13 小姓の義姉様は手強いのです
少年は僕の前にやってくるとにっこりと笑った。笑い方も歩き方も僕そのもので、驚きすぎて声も出ない。くるりと得意げに回って見せるところも、ちょっとした髪の弄り方も、僕の動作や仕草と瓜二つだ。
こいつは誰?人形?それともグレン様が魔法で作りだした幻覚?
立ち上がって正面からその少年に向かい会い、本物の人間か確かめるために頬をぎゅっと抓ってみたところ「いたたたたたたたた!痛いよ!」と僕と同じ顔が涙目になる。
感触も人間そのものだ。人形とか幻覚とかじゃない。
「ふふ。僕が誰かって、混乱してる?そりゃあ、エルドレッド・アッシュリートンに決まってるよ」
抓った指をじっと見て固まる僕を前に、少年は得意げに笑って、鼻を指で軽くかいた。
その癖を見た途端、それまでの僕の緊張や恐れが一気に溶けてしまった。
どれだけ似てても個人の癖は変わんないんだもん。
今度はこちらがにっと笑い返し、お返しのように思いっきり少年に飛びつくと、少年は「うわぁ!」と喚きながらも僕を受け止めた。
ほら、こうやって抱きついてみればすぐわかる。見た目は僕そっくりだけど、筋肉の硬い、男の子の体をしている。目の前の少年は紛れもなく本物の男性だ。体の感触が全然違う。
本人でも騙されるくらい顔立ちがよく似てて、本物の人間で、僕の会話の癖や動作まで即座に真似できる人なんて一人しかいない。
「兄様の馬鹿!最初分からなかったからびっくりしたじゃないか!」
「……うわー結構早くにばれた。くっそ。自信あったのになぁ」
少年――ユージーン兄様は僕に押し倒され、絨毯の上に尻餅をついたまま、兄様の口調で苦笑した。
「仕事?」
「そ。依頼主はそちらのお前のご主人様。エルが学園を離れている間と当日の約三日間、『エルドレッド・アッシュリートン』になりきることが依頼の内容」
例の黒い執事さんに出してもらった紅茶を飲んだ兄様がソファに腰掛け、僕の姿で頷く。
ちなみに僕はといえば、当然の如く、兄様の対面に位置するグレン様の隣――ではなく、またもや足元に戻った。あれだけはっきりとご自分の希望を押しつけられた後にご主人様の隣に座る勇気はないからね。
同じ姿のはずなのに、グレン様は、ソファに座る兄様には何も言わない。なんだろうこの差別。
しかし、こんなことで文句をつけていたら日が暮れても言葉遊びで終わるのは分かり切っているので、文句をつけずにグレン様を見上げて尋ねる。
「そういえばさっきグレン様も仰っていましたけど、学園を離れるってどういうことですか?」
「そのままの意味。今日、お前は学園に帰らないことになってる」
「……それはまさか今日この場で僕の学園人生が終わるとか――!」
「それをお望みならそれでもいいよ」
「僕はあそこを気に入っているので是非とも卒業したいですですからどうか気まぐれに約束を破るのはやめてくださいね」
「お前も物好きだよなぁ。あんな缶詰のどこがいいんだか」
僕がグレン様の気まぐれを必死で止めていると、兄様が僕の顔で呆れ顔をする。うーん、早く変装を解いて元の顔に戻ってほしい。自分に見つめられるのって複雑だ。
「好きなことを学べるからいいんだよ。色々、色々、色々、言いたいことはあるけど、一応ばれないように工作してくれている人もいるし」
「お前は僕に言いたいことがあればいつもその場で言ってるじゃない」
「あれでも百万分の一に抑えているんです。それはさておき、今日の僕が学園に戻らないでどこに行くのか知りたいのですが、お教え願えますか?」
「アルコット本邸にある僕の別宅」
定位置を決めている猫よろしく、ソファに座ったグレン様の足元に戻ったおかげか、グレン様は、珍しく素直に答えてくれた。
「アルコット家の敷地の中にグレン様の専用のお屋敷があるんですか?」
「僕専用、というより、正確には母上と僕の屋敷、かな。今は母上が住んでいるところだよ」
「グレン様のお母上がいらっしゃるんですか?じゃあ僕、ご挨拶した方がいいですね。何かお花とか、お土産を持っていく暇を与えていただけますか?何かお好きなものがあれば――」
「要らない」
グレン様が恐るべき速度で僕の質問を遮った。
グレン様が僕の質問を遮ることはよくあることだけど、今のはいつもと違った。僕の話をからかうような声音がなかったというのか、なんだろう、いつもよりもずっと跳ねのけるような印象の強い声。僕が驚いて一瞬びくりとしてしまうくらい、きつい口調だった。
僕、何か言ってはいけないことを言った?
「え、と――」
「今はもっと他に知るべきことがあるでしょ。そろそろ外出時間も終わりになる」
グレン様がちらりと壁掛け時計を見て、矢継ぎ早に続けた。
「お前を直接向かわせるのは、僕と同じタイミングで学園を出たら、『エルドレッド』と『エレイン』の行動時間が被って周りに怪しまれる原因になるし、お前が化ける時間もないから。かといって、学園の警備はそれなりだからね、お前一人が忍んで出るのは至難の業だ。となれば、今日、こうやって外に出たタイミングですり替わって、お前だけ先に僕の家に向かうのが一番楽でしょ。こうなったら、この機会を利用して、お前が『エルドレッド』とは別人であることを周りに認めさせる方がこれからも都合がいい。そう思って、お前の父君である男爵に、兄君であるユージーン殿に協力を仰げないか聞いてみたんだ」
確かに、病欠でその期間休んだりなんかしたら、ただでさえ性別やら妙な噂を怪しまれている僕の疑念を深めてしまう恐れがある。この方が建設的だ。
「兄様がそんなに変装が得意だとは思わなかったからびっくりしたよ」
「伊達に学園通わないで外で暮らしてないだろ?見直した?」
兄様は、紅茶のカップをテーブルに置くと、得意げに僕に笑いかけてきた。兄様らしい、得意げでからっとした明るい笑顔は小さい頃から変わらないな。
「うん。兄様、昔から声真似は得意だったけど、ここまでだった?腕磨いたの?」
「そりゃな。俺、外で行商団で一劇団員として回ってるけど、こういう、他人に成りすます仕事は結構多くてさ。お祖父さんだったり、おっさんだったり、若い女ってこともあるんだ。声真似して、変装して、時には女装もして生活してるんだから、人の動作や仕草、表情の真似は日常茶飯事なんだよ」
「へぇ、すごい!大変そう」
「だろ」
こうして話す今の声音は、ナタリアの声だ。ナタリアの声で男言葉を話されると違和感で歯がかゆくなる。
言われてみれば、僕と兄様の容姿は似ている。大まかな顔立ちは二人とも父様似だし、髪は兄様の方が綺麗な銀髪なのだけど、くすませれば灰色っぽくなるし、直毛で長さもそれほど変わらない。身長は僕より兄様の方が高いけれど、その差は微々たるものなので、関節を調節すればなんとかなるらしい。
唯一僕が、母様と姉様とそっくりな目の色と形だけは違うけれど、そこは特別な目薬と目元の化粧でやり過ごしているのだそうだ。
「もし姉様だったら?」
「だいぶ頑張んなきゃいけなかった。姉さんは声が出ない分、表情や仕草が細かいからな。そのあたり、俺とエルだったらパッと見の印象以外もほとんど変わんねーから楽。――というわけで、さっきのようにいきますが、どうでしょうか、ご依頼主様?」
「いいんじゃない?」
兄様が、依頼主というわりにだいぶ素っ気ない口調でグレン様に問い、グレン様も兄様に目もくれずに合格を出す。
仕事上の関係なのだからこんなもんなのだろうけど、なんというか、空気が悪い気がして、ソファの下からすぐ隣に置かれた足の持ち主を見上げる。
「グレン様、兄様に冷たくないですか?」
「普通だよ。お金でやり取りする仲なんてこんなものでしょ。感情が入らなくてやりやすい」
「そうですか?円満な関係って何事においても大事だと思うんです」
「お前と僕は円満だもんね」
「グレン様が性格を180度矯正してくださったらかろうじて円満になる余地もあると思います。――兄様も。これでも依頼主なのにいいの?」
「これでもとはいい度胸だね、エル」
「いいんじゃねーの。受けた以上は真剣にやるけど、父さんに言われてなければ受けてねーし」
兄様もぷい、と顔を背ける。久々に会ったというのに機嫌が悪い。
「父様がやれって言ったの?」
「……色々、グレン様に借りがあるんだと。俺が返す道理もねーけど、父さんの頼みだし、大事な妹が困ってるってなったら受けないわけにもいかねーから受けた。それだけ」
父様がグレン様に借り?ほとんど接点もなさそうなのに?
行きがけにヨシュア君に言われた父様からの伝言と何か係わりがあるんだろうか。
うーむ。なんか最近僕が分かっていないことが多すぎる気がする。情報が足りない。
「グレン様、父様にどんなことを――」
問いかけたとき、ちょうど部屋のドアが開いた。執事のおじいさんに開けられたドアの前には、姉様とナタリアが立っていて、僕たちの方を見てぽかんと口を開けて固まる。
すると、兄様が何かを思いついたかのようににやりと笑って僕の傍にやってくると、僕の腕を掴んで立たせ、二人のところまで僕を引きずると、にっこりとナタリアに笑いかけた。
「ねぇ二人とも。こいつ、僕の真似している偽物なんだよ、分かる?」
「え?」
「僕が試着した後、ちょっと目を離した隙に私服盗られちゃってさ。困ってるところでグレン様に捕まえてもらったんだ」
ちょっと兄様、何を言ってるの!?
僕がそう言おうと思ったときに、はぁーと大きなため息が聞こえ、次の瞬間、兄様の耳が赤くなるほど左右に引っ張られていた。
「いっいたたたたたた!ナタリア、なにするの――」
「ユージーン!悪ふざけでも許されない嘘をついたわね。エルに謝りなさいよ」
「ナタリア、この人が兄様だって分かるの?」
「ナタリア、俺が違うって分かるの?」
「そりゃ分かるわよ」
僕と兄様が全く同じ声、同じ表情で、同じタイミングで尋ねたのに、ナタリアは腰に手を宛て、平然と言い切った。
「グレン様のお傍にいさせてもらえる方が本物に決まってるじゃない。それで、こんな悪ふざけするこれだけ似た人間なんて、ユージーンしかありえないもの」
「なにその理由……」
「そりゃあ、ねぇ、メグ姉様」
ナタリアが兄様の耳を引っ張ったまま意味ありげに姉様に笑いかけ、姉様は困ったような笑顔を浮かべながら頷いた。
確かにその理由は間違ってないけど、二人とも分かってないな。
僕がグレン様のお近くにいるのは「いさせてもらえる」んじゃなくて、「いさせられる」からだよ。嗜虐趣味発散対象として。




