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小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第四章 ご主人様婚約者選定編(17歳初め)
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27 小姓の基本は直球勝負です

※ この話には残酷描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

「泣け……って言った?」

「はい。泣いてください」


 あえて訊き直したのは耳が遠くなったせいですか?なんていつもみたいに挑発したら、今日ばかりは本当に首を刎ねられそうで、僕は一つ頷くにとどめた。


 不意打ちとはいえ、この程度の頭突きであのグレン様が倒れてくれたということは、酔いが足元にまで回っているということだ。でも、いくら呑んだって、それが精神を癒してくれることはない。無茶な呑みをしていれば、いずれ明晰な頭脳だって鈍り始めるだろうし、そのことに余計に苛立ち始めるだろう。体もボロボロになる。

 それに引き換え、泣くことは人の生理的な防衛行為だ。涙には、目のゴミだけじゃなくて、心にこびりついた様々なしこりをも洗い流してくれるという浄化作用もある。日ごろ泣かされっぱなしの僕だからこそ、自信をもってその効果を主張できる。


 そこまで考えてから、この意地っ張りをどう泣かすかという壁にぶち当たった。

同情や慰めなんかしようもんなら、感動して泣いてくれるどころか、大激怒。火あぶりの刑で済まされないのは分かり切っていた。

 散々頭を使って、こうでもないああでもないと考えた末、最終的に「頭を使う」ことを思いついた結果がこれだ。



「へぇ。この僕に、泣け、ねぇ」


 グレン様は俯けていた顔を上げて、にっと寒々しく笑った。

 その顔は地獄から這い出た悪魔の絵にそっくりで、僕の全身が総毛立つ。


 なるようになるさ、明日は明日の風が吹く!の精神でぶっつけ本番で挑んでみたけど、風を感じる僕自身が明日には存在しなくなっていそうだ。


「お前、僕には魔力が見えるって、知ってたよね」

「へ?は、はい。それがなにか?」


 首を飛ばされないように両手で首をガードしていたところに唐突な念押しが飛んできた。素直に頷くと、グレン様は、その場でゆらりと立ち上がる。


「魔力の色ってさ、その対象と魔力の結びつきが最も強かった出来事に起因して決まるんだ」

「そうなんですか」


 ほとんどの人には不可視のものとなっている今と違い、昔の人は魔力の色が見えていたと文献にあった。人々の魔力が弱まっていることが、見えなくなっている原因だと分析されている。今の時代だと、王族ですら見える方と見えない方がいらっしゃるくらいなのに、グレン様にははっきり見えると最初の頃に聞いた気がする。場に似合わず、なんだか懐かしいなーなんて思ってしまうから、危機意識が足りないって言われるんだろうな。


「僕の魔力の色って、何色だと思う?」

「えー……と、赤でしょうか」


 なんと続ければ最も生存確率が高くなるか悩む間にグレン様が「正解」と頷く。

 アルコットの象徴と言えば紅だから、自然な気がして特に深く考えもせずに答えたが、グレン様は何が面白いのか――いや、面白くないからこそなのだろう――凄絶に笑った。


「お前、今、アルコットの色だから予想通りって思ったでしょ」

「違うんですか」

「半分だけ正解」

「半分、ですか」

「僕にとっての赤は、生きろと叫んで母さんを遠ざけようとした父さんがあの家の追っ手に滅多刺しにされたせいで、雨みたいに降り注いだ父さんの血の色であり、倒れ伏した父さんをゴミを見るように見下ろして、まだ動くその腕に焼けた剣を突き立てた時の冷酷なあの当主の目の色でもある。僕たちを追い詰めたときからアルコット家は魔法を使っていたから、自然にアルコットの色は魔法の色という認識は強くなったかもしれないね。でも、一番の原因はそっちじゃない」


 グレン様は、言葉を切ると僕から離れ、窓際まで歩いていって、唐突に掌の上に火球を出した。



「僕が初めて魔力を行使したのは、僕が十の時」


 グレン様は、片手で火を弄びながら、執務机からも僕からも離れた窓際に歩み寄った。少し開いた分厚いカーテンの隙間から、とっくの昔に夜の帳に包まれた庭よりももっと遠くを眺めつつ、淡々と話し続ける。


「平民の血が混ざっているせいで、生まれたときから魔法が使えたわけじゃなかったからね、体に毒素を入れられて死にかけた僕の本能が、生き抜くために魔力を解放した結果、毒素を入れた相手の体も一緒に焼き尽くした。――今でも覚えているよ。人間が火だるまになって悲鳴を上げながら転びまわる姿も、水を呼び出すのに僕の火に負けてその悲鳴が断末魔に変わるときの声も、髪や皮膚が溶けていく様子も、肉と骨が焼け焦げる匂いも、最初赤かった炎が、僕の感情に呼応して白く、青く、変わっていく光景も」


 火球が膨れ上がり、グレン様の顔ほどの大きさになった。めらめらと燃える火をグレン様の冷めた紅玉の瞳が見つめている。整い過ぎた容貌から表情が抜け落ちているせいで、その立ち姿は、一つの絵画のように美しく、そして恐ろしい。


「膨れ上がった僕の炎は、色を赤く戻しながら広がり続けた。しまいには、貴族にとっては人間の掃きだめのような場所一帯を焼き尽くして、その場にいた大勢の人間を殺しつくした。それが初めて魔力を使った時のことで、僕と魔力の結びつきが最も強く表れた時だった。だから赤いんだろうね」

「――それは、事故、だった、のでしょう?」

「意外だなー。お前にこういう話をしたら、事故だろうと故意だろうと貴い命が失われたことに変わりはない、とか、綺麗ごとを言うかなって思ったのに」


 手の中に浮かべた火を消し、にっこりと愛らしく笑いながらグレン様が僕を振り返る。


「じゃあついでに教えてあげようか。僕は、今は、自分の意思で、同じことをしてる。人の命を奪うことも、殺す方が幸せだって思われるようなことも、今度は事故なんかじゃなくて僕が意図的にやってるんだ。実際、死なせてほしいって血まみれの手で縋られたり、(こいねが)うことすら忘れて廃人になっちゃう、なんてよくあることだよ」

「そ、れは――」

「僕にとって忌まわしい思い出しかない魔力が僕の体からにじみ出るのを見ながら、それを平然と使って、命乞いをする人間を追い詰めるんだ。昔僕たちを追い詰めたあのじじいと同じ目でね」


 ねぇ、とグレン様が、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「こんな僕に、身内が死んだことを悼んで泣く資格があると本気で思うわけ?母さんの墓前で、毎日毎日血で汚して血臭が取れなくなった手を合わせていいと思う?これでも僕を救うべきだなんて偽善を垂れるの?」


 僕の目の前に立ったご主人様が渇いた笑顔を浮かべて、僕の頤を上向けて目を逸らせないように固定する。

 正面から向き合ったご主人様の目の下に涙の跡はない。けれど、僕にはそこに赤い筋が伝っている気がして、心臓が痛い。


 辛い。怒ってる。泣きたい。痛い。怖い。悔しい。哀れ。

 今のグレン様は何を思ってる?今の僕はどう感じてる?どの言葉でもしっくりこないもやもやとした感情が僕の中でまぜこぜになり、何を言えばいいとか、何をすればいいとか、そんな悩みすらどうでもよくなってきた。


 大体、予め計画しておくなんて、基本的に僕には向いてないんだ。「常に正々堂々正面突破!」が僕のやり方で、大会の時が例外だ。

 だから、僕が今言いたいと思ったことをそのまま言ってやる。


「――おっしゃりたいことはそれだけですか」

「どういう意味?」

「そのままの意味です。ここに参る前に、ポールさんと殿下から、グレン様のことを伺ってきましたので、その話は既に存じております」


 猛獣が唸る前のように眇められたグレン様の目がはっと大きくなり、次の瞬間、僕は、肩を掴まれて壁に押し付けられていた。


「今僕が言ったこと以外に他に何を聞いた!洗いざらい吐け!」

「グ、グレン様のお仕事のことと、生い立ち――裏のお仕事と、裏町で色を売られていた、ということだけですっ」


 グレン様らしくない焦り様に、僕の方が動揺する。

 お酒のせいで感情が出やすくなっているのはあるんだろうけど、なんだ?何かまずいことでもあるの?そりゃ、伺った話は全部表沙汰にはできないようなものばかりだったけどさ。


 僕が白状すると、グレン様は僕の肩を放し、動揺したことを隠すようにあらぶった呼吸を整えてから、引きつった笑みを浮かべた。



「穢れてるって思ったでしょ」

「色を売られていたということについてですか?それなら、あれだけ女性方が手玉に取られても仕方がないなと納得しました」

「――他には」

「それだけです。僕、職業に貴賤はないと思ってますし、それで食いつなぐことは、僕には逆立ちしてもできないと思いますから」

「無難な発言で場を乗り切るような悪賢さだけは身につけたみたいだね」


 反論したいことは山ほどあるけど、どれだけ言葉を尽くしても、絶賛ひねくれ中のご主人様には分かってもらえないだろうとさらっとその皮肉を聞き流す。


「まぁ、話が早く済むのはいいか。あそこはね、信用した人間に有り金を奪われるなんて当たり前、誰に助けを求めても見て見ぬふり、体を壊しても、野垂れ死にそうでも、看病してくれる人間なんかいやしない。信じられるのは自分だけって世界だ。饐えた汗の臭い、貧困からくる病、べたついた感触、人を人とも思わないような扱い――僕は、アルコット家に捨てられた後、腐った水と泥にまみれた食べ物とで食いつないで、飢えよりも人間としての尊厳よりも身づくろいを優先して、体を売って這い上がってきた。――その環境が、かろうじてとはいえ生まれてからずっと貴族としてぬくぬくと生きてきたお前には分かる?こんな環境で人生の四分の一ほどを過ごしてもなお僕が泣くなんてことにまだ希望を持っているとでも思うの?」

「涙が枯れたご主人様だからこそ、僕が泣かせてやろうと思っているんです」



 いつも何事もないかのように装う仮面の笑顔で傍若無人の限りを尽くして発散させ、自分の本当の感情も、思惑も隠し通すご主人様が、これだけ感情をむき出しにする今こそが、僕が付け入る隙だ。


 今の話ぶりからして、この人は、自分の感情とすら向き合ってこなかったのかもしれない。痛みを痛みと思わなくなるように、苦しみを苦しみと捉えないように、心を鈍らせてきたのかもしれない。人格破たんしている言い訳にはならないけど、それを納得させるくらいの凄まじい生きざまだ。


 僕がこの人と比べて甘ちゃんで世間知らずだってことは認める。


 でも、僕が、甘ちゃんの泣き虫で、利害損得よりも感情で動きやすい、あなたの言う「阿呆」だからこそ、純粋な感情で動けるんです。アルコット家の嫡男であり、壮絶な幼少期を経た、今のあなたの傍にいたい―という思いのままに突っ走れるんです。



「グレン様は先ほどご自分の手を汚れていると仰いましたが、その意味で言うなら、僕だってそうです」

「なにを言ってる?」

「僕は獣医師になりたいと思うよりも前から動物たちや魔獣たちに力を使ってきました。でも、未熟な力じゃ、本来救えるものだって救えません。間違ったことだってしたし、悪化させたことだってございます。僕のせいで死んでしまった子たちがいっぱいいました」


 何度、この手の中で冷たく、硬くなっていく子たちを抱きしめ、謝っただろう。何度、爪の間に土が入る不快感も石ころで傷つく痛みも感じられないほど無心で堅い地面を指で掘っただろう。


「専門的に治療を学ぶようになって、確かに助けられる子は増えました。でも同時に、僕は『実験』をする身にもなりました。動物たちの体の構造を知らなければ、治療なんてできません。現役を引退した年老いた馬、健康で小さなネズミたち……僕たちはまだ生きられた彼らの命を奪って解剖しました。それだけじゃありません、新しい治療法の確立、薬の開発のために、事実上実験をしてしまうことだってあります。伝染病を防ぐため、まだ症状も出ていない健康かもしれない、なんの罪もない子を殺すことだってあります」


 命を救おうと思う一方で、健康な子たち、まだ寿命のある子たちの命を奪っていく。

 最初はその葛藤で板挟みになって寮の自室で何度も泣いた。上手く魔力を扱えなくなったことだってある。その頃から頭角を現していたリッツには真面目にとらえ過ぎだ、そのままだといずれ潰れる、才能がもったいないから感情に囚われるのをやめろ、と何度も怒られた。

 奪った命以上に、救える命を増やそうと考えられるようになったのは、最近のことだ。



「でも、僕は、その行為への罪悪感や重さを背負ったまま生きていくと決めました。グレン様も同じ思いでいらっしゃるのではないかと考え、理解できると申し上げたんです」

「でも、お前の最終目的は救うことでしょ?僕とは前提が違う」

「同じですよ。グレン様がそれをなさるのは、国の治療(・・・・)のためでしょう?」


 口調に落ち着きが戻ってきたグレン様は、僕の発言の意図を探るように僕を見つめる。


「甘っちょろさにかけては右に出る者のいないお前が、そんなにあっさりと割り切れるとは思えない」

「そうですね。殿下の元でなさっているグレン様の裏のお仕事を、僕が完全に納得できる日は、恐らく一生来ないでしょう」

「――でもお前が僕の小姓である以上、僕はお前を使うよ」

「えぇ。だから僕は、一生納得できないまま、あなたと一緒に手を汚すつもりです」


 目を見開くグレン様に腕を広げて見せる。


「今申し上げた通り、もう汚れた手です、赤ん坊の無垢な真っ白い手を汚すよりもやりやすいんじゃないですか」

「人間と、獣は、違う……」

「僕にとっては変わりません」


 いかにねじ曲がっていて、嗜虐趣味がある卑劣漢であろうと、この人が無作為に、遊びで命を奪う様な殺人鬼ではないことを、僕は知っている。この人なりの葛藤があったとも思う。

 だから、小姓としての僕の役割は――。


「僕の仕事は、ご主人様と一緒に手を汚し、そしてご主人様を支えることです。ご主人様が間違っていたら文字通り捨て身で止めるでしょう。汚れたのなら、何度だって冷水をぶっかけてやります。泣けないのなら、感動でも怒りでも痛みでもいい。泣かせるまでです。身も心も捧げるとお誓いしたのは、あの場限りの口約束ではございません」


 しっかとご主人様の腕を掴み、こちらから目を合わせると、グレン様は僕から首ごと背け俯いたまま、最初の勢いはどこへやら、小さな声で憎まれ口をたたく。


「……おためごかしもいい加減にしてよ」

「おためごかし?あなたのために身も心も捧げてまで得られるメリットってなんですか?あなたのために自分以上に心を払っているのは、僕だけじゃないですよ。殿下やイアン様や、レイフィー様も同じです」



 殿下は、沈痛と憂いに塗りつぶされた顔で、グレン様のことを僕に打ち明けた後、僕に頭を下げた。王族というこの国の最高峰に位置し、むやみに頭を下げることが許されない方が、貴族の末端に過ぎないこの僕に、だ。

 普段、殿下のことを第一に考えて行動するイアン様が、殿下の制止を振り切ってグレン様を怒鳴りつけていた。いつものように殿下のためと口では仰っていたけど、それだけでは説明できない激情を持ってグレン様の身を案じていた。

 レイフィー様は最期の最期まで、グレン様のことだけを考えていた。言葉通り命をかけて息子を想っていらっしゃった。


「グレン様、あなたは奪ったのと同じくらい、たくさんの人の命も救える人です。そして恨まれているよりももっと愛されています。昔は知りませんが、今は、あなたのために心を砕く人もいれば、身を投げ出す人だっているんですからね。経緯はどうあれ、少なくともここに一人は!だからですね――――」


 すぅーと大きく息を吸い、わっと吐き出す。


「いい加減、頼るべきところで頼らないで一人でため込むのがかっこいい、みたいな構えはやめていただけませんか。全部を全部大っぴらにする必要ないですし、されても困りますけど、全てを隠されても腹が立ちます。将来的になんの利益も得られない方向を選ぶなんて、馬鹿のすることなんでしょう?だったら今のグレン様は大馬鹿ですね!馬鹿主ですよ、馬鹿馬鹿――」

「――うるさい」


 地を這う様な低い声が聞こえ、僕は壁と逆側に突き飛ばされた。



次話が4章最終話になります。

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