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小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第四章 ご主人様婚約者選定編(17歳初め)
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28 小姓は嫌いではございません

 四日ぶりの寝起きに床とのキスを防いだところだったのに、今度は後頭部が危険に晒されるのか。今日はつくづく床と仲良くなる日だな。

 だが、大丈夫だ、まだ風で衝撃を和らげる時間があるし、失敗しても、床にはふかふかの絨毯があるんだからいつもよりマシ!


 グレン様に肩を突き飛ばされ、後頭部を床に強打するかに思われた僕は、自分で思った以上に冷静だった。しかし、自分の身の安全を確保できそうだと判断したときほど、その予想は外れるというジンクスが僕にはあるらしい。


「うわっ!」


 よろめき、倒れるよりも先に転倒範囲にあった膝裏の高さのなにかにぶつかり、膝がかくりと折れる。沈み込んだそこは、絨毯よりももっとふかふかだった。


 そ、そういえば、ソファがあったっけ。助かった。もしかして、グレン様はここにソファがあることまで予測して僕を突き飛ばした?――ないな。日ごろ石段があろうと分厚い氷があろうとおかまいなしに蹴倒す人だもん、ありえないわ。


 ご主人様の宗旨替えに期待して自ら否定する一瞬の間に、何か重い物に押し倒され、上半身ごとソファに倒れ込む。はっとして頭上を見上げれば、無表情なお人形のように整った容貌のご主人様の顔が至近距離にあった。


 時刻は深夜。プライベートな個室にいるのは、過剰な飲酒と長期の睡眠不足で理性が欠けている上、自暴自棄中で精神ズタボロのご主人様(鬼畜でドSで人外の卑劣漢な男)と、その人に押し倒された、従者兼執事の(生物分類上)女の二人。女は身も心もご主人様に捧げると公私ともに明言している。

 ――客観的に事実を並べると、今の僕は、とっても危険な状態にある気がする。


 ご主人様に、まさかミミズに現実逃避する趣味があったなんてなー。今度、森の土いじりで見つけたやつら(ミミズ)を100匹くらいプレゼントするって約束したら、この状況から逃げられたりしないかな。


 一瞬飛びかけた現実逃避用妄想世界に浸っていると、今回ばかりは本気で貞操の危機が生じそうだ。

いいよね?契約違反だもんね?男性にとって最も危険な行為をしても正当防衛として許されるよね?イアン様も殿下も許して下さるよね?よし。問題はタイミングだ。失敗して拘束されたらそれこそ一貫の終わりだぞ。


 幸いにして立てたままだった膝下を跳ね上げるタイミングを窺っていると、ソファーの背もたれ側にあたる隣からぼふっといい音がして、視界が開けた。

 しん、と部屋に静寂が落ちる。

 事実確認の追いつかない僕がしばらく固まっている間も、グレン様が(常日頃から鬼畜ではあるが、男性的な意味での)野獣化する様子もなければ罠をしかける様子もない。エネルギー切れだかなんだか知らないが、難が去ったらしい、と判断し、起き上がろうとすると、腰のあたりをがっちりつかまれて引き戻された。



「――僕をこの場にこうして拘束する目的と有用性は?」

「言ったら大人しくするって約束する?」

「約束しようとしまいと、いつも僕の意思なんておかまいなしじゃないですか」

「小姓が三年目にしてようやく身の程を弁えられるようになったっていう今年一番の朗報を得られて嬉しいよ」

「まだ今年が始まって一月と経っておりません」


 やりとりをする間も当然のように静かな攻防がされているのだけど、腰に回された手は依然として離れない。結構がっちり持っていやがるなこの野郎。


「――あったかいね、お前」

「当たり前です。生きてますから」

「昔、母さんが、こうして一緒に寝てくれたときも、あたたかかった」


 あなたに殺されない限りは。と用意していた文句は、小さな呟きのせいで喉の奥に消える。

 レイフィー様が亡くなられた後、グレン様が一日ずっと一緒にいたということは、冷たくなった母親を自分の手で運んでいたということだ。


 ふぅ、と大きくため息をついて抵抗をやめ、背中側に話しかける。


「僕でよければ傍にいると申し上げましたし、発言の責任は取りますよ。でも、寝るのなら、ここは狭くないですか」

「狭い方が安心する」

「それはもしかして、背中側がくっついている前提ですか」

「背中ががら空きだと、寝ている間に刺されるって学んだからね。癖になった」

「つけたくない癖ですね」


 奥が詰まったほら穴を見つけて夜を過ごす小動物のような思考だが、先ほど聞いたグレン様の生い立ちなら仕方がないのかもしれない。

 誰にも身を委ねられなかった獣が、弱った自分を晒している。僕は、晒されても大丈夫な相手と判断されているらしい。


「僕、日ごろの恨みつらみはたくさん蓄積してますけど?」

「お前が僕に復讐するなら、そんな陰険で回りくどいことはせずに単純に突っ込んで自爆するでしょ」

「どんな時でも貶すことを忘れないぶれなさに感服します。でも今日はこれくらいにしておきます。レイフィー様の代わりになれるのなら光栄ですし――いたっ!」


 言った途端、首筋に堅いものが強く押し当てられる感触がしてぴりりと痛みが走った。


「今噛みました!?噛みましたよね?」

「前言撤回。やっぱり身の程知らずだったから、お仕置き」

「かのレイフィー様と並ぼうなどとおこがましいことなど考えておりませんよ?少しでも代わりの役割を果たせれば、と――」

「お前を母さん代わりに思ったことなんて一度もない」

「存じております。今ちょうど、食べ物の代わりにされたところなので。僕は美味しくないですよ」

「美味しいかは食べてみないと分からない。今は疲れてるから味見しないけど」

「味見も試食も許す気はございません」

「分かってる。メインディッシュとして完食すればいいんでしょ」

「ご主人様が全く分かっていらっしゃらないことが分かりました。でも今日は多めに見て差し上げます。女に二言はないんです」

「寛大なご配慮に痛み入るね。このお礼はきっちりお返しするよ。火あぶり、水攻め、生き埋め。三倍にするのが主義だから楽しみにしてて」

「いえいえ、そんな思いやりは要りません。僕、敬愛するご主人様のおかげで無償奉仕の精神が豊かですから。ほら、背中もタダで貸して差し上げてますでしょう?」

「僕が自分の所有物を誰に借りる必要があるって?」

「いつから僕はあなたの所有物になったんでしょうか」

「二年半前じゃない?」


 グレン様の軽口は、先に進むにつれて口調がゆっくりになってきていた。もしかしたら眠くなっているのかもしれない。長いこと眠れなかったらしいご主人様が(多分ギリギリだけど)健全な方法で眠くなってくれるなら、それに越したことはない。狭苦しいところでお酒臭いご主人様にひっつかれていることも今日ばかりは見逃してやろう。


 体温を提供する人間毛布か、優しさ成分でできている睡眠薬のつもりでじっと固まったままその場で過ごしていると、回された腕から力が抜けてきた。

 だが、少しだけ身じろぎしても、腕は外れない。眠りについても解放しないところがご主人様らしい。


 仕方なくそのままの体勢で、執務机の上のランプの炎が赤く揺らめいているのをじっと見る。

 


 赤――それは、血の色であり、アルコットの家の象徴色であり、炎の色でもある。


 訥々と過去を語ったさっきのグレン様は無表情だったけれど、それが余計に痛々しかった。

 慰めや同情なんかするつもりは元からなかった。できるわけないのだ。その辛さは、僕の想像を絶するものだろうから。


 僕が本当にしたかったことは一つだけ。


 左半身が下になっているせいで左腕は動かせないけれど、右手なら動かせる。寝入り始めたグレン様を起こさないように右手でそろそろと自分の腰回りで探り、眠りに入りかけの今でも少し温度の低いご主人様の手を見つけた。

 外見上は白く繊細で美しいのに、本人には穢れていると称されたその手を、痛くないだろう程度にそっと掴む。



 赤と言われて僕がぱっと思い浮かぶのは、丸みを帯びた紅玉の瞳だ。

 悪辣な企み事を抱えた下心満載の笑顔、不機嫌さを隠す仮面の笑顔、どちらの時も嗜虐趣味に輝いている。天使のような見た目に反して大変寝汚い持ち主が、僕に無理矢理起こされた時は、少し眠たそうに半分隠されている。イチゴジュースを前に嬉しさを隠せずに細められる時は、煌めいている。


 僕にとっての赤は、ご主人様の色だ。

 それでもって僕は、赤色も、この生活も。


「嫌いじゃないですよ。なくなったら寂しいと思う程度には」



 ひとりごちて、大分毒されているなぁと苦笑する。


「――なら、きらいなのは……?」


 呟きとともに、腰に回されていたグレン様の右手が、握っていた僕の手をどかす代わりに僕の指に絡められ、苦笑がひくっと止まった。


 げ、起きてたのか。もしや僕はものすごく寝つきの悪いでっかい赤ん坊を起こしてしまったんじゃ……?


「き、嫌いな色と言われても特にありませんが――あぁ。ちょっと苦手な色が一つだけ」

「なに……?」

「銀色は、苦手です」


 ふぅんと漏らされた声も眠たげで、どうやらまどろんでいるらしい気配がする。

 このまま眠れ、起きるな、完全に眠って僕を解放しろ!


「える」

「はぁ」

「おまえは……みどり」



 緑、かぁ。やっぱりそうなんだ。

 思い当たる節はある。僕が、小さい頃に初めて怪我した動物さんを助けられたときが新緑の季節だった。森の中、眩しい木漏れ日とさわさわ揺れるたくさんの若葉が今でもはっきりと思いだせる。

無力だと感じることはあるけれど、僕にとっての魔力の印象は「助ける力」だったんだろうなぁ。


「やさしい、いろ。ぼくは、すき。だから――」


 吸ったのだろう息が、そのまますぅすぅと静かな寝息に変わっていく。

 ちょっと待て。変なところで止めるな。人間は止められると先が気になる生き物なんだよ。


「あの、続き、気になるんですけど……」


 いつもお酒を飲んだ時のように幼児化傾向にあるらしきグレン様は、僕が後ろを振り返ると、体勢が変わったのが気になったのか、居心地のいい場所を作るために僕とソファの間でもぞもぞと小動物のように動いた。そしてようやく納得いったのか、寝顔のまま、ほわっと笑った。


 中身を知らなければ文句なしに陥落するレベルで可愛かった。

 中身を知っていてもほだされそうなくらい可愛いこの顔が憎い!


 顔を直視していては毒されると本能レベルの警戒音が聞こえて元の体勢に戻り、この前から妙におかしい心拍数を整えようと深呼吸をする。が、直接首筋にかかる寝息が邪魔をしてくる。

 こういう時に鬘みたいな長い髪があれば完全防御できるのに!とない物ねだりをしつつ、しばらく堪えても、一向に全身がぞくぞくとする感覚には慣れない。


 もぞもぞとした感覚で呼び起こされたのは、例のアレ。

 その瞬間、僕は、再びかの過ちを犯したことに気付いた。



 右手は、さりげなく絡められた指のせいでほどけない。

 グレン様のもう一方の手に制服を掴まれているのか、それとも何かそ知らぬふりしてまた重力魔法がかけられたのか、麻痺させられたのか、足が立つという本来の機能を放棄している。



 知ってる、これ、あれだ。不浄場(トイレ)一晩お預けパターンだ。



「――朝よ早く来い!」


 僕の叫びは、静かな私室に吸い込まれて、何の意味もなさないままに消えたのだった。



4章完結です。5章については活動報告の方をご覧ください。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

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