7 小姓は天災なご主人様に翻弄されるのです
一つ前の投稿が半年前…だと!?
誠に申し訳ありません……
「お前はとうとう自室までも帰れなくなったんだね」
「こんなことはこれまで一度もなかったですし、これまでの徹夜や残業のことも含めて仰っているのなら大半はご主人様のご指示によります」
「自室から僕の部屋まで往復する時間すら捻出できない効率の悪さってわけだ。いっそ僕の部屋に一緒に住み込む?朝から晩まで色んな意味で付き合ってもらおうかな」
「謹んでご遠慮申し上げます。朝と夜くらい、健全かつ平穏な時間を過ごしたいので――いだだだだ」
ベッドに横たわって――否、上半身を起こした状態で軽口を交わしている相手は言わずもがな、僕の敬愛するご主人様だ。ベッドに腰掛けて僕の方を向くと、白く細長い指を僕の口元に寄せると、頬のお肉を摘まんで思いっきり横に引っ張ってくれている。
「グレン、一応病み上がりだろう……」
「恐れながら申し上げますと、病み上がりと申しますか、怪我上がりと申しますか……」
呆れた顔で僕の枕元の椅子に座って僕とグレン様のやり取りを見守っていた殿下に律儀に突っ込んだのは、僕を運んできてくれたヨンサムだった。恐縮してるのか砕けているのかいまいちわからないヤツだ。
ヨンサムがここにいるのは、早急に警備の配置を指揮することになったイアン様の代理で暫しの殿下の護衛役を申し使ったというのと、現場目撃者としての取り調べを僕と一緒くたにされていたからに他ならない。
こんなに軽い空気になっているとはいえ、これでも、僕の容態は決して軽いものではなかった。なにせ、腕に軽くない怪我を負っていた上、一時凌ぎとしての軽い解毒剤を飲んだだけで毒を体に入れたまま、血を媒介にした魔術を行使したのだから、貧血と毒と魔力不足が酷かった。
駆け付けてくれた学院付き医務官の適切迅速な治療のおかげで、どうにか意識を失わずに済んだというだけに過ぎない。
――だというのに、ご主人様ときたら、僕が医師から解放された途端に自室に僕を拉致して、質問攻めにしたってわけ。おかげで良くなるものも良くならず、僕の顔色は悪いままだ。良識とか常識なんてものをこのご主人様に期待しちゃいけない。体調が悪いって言ったら言ったで「口移しで血をあげようか」とかおっそろしいこと言い始めそうだから、口が裂けても言えないけどさ!
「お前の要領を得ない話をまとめると、あのネズミが『動物使い』に呪われた獣たちに襲われていたところで、お前が止めに入ったけど、実力不足のお前には荷が勝ちすぎてて、逆にお前がセネットに助けられることになったってことだよね」
「ちょこちょこ僕を貶すのやめていただけませんか?」
「大々的に貶そうか?」
僕の抗議についてそよ風ほども価値を置いていないグレン様はくるりと首を回し、ヨンサムの方を向く。
「セネット、僕の小姓が世話になった。礼を言うよ」
「はっ?えっ……と、滅相もございません。当然のことをしたまでですので」
グレン様に労いの言葉をかけられたヨンサムは、一瞬ぽかんと口を開けた後、すぐさま直立不動の姿勢で敬礼した。
だよね、びっくりするよね。だって、あのグレン様がお礼を言ったんだもん。
「エル、なに?その間抜け面」
「明日は槍が降りますね」
「お前の上でだけね」
「希望を出してはいませんが」
「僕の方もお前の要望は特に受け付けてない」
ヨンサムは僕とグレン様のやり取りを初めて直で聞いたせいか、はたまた憧れの殿下の警備をしているせいか、顔が青白かったり目が挙動不審だったりと様々だ。殿下は慣れ切っているので、もちろん、動揺した様子は微塵もない。
そんなヨンサムは、途中でイアン様が戻られたのを機に退出していった。
退出するときに、僕に言いたいことがいっぱいあるという顔をしていたから、後できっとお説教だ。それは甘んじて受け入れよう、今回もヨンサムにはお世話になり過ぎた。
「そんなことより!グレン様、僕を褒めてくださるのを忘れていませんか?」
「は?子供のおつかい一つまともにこなす前に大怪我だけして帰ってくるような半人前どころか十分の一人前みたいなやつのどこを褒めろって?」
「十分の一人前って、僕、食べ物じゃないんですけど」
「僕にとっては食べ物かもよ?」
そこでの流し目、いりません。この手のやり口、イアン様に少し分けてあげられたらいいのにな。
「未成年者の教育によろしくないいかがわしさは雰囲気だけにしてもらっていいですか。僕、こう見えてもまだ未成年ですよ」
「こう見てもどう見ても未熟者なのは争いないね」
あぁほんとにもう!ああ言えばこう言う!
ついでに付け加えるとグレン様から申し付けられた「おつかい」が子供のおつかいレベルだったことは一回だってなかった。
「僕、今回、気絶していないんですよ!」
僕が堂々と胸を張って言うと、グレン様のみならず、その場にいた全員が一様に可哀想なものを見る目で僕を見る。
「気絶してないことを褒めろって申し上げているんじゃなくて!これまで、僕、これくらい魔力を膨大に使ったら大抵、急速な魔力枯渇で昏倒してたじゃないですか。それがないってことは、僕の魔力、増えたってことじゃないですか!?」
期待と喜びにわくわくしながら発言した僕に対し、グレン様は唐突に真顔になったかと思うと、僕の枕元にやって来た。
そして僕の頭を力いっぱい布団に押し付けた。
「ぶっ!」
押し付けたなんて甘いもんじゃない、叩き付けたと言ってもおかしくない。
ぎゅうぎゅう押し付けられる上に髪の毛に爪が立つレベルで掴まれているせいで頭が引きつれて痛い。それよりなにより、窒息死する!
「グレン、やりすぎだ」
「ぶはっ!」
呼吸困難で意識を失う前に必死で暴れている僕を見かねた殿下がグレン様を引き留めてくれたおかげで僕はようやく空気を手に入れた。空気ってこんなに入手困難なものだっけ……?あ、たまにあったな。今一番欲しいものなんですか?って訊かれたら、空気!って即答したいとき。
――と、にがくて苦しい回想に浸る暇はない。
「何してくれるんですか!」
「んー妙に腹立ったから?」
「なっ、僕の魔力が増えることがそんなにお嫌なんですか!?魔力が増えた方ができること増えますよ?小姓としても役に立つようになるかもしれませんよ!?」
今度は顔を叩き付けられはしなかったものの、僕の背中側に置かれた手にわずかに力が籠って僕のシャツが引き攣れ、若干背中に爪を立てられた。背中の古傷に当たって、耐えられないほどではないけど、痛い。
恨みがましい目でグレン様を睨みつけるも、グレン様の無表情は変わらない。
にやにやもしてないなんておかしいな。こういう顔の時は、グレン様がほんとに不機嫌なときだ(ちなみに、本気で怒った時のグレン様は口元に形ばかりの薄ら笑いを貼り付けるようになるので、そこまでは至っていない)。
あれか?この人、他人の不幸は蜜の味、を地で行く人だから、僕が嬉しそうなのが気に食わないってか?僕の幸せがそんなに憎いか!
「ほんっとにねじ曲がってますね!大体、こうしたのはグレン様じゃないですか!」
「はぁ?何の話?」
「忘れたとは言わせませんよ。小姓契約の時です!グレン様、僕に魔力が増えるってメリットを挙げましたよね?」
そう!思い返せば二年前。グレン様はこの僕にとってほとんど疫病神だと言っていい小姓契約について持ち掛けたときになんと言ったか。「魔力の総量が増える」、と、はっきり言ったはず。
当時は魔力の総量が増えようがどうしようが、宮廷獣医師になれることに比べたら大したことはないと思っていた。
でも、でもだ!
魔力の総量が増えれば、それだけたくさんの子が救えるし、複雑な医療もできる。これは元の魔力量が少ない僕にとっても実はいいことのはずだ。これまで一度もその兆候が出ていなかったけれど、今回気絶しなかったことは、着実に僕の少ない魔力が減っていることを示しているはずなのだ。
原因を与えておいて成果が出たら虐待するとは許すまじ。
むくれたままグレン様をもう一度睨み上げると、グレン様は珍しく、呆気にとられたような顔で僕の顔を凝視した。
こういう、自分の予想外のことが起こった、みたいな顔は珍しいな。へへん、ざまみろ!
「――なに。つまりお前は、僕の魔力に染まっていることについて喜んでいるわけ?」
「言い方がいちいちおかしいですが、面倒なのでそういうことにしておきます」
僕がぷいっと顔を背けると、グレン様の指から力が抜けた。見れば、少し俯いたまま肩を震わせている。そのまま顔を上げると高らかに笑った。
「あーっはっは!そういうことね。なるほどなるほど!そりゃそーか、お前にとってはそうだよねぇ。あー爽快。すっきりすっきり!」
と、言いながら、グレン様は、僕に背を向け、機嫌よくるんるんと楽し気に鼻歌を歌いながら窓際へ向かった。お気に入りのぬいぐるみを取り返した子供と同じような反応だ。一体どうした。気分の上下が激しいのはこういう狂人の典型とはいえ、うすら寒い。
「……殿下。なんなんですかあれ。気持ち悪いんですけど」
「グレンがなぜ不機嫌だったのかはわからんが、機嫌がよくなった理由はなんとなくわかる」
「えっ、教えてください!今後情緒不安定なご主人様のお世話をしなければいけない僕の分析のために!」
「言っても今のお前には納得できんと思うぞ。時が来れば分かるんじゃないか」
「殿下ぁ!!!」
「エル、お前に伝言みたいだよ」
近くにいた殿下に泣きついていた僕と殿下の間に、しゅっと何かが飛んできた。見れば、捕えられた伝達魔法だった。
げ。もしや伝達魔法を捕まえたってこと?しかも何の大きな動作や道具もなく?常識外れもいいとこだな。
伝達魔法は他人にその内容を知られないように仕込んである魔法だから、通常、誰から誰へ、や、その内容はもちろん、それを手で掴むなんてできやしない。単にそれを上回る力を的確にぶつければいいだけだから、破壊する方がよっぽど簡単なのだ。
グレン様が鬼畜で、人並み外れて珍妙な存在だってことは分かっているけど、今更ながら若手天才魔術師という称賛に納得してしまう。才能の9割くらい無駄遣いしているけどね。
急いで投げられた伝達魔法の内容に目を走らせ、僕は大きく息をついた。
「よかった……あの状態から回復に持っていってくれたんだ……」
手紙はリッツからで、内容はあの僕が大怪我を負わせた狼についてだった。
重症の狼は、魔力空間から解放した後、ヨンサムの後に駆けつけてきたリッツに任せていた。さすがはリッツだ。がめついが(ここ大事)、払うものを払えば、仕事はやってくれる。まだ予断は許さない状況なんだろうが、あいつに預けられているというだけで安心だ。
僕が抱えていたせいでそのまま連れてきたチコは、今もこの手の中にいる。一部噛まれたところの怪我の処置もあったので、リッツに任せようか迷ったけど、重症というほどではなかったので僕の方で治療を済ませた後、そのまま保護している。
普段は円らな瞳を閉じ、僕の膝の上でぐっすり眠っているチコを前に、疑問と怒りが渦巻く。
なぜチコが襲われたのか、これほどまでに執拗に追われていたのか。こんな卑劣なやり方で、なぜ、食いしん坊ねずみという弱い生き物を襲わなければいけなかったのか。
チコが狙われた原因は十中八九僕絡みだろう。
僕は、いつも後手後手に回っていて、動物たちを動物使いの手から守れていない。
動物使いが何を狙い、どういう目的で動いているのか、まださっぱりわからないけれど、動物使いが殿下を狙ったということだけははっきりしている。
ならば、その謎を解く鍵はきっとここではなくて、王都にある。
「グレン様」
「んー?」
窓枠に身体の半分だけ腰掛けたグレン様が、赤い瞳をいたずらっぽく煌めかせて僕を見返す。
「僕、王都での仕事、やり遂げますから」
僕の呟きに、グレン様はにやりと笑い、「当たり前でしょ」と言いながら、窓枠から飛び降りた。




