14 小姓はとうとう主の生い立ちを知りました
※ この話には残酷描写が含まれます。お気をつけください。
決戦の時がやってきた。
王都の東側にあるとてつもなく広い領地の直轄地区の中心部、一人で出歩きなどしたら迷子どころではなく遭難確実なアルコット邸の中のグレン様私有の屋敷の一室に、今、僕はいる。
貴族の中でも最も王家や公爵家の血筋に近く、経済的にも政治的にも繁栄を極めているアルコット家の伝統と栄誉は、屋敷のあちこちからも滲み出ている。屋敷の配置、置物、敷物、使用人の服装どれをとっても一流で気品に満ちているのだ。
産まれた時からこの時代の一般的貴族としては信じられないほど貧乏な生活をしている僕にとっては接待されるだけで恐縮ものの世界だが、そこは貴族の端くれとして、なんでもないという顔で準備を手伝ってもらう。
形を整えるために盛りに盛ったシュミーズをコルセットで内臓が出そうなほど締め付けられ、固まった姿勢のまま体のあちこちをいじられ、締め付けられ、整えられ、化粧を施され、の苦行が一刻半ほど。
ようやく、本当にようやく、女装が完成した。
今の僕が身につけているのは、いつもの濃紺の学生服でもなければ、私服(もちろん男性用)でもない。
腰のあたりまではぴったりと体の線に沿い、腰から先は布地が切り返され、ふわりと広がる形になっている薄紫色の絹製のドレスだ。
ドレス自体の飾りつけは驚くほど少なく、手を少し上げれば、袖についた無駄な……ごほん、可愛らしいデザインの半透明なひだが揺れる程度だ。飾りつけが少ない方が、盛り上がった(偽)胸で、僕の細めの――やせ細ったというか華奢というか貧相というかは見た人に任せるが――腰を強調できるのだと、ナタリアが自信満々に言っていた。
足先が辛うじて見えるくらい裾が長いデザインに変更されたのは、女性として見ると背の高い僕が踵の高い靴を履いて更に高くなると相方とのバランスが悪いし、「エルドレッド」だとバレる可能性が高いと訴え、踵の低い靴になったからだ。
ドレス自体の装飾はないに等しいが、耳につけられたイヤリングや手首のブレスレットは、壊したら僕が千人くらい身売りしなきゃいけないほどの高価なものだ。しゃらりと高く可憐な音が鳴るたび、「金貨うん千枚!」と聞こえてしまうのは貧乏人の性というやつだと思う。
ドレスの色は、胸元の方が濃いラベンダー色で、裾に向かうにつれて薄くなるグラデーションがかかっている。一応、本日の相方とされるグレン様の瞳の色――アルコット家の象徴が深紅なのに対し、僕の目が深い蒼なので、反発しないで調和する色を選んだ結果らしい。
その相方たるグレン様とはここ三日ほど会っていない。それどころか、誰一人として会っていない。顔を合わせているのは、僕の秘密を知っており、僕の着付け係りとしてナタリアが送ってきたナタリアの乳母だけだ。
この別邸にはグレン様のお母上がいらっしゃるらしいのだが、グレン様の許可がないとダメだと固く禁じられた。
この三日間、兄様は上手くやってくれているだろうか。
男であることを見せつけてほしいこと、グレン様とは穏便に済ませてほしいことを伝えておいたけれど、どうなっているか、不安は尽きない。
グレン様のお世話から数日間離れることに決まったあの直後。兄様とナタリアがなんとも小さな理由で修羅場となり、それを穏便に収めようと姉様がかかりきりになったせいでしばらく時間ができたので、その隙に僕はグレン様にこそっと忠告しておいた。
「僕と同じ顔だからって兄に僕と同じ対応をしないでくださいね」
「そんなに僕を独占したいの?」
「……どうしてそうなるんです?」
「他人に同じ対応をするなって、自分だけ特別扱いしろってことと同義でしょ?」
「どれだけ前向き思考なんですか。僕にも普通の主従と同じ対応をしていただきたいと心から思っていますが、グレン様の嗜虐趣味はどうにも抑えられませんから、兄の行く末を心配しているんです。僕の代わりについ苛めた、が頻発しそうで夜も眠れません」
「僕のことを考えて夜も眠れないなんて、よっぽど僕のことが好きなんだね」
「会話の一部だけを都合よく改変するその稀有な才能を僕に欠片でも分けていただけたら、きっと僕の胃痛は少なく済むんでしょうね。胃に穴が空きそうです」
「毒入りの物を食べてなんともない時点でお前の胃は健康そのものに決まってる。安心しなよ、他の誰かになんて目を向けないよ。お前じゃなきゃ意味がない」
「そんな特別扱い、ご不要です。兄に迷惑をかけたくないだけで、本当は他で発散していただきたいと心の底から思っていますから、いつでも他のお気に入りを見つけていただいて構いません」
「それがさ。最近はお前を苛めないと気が済まなくなってきたんだよね」
「――三日と言わず、一生お暇をいただけませんか?」
「どこにも行けない体になる自信がついたらもう一度申し出るといいよ」
あの時の会話を思いだしただけで日常に戻るのが億劫になる。
未来の僕という貴い犠牲が確定している中での唯一の救いといえば、グレン様が兄様をうっかり苛めてしまう、という事故が起こらないだろうことくらいだ。
はぁーと重いため息をついた時、部屋のドアがノックされた。ノックの時点でグレン様ではないだろうと思っていたけれど、予想通りご本人ではなく、グレン様の筆頭執事のあの黒服のおじいさんだった。
「あ、グレン様の――」
「セントポールと申します。ポールとお呼びくださいませ、アッシュリートン様」
「分かりました。グレン様のご準備ができましたか?それならそろそろ会場に向かいますね」
僕は、本人が選んだ婚約者としてグレン様にエスコートされて会場に入ることになっているので、ご主人様の準備が出来た報告を受けてから移動するように言われている。だから、てっきりその報告だと思っていたのに、ポールさんは軽く首を横に振り、目を伏せ気味にして僕に言った。
「いえ、まだです。――アッシュリートン様。うら若きお嬢様と同じ空間に二人だけになることはあまり褒められたことではないのですが、ハットレルご令嬢の乳母様も含め、少々お人払いをしていただけますでしょうか。お話したいことがございます」
「え?」
「もちろん、ご不安はおありでしょう。なにか私めが危険だと感じたら大声で叫んで助けをお呼びください。乳母様方もお近くに控えて下さって構いません」
「い、いや。そういう不安は特にはないのですが……」
日頃男として過ごし、武術も魔術も訓練されている僕だ。普通のご令嬢が心配するような不安は全くない。これまで無口を貫いてきた人の唐突で長い申し出に面食らっただけだ。
それに、普段の様子を見ていてもこの方がグレン様に逆らうことは考えられない。グレン様は、僕が(ご本人によるものを除く)怪我をすることをひどく嫌っているようだから、僕に危険なことはしないだろう。
グレン様にポールさんからアルコット家の事情を聞けと言われたのに、グレン様と離れてしまったせいで執事のポールさんと会う機会もなかった。もしかしたらそのことかもしれない。
そう思い、僕は、ナタリアの乳母がしぶるのを必死で説得してポールさんと二人で会話できる状況を作った。
重いドアが音もなく閉まり、二人だけになった部屋で僕が椅子を勧めても頑なに断られた。
「貴族のお嬢様と平民が同席など、恐れ多いのです。どうかお許しください」と何度も深く頭を下げられては僕も無理強いはできず、仕方なく僕だけがふかふかの高級椅子に腰かけた状態で対面する。
――とはいえ、ポールさんは目上の人と向かい合う時の鉄則に従い、僕と決して目を合わせてくれないけれど。
アッシュリートンでは、ここまではっきり平民と貴族を区別する習慣がなかったから背中がもぞもぞする。貴族意識の強いアルコット家の使用人ならではなのかな。
「それで、お話というのは?」
「グレン様の生い立ちについてです。第二王子殿下にお仕えする前のグレン様がどういう経緯をたどってきたか、この婚約者選定の前に、どうしても知っていただきたく、このような不躾なお願いをしてしまいました」
グレン様の過去。それは僕がこれまで一度も耳にいれてこなかった情報だ。
「……僕は偽婚約者ですが、それでもいいのですか?」
「アッシュリートン様にこそ、お聞きいただきたいのです」
「分かりました。そこまで言うなら、お聞かせください」
なぜか緊張し、ごくりと唾を飲み込んで構えると、ポールさんは相変わらず視線を僕から外したまま言った。
「グレン様は今のアルコット家ご当主の実のご子息ではありません」
「グレン様は養子……なのですか?」
「はい。今のご当主の妹君にあたられる、レイフィーお嬢様のお子様です」
となると、グレン様は甥っ子ということか。
貴族の中で養子を取るということは、ないことではない。血統を重んじるとはいえ、能力の低い子や魔法を使えない子を嫡子にはできないから、能力の高い親戚の子を養子にとることはままあることだ。
「そうなのですか。じゃあグレン様のお父君もアルコット家縁の方なのですか?」
僕が自然な疑問から尋ねると、ポールさんは首を横に振り、より一層声音を落とした。
「いえ、グレン様の父は……平民でございます」
「――え?」
「レイフィーお嬢様の従者をしておりました、私の愚息です。あれはお嬢様をたぶらかし、アルコット様を裏切り、お嬢様を連れ去りました」
「なっ――連れ去るって――」
「駆け落ちなどをしたのです。……レイフィーお嬢様が発見されたのは、そのおよそ八年後。その頃にはもうお小さいグレン様がいらっしゃいました」
言われたことを理解できずに声を漏らした僕に、ポールさんは追い打ちをかけるように続けた。
グレン様のお父上が平民?ということは、グレン様は純粋な貴族じゃなくて、混血?それなのにあれだけの魔力が?
そんな、まさか。だって、平民との混血はよくて準男爵程度の魔力しか持たないっていうのがこれまでの常識だったはず。
いやそんなことより、もっと大事なことが。ある。グレン様の実のお父上は、どうなったの?
グレン様が実のお子様だとすれば、グレン様のお父上は、当然ながらグレン様のお母上の純潔を散らしたことになる。
貴族意識の塊の家から、王家に近く、おそらく王太子妃候補であっただろう、貴重なお嬢様の純潔と人生を奪った平民の、その後は。
「グレン様の実のお父上は……?」
「その場で罰を受けましてございます」
「罰って……?」
最悪の想像で震える僕に対し、ポールさんは、平坦な、僕が聞きとれるか聞き取れないかほどの声量で続けた。
「追手として向けられたアルコット家の精鋭に、二人の過ごしてきた隠れ家で剣で全身を貫かれ、レイフィーお嬢様とまだ五つにもならないグレン様の目の前で亡くなりましてございます。――実の父から噴出す血で、幼いグレン様の全身があの紅玉の瞳ほどに真っ赤に染まり、レイフィーお嬢様が一時正気を失われたほどの凄絶な最期でございました」




