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小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第三章 学園大会編(16歳末)
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34 好敵手の邪心

主人公がお休みにはいる関係で語り手がしばらく変わります。

 上位魔獣であるタレタレシャーレは、正体の分からない巨大な黒い球体――アッシュリートンが言うにはサーザントアリクイ――との戦いを終えた後もこちらを襲うことなくじっと佇んでいる。

 人を忌避する上位魔獣が、人と相対しながら危害を加えないはずがない。

 学園で教わった通りに行動するなら、俺は目の前の上位魔獣殲滅に向けた行動を開始するべきだった――のだと思う。

 

 しかし、こちらに黄色い目を向けたまま、威嚇の姿勢も取らない上位魔獣が纏う静けさに、俺は攻撃を開始することができなかった。攻撃するでもなく、助けを呼ぶでもなく、ただ固まるだけの俺とは正反対に、動き出したやつがいた。


 大怪我を負ったはずのアッシュリートンが、腕を地面にめり込ませるほどに震わせながら、上体を持ち上げていたのだ。


「おい!何を考えて――」

「……邪魔、しないで、ください。今の、僕には、余力が、ありません」


 医療従事者でなくても絶対安静を厳命されるだろうことが一目で分かるほどの大怪我を負ったそいつは、弱弱しい力で俺の腕を押し返す。

 簡単に折れそうな泥まみれの細腕とは対照的に、こちらに向けられた青い瞳ははっとするほど強い力を帯びていて、止めようとする俺の体を再び固まらせる。

 立ち上がって踏み出す歩みは、今にも倒れそうなほど力がない。歩みが独力ではないのは、その体を支えるためだろう、あたりに巻き起こされている弱い風で分かる。

 それなのに、危ないともやめろとも言えない。

 服の繊維を溶かされ、元の色が分からないくらいに赤く焼けただれた、見るも無残な小さな背中が、無言で俺の口出しを禁じるのだ。



 俺が無言で見守る中、アッシュリートンは、ふらふらと頼りない足取りで、タレタレシャーレの鼻先まで向かった。そして蛇の溶けた鱗に手を宛てがう。

 手を宛て、ポケットから取り出した薬をかけ、そこを小さな魔力で凍らせて。一つが終わればその次へと。背の低いそいつは、額から顔の横を流れる脂汗を拭う手間も惜しんで物も言わず作業を進める。そしてタレタレシャーレの方も、鱗に触れる人間を弾き飛ばすことなく、静かにその行為を受け入れている。



 そうして一連の作業が終わり、アッシュリートンの震える指先がその巨大な鼻先を撫でたのを機に、タレタレシャーレは森に帰っていく。

 俺たちにただの一度も殺意や敵意を向けることなく、それどころか、最後の指先と鼻先の交流を、一人の人間と一匹の魔獣が全ての終わりとお互いへの感謝を伝えたようにさえ錯覚させるほど、不穏な空気を感じさせなかった。


 そんなことは、これまでの俺の常識ではありえない。ありえなかった。

 ありえないはずなのに、目の前で行われたそれは紛れもない事実。


 呆然として固まっていると、一人になったアッシュリートンが地面に屈み、ふいにふらりと前方に揺れた。


「おい!」


 我に返って駆け寄ると、アッシュリートンは顔を上げる代わりに俺に小さな小瓶を押し付けて来る。


「こ、れを……お願い、します……」

「なんだ?」

「これを、グレン様に……あと、小姓のお仕事、中途半端でごめんなさいって、伝えてください…………あの子を助けられなかった分、ちゃんと、分かってあげないと、いけないんです……きっと、グレン様も、必要とされる、情報だと……」


 小瓶の中には、四散した黒い球体の化け物の体の一部らしき黒い半液体が詰まっていた。

 押し付けられたそれを片手に持ち、もう片手で火傷に触れないように肩を支えた俺にもたれかかったまま語る青い瞳はぼんやりとしていて、焦点が合っていない。

 それが急激に空恐ろしくなって俺はつい大きな声で呼びかけた。


「何を言っている!?死ぬ気か!?死ぬ気なのか!?」

「ちがい、ます。不吉なことを、おっしゃらないで、ください……しばらく寝る、だけ、です……怒鳴られても、首絞められても、起きられない、と思う、ので……」

「……まさか、魔力枯渇か……?」

「そんな悲痛な顔、されなくても、僕、何度も、やってます、から……」

「何度もだと!?」


 魔力枯渇とは、体内魔力限界値を越えて魔力を使ってしまった場合に起こる現象を指し、一時的に体が仮死状態に陥る。魔力という、人間の体に必要な力を過剰に失ったことへの体の防衛本能の一つと言われており、意識を失う期間――すなわち、回復に必要な期間は体内魔力量を決める器の大きさに比例する。


 戦闘中に起これば致命的であることを除いても、魔力枯渇は純粋に恐ろしいものとされている。

 魔力枯渇で昏倒した場合、目覚める瞬間まで、本人の想定しうる最も苦痛で恐ろしい体験を繰り返す、らしい。

 らしい、という曖昧な表現になるのは、研究が未発達な分野だからだ。 

 魔法を使える『貴族』である以上、自分の体内の魔力残存量など物心つくあたりから感覚で把握している。体内魔力が生命維持の限界値に近づくにつれて体と精神に強い負荷がかかるし、限界の手前で止めることが正しい使い方と教えられていることもあって、魔力枯渇など滅多に起こるものではない。

 一応、生命維持に必要な魔力まで用いたことに対して脳が恐怖意識を植え付け、限界を覚えさせるためのものだというのが今のところの通説だ。


 それほどのことを、いともたやすく何度も経験していると言うのだ、こいつは。


 加えて、緩やかな魔力枯渇が生命にかかわらないのは、魔力が回復できるものであるからであり、魔力を生成する体に致命的な傷がないことがその前提とされている。

 今のこいつはその前提が成り立たない。


「危険な傷を負っている状態で魔力枯渇状態に陥ることがどれだけ危険なのか分かっているのかお前は!」

「文句が、小姑みたいです……眠いんで、寝かせてください……」

「相変わらず失礼だな!おい、寝るな、二度と目覚められなくなるぞ!おい!なぜ俺を庇った!?なぜ魔獣の回復を優先させた?自分の回復をしなかった!?お前なら自分で自分の治療くらいできるんだろう!?」

「キール様も、泳げないのに、川に、飛び込んだじゃない、ですか……」


 こんな時にまで失礼な口の利き方をしていることにどうしてだかわずかにほっとする。

 が、先ほどまでと違い、生意気な青い瞳は眠たそうに細められていて、今にも意識を失いそうなほどか細い声のままだ。


「――お、俺がグレン様にこれを渡すか見届けるべきだろう!お前のことを貶めたくて俺がこれを隠したらどうする!」

「なさいませんよ、キール様は……」

「そんなこと分からないだろう!」


 どうにも耐えられなくなって肩を揺さぶると、細められた瞳のまま、半分以上意識を飛ばしているアッシュリートンが小さく笑みを作る。


「やっぱり、キール様、そんな悪い人じゃない気がしますし……」

「は!?何を根拠に――」

「それに、僕のことを嫌いでも、グレン様のことは、お好き、でしょう?……信用、してます。お願い、します……」


 言い切った途端、かくん、と唐突にその首から力が抜け、どっと腕に重みがかかってきた。


「おい、アッシュリートン!?おいっ!」


 強く揺さぶっても、閉じられた薄い瞼は開かない。力なく下を向いた細い首がかくかく揺れるだけだ。


 こんなの、こんなの、俺にどうしろって言うんだ!


 ここがどこだかも分からない、学園に着くまでにどれほどかかるかも見通しがつかない。枯渇まで至らないにしても俺の魔力も体力も大分損なわれている。


 そんな中で生命維持のために一刻を争うようなやつを前に、俺に一体何をしろって言うんだ!



『立ち止まって、文句を言って、考えることを放棄する。それで物事がどうにかなると思ってるなら、永遠にそこで突っ立ってればいいんじゃない?』



 途方に暮れ、動転しかけたところで唐突に、深い深紅の瞳から放たれるひんやりとした視線と、切り捨てるような言葉が脳裏をよぎった。



 俺があの方に本当に憧れた理由は、地位でも能力でも見てくれでもなく、飾り気も建前もないあの言葉だった。


 常に周りと比較される中、早々に自分の能力の限界を感じ、生きていくことの息苦しさにもがいていた時にもらったその言葉のおかげで、自分が上位貴族という身分に思考も何もかもを縛られ、ゴリゴリに凝り固まっていたのだと気づかされた。

 自分より身分が上の、数少ない上位貴族の中でも特に優秀で完璧な子息としての態度を崩さなかったその人が、その立派な仮面を外して向き合ってくれたからこそ、自分の殻を破れたのだ。




 一度大きく深呼吸をして頭を冷やし、アッシュリートンの口から漏れるわずかな呼気と、ひどくゆっくりした鼓動を感じ取る。

どうやら本人の申告通り、魔力枯渇による仮死状態に入ったらしいと確認する。

 さて、俺はどうするか。


 目の前にいるのは、貴族最下位の男爵家の中でも、かろうじて貴族、と言えるほど底辺の次男坊だ。俺が見捨てようが何しようが本来、誰にも文句は言われない。

 それどころか、元の顔立ちはさておき、シャツにも肌にもこびりついた泥のせいでお世辞にも綺麗とは言えないそいつの体を上位貴族(・・・・)である俺が運んで(・・・)歩く(・・)などありえないというのが一般的意見だろう。


 そしてなにより、目の前のこいつは、憧れの人物にいともあっさり近づき、それがどれだけの恩恵かも知らずにその方に仕え、身分などないかのようにじゃれつくやつだ。



 目の前の少年ともいうべき幼さを残す人間が、羨ましくて、妬ましくて仕方がない。

 助けてやる義務もない。誰も見てはいない。



 託された小瓶の中の液体が俺の心の中の闇を写すかのように黒く光る。



 一度目を瞑り、手の中の小瓶を隠すように握りしめ、俺はその場で立ちあがった。


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