9 小姓は奇襲を受けました
「疲れた……」
試着を終え、男性用普段着に戻った僕は、グレン様の邸宅を出て、一人学生街にやって来ている。目指す先は、僕が普段ヨンサムたちへのお土産を買う店。姉様が一番好きなミルフィーユが美味しいお店なのだ。
大好きな甘い物がもうすぐ目の前にやってくるというのに、僕は大きなため息をついていた。
それもこれも、全て先ほどの試着のせい。
初めて年頃の女性もののドレスを肌着からなにから全て装着した感想を述べるなら、あれは体罰、言い換えるなら、お仕置きだ。ちなみにこのお仕置きは、ただのお仕置きじゃなくて、「グレン様の」という頭書きが入る。
淑女のドレス姿の美しさの秘訣には色々あるが、その中でも一つ挙げるなら、くびれだと思う。
貴族女性がパーティーで着るドレスは、女性らしさの象徴であるふくよかな胸とお尻に挟まれた細い腰を目立たせ、曲線美をいかにアピールできるかを追求したものだといっていい。
お分かりだと思うが、僕にはくびれなんぞというものは存在しない。
ここで、「ないなら作るしかないでしょう」と断言するナタリアは普通なら正しい。正しい……が、僕はお腹周りがふっくらしていてくびれないんじゃなくて、そもそもお肉がつきにくいタイプなのだ。贅肉だけじゃなくて筋肉すらつきにくい。やせぎすな少年に間違われるくらいだ。
そんな僕だから、くびれをつくるためには、上に詰め物を入れさえすればいいんだろうと嵩を括っていた。ナタリア自身も最初は、「ドレスはこれね!」と楽しそうに今時の型を選んでいたし、僕も、「へぇ、僕でも着られるんだー。こんなもんかー」と、鼻歌なんぞを歌えるほど余裕をかましていたのだ。
しかし、それは調整前の段階に過ぎなくて、コルセットを一応の段階まで着た後が本番だった。
今日、ナタリアが初めて持ってきた秘密兵器とやらは僕にとってなんの不都合もなかったのだけど、彼女が作ってグレン様に献上したシュミーズとコルセットは、立派な兵器だった。
前者は色仕掛けという意味で、後者は物理的な破壊力という意味においてだ。
僕の肋骨に、これまで幾多の苦行を耐えきってきた驚異の耐久度がなかったらきっと僕は泡を吹いていただろう。
最終的には、「うーん……やっぱり思った通りのくびれはできないわね、こうなったら王道を諦めて違う路線でいきましょう!」と宣言され、全く違うデザインのドレスを再度着て調整し、最終的には、迷監督・ナタリア納得の出来栄えになったのだけど、最初のドレスは無理だと予想していたならやる気満々で締めないでほしかった。
最終決定版の方がコルセットの締め付けが緩いので、食べたものを即座に吐き出すことはないだろうけど、それでも男性用の服に比べればぎゅうぎゅう締め付けられる。あれで食べ物を口にしながら微笑んで更には何曲も踊るだなんて、考えただけでも頭に不可能という文字がチカチカと点滅する。
が、絶対にこのことは口には出さない。
だって、出した途端に、婚約者(期間限定)が
「足元に熱した鉄板を置いたら大丈夫じゃないかな。愛しい生涯のパートナーへ僕からのささやかな贈り物だよ」
なんて言いながら、すぐにお得意の火をフル活用して、女性の華奢な靴なんかじゃ耐えられないくらいの高温の鉄板を用意し始めるに決まっているからだ。
二度と着たくないのに、今日はただの試着で、本番が明後日に控えているだなんて。
今の僕の気分を例えるなら、包丁を向けられたまな板の上の魚、もしくは筆記試験後のヨンサムだ。
「衣食住が整わないと人は幸せに暮らせないとどこかで聞いたけど、あれはむしろ人生を不幸せにするものなんじゃないかな……」
「なんだ。旧式の鎧でも身に着けてみたのか?」
「心の鎧なら常に身に着けておりますよ。無防備だとどなた様かにつけいれられて散々痛い目を見ますから」
唐突に後ろからかけられた声に条件反射で皮肉を返してからはっとして固まる。
しまった、グレン様はここにはいなかった。じゃあ、後ろの声は誰?
振り返るとそこには、どこかで見覚えがあるという表現では足りないくらい、短期間で濃くぶつかり合った経験のある麗しいラズベリー色の髪の青年が立っていた。
「え……っと、どうしてここにいらっしゃるんです?」
「俺が学生街にいたら悪いか」
「あ、もう私とはおっしゃらないんですね」
「貴様に丁寧な言葉を使う必要を感じなくなったからな」
「もともと感じていらっしゃらないでしょうに」
「もっともだ。では気持ちに忠実になったと言うべきか」
「買い物に来られたんですよね?僕に喧嘩を売りに来られたわけじゃないですよね?」
僕の発言に、切れ長のラベンダー色の瞳がすぅっと細められる。
「貴様に喧嘩を売りたいのはやまやまだが、今日の用事はそれではない」
「では僕はお邪魔ですね。僕もキ……クロフティン様の休日をこれ以上邪魔するつもりは毛頭ございませんので、これにて失礼いたします」
「待て」
一礼の後にささっと退散しようとしたのに、しっかりと腕を掴まれた。
「なんでしょう?僕にご用事ですか?」
「……………………共に、茶を飲まないか?」
「今、なんと?」
僕が問うてから優に数ミニ以上を経たのち、苦虫をかみつぶした顔で、決闘を申し込むような決意を籠めて歯をギリリと鳴らしてからの発言だ。聞き間違いだと思った僕は悪くない。
「その容姿にして耳は老化の一途か」
「帰ってよろしいでしょうか」
「断るつもりか」
殿下やイアン様やグレン様と比べても見劣りしない整った顔をこれでもかと顰めたまま、お茶を飲もうと誘うってどういう状況?中に毒でも入れて耐久勝負でもするつもり?それともにらみ合いながらマナー違反をいちいち注意しに来たの?
なんにせよ、これほど嫌なお茶はない。
真面目で典型的な貴族らしいキール様は、ちょっと頭が固くて、グレン様のストーカーな変人というだけで悪人ではないとは分かってきたけれど、僕との相性は最悪だ。丁重にお断りしたい。
だけど、キール様はこれでも上位貴族だ。本来なら下位貴族である僕がこの誘いをお断りすることは許されない。姉様がお忍びでグレン様の別邸にいらしている今はあまり揉め事を起こしたくないし、どうすべきか。
キール様は、悩みつつ、警戒心丸出しでうーっと唸っている僕の顔をしばし見た後、決め手の剛速球を放ってきた。
「学生街で一番高級な菓子を出すところならいいか?代金は俺が全額出そう」
「……え!?僕はグレン様に全てを搾取されているので、臓器以外差し上げられるものはございません!」
「いらんそんなもの」
「でも……そんな気前のいい話が……。タダより高いモノはないと聞きます」
「タダではない。貴様に訊きたいことがある。俺の用事で呼び止めて時間を使わせる礼だ」
「あのーあそこの額をご存知で仰っていますか?」
「知らんが構わん。いつもここに来て甘味が必要なときはそこを使っているが特段不都合を感じたことはない」
嫌味か!貧乏底辺貴族への痛烈な皮肉か!
いや、でもこの顔、本気でそう思ってるな。腹立たしい金持ちめ!こうなったら――
「お、お土産もつけてくださいますなら」
「欲しい物をいくらでも」
「参りましょう」
僕はあっさりと誘いに乗った。軽いと言うなかれ。甘いものは正義だ。
僕とキール様は何一つ会話をしないまま、学生街で一番高級な菓子店の門をくぐった。
利用客に平民がほとんどいない学生街の店では、貴族の爵位による態度の差は顕著だが、キール様はその中でもどうやら常連らしく、来店した途端に個室に案内される。
話があるというわりに何一つ話題を振って来ないので、仕方なく高級菓子の分の働きを見せようと僕から話題を振ったのだけど――
「クロフティン様は甘い物がお好きなのですか?」
「嫌いだ」
せめてこっちを向きませんか?顔を合わせるのは人としての鉄則ですよ!
「そ、そうですか……。えぇと、あ。髪を切られたんですね。あんなに長くて美しい御櫛でしたのに、どうかしたのですか?鳥のフンがつきました?」
「貴様と一緒にするな。これは俺なりの、グレン様への敬意の表明と今後の方針についての回答だ」
「……えーっと、全く意味が分かりません」
「分かるように言っていないからな」
――で会話終了。以降、沈黙。相手は会話する気ゼロだ。
僕の中ではお茶って一緒に飲む人と和やかに談笑しながらするものだったんだけど、気のせいかなぁ?そして、相変わらず僕のことをしゃべる猿くらいにしか思っていないんだろうけど、そろそろ人間に昇格させてほしい。グレン様といい、つくづく僕を人間と認めたくないらしい。
考えればすこーし思うところもあるけれど、代金は全部払ってもらうのだ。主人は向こう。
そしてこの店は、小さな菓子一つが銀一枚したりするのが当たり前で、高いモノになると金貨まで出さなきゃいけなくなってしまう店だ。僕のお財布では到底たちうちできず、足を踏み入れるのもはばかられる。ない袖は振れないからね。
そんな店で食べ放題。
降って湧いた好機をこんなみみっちい感情で台無しにしてはもったいない。私心を消し、相手の気分を害さずいかにたくさん食べられるかがポイントなのだ。
今日ここに来てすべきは、美味しいお菓子を心ゆくまで堪能することのみ! 目の前の人がこれからその狂信っぷりを遺憾なく発揮して散々ご主人様の魅力を語ろうが、僕がいかに不出来かをぶつぶつ文句垂れようが、貶され続けようが、僕は耐える!
「先ほど俺は甘いものが嫌いと言ったが、俺の婚約者が甘い物が好きでよく買いに来る」
案内された個室で決意を固め、漂ってくる甘い香りを堪能しながらふかふかのソファに座って、今か今かと焼き立てのお菓子を待っていた時、突然、紅茶を口にして何かを諦めたように静かに虚空を眺めていたキール様が言ってきた。
「は、あぁ……ご婚約者様がいらっしゃるのですね。きっとさぞお可愛らしい方でしょう」
「そうだな。親が決めた相手だが、幸いにして可愛い女性だった」
のろけやがった!まさかこの口から女性を可愛がる言葉が出て来ようとは……!なに、僕、今日そういう要員なの?
「そ、それはようございますね。どうぞ、是非魅力を語ってください。僕は甘いお菓子と甘いお話でお腹いっぱいになろうと思います」
「普通上位貴族ともなれば、婚約者を幼少時に親に決められる。しかし、グレン様にはこれまで婚約者がいらっしゃらなかった。このことをお前はおかしいと思うか?」
会話のテンポがおかしい。もう大分前に出した話題を蒸し返すわ、いきなり話が飛ぶわ、本当にこの人頭がいいんだろうか。
常に揚げ足を取ってくるグレン様とも会話は難しいけど、キール様もよく分からない。
でも僕は今、たった一つだけ分かったことがある。
類は友を呼ぶのだ。グレン様、お友達が増えるチャンスです!
「えー、確かに変だな、とは思います」
「馬鹿か。おかしくない。グレン様が幼少のみぎり、アルコット家は全盛だった。他の家の女性を予め婚約者として決め、繋がりを作って政略する必要がないほど勢いがあった。あの時点で婚約者を決めれば、相手の家のせいでかえってアルコット家が小さくなりかねない。それを避けるためだろう」
耐えろ、耐えろ僕。思い浮かべろ、あの素敵なお菓子たちを。
りんごパイ、チーズケーキ、果物タルト、ミルフィーユ!
「そのグレン様がこのたび婚約者を決められる。しかもそのお相手はグレン様自らがお連れするらしい」
「はいそうですね」
キール様の脈絡のない話の最中に焼きあがったばかりのクッキーがやってきた。
ケーキの前座だな、わーい!さぁ、僕のストレスを軽減しておくれ!
クッキーに手を伸ばし、口に含むとさくりといい音がしてふんわりと濃すぎないバターの味が広がる。あぁ美味しい!
視界にそのラベンダー色の瞳をいれないようにしていたし、向こうもそうだったはずなのに、不意にその麗しい顔が僕を見た。
「そのグレン様がお連れするお相手は、お前か?」
一生涯食べることのないだろうお菓子を堪能していた時の爆弾発言に、僕は、齧っていた貴重なクッキーを喉に詰まらせることになった。




