どんなゲームなんです?なんでそんなことに?」
義理の弟に事の次第を赤裸々に話すわけにもいかず、適当にごまかしたのだけど、これでこの子は実年齢よりも下に見られる外見に見合わず、精神は大人びた子だ。ヨシュアの巧みな尋問により、僕は3分で事のあらましをほとんど自白することになった。
首元をグレン様に齧られたことは辛うじて伏せたのだけど、話し終わった時点でちら、と僕の首元を見たところからすると、伏せたところもまるっとばれているかもしれない。もう、お姉ちゃん全身冷や汗かくわ!
僕の全ての失態を聞いたヨシュアは、少し考えこんでから、「僕に考えがあります」と呟き、僕についてきたため、結局資料室までヨシュアと一緒に行くことになった。
資料室の入り口のところに到着したのは約束時刻よりも早かったが、リッツは既に待っていた。
リッツは、ありとあらゆる手段で集めた資金があるはずなのに、いつもどちらかというと私服は地味だ。物の費用対効果を重視するタイプだからか、派手なものは一切身につけない。
今日は平民に扮すると言っていたためか、いつもよりもさらに地味目で、素材も安めのものを使った服装だ。黒縁の眼鏡をかけていないのが唯一よそ行きっぽいところだろうか。
リッツは僕を見かけて手を挙げかけ、同時に一緒にいるヨシュアに気付いて怪訝そうに首をひねった。
ヨシュアの方は無邪気な子供、といった体で(おい、さっきの考え込む大人びた顔はどこに消えた)リッツに近寄ると、
「こんにちは、ノバルティ様!あのお願いがあるんですが、僕、兄上様とノバルティ様についてお祭りに行ってもいいですか?」
「えっ!」
「いや、実はですね……」
と、なにやらリッツの耳元で囁き始める。
しばらくしてリッツは、あーという感じで少し悩んだ様子を見せたが、両手を上げ、降参、と言ったポーズを取った。
それを見たヨシュアは満足そうな笑顔でこちらに駆け戻ってきた。
「兄上様、僕もご一緒することになりましたんで、今日は楽しみましょう」
「え、なになに、ヨシュア。リッツの弱みとか握ってるの?それ是非僕にも教えてほしいんだけど」
「いいえ、何も握っておりませんよ」
「えー。でもリッツがそんなにあっさり引き下がるなんて普通ないよ」
「まぁまぁ、そんなことより!楽しみましょうよ!せっかくの大事な方のご結婚祝賀祭なんですもん」
ヨシュアは無邪気な子供モードのまま、飛び跳ねるようにしてこちらに戻ってくると、にこにこ笑顔のまま、僕に少し屈むように言った。僕が素直に身をかがめると、ヨシュアは、耳元に口を寄せ、窘めるような口調で、「浮気はいけませんよ、姉上様」と囁いてきた。
浮気も何も、ひとところに固定された覚えはないんですが、僕。
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「うわぁ~!」
城下町に出た瞬間、人、人、人の大洪水だった。城下町はいつも活気に満ちているが、一段と人が多く、賑々しい。
周囲のお店や、祭時のやってくる行商の商売人が露店を出して、色とりどりのフルーツやジュース、焼き串に焼き魚、人の目をくすぐるきらびやかなアクセサリーや衣装、など様々なものを売っている。人々は昼間からお酒を飲んだり、露店の食事を食べ歩いたりと明るく騒いでおり、どこかしこから賑やかな声が上がる。
ここのところ城内か、もしくは研究棟に籠っていたせいで世間から離れてしまっていたが、活気にあふれた空気に触れた途端、決戦を迎える前の緊張とは違った高揚感で平坦な胸が次第にどきどきしてきた。
「すごい。ここまで大規模なお祭り、初めて見た!」
「僕もです!」
「あーそうだなー。ここまで大規模なのは王太子殿下のご結婚の時以来だもんなー」
ぷんと香る焼けたお肉の臭いにお祭りへの期待が高まるだけじゃない。
町の至る所に、国旗と殿下と姉様のお名前が縫われたテープが掲げられ、色とりどりの花が飾られている。姉様の絵姿が飾られているお店もある。
「このお祭りは、姉様のご結婚を国民が祝うためのものなんだよね……」
あの、アッシュリートンの領地奥にある、森に囲まれた領主の館で一人ひっそりと本を読み、父様を支え、僕と兄様を育て、領民を見守り、微笑んでいた、優しい姉様。
森の木陰で木漏れ日に照らされる姉様は儚く、どこかに消えていってしまいそうな物語の天の御使いのようだった。
ご自分の障害ゆえに結婚はできないと言って貴族の社交場に出ず、あのまま一生を終えるつもりでいたあの姉様がこれだけたくさんの人に祝福されている。
大事な姉様が、一生大事にしたい相手を見つけられただけでも幸せだった。
でも、こうして聞こえてくる町の人々の、姉様の美貌や殿下をたたえる話を聞くと、僕の目頭は自然と熱くなった。きっと、父様もこんな気持ちなのかもしれない。
「姉上様……」
「感慨深いなんて言葉じゃ、言い表せないよ」
「はい」
ヨシュアも僕の言葉に声を詰まらせ、リッツは、僕の頭を軽く撫でた後、「ほら、祝うんだろー?たらふく食うぞー」といつものように明るく言ってくれた。
それから僕たちは、人ごみに負けないよう、三人で固まって移動した。ヨシュアは歳相応にわくわくしているらしく、色んなところに視線をやっては戻し、やっては戻し、を繰り返している。
一方、リッツの顔には「あぁ商売したい」と書いてある。
「ちっ、あの露店ぼったくりだぜ?」
「……リッツ、そういう夢のないこと言わないでくれる?」
「祭りだとみんな金銭感覚おかしくなるからなーぼったくり放題だもんなー原価率がめちゃくちゃいい。あーあの焼きもんなんて、原価率10%くらいだぜ?楽園だな、金がざっくざっくだな!」
「やーめーろー。……ん?」
僕の鼻の近くを掠めたのは、お肉が香ばしく焼けるいい匂いだ。
臭いの先を目で追うと、脂身と筋肉質なお肉のミルフィーユに甘辛いタレがつけられ、ぶっとい串に刺された状態で炭火で焼かれている。
「美味しそう……」
焼ける肉とタレの香りに僕の口に涎がじわじわと集まってくる。
だが落ち着け、僕。
僕の今日の所持金はなんと3半銀。対してこの肉串は50半銅。なかなかのお値段だ。
今日、僕は食べたいものがいっぱいある。ここでこのお肉を買えば、食べたいものが半分くらい食べられなくなるのは火を見るよりも明らかだったので、僕は怨みを籠めて、もちろん店主には聞こえないところで呟いた。
「足元を見ているなこの野郎。お祭りだからって調子乗るなよ!」
「お前も大概言ってんじゃねーか」
このお値段は、もちろんお祭り値段ではあるのだが、粉の焼き物に比べれば、まだ原価率はいい方だろう。
大体、このくらいの規模のお祭りであれば、3半銀というのは10歳程度のお子様のお小遣い程度の値段だ。僕が生活費を除いて最大限用意できたお金がコレだった。もっと早くに言ってくれてたら積み立てていたのに……!早く言われて素直にリッツについて行ったかは別問題だけどな!
「エル、これ、食いたいか?」
「えっ!?リッツ、奢ってくれるの?」
リッツはそこでにやりと悪い笑みを浮かべた。
子供の皆さん、こういう顔をした大人にはついて行ってはいけません。
「お前が今日のこれをデートだと自覚して昨日の発言を撤回した上でこの後俺と指を絡めながら歩くなら、今日のこれからの飯、全部奢ってやるよ?恋人に奢るってふつーだもんな?」
うっ。こいつ、ヨシュアが一緒にいるから大人しくなったな、とか思ってたらやっぱり諦めたわけじゃなかったんだな。
あ。今の僕は女装です。門外近くの洋装店で着替えました。
幸いにして、リッツの言った通り、仮装して踊り狂っている人も多く、僕が仮装すること自体は店の人はもちろん、誰にも咎められなかった。
恥ずかしさ満点で、悔し紛れに「どうだ!似合うだろう!」と出て行った僕を見たリッツの感想が「うわぁ。胸元が平坦な、見るからに子供服と分かるその服、絶妙に似合うなぁ……ガキのカップルに付き合わされたお守りのお兄ちゃんみたいになってんじゃん、俺……」だったもんだから、僕はリッツの頭を思いっきり殴っておいた。
なお、それを聞いたヨシュアも「やめてください、僕は応援・後押し派なので。大体、僕の好みはこう、女性らしさに溢れた弾力のある方です」と自分の胸に両手をあてて真面目な顔で力説していたので、足を踏んづけておいた。
狼狽えるな、僕。反撃の余地はある!
「え?なに?外観10歳前後の少女の僕と手を繋いで幼女趣味に見られたいの?変質者希望?」
「こんだけ人が多ければ誰も見てない誰も通報しない」
「うわぁ」
そんな、一刀両断された、だと!?
じゅう。あ、肉汁が……
いやいや、落ち着け僕。ここでこの甘言に惑わされてはこの前の二の舞だ。
あ、お買い上げしてむしゃぶりついているおじさんが。あ、脂がしたたって……
おい待て本能。働け。危機意識よ警報を鳴らせ。こないだ僕はご主人様にどんな目に遭ったか……!
えっ、今なら煮卵も付いてくる!?そんなっ!あと5ミニ以内のご購入者様限定、だと……!?
えぇ―――い!背に腹は代えられない!
「姉上様?はい、どうぞ」
「へ?」
ヨシュアが香ばしい一本の串を僕の前に差し出してくる。今僕が親の仇のようにねめつけていた露店店主が焼いた、あの光り輝く肉串だ。
「召し上がりたかったんですよね?どうぞ?」
「え?いいの?」
目を目の前に差し出された串に固定し、呆然とする僕を前に、ヨシュアがにこにことほほ笑む。
「えぇ、姉上様にはいつもお世話になってますからね。こんなときくらい僕が奢りますよ。せっかくの身内のお祝いですし」
「よしゅあ―――――!僕はいい弟を持ったよ――――!」
「ちっ、また妨害が」
僕がヨシュアに抱きつこうとしたのと、ヨシュアが、はいはいと僕を諫め、「僕へ今やりたいことは是非将来の義兄上様にツケといてくださいね」と言うのと、リッツが舌打ちするのが全部同時だった。
「ヨシュアは以前から何か誤解しているようだけど、『将来の義兄上様』って殿下ってことにしておくからね?」という反論は、肉串に免じて飲み込んでおいた。
それからしばらく、僕は自分の所持金とヨシュアの厚意で色んな食べ物を食べ漁り、ヨシュアは物価を見ているのか、メモを取りながら、たまに買い物をし、買い食いをし、リッツはさきほどの失敗からずっと、興ざめ、という顔でふて腐れながら歩いたのだが、たくさんある露店の一つ、人ごみで見えにくかったが、おそらく宝石関連を扱った露店を目にしたところで、「あ、知り合いがいる!俺、挨拶してくるわ。先に噴水広場まで行っておいて」と離脱した。
「どうします、姉上様?次は何を召し上がります?」
ヨシュアと二人になったところで、再度食べ歩きの方針を立てることにしたが、なにせ人ごみがすごい。
はぐれないように道の端っこに移動してから少し休憩を入れた。
「ヨシュアが食べたいものにしよう!」
「じゃあ、ちょっと喉が渇いたんで、さっぱりとした飲み物でも買いましょう。あそこのジュースでも買ってきますね」
「次は僕が行くよ」
「いいですよ、姉上様、そろそろ所持金尽きるでしょう?」
「え?――あっ……」
「僕、計算してたんで分かります。買ってきますね」
ヨシュアが人ごみで離れた反対側、路地の端っこにあるお店に行く後姿を眺めながら、ヨシュアは将来優秀な文官になりそうだなぁーなんて思っていたその時だった。
ヨシュアが道化師の恰好をした人物に話しかけられ、手を引っ張られていく。
路地の裏側の方に行きかけたとき、人ごみでちらちらとしか見えないヨシュアの体が一瞬前かがみになった途端、ぐらりと前に倒れた。
あれはよく見る。人が腹を殴られた時の―――
「え?」
ヨシュアを殴ったと思しき道化師は前かがみになって力の抜けたヨシュアを支えるようにすると、ヨシュアを脇にかかえて人ごみをすり抜け、僕がいる方とは逆の方向、住宅街の方向に走っていく。
「ヨシュア!」
僕は持っていたアイスとマジパンのお菓子をその場に捨て、全力で人をかき分け、ヨシュアと道化師の後を追った。
ヨシュア「僕はグレン様とエル姉上様も幸せになってほしいなって思ってますよ」(にっこり)
次話から視点が変わります。




