15 小姓は青年の夢を木っ端みじんにするのです
金なし時間なし人脈なしの僕の最後の縁はここだけだ……!と、僕が向かった先は、僕のもう一人の悪友であるところのヨンサムだ。
ちなみにヨンサムは大会の本戦を迎えており、明々後日に一回戦を控えたところだ。大会本戦はいわば、騎士――それも学園から選抜される幹部候補の騎士候補たちの登竜門本番。僕たち獣医師で言えば、第二試験の本番みたいなものだ。本来ならそんな山場を迎えているあいつに手間を取らせるわけにはいかないのだが、チコと僕の未来がかかっている今、背に腹は代えられない。
とはいえさすがに神経がとがっているはずなので、僕はまずは外堀から埋めることにした。
「ご無沙汰しております~!お疲れ様です」
僕が向かった先は、イアン様の小隊がいらっしゃる訓練場だった。
ヨンサムは騎士に正式採用されているわけではないから、未だイアン様のいらっしゃる小隊配属はされていないが(本人はここに登用されることを希望して今頑張ってるわけだ)、イアン様が学園で見ている選抜隊は、大会直前、ここで現職の騎士様にしごかれていると噂レベルで聞いたことがあったので、噂に賭けてみた。
「おぉーエル坊。久しぶりだな!」
「元気にしてたか?」
「色々乗り越えつつ生きてます!」
「お前相変わらず肉がついてないなー食べてるのか?」
「ご主人様に酷使され過ぎて食べ物が筋肉に変わる前に栄養として使われちゃうんですよ」
飛び込みで挨拶にいった僕を、2年前にお世話になった見慣れた騎士さんたちが迎えてくれる。
イアン様が率いる騎士隊の正式名称は、王国騎士団第27小隊とされており、騎士隊の中では一番末席だ。末席であるがゆえに、2年前のマグワイア領での捜索しかり、翼竜導入しかり、色々と雑用やら実験的なこともやらされているのが実情だ。
これを前向きにとらえるならば、新しいことにチャレンジできる隊でもある。
そもそも、いくら爵位が高く、代々王家付き筆頭騎士家を務めている家の嫡男とはいえ、イアン様というまだ学園を卒業されていない方が隊長を務めているだけでも異例の大抜擢だ。それが許されているのは、イアン様がずば抜けた功績を立てているから、というのはもちろんだが、年の幅も様々なこの隊員のみなさんが、一般的に見ると破天荒、僕から見ると親しみやすい人が多いからなのかなぁと勝手に思っている。
さてさて、グレン様の優秀な小姓であるところの僕だ。こういう職場にお邪魔する以上、献上品という名の手土産も忘れてはいない。
「差し入れを持って参りましたので、皆様で召し上がってください」
と、言いながら、僕は、持ってきた生ハムエッグのサンドイッチとフルーツが入ったバスケットと、塩分と水分を失った体に優しい経口補水液を飲みやすく砂糖とお水で割った飲料の入った水筒を手渡す。
「気が利くじゃねぇか!ちったぁ成長したんだなぁ!」
「えへへ。処世術だけは磨きました。生きていけないんで」
「お前も苦労してるな……」
「あのグレン様の小姓だもんなぁ」
ご主人様の悪名は一体どこまで轟いているんだろうなぁ。二年前のあの一件が原因なのか、ご主人様のイイ意味での切れっぷりは学園に留まらなくなっているらしく、騎士様たちが遠い目をして、僕の肩をぽんぽんと軽く叩いた。優しさが身に染みるよほんと……。
「隊長ならちょうどご不在だぞ?」
「いえ、ヨンサム・セネットに会いにきたんですが、いますか?」
「あぁ、ヨンサム様なら……」
「ヨンサムなら今ちょうどしごかれてるぞ、『破壊姫』にな」
「今頃屍になってないかー」
「あっはっは。あながち冗談じゃないなぁ」
「えーっと?は、破壊姫?」
僕が首をかしげると、騎士様達は顔を見合わせて苦笑を作った。
「我らが隊員の一人のことだよ。『破壊姫』は愛称なんだ。別に悪い奴じゃない」
「どういう方なんでしょう?姫ってことは高位貴族の出身の方、とかですか?」
「いや、平民出身だ」
「平民の……」
「女性だな」
昔ながらの貴族序列の厳しいこの国では珍しいことに、騎士の出身階層は様々だ。学園選抜大会本戦を勝ち抜いてなった幹部クラスもいれば、平民から募集されてこれまた別の選抜試験を潜り抜けて抜擢された実力派の現場人までいる。学園は、基本的に貴族の子息淑女のための学校だが、平民に対しても、騎士にのみ門戸を開いている。しかし、別に学園を卒業しないと騎士になれないわけじゃない。
逆に言えば、学園を卒業しても騎士になれると確約されるわけでもないし、平民だと騎士になれないというわけでもない。わざわざ学園に入る平民は、いわゆる幹部や要職を狙っている者か、あるいは、騎士として不可欠な魔防を学びたい意識の高い者が多い。
騎士についてこれだけ門戸が開かれたのは、戦争を通して有能な騎士が減ったという社会的背景を利用し、現在の国王陛下が改革を行ったからだ。
これとは逆に、学園さえ卒業すれば、魔術師になれるのは、単に、貴族でないと魔術師として必要とされる魔力量を有しないからだ。
つまり、魔術師というのは、学園でのんべんたらりと生きてきたどこかの貴族の傍流のボンボンでもなれる。これに対し、この国の騎士はありとあらゆるところで選抜され、切磋琢磨されている分、錬成度も実力も高い。
あ、もちろん、魔術師の中でも宮廷魔術師は魔術師の中でも別格だ。
魔術師は、魔術機械学士とか、魔術工芸士とか、うんぬんとか……国の中枢で国防を担う一端以外にも幅広い魔術師内での職種があるのだが、ここでは余談になるので置いておく。
なお、余談ついでに話しておくと、僕たち専門職は別途様々な知識が必要になるため、学園を卒業していることは当然の前提として、いくつもの難関試験を潜り抜けないとなれない。この熾烈な生存競争の場で、勝ち抜いている僕は、わりとエリート扱いされていてもおかしくないのに、周りに脳みそすっからかん扱いされているのはなぜだろう。解せぬ。
「でも、平民出身で女性でここに配属されてる、ってめちゃくちゃ優秀な方ってことですよね?」
「あぁ。実力は折り紙付きだぞ。なにせ3年前の騎士登用試験で優勝だったやつだ」
「だがなー俺たちの隊に来るまで、平民出身ってことと性別のせいで、相当生きにくかったみたいでなぁ」
「色々こじらせてるんだ。多分話せば分かる」
「まーヨンサムはまーだ分かってないみたいだけどなぁ」
「あいつ、アイネに理想もってやがるからなぁ……」
「誰かはよ目を覚ましてやれ。それがあいつのためだ」
「いや、しかし、10代の少年の夢は壊せんだろ」
騎士様たちは顔を見合わせ、困ったように笑ってから、「なにはともあれ、ヨンサムは破壊姫――アイネにしごかれてるから、そっちに行ってこい」と僕を訓練所の奥に案内してくれた。
#####
我が国の王城は、国王陛下や王太子殿下、第二王子であるフレデリック殿下がお住まいになり、執務を行う「本城」の他にもいくつもの施設が内包されているため、その敷地面積は途方もなく広い。僕が普段いる研究棟は、王城区域への連絡通路を有するものの、王城とは別の建物と区分されている。
この広大な王城のうち、本城に隣接した別地区には、騎士や宮廷魔術師など国防を担う組織が集まった棟が並んでいる。
そして、その棟の更に東側に、いくつもの簡易な闘技場のような訓練場があり、騎士隊、宮廷魔術師隊いずれもが、それぞれの隊につき一つずつ、この訓練場を確保している。
しかし、先ほど言った通り、イアン様の隊は王国騎士団の中でも現状一番下の地位の隊だから、騎士棟中心地点からは外れ、ちょうど僕たちが普段いる研究棟などがある地区とは逆の方向に位置していた。
僕は日頃、研究棟と本城を行き来して日々生活しているので、この訓練場に足を踏み入れるのは初めてだ。
僕が騎士様に連れられ、そろそろと覗いた奥には、白く太い柱に囲まれ、地面とほとんど変わらない硬度の床、そして雨を遮る屋根が辛うじてあるだけで、窓はない、開放的な建物があった。
そこでは、二人の人物が激しく交差しあい、金属がぶつかり合う音が微かに聞こえ、陽光を受けた白刃が煌めいている。
その一人であるヨンサムは剣を素早く突き、そのまま跳ね上げるようにして相手の体へ突き上げる。しかし――
「遅い!」
ヨンサムの突き上げた剣は受け止められることもなく相手の体の脇をすり抜け、その後どうなったのか、いつの間にかヨンサムは背中を強か打たれて地面に倒れていた。
二人の攻防が速すぎて、僕の目では、何があったのか正確にとらえられなかったが、ヨンサムの重心が浮いたところで足払いをかけられ、追撃のように背中に打撃をくらったのだ、と僕をここまで送ってくれた騎士様に教えてもらった。
「隙がありすぎる!」
「すみません!」
あのヨンサムが、地面に倒れているなんて僕には信じられない。
二年前ならいざ知らず、少なくとも、ここのところのヨンサムは、イアン様にみっちり鍛えられた成果か、同期内では負けなしの実力者になっていた。ヨンサムはそれでも驕らずに練習を重ねていたが、それでもなお、ここではあっさり打ち倒されている。
そのヨンサムを地面に這いつくばらせているお相手は、幾分普通の長剣よりも細身の剣を片手に構え、金色の長い髪を一つ括りにした女性だ。ここでは珍しい女性の隊服を着て、倒れたヨンサムの眼前に立っている。
若干切れ長のアイスブルーの目に、やや中性的な顔立ちは、きりりと整っている。こめかみから首にかけて流れる汗が爽やかで、僕の語彙力がなくて申し訳ないが、一言で言うと、かっこいい。
僕がイメージしていた「女性騎士」のイメージにぴったりの人だなぁ、と見惚れてしまう。
ヨンサムは何度も倒されているのか、今回ついたものだけではない土埃で全身茶色っぽくなったまま、はぁはぁと息を荒げ、両肘をついてなんとか立ち上がろうとしているが、立ち上がれていない。起き上がろうと体を支える腕が震えているあたり、どう見ても疲労困憊状態だ。
「一旦休憩を入れるぞ」
「いや、もう一回!もう一回お願いします!」
「ダメだ。どうせ今のままでは大したことはできない」
「でも俺っ――」
「あのー……」
僕の特長は、空気を読まないその豪胆さだ、とグレン様に言われたことがある。だったら生かしてやろうじゃないか。
「お邪魔しちゃって申し訳ないんですが、休憩でしたら、差し入れ、いかがですか?」
僕が声をかけながら手に持ったミニバスケットを掲げて見せると、二人は僕に視線を向け、二人が二人とも目を見開いた。
「えっ、なんでお前こんなとこ――」
「貴殿は……!」
「へ?」
破壊姫と噂の女性騎士さんは、切れ長の瞳を大きく見開いたまま、かつかつと美しい姿勢で僕の方に寄ってくると、僕の前で止まった。
一応僕も女性の中では平均値よりやや背の高い方なんだけど、アイネさんはそれよりももっとずっと背が高い。ついでに下から覗くと睫がとんでもなく長い。わーお。美人さん。
「あのー……?」
若干見上げる姿勢になりながらおずおずと話しかけると、アイネさんは僕の前で腰を90度折った。
「その節はお世話になり申した!」
「……はい?」
僕と地面に這いつくばった状態で置いて行かれたヨンサムが呆気に取られる間にアイネさんは続ける。
「スナイデルを助けてくださった御方にお礼を申し上げねばと思いつつ……なかなか伺えず、申し訳なく思っておりました……!」
スナイデル?聞いたことある名前だなぁ。ん?スナイデルって言うと――
「えーっと、翼竜の女の子のスナイデル、ですか?」
「仰るとおりです。あなた様はエルドレッド・アッシュリートン殿でお間違いないでしょうか?」
「えぇ、はぁ。様ってもんを付けられるような存在じゃないんですけど……ん?ってことは、あのときスナイデルを止めていた騎士様はもしかして?」
「拙者でございます」
あぁ、あの人、女性だったんだ。そういえば顔は見ていなかったもんなぁ。あの時はスナイデルの様子を診るのに必死だったし。
「スナイデルと拙者とは一心同体のようなもの。スナイデルの一大事に右往左往するのみだったこの身に代えてスナイデルの命を救ってくださった貴い御業に感謝申し上げたいと思い、幾度も宮廷獣医師室に通い申していたのでありますが、何分、アッシュリートン殿はお忙しい身。拙者、なかなかご挨拶できず、心苦しい毎日を過ごしていたところでございました……」
おぉう。大げさ……といったらあれだけど、師匠が僕の品定めにあの子を使ったから、初診というのもおこがましい最初の目測診断は僕がしているが、師匠は最初からあの子がなぜ錯乱していたかを分かっていたし、実質的な処置も師匠がしている。
つまるところ、僕は何もしていない。
「いやいや、あのっ、僕は特段何もしていないと申しますかっ、あの子を実際に診療したのは、僕の師匠にあたるヤハル医師ですので……」
「なんと謙虚なお方か!拙者がこの目で拝見している故、そのようなご謙遜は不要でございます!拙者、なんとしてもお礼を申し上げたく……!なんでも構いません!拙者にできることがあれば何でもお申し付けいただきたいのです!あっ、とは申せども、!拙者の命は御国に捧げており、この体は騎士隊に捧げておりますゆえ、それ以外のことであれば!なにとぞそれ以外のもので……」
あ。こじらせてるってこういうこと?破壊姫ってなに、僕のこのよく回る口すら破壊するとかそういう意味が入ってる?全然誤解が解ける気がしない。
「えぇと、お名前は、アイネさん、でお間違いないでしょうか?」
僕が若干腰を引き気味にしながら尋ねたところ、アイネさんは、はっとした顔をして、片膝を引き、跪きながら名乗ってくださった。
「申し遅れました。拙者の名はアイネ。イアン・ジェフィールド様の下、この第27小隊の遊撃隊員の一員として前衛を務めている者でございます」
「ご存知のようですが、僕はエルドレッド・アッシュリートンと言います。今見習い獣医師としてここに勤めている者です」
「存じておりますとも!」
「あのースナイデルを連れてきたときはそのような口調ではなかったように思うのですが……」
「失礼つかまつった……じゃない、失礼いたしました。この隊にいるとき以外は気を付けているのですが、つい、ここだと気が緩みまして」
僕の指摘にアイネさんははっとして頬を赤く染めた。照れるところそこなんだ?
「何はともあれ、エルドレッドど……じゃなかった、エルドレッド様」
「僕、様付けされるような立場じゃないんでいいですよ!」
「いえいえっ、私は平民出身なので、訓練が終われば、貴族の方々には敬語で接しておりますので、こう呼ばせてください」
別にいいのになぁと思うが、平民は、育ってきた領地によっては、貴族を神扱いするように教育されていることもあるので、無下に断ることもできない。アッシュリートンは平民との距離が最も近い領地だろうから、僕の基準を相手に押し付けるとかえって困惑させることがある。
「わ、分かりました……」
「それでっ!」
「わぁっ!」
「拙者……じゃなくて、わっ、私にお役に立てることは何かありませんでしょうか?毎日警護につかせていただくでも、軒下の蜂退治をするでも、身体のマッサージをさせていただくでも……」
あの、アイネさん、先ほどのきりっとした騎士様らしい様子はどこに行かれたんです?
今じゃ、お預けを食らった大型犬のようにも見えるんですが。お願いですので下からそんなキラキラした瞳で見つめないでください。ほら、ヨンサムが向こうで目玉が飛び出るほど目を見開いたまま固まってますから。
大体、僕は何もしていないのにその代価を受け取るなんてことはできない。リッツあたりなら「こううーん!」なんて言いながら喜々としてその機会を利用するだろうし、グレン様も「そこまでしたいって言うならさせてあげてもいいよ。永遠に下僕として使ってあげる」とか言いそうだけど、僕はもっと真っ当な人間だ。
「えぇっと……それじゃあ――」
ヨンサムを一時的に貸していただいてもいいですか?と言おうとして、僕はぴん、と閃いた。
待てよ。これは……いつも災難と災害に巻き込まれまくり、どんなに祈っても悪魔に妨害されて僕を救えなかった運命の女神様が僕に辛うじて差し伸べてくださった御手なのでは……!?
「あの、アイネさん、平民のご出身だと伺っているのですが、お間違いはありませんか?」
「はい!」
「物は相談なのですが……」
こうして、僕は思いがけなく、町娘の服を手に入れた。
アイネさんの平坦に見えたお胸は、専用の器具でぎゅうぎゅうに潰した成果なのであって、予想以上にグラマーどころかむっちりお山だったせいで、僕とは胸囲も裾丈も合わず、結局、アイネさんの妹さん(御年11歳)のお洋服をお借りすることになったことは悲しい実話だ。
その夜、アイネさんの僕への対応を見たヨンサムから、「俺の理想を返せ」と恨みがましい手紙が来た。
ヨンサム、知ってる、現実は時として悲しいものなんだよ。僕も今日思い知った。




