12 小姓の秘密は軽いのです
僕の朝は、大抵他人を叩き起こすところから始まる。
「おはようございます、朝ですよ」
こんなもので起きる相手なら、僕の心は毎日が快晴日和だ。
「起きてください、昨日また飲み過ぎたんですか?」
と、体を揺すっても、相手は反応すらしない。
しかし侮るなかれ。この約2年間、朝のお目覚め係としてのスキルを磨いてきた僕だ。この程度の抵抗などものともしない。
僕はあくまで冷静に、室内用の靴を脱ぎ、片手に構えると、その人物の頭に向けて思い切り振り下ろした。
すぱん!といういい音が室内――といっても、豪奢なカーテンやふっかふかのソファではなく、薬品の類は厳重にふき取るものの、四隅の埃は残ったまま。微かに動物クサさの漂う実験室の様なこの控室兼当直用部屋の中――に響き渡る。
「ぐっ」
僕の下から、スリッパの直撃した頭を抱え、呻き声がしたところで、僕はにっこりとほほ笑んで爽やかな朝の訪れを告げた。
「はい、朝ですよ。お目覚め下さい。師匠」
僕が室内用の靴を振り下ろしたのは、もちろん、グレン様ではない。グレン様の綺麗なお顔にそんなことをしようと試みるものなら、心の中で考えた瞬間に僕は下水溝に落とされ、蓋を閉められた後、どうにか這い出てきたところを鉄板で殴られる。
「……起こし方間違ってねぇかなぁ……あー頭がいてー……昨日も遅かったんだよーもう少しさぁ――」
「普通にして起きない方が悪いんです。奥様にお手紙をしたためますよ」
頭をばりばりと掻いてしかめっつらをし、酒臭い息を吐くと、もにゃもにゃと言い訳をつけて二度寝しようとする僕の獣医師見習い期間の師匠であるヤハル医師。
そうは問屋が卸さない、と僕が必殺の一語を出した瞬間、師匠は椅子を繋げて出来た即席寝床からがばりと起き上がった。
「『毎朝歯磨きをしていらっしゃいません、朝ごはんも召し上がりません、お風呂に入るのも3日に1回です。昨夜もまた夜更かしされて、趣味の研究に没頭していらっしゃいました。夜ご飯も召し上がりませんでした。そして朝、全身がお酒臭いので、どうやら夜にお酒を召し上がったようです。はい、ご飯も召し上がらずにお酒を召し上がったようです。それから……』」
「わーかったわかった。あいつに手紙を書くのだけはやめろ」
はぁーと大きくため息をついた師匠は、ソファーから立ち上がると、大きく伸びをした。
師匠は大男だ。そんでもって、ぼさぼさの髪や無精ひげ、白衣を引っかけただけの適当な格好をしているから、貴族には見えない。しかし僕よりずっと上、子爵位の中でもかなり上位の貴族で、こんな見た目でも奥様がいらっしゃるらしい。
ただ、風変わりな旦那と同じくと申し上げていいのかどうなのか。貴族の奥様にありがちな見た目だけの、ではなく、しっかり旦那様の手綱を握っていらっしゃるタイプなので、師匠を動かす切り札になってくださるのがありがたい。
「俺が夜更かししてたのが、飲んだくれてたみてぇだけどさ、それだけじゃねぇんだぞ」
師匠は立ち上がって胸元をばりばりと掻いていたかと思うと、白衣の内ポケットからなにか丸めた紙らしきものを取り出し、僕の方に放ってきた。
反射的に受け取ったそれは、乱雑な扱いに反し、厳重に封がしてある手紙だった。この厳重具合だと、密書みたいだ。
「これは一体なんなんです?」
「お前のご主人様から頼まれてた解析結果」
「グレン様が、ですか?」
「学園で競技大会の予選のときにあった殿下襲撃未遂事件の犯人の手がかり」
「あぁ!」
あの、キール様となぜか決闘することになって、一緒に遭難して、突然変異したサーザントアリクイさんに襲われた、あのときの黒い液体のことか。
手元の密書には、あのときの無念の秘密が書かれているってことになる。あのときのアリクイさんの無念や、辛さや、苦しい気持ちを、僕は救えなかった。
密書を握る手に知らず知らずのうちに力が入っていたらしく、ぴりりと魔力抵抗の感触がした。
「時間がかかっちまって申し訳ないってお伝えしておいてくれ」
「師匠でも手こずるなんて……」
この人は見るからにわかる仕事中毒者で、寸暇を惜しんで興味を持ったことに没頭する研究者気質だ。その実力は、言わずもがな。臨床技術はもちろん、研究もかなりお得意でいくつもの論文を発表している。
宮廷獣医師室というこの国の獣医学で最先端を行く場所の、名の通った実力者であるヤハル医師は、名目だけではない。その人の手腕をこの目で確認し、僕はこの人を師匠と呼ぼうと決めた。
性格にはグレン様とは違った方向での難があるけど、まぁ、天才と奇人は紙一重の典型の範囲にとどまるので許そう。
ちなみに、グレン様は奇人の範疇に収まらない「災害」なので、どうにかしないといけないと思っている。
そんな師匠は、僕の顔を見つつ、炒って焦がした豆を煮詰めた飲料をずずとすすってから落ち着いた口調で続ける。
「壊すと入手できない貴重サンプルってんで扱いが難しかったのと、保秘の関係で文献の調べも俺一人でやってたからっていうのもあるが、まぁ実力不足ってやつさ。……エル」
「はい」
「油断するなよ。厄介だぞ、それ」
カップ越しに僕と目を合わせた師匠の口調は淡々としているが、淡々としているからこそ凄みがあった。
「詳しくは俺からは言えんが、簡単に言うと、合体獣だ」
「きめら?」
「別の生物と別の生物を無理矢理ごちゃ混ぜにしてできた生き物だっつーこと」
あまりの言葉に、僕は密書を取り落としそうになり、慌てて服の内側に密書をしまい込む。
この密書に書かれている内容がどれだけのものなのかと考えたら、内衣がぐんと重くなったような気がした。
「そんな……え?だって、魔力抵抗が……」
生き物にはどんな生き物にも微弱な固有の魔力が宿っている。それは、種としてもあるし、個としてもある。魔力の型が一致するということは滅多にない。そして、型がずれるほど、その分だけ混ぜ合わされた魔力同士が反発して起こる魔力抵抗が高まる。
もちろん、魔力の型というのは、遺伝子のように唯一無二というものではないし、性別が違ったり、親子だったり、治療だったり、接触の仕方や対応によっては反発が起こらない。とはいえ、別種の型を組み合わせれば、強い反発が起こり、細胞が自滅するのが普通だ。
「そこんところのつなぎ目になってるのがさ――ってこれ以上は軽々しくは話せねぇや。そいつを見てグレン様と話してくれ。俺がやるのは中身の解析だけで、その生き物が誕生した経緯や背景、政治的事情までは絡めねぇから。知りたくても、それは許されてねぇからな」
「師匠……」
知識欲の塊である師匠にとっては、内心忸怩たるものがあるだろう。
そして、誰よりも命に真摯に向き合おうとする師匠だからこそ、これを知って悔しくて、やるせなくて、昨日は酒を飲み過ぎたのかもしれない。
「ただ一つ言えるのは、無理矢理生き物の体をいじくって、どっちかを殺して、合体させたやつらがいるってことだ。誰が、なんのためにかは知らねぇが、それは間違いない」
カップに残ったコーヒーを飲み干した師匠は、僕に近づくと、ぽんぽんと頭を軽く叩いた。
「お前はさ、言うなればどっちも知ることができる特別な状況にあるんだからさ。そのー……どっちがどうとかさ、あんまり思いつめんなよ。その立場でしか生かせないことをやれ」
「はい。……へ?」
進路指導として深みのあることをお話くださっている――と思って、ふと、僕は違和感に気が付いた。
そりゃ、僕は悩んでいた。宮廷獣医師としての道を取るのか、小姓を取るのか。
どっちもやりたい、しかしそれは不可能だ、いや、やってみせる――そんな無謀にも近い望みをもって今は目の前のことにだけ集中しようと思ってやっている。
しかし、その悩みを師匠に相談した覚えはない。師匠はなんで知ってるんだ?
僕の内心の悩みを見透かしたかのように、師匠が目を三日月の形にして、僕の方ににゅっと顔を近づけると、底意地の悪い笑みを見せつけた。
「いやー実はさぁ、聞こえちゃったんだよなぁ」
「え……っと?」
「んー俺の愛弟子たちの告白劇とかさー、いやー初々しいねぇ」
ひゅっと僕の喉が鳴った。
「な、な、な……なんで……」
「言っただろー、初日のやり取りがたまたま聞こえちまってたからだなぁ」
「たまたまって仰いますけど、そもそもお部屋にいらっしゃいませんでしたよね?!」
「んーなんとなく面白そうだったもんで部屋の前をうろうろしてた。ほら、なぁ?気になるだろ?」
それ、盗み聞きって言うんですよ!そりゃ、こんな壁に耳も目もありそうなところで爆弾投げてきたあいつもあいつなんだけど!
「んで、その後お前がご主人様に拉致されていって、翌日からなぜか首元に赤い痣が~」
「そっ、そちらもお聞きになっていたんですか!?」
「いーや。そんな命知らずなことできねぇよ」
うーむ、グレン様なら聞かれてること前提で艶めかしい会話を繰り広げてほくそ笑む、みたいな特殊性癖があるかもしれないけど、それはとりあえず置いておこう。
まだ完全には消えていない首の恥ずかしい痣を隠した布を撫で擦りつつ、呼吸を整え――ようとして、あることに気が付き、さぁっと全身の血が引いていった。
僕の反応に満足げに笑う師匠を見上げて、子羊のように僕の体が震える。
「し、しょう……あの、リッツとの、会話、全部、聞かれてたんで?」
「耳に入っちまうもんはなぁ、聞こえちまうよなぁ」
え?だって?あの会話って、確か、僕の正体について話していませんでしたっけ?
「あの、ぼ、ぼ、僕が、じょ……ってことは……!」
「はいはいはい、落ち着けぼーず」
ばすばすと僕の頭を叩いてから「独り言言うぞ」と謎の宣言で僕の発言を止める師匠。
「俺ぁさ。正直使えるやつでありゃどーでもいいのよ。くっだらねぇしきたりとか、区切りとか、応募基準とか、そーゆーもんがあるせいで優秀な志望者が減るわけだろ。だったらそんなもんいらねぇって。むしろさ、建前みたいなもん崩すとっかかりがほしいのよ、わかるか?」
「はぁ……」
「そんな俺がよ?このくっそ忙しくて猫の手も借りたい状況のなか、手を出してきた子猫が道を断たれるようなことすると思うか?しねぇだろ。しないしない。つぅわけで。優秀であれ。されば神は見捨てんってな!」
師匠は、矢継ぎ早に話すと、びくびくしてる僕の背を仕上げとばかりにどんと叩いた。
「それより、謎の三角関係がどうなったかの方、ちゃんと報告しろよー。じゃ、急患来るっぽいし、俺ぁ行くわ」
師匠は僕に一言も挟ませないままさっさと控室を出て行った。
師匠に残された僕は、へなへなとその場で汚い床に腰を落とし、自分の秘密についての師匠の認識の軽さについてしばらく悶々とすることになった。




