3 小姓は忠告されました
僕への説教が終わり、わずかな沈黙が落ちたちょうどその時、唐突にキール様が顔を上げた。キール様の視線を追って顔を上げると、校章の入った手紙が何もなかったはずの空間に浮かび上がり、キール様、僕、リッツのそれぞれの上に落ちて来る。
学校の事務局からの伝達魔法だ。
ぱさりという音こそしないものの、紙を開く動作と同じ動作でそれを開けると、中には学校の事務局本部まで来いとの内容が書かれていた。
内容はいたって簡潔なのだが、この時期に事務局からの呼び出し、それも僕だけじゃなくて、リッツやキール様も、となれば、理由は一つしかない。
獣医師、宮廷魔術師双方の国家試験の一次合格発表だ。
「結果が出たんだな。さ、行くぞ、エル。」
「あーもうかー行きたくないー」
「今行っても後で行っても結果なんか変わらないんだよ。キール様も、よろしければ私どもがお供いたしますがいかがなさいますか?」
合格率の低いこの試験の結果を見に行くには心の準備が必要なのに、リッツときたらお使いを頼まれた街の少年のような気軽さで僕とキール様に声をかけてくる。普段は疲れるから嫌だけど、こういう時に限っては優等生が羨ましい。
渋々足を踏み出したところで急に制服のシャツの喉元がしまった。
「ぐえっ」
「リッツ殿、先に行ってくれないか。私はこいつに話がある」
キール様は、カエルが潰れたような声を上げた僕におかまいなしに僕のシャツの首元を後ろから掴んだままリッツにそう声をかけた。
リッツは一瞬目を丸くしたけれど、すぐさま何事もなかったかのように平常運転のうさんくさい笑顔に戻った。
「了解いたしました。エル、さっきの授業の貸しはツケとくな」
リッツは、言うや否や、僕の返答など気にせずにさっさと一人で教室を出ていこうとする。
「待て。今聞き捨てならないことを言った気がする。貸しって、なんのこと?聞いてないよ?」
「俺がタダ働きするわけないことくらい分かってるだろー?何を頼もっかなー楽しみにしてるわー」
ひらひらと手を振ったリッツは、手を伸ばし引き留めようとする僕を華麗に無視して、詳細を答えることなくさっさと教室を出て行った。ヨンサムだったらちゃんと教えてくれただろうに、こういうところをもったいぶるのはリッツの悪い癖だ。
貸しって多分あれだよね、さっきの授業の教授からの質問でこっそりヒントをもらってたことだよね。すぐに催促されなかったから踏み倒そうと思ってたのに、しっかり借金帳簿につけてたのか。
「くっ、想定外に高い買い物をした気がする。今度は一体何を請求されることやら……」
「高い買い物も何も。リッツ殿がいなければお前はあそこで降格だっただろう」
「クロフティン様は、あいつがどれだけ高利貸しのド守銭奴かご存知ないからそんなことを仰ることができるんですよ」
次こそは内臓を売れとか言われるかもしれない。あいつの要求の高さときたらあの鬼畜といい勝負なんだから。そんなことキール様の前で言ったら元の木阿弥だから言わないけどね!
軽く体を振ると、キール様はすぐに手を放してくれたので、数歩下がってキール様に向き直る。
「それよりクロフティン様、僕に何か御用でしょうか」
「用がなければお前とわざわざ二人きりになって話などせん」
嘘だ、文句なら四六時中言いたくてたまらないくせに!
――などという本音はしっかり心の底に眠らせたまま、大人な僕はにっこりと社交的な笑顔を浮かべて対応する。
「ではその大事な本題を教えていただけますか?」
「最近、マーガレット様のご周囲で変わられたことはないか?」
急に出てきた姉様の話題に、自然と顔が引き締まる。
「姉さ……マーガレット様のことならば、僕のところに特に何か支障があるとの話は来ておりませんが」
「ならば今後、ご結婚祭に向けて、殊更身辺に気をつけるようになさるよう、お前から伝えることはできるか?」
「何かあったのですか」
「今はない」
「今は、ということは、今後あるということなのでございましょう?」
詰め寄る僕を押しとどめてから、キール様は一旦周囲全方位に目を向けた。その途端、ぴんと空気が張り詰めるような気配がした。動作も詠唱もなく張られたから分かりにくいが、これが盗聴防止の魔術だということは分かる。
学校には外部からの盗聴を防止する魔道具が構内の建物随所に埋め込まれており、もとより外からの盗聴は防げるようになっている。教室だってもちろんそうだ。
「あえてここに今張ったということは、僕とキール様という局所の範囲以外に聞かせたくないような話ですか」
「教会の動きに気をつけろ、アッシュリートン」
キール様は口の動きすら見えないように細心の注意を払って、ぼそぼそと告げる。ここまで警戒するのは普通じゃない。
「教会……?」
「グレン様から、ハリエット・マグワイア嬢のその後の話を聞いているか」
懐かしい名前に目をしばたたかせる。ハリエット嬢と言えば、およそ2年と少し前、姉様と殿下が出会ったちょうどその頃、殿下のご婚約の相手だったご令嬢だ。そのご令嬢とのご婚約を破棄させた一連の事件がきっかけで、僕が殿下方と行動を共にするようになったと言っても過言じゃない。
「いいえ。不審死された、ということだけ……」
「その様子だと、ハリエット嬢の死にざまについてはグレン様から伺っていないんだな。……ハリエット嬢の遺体は、ミイラのように全身を干からびさせた状態で発見された。体の血液含め、体液全てがなくなったような、見るに堪えない状態だったそうだ」
言葉を失う僕に、キール様が続ける。
「ハリエット嬢だけじゃない。ここ2年間でハリエット嬢の様な死にざまで不審死した修道女が分かっている限りで8名。そして、二桁は軽く超える数の修道士と修道女が行方不明になっている」
「なっ……なんで……?」
「原因はいまだに分かっていない」
「教会への強制捜査はなされていないのですか」
「我が国で依然として教会の治外法権性が高いことはお前だって分かっているだろう。滅多なことでは入れない」
「でもそれだけたくさんの人間が不審死しているんですよ?滅多なことじゃないんですか?」
「不審死しているのは、処刑される代わりに修道院送りになった上級貴族の縁者たちがほとんどだ。一般に入信している者に被害はない」
「だからって……」
「誰からも調査依頼が来ない者たちだ。教会も、国からの照会に対し、神の教えに反したゆえ、天罰が下ったという回答を押し通している」
教会らしい持って回った言い方だが、これは教会から脱走しようとしたことで、罰を受けたということだ。
教会に永久に入ることが決まっている修道女と修道士は、教会から永久印を押され、教会区外の一定の範囲外に出ることができない。移動するときでさえ、神父と一定の距離内の場所から出られないのだ。これは、修道することが決定したときに、それらの範囲を出た瞬間に命を奪われるという契約を結ばされるからだ。これに反して教会から出ようとすれば、魔力全てを失い、死すと言われている。あくまで話だけで聞いていたものだから、実際にどのような姿になるのかまでは知らなかった。
話を聞くに、今回の場合、不審死したのは、罪人として永久修道女となった者たちだから、脱走しようと考えるのもあり得ない話ではない。つまり、一応、死因とその原因とされる行為の動機の双方もあり、教会の説明に不合理な点があるとまでは言いきれないのだ。国の強制捜査が入れないのもそこに起因するんだろう。国教学が大嫌いで政治学も平々凡々な僕程度の浅い知識でもこの程度のことは分かる。
「教会が不穏な動きをしていることは間違いないのに……」
僕が一応の理解をしたと判断したキール様は、だからこその忠告だ、と僕に念押しした。
「この国の婚姻式は神前式だろう。マーガレット様は反国教派で、魔力の行使ができないと噂で伺った。ご結婚祭周辺が、一番マーガレット様が教会に近づく時だろう」
「あのー。なぜ僕にそのようなことをお教えくださったのですか?」
「むしろなぜ疑問に思う?国に仇なす存在があるとすれば警戒するに越したことはないだろう?」
「国教は、国に仇なす存在だとお考えなのですか?」
「昔は違ったかもしれん。が、今はそうかもしれん。それだけのことだ」
あれだけ身分の差に厳しく、魔獣の存在に否定的だったキール様だ。てっきり国教推進派なんじゃないかと思っていたから、僕も驚きを隠せない。
「お前は国教について不思議だと思ったことはないか?」
不思議どころか全面的に大反対です。
他人に聞かれたら、反国罪で首を跳ね飛ばされかねない発言を控えた僕を後目にキール様は早口で続けた。
「国教は魔力を神から授けられた力とし、純粋に力のある者を強者として上下を観念づけている。しかし、この国は、最高権力者であり、最上級の魔力を有すると謳われてきた国王を教会の頂点を譲らない。単純に考えても矛盾があると分かるだろう?歴代の国王陛下方は、国教の在り方と常に向かい合っておられた。そして、現国王陛下は、必要以上に教会に近づかないようにされている。それは、現陛下が、現時点において、国教が国に仇なす可能性があるとご認識されているからだろう?俺は、将来の臣下として、国王陛下のご判断に従うつもりだ。ゆえに国民として最低限の信仰は持つが、別に国教の熱狂的な信者というわけではない」
僕も大体分かってきた。この方は頭が固めで、崇拝する相手につくづく盲目的な信仰を注ぐタイプなんだろう。その対象が陛下であるというのは臣民としてありうるあり方だとは思う。けれど、同じ熱意をグレン様に向けていらっしゃるとなれば、その価値観は大いにずれている。せっかく有能そうなのに、方向性を間違えないでいただきたい。
なにせグレン様はあのマグワイア家を半月で潰すとのたまった方だ。そんな事実を知ったら、この方は同じことに挑戦しかねない。
「えぇと、立派な忠誠心ですね」
「……俺も幾分盲目的であるという自覚はある」
鼻息荒く言い切ったキール様は、僕が口をはさんだことでようやく僕の存在を思いだしたかのようにごほんと咳ばらいをした。
「お前に告げた理由はなんだったか、という質問だったな?マーガレット様のために全てを投げ出す可能性があり、かつ、そんな事態になっても誰にも損害を出さずに済む可能性が最も高いのがお前だからだ」
「それは、ようやくこの僕の努力と活躍を認めてくださったということでしょうか!」
……そんな世にも珍妙な生き物を見るかのような目を向けないでくださいよ。ほんの冗談ですから。
「勘違いするな。お前が矢面に立てば、自動的に全力を尽くすことになる方が全てを解決されるだけの話だ」
「は?」
キール様は、僕がさっぱり理解できないことを苦々し気に吐き捨てた後、話を戻すが、と姉様の結婚祭のことを再び持ち出した。
「殿下もグレン様も、当然そのあたりのことはお考え済みだろうし、対策もなされているだろう。だが万に一つを考えて、俺の独断だが、お前にも一応知らせておこうと思ったわけだ。ゆめゆめ気を抜くなよ」
キール様は真面目な顔で僕に忠告してからパチンと指を鳴らし、防音盗聴防止の魔術を解除すると、話は終わりだと僕をうるさいコバエにするようにしっしと追い払った。
キール様の忠告は、教室を出て、早足で事務局に向かう間にも、僕の心の中でずっしりと重みをもって圧し掛かっていた。さっきまで試験の結果のことで頭がいっぱいだったのが嘘のように、姉様の可憐な笑顔ばかりが脳裏に浮かぶ。
キール様があれだけ嫌っている僕にわざわざ忠告されるということは、相当よくない状況なのかもしれない。姉様の身が心配だ。
先ほどの授業で降格処分にされたら姉様のところに行くこともできなかったんだもんな、多少ふっかけられてもリッツからの借りは返しておかないと。あと、結果を見てからグレン様のところに行って話を聞いてみて、姉様にもう一度会えないか掛け合ってみるか。
僕は教室から階下に向かってひたすら続く階段を一息に駆け下りた。




