13 小姓は踏ん切りがついたのです
気持ちを切り替える時間を取ってから、僕は早速グレン様の部屋に足早に向かった。
ここは王城近くに隣接している国立研究室区域棟で、王城と通じる通路が設けられており、広い意味では王城の敷地の中にあるものの、王城そのものではない。
グレン様のお住まいは、王城の殿下のお部屋の近くの一室で、仕事場は宰相室の近くだから、いずれにせよ王城の中だ。そこそこ距離があるので、僕の足は、自然と小走りになる。
師匠の爆弾発言はともかくとして、渡された手紙は本物の爆弾みたいなもんだからね。早く手放すに限る。
あ、爆弾っていうのは、火薬とか着火剤とかが練り込まれて作られた武器の一つで、不純魔法で作動させることができ、爆発を引き起こす危険な魔道具の一種のことだ。かつての戦争時、防御魔法を展開できない一般の兵士を吹き飛ばす先制武具として使われていた。魔術師や騎士はもちろん、学園を卒業した者からすれば防御魔法で防げる程度の戦術だが、使用しようと思えば一般人も使うことができる分、(そういう意味では)便利で危険なため、国の統制が厳しい代物の一つだ。
……その危険指定物をなぜか入手しているリッツの収集癖が恐ろしい。「いくら金になるからってそれ売ったら犯罪になるからな」って忠告したんだけど、金のことしか考えていない目だったから聞こえていなかったと思う。今度何とかして取り上げなければ。
「……なーんて。最近あいつとはまともに話せていないけどな……」
いつものどうでもよさそうな気だるげな表情と一緒に、僕を追い詰めたあのときのリッツの顔が頭に浮かび、僕は独り言ちた。
リッツと話せていない原因は偏に僕にある。僕があいつを避けまくっているせいだ。仕事で必要な範囲でしか口をきいていない。
理由は言わずもがな、件の謎の告白のせいだ。
気まずい。ひたすら気まずい。
自分と「男同士」として友情を築いてきたはずのやつから謎の告白を受ける――ということは、告白だけなら、まぁ、ないわけじゃない。命懸けになるから体はかけないが、なにせ女っ気のない学園内でのことだ。女子寮に忍び込んで狼藉を働けば国の犯罪となるし、学園に商売女を入れることはできないから、お盛んな年代の男どもの鬱憤はたまる。
その解消措置として、学生街に外出することは自由だし、なにかと理由をつけて自領に戻ることもできる。最低限の出席と成果さえ修めていれば許されるというわけ。
でも、それがリッツと僕の間に起こるなんて、考えもしていなかった、というのが本音だ。
そして、日にちが経ってみても、そういう目でリッツのことを見ようと努力しても、どうやったって、リッツのことを、異性、というか、恋愛対象というか、将来の伴侶、のようなものとして見ることはできなかった。
リッツがどこまで本気か知らないが、リッツと僕との間のそういう感覚のズレによる違和感と、リッツが仮に本気だとしたらそれに応えられない罪悪感のようなもので、あいつへの対応がぎくしゃくしてしまう。
そのぎくしゃくのせいで、リッツとこれまでみたいに話せない。
そもそも、恋愛感情っていうもんが僕にはまだよく分からない。
姉様と殿下は参考にならないので、姉様を除くと、僕の身近で恋愛について聞けるのは、ナタリアだけだ。
そんなナタリアに以前、兄様にどういう感情を持つのか詳しく聞いてみたことがある。
ナタリアは兄様と今でもしょっちゅう喧嘩しているし、二人がべたべたしている様子は少なくとも妹である僕の前ではなかったし、基本的に年がら年中不在にしている兄様がナタリアを十分に幸せにできているかと問われれば疑問しかない。
妹の身で、兄を愛していると思うのはいつか訊いたときには、本当に、口が甘くしょっぱく辛く酸っぱい複雑な味のお菓子を食べたときのような形になったが、ナタリアは僕をからかいつつも、答えてくれた。
しかし、僕はその回答に得心がいっていない。
ふとしたときにドキドキする?
遠くても離れててもいいからずっと心は一緒にいたい?
なんだかんだ愛想を尽かせない?
怒っていても目を離せない?
最終的には許せる?
一番信頼している相手?
自分だけが相手の唯一でいたい、独占したい?
――僕から言わせれば、それって恋愛感情なのか疑問だ。
だって、僕に当てはめたときに、その全てに当てはまる相手なんか、一人しかいない。
「……ん?」
逆説的に考えてみた。
恋愛感情があると、ナタリアの言った症状が出る。ナタリアの言った症状が出るってことは、恋愛感情がある?
あれ?僕、グレン様のこと、恋愛的に好き、だったりする?
「え?」
走っていた足が毛足の長いふかふかの王城の絨毯に引っかかってこけそうになり、そろそろと足を踏み出す対応に変える。考え込みながら走っていたせいで気づいていなかったが、自然と身分証を提示するなどの各作業を終えて王城内を小走りしていたらしい。あぶね。他人にすれ違わなくてよかった。
えーと、何考えてたっけ。
そうだ。僕がグレン様のこと――
ふとした思考に、全身からぶわっと血の気が上がり、冷や汗が浮かんだ。
落ち着こう。
そりゃ、人間的には好き……うそ、いや、ニンゲン的には好きではないな。うん。あの人間性――いや、人間性じゃなくて鬼畜性だけど――を好きになるとか、人としての尊厳をドブの中に捨てたときだけだ。
グレン様個人だけ。個人だけ見れば、親愛の情はある。うん、これは否定しない。
僕があの方を大事な人だと思っていることについては、もう否定のしようもない。自分の意思で自分の人生まで捧げた相手なんだ。仕事でたまたま付き合いをもっただけの軽い関係のままなわけがない。
じゃあ、グレン様を一人の男として好きなのか?
そんなバカな。僕、男として生きてきたし。人生の中で自分を女だと自覚するときの方が少ないし。
……ん、でも、前、姉様にお会いできるってなって、馬車に乗ってるとき、ちょっとどきどきした時があったっけ。あの魔性の色気にあてられた時、ちょっぴり異性として意識したことがあったような、なかったような。
あの意地っ張り鬼畜野郎が、子供のようにいじけてつっぱった末にほんの少し僕に弱さを見せたときとか、ほっとしたり、妙に嬉しかったりしたような、しなかったような。
寝顔とか最高に愛らしいなぁと思ったりしたこともあったけど、あれは日頃との差であの天使の顔がいけないのであって……
思い返せば返すほどグレン様の色んな表情が浮かんでかぁっと頭が熱くなった。
「いやいやいやいやいや待て待て待て待て」
今日僕、なにか変な飲み物飲んだっけ?
グレン様に変な食べ物を渡されたとかなかったか?大丈夫か?惚れ薬とか盛られてないか?
「思いだせー思い出せー思い出せー僕は一体何を食べたんだー」
「老化現象か?」
「うひゃああ!」
こめかみ辺りを両手でぐりぐりしながら自分の脳みそを刺激し、記憶を活性化させていたときに声をかけられたもんだから思いあまって力が入ってしまった。涙が出そうだ。
「イ、イアン様……いらっしゃるなら、声をかけてもらえませんか?」
僕が振り返り、涙目で恨みがましく見上げた先には、理知的な黒い瞳に黒髪が涼やかな美貌の騎士様が立っていらっしゃった。背が高く均整の取れた体つきをしていらっしゃるので、長剣が非常に映える。呆れ顔がなければこれはこれで一つの芸術品のようなお姿だ。
展示の際には残念な中身はくり抜いとくとしよう。
「今かけただろうが」
「そうですけど、もう少し分かりやすく。ご自身のお名前を所かまわず叫びながら回り込んで正面から来ていただくとか」
「お前もグレンもいつも無茶な注文ばかりするな」
変なことを考えていたせいで、かっと頭どころか全身が急速に沸騰する。
「そ、そのお名前っ、今やめてもらっていいですかっ」
「なんだエル、お前またグレンにいじめられたのか?頬が赤いぞ」
「ぼ、僕、日頃から血色がいい方なんで!」
「いつもより赤いが」
「ねっ、熱中症です」
「そうか、そうだよな。てっきりグレンに火あぶりにされたかと思ったが、グレンは昨夜から不在だからそれはないか」
それも日常茶飯事です!と脊椎反射で言い返そうとして、そういえば今朝はグレン様のところにお目覚め係に行っていないことに気が付いた。今朝は師匠の方についていた。
とはいえ、そこは小姓の僕だ。グレン様の予定はちゃんと把握して――不在?
「あれ?ご不在、ですか?」
「昨夜遅くに急にな。それで、お前に言伝しておいてくれと言われたことがある」
グレン様がいない!?なんで肝心な時に限っていないんだあの人は!
いや、今の心情的には会いたくなくてものすごく好都合なんだけど、この胸ポケットに入った爆弾をどうしてくれるんだ!?
「俺は伝書鳩ではないと言ったのにな、あいつ、俺を一体何だと思ってるんだ……大体あいつなら俺を介さなくても色々方法はあるだろうに」とぶつぶつ言うイアン様の文句を故意に聞き逃し、「言伝とは一体なんでしょうか?」と尋ねると、形のいい眉の間に3つくらい溝ができるくらいの皺が寄った。
「お前も大概神経太いな」
「そこはご主人様に鍛えられておりますので」
「素質は十分あっただろう」
「仰る通りで」
イアン様との初対面を思い出し、あっさりと認めた僕に飽きれたのかなんなのか、イアン様は眉間の皺をもみほぐした後に僕にグレン様からの伝言を教えてくれた。
「『明後日帰る、それまでむやみに出歩かないように。ふらふらと他の花へ飛び回る蝶なら羽をもぐよ』だとさ。あいつらしい」
いつもながら恐ろしい。なんで普通に「出迎えをしてほしい」とか言えないんだあの人は。
それにしてもどうしたものか、師匠から預かったこのお手紙。密書になっている以上、重要なものであるのは間違いないし、側近の人にお渡しして置いて……って、側近って僕か。
僕が保管?不安しかないわ。
「明後日って、ねえ……マーガレット様と殿下のご結婚式が明後日なのに、明後日当日にお帰りになるんですか?」
「あぁ、大会本戦の準備対応からも外れていたし、一体何をしているんだか」
グレン様の行動が読めないのもこれまたいつものことではあるが、イアン様も把握されていないのは珍しい。
グレン様は一体どこで何をしているんだ?
僕がうーむ、と唸っていると、言いづらそうにしながら、イアン様が言葉を続けた。
「あとだな、お前が連れていたあの白い小さな魔獣のことだが」
「え?チコですか?」
「最近見ないが、あいつは、グレンに預けたのか?」
「えぇ」
動物使いに操られた動物たちに襲われたチコの怪我の予後は、あまり芳しくなかった。僕が治療して、念のために師匠に診てもらってから、絶対安静の状態を続けていた。最近ようやく回復して、立ち上がったり動いたりができるようになったが、まだまだ全速力で走ったりするのは難しい状態だ。僕がずっと付ききりで見てあげられたらよかったんだけど、感染症の患獣を扱う関係でそれもできなかったので、ある意味一番敵からの危害を加えられないところに預けたのだ。
チコが正体不明の敵に狙われていることは疑いのない事実で、僕が目を離したすきに何あっては泣くに泣けない。
そういう意味では、グレン様はどんな外敵からも確実にチコを守れる存在だ。
もちろん、グレン様には安くない代償を差し出したけれども。
イアン様は僕の返事になんとも悲愴な顔をされた後に、なんでそんなことをしたんだ……と呟いた。
「なんでです?」
「おい、お前、グレンが動物の世話をするとでも思っているのか?」
「いえ、しないと思います。でも、十分なご飯は僕がチコに直接渡して、食べるように伝えましたし、粗相はしない子なので……」
「あいつ自身が一番の危険だとは思わなかったのか」
「頭痛で動けなくなるくらい悩み倒した末、ぎりぎりの較量の結果、一番(外からは)安全だと判断しました」
「『なにかあったらネズミ質が丸焼きになるから覚悟するようにね』と言ってたが?」
あの野郎、ほんと外道だな!
「伝言はしたぞ。身を慎めよ」
イアン様は心底不安そうな表情で去っていかれた。
僕への伝言にわざわざ来てくださったのか、本当に貴族らしい高慢さのない方だなぁ。
ちなみに手がポケットにお入りになっていたままだったので、もしかしたら、チコへのお見舞いを持ってきてくれていたのかもしれない。
その慈悲をグレン様にちょっと分けてほしい。
さて。僕はどうするか。
グレン様とのうんぬんかんぬん問題について、ここで僕一人が考えこんでも胸焼けと発熱と、あと背中がむず痒いようなピリピリする感触がするだけだ。
今のもやもやしてごちゃっとした気持ちのまま本人を見たら、幻滅して気の迷いも打ち消せるかもしれないし、……万が一だけど!絶対ないと思うけれど!何か変わってしまうのかもしれない。
そうしたら、リッツとの今の状態みたいに、気まずくなるのかな。
グレン様と気まずくなるのはもっと嫌だな。
でも、思い浮かべても、グレン様と気まずくなる様子はあまり想像できない。
気まずくなるより先に苛立ちが来ることの方が圧倒的に多かったせいとレイフィー様のときのような極限の状況でも、グレン様相手なら、なんとかなるし、なんとかしたいという想いの方が先になっていたからかもしれない。
「いずれにしたって考えたって結論は出ないかー」
僕にできる事は向かい合っている目の前の問題に一つ一つ取り組むだけだ。
今分かっているのは、どれだけ時間をかけても、リッツとの関係や僕のリッツへの気持ちが変わることはないということ、ただそれだけだ。
まずは、やれることはやる。一つずつ片づけていくしかない。
「已むを得まい!行くぞ!」
気合を一声、僕は、ぱんと両頬を張って、元来た通路を駆け戻った。
逆はまた真なり、とは限らないことを分からないあほなエルさんと、
鈍みの極みの騎士




