22 小姓は毒されているのです
ぱん、と空砲が上がる音が澄み渡った空に響く。
グレン様の前で意見表明をしてから半月。今日は、大会の予選日だ。
大会の本戦が王都で行われるのに対し、予選は学園の競技場で執り行われる。騎士課、魔術師課の二年生以上がほとんど全員参加することから、単純に人数が多く、同時進行で何試合も進めないと予選日程予定として与えられた二日では終わらないからだ。
試合は個人の勝ち抜き戦で、相手を気絶させるか、「降参」の言質を取るか、三人の審判の過半数が一方に判定を下すと勝ちと認められる。そして上位32人だけが本戦に上がって王族の皆様の前で自分の実力を見せる機会を与えられる。僕にとっては順位よりも何よりも32番以内に滑り込めるかどうかの方が重要だ。
今日明日は先生方も審判や救護に回るので、学園の授業も全て休講になり、参加しない、主に特殊課の学生と一年生は自習に励むか、見学かのどちらかを自由に選べる。ちなみに今年の特殊課からの出場者はなんと僕だけ。出ても即敗退が濃厚だからだ。わーい、全然嬉しくないぞ。
対戦相手の発表が四刻なので、それまで観客席にいようと考えた僕が競技場に入ったのがおよそ半刻分前だったのに、既に観覧席は人で溢れていた。
競技場の一階は、屋根がなく、森に半分食い込んだ広大な競技スペースの周囲三方向を囲うように建てられており、審判席と救護室、医師の控え室、出場者控室が用意されているため、観客席は二階より上になる。
競技場の上部に設置された観客席は一部を除き、自由席制。とはいえ、場所によって見やすい位置、見にくい位置が決まっているので、自然、身分の上下で座る場所が決まってくる。
今回、僕は出場者なので僕個人で席を確保することはないが、僕が取る場合、隅っこの一番見えにくい位置になる。そんなわけで仲のいい連中で席取りをするときは、一番爵位が高いやつが行くのが定石になっているのだ。
三階の中央やや東寄り、狙撃や暗殺を防ぐため真下が構造上埋められており、防御魔法が厳重にかけられ、たくさんの警護兵が置かれたところは、特別席と呼ばれるところで、王族と王家と近しい一部の公爵家しか使えない。
今は、殿下の従兄弟君にあたる公爵家の方が王都にお帰りになっており、殿下お一人の貸し切りになっている。殿下の護衛であるイアン様とグレン様のお席ももちろん、そこだ。
グレン様の小姓である僕は、グレン様と殿下が認めて下されば、そちらの席で観覧することも出来たそうだ。
中では、競技場内の音声や映像を拡張して実況を間近で見られる魔道具の他、お茶や豪華なお菓子もふるまわれるらしいから、出場でその機会を失ったのはちょっと残念だ。殿下ならきっと僕にもお菓子をくださったのに。
就職のための大きな試験を控える者が多い特殊課四年生はほとんど見にさえ来ない……かと思ったのだが、いざ観覧席に着いてみると、意外にも半分くらいの生徒が来ていた。主に僕の見知った連中が。
「リッツ、勉強はいいの?」
「俺を誰だと思ってんのー?一日勉強しなかったくらいで落ちるような頭はしてねーっての」
「鼻持ちならないほどの自信だね」
「事実だし?」
「確かに」
観客席でリッツと他愛ない会話をする僕の周りには、他の悪友たちも集まって激励してくる。
「エル、負けんじゃねーぞ!」
「特殊課がどこまでいけるかがお前にかかってんだ!」
「根性見せろよ、エル!」
「一回戦で敗退とか、他の課の連中が予想した通りに進むなんて愚は犯すなー?」
他人事だと思って好き放題言ってくれるよなぁ。でもわざわざ応援しに来てくれているわけだしありがたいと思って……
「エルが負けたら俺たち、騎士課と魔術師課の連中に金ふんだくられるんだからな!」
「…………金?」
「あれ?お前の勝敗に大規模な賭けがされてるんだけど、本人知らなかった?」
「初耳ですが?」
「リッツの誘い文句で騎士課や魔術師課のやつらも大量参加してんだぜ!」
「そのおかげでお前がほんの一回勝ち進んでくれるだけで俺らの遊興費が生まれる!」
「リッツが賭け率10倍でもいけるとか言うから信じてんだぞ、俺ら!」
「……リッツ君。君が僕の大事な試合を賭けの対象にしているとか……まさか君が計画したとか……そんなことはありえない、よね?」
「『愛するご主人様』のためにぜってー勝つんだろ?勝てる試合なら儲けの機会になるに決まってんじゃん。特にお前、大穴だし!てなわけで、期待してるよ?エルドレッド君?」
ちろりと視線を向けた僕にリッツが悪びれもせずにいい笑顔でそんな返事をしてきたので、問答無用で膝裏を蹴りとばす。
僕の背が低いおかげで見事にヒットし、座席に膝を強打し、しゃがみこんで悶絶するリッツの肩を笑顔で叩く。
「ねぇリッツ。おかしいよね?僕が一番苦労するのにさ、僕が何ももらえないなんて。そう思わない?」
「賭けてる以上、俺にも損失のリスクはある」
「じゃあやんなきゃいいんじゃない?ねぇ?自分で賭け設定して、自分で損するだけなら、それって自業自得ってやつでさぁ、損しても文句言えないよね?それ、僕の苦労とは次元が違うよね?それ、理由にならないよね?」
「わわわ、わーかったよ、分かった。俺が賭けた金での収益を4:6で分ける!」
「どっちが4かによるなぁ」
「それはもちろんエルが――」
「僕が?」
「……6です」
よし、勝った。
「……なぁエル、ここ最近のお前の笑顔、すごみが増した気がするぞー?お前、今ならきっと攻撃魔法成功するぞー?お前の話に聞くご主人様と似てきたと思う」
「僕もこの半月で色々鍛えたってこと」
「そこ、真似するとこじゃなくね……?てかお前元々素養はあったし、類は友を呼ぶってこういうことを――」
「なにか?」
「何も申し上げてません!」
「で、その6の賭け金なんだけど」
「勝ったらだからな」
「分かってるよ」
「今のお前なら勝ってなくてもふんだくられそうだから念には念をいれねーと……それで?借金返済にあてるのもありだけど?」
「ううん。それはちゃんと返すから。――ありとあらゆる人に高利貸しをして、とっても珍しい物の収集者でもあるリッツ君から、是非もらいたいものがあるんだ」
にっこりとほほ笑むと、リッツが頬をひきつらせ、「分かった……けど、お前……人殺すなよ」とだけ言ってきた。
ヨンサム引き続き、こいつも僕を何だと思ってるんだろう!使いようによっては人の命を奪えるものを収集しているお前が一番怖いよ!
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リッツとの商談を済ませ、対戦相手が発表される競技場掲示板の前に向かう。
対戦相手は、大会の日の朝であるつい先ほど、学園長が気分で行うくじで決まり、対戦前に競技場前に貼りだされる。
一回戦の対戦相手が魔術師志望の二年生のようだということを確認してから人のごった返す競技場入口近くを離れ、控室ではなく、競技場の外で軽い準備運動を済ませる。
「あのー……少しよろしいでしょうか?」
「はい?」
「アッシュリートン様、ですよね?」
そろそろ移動するかなーと思いっきり伸びをしていたところで、控えめな、普段聞きなれない高めの声――女の子の声を聞いて、そちらを向くと、数人のご令嬢たちが立っていた。
普段、学園が管理する関係から寮が近くにあるだけで、完全別学になっている淑女課のご令嬢方と、僕たち学園の男子生徒(僕が女だというツッコミはここでは受け付けない)の交流の機会はめったにない。
しかし、今日の大会は例外的に淑女課も観覧が許されている。それも男子生徒の観覧席との区分けすらない。
「お茶会よりも(観ている側は)気楽で、それでいて一つのことで盛り上がる機会」を学園が公的に認めているのは、日ごろプライベート時間以外での女性との接触を厳格に禁じられている男子生徒たちへの、学園側の不満解消措置なのではないかと僕は考えている。
そんなわけで、この機会を利用しない男どもがいるはずもなく、大会に参加しない男子生徒もよほど切羽詰まっていない限り今日は観戦に来る。まだ上位にいける可能性のほとんどない下級生だと、「女の子にいい恰好を見せるため」なーんていう不純な動機で参加するやつだって少なくない。だから負けたやつですら、競技場観覧席に残り、違う次元の戦いに参戦する。
それが男子の性というやつらしい。使用人含め、女性に人気のヨンサムが、日ごろ来るご令嬢方からの誘いを全部断ったとき、ヨンサムを捕まえてタコ殴りにしてたやっかみ連中が口をそろえてそう言っていた。
女の子っていい匂いがするし、柔らかいし、分からないでもないなーと思ってしまうあたり、十数年男子として生活する僕の思考は大分男寄りに毒されているんだと思う。
それはともかく。そういう意味で、参加者の中でも本戦を真剣に目指す上級生を除けば――今日はご令嬢方と「交流を深める」またとないお祭りなのだ。いい気なもんだよ、ほんと。
「はい。僕がエルドレッド・アッシュリートンですが……」
答えると、きゃあっと黄色い声が上がる。
「あの、私たち、応援してますので!」
「それは何を――?」
「色々とです、全てです」
「今日の試合も、これからのことも」
「お二方のことも、アッシュリートン様個人のこともですわ!」
「お察しくださいませ!」
「先日の男子寮食堂での事件も耳に入れましてよ!負けないでくださいましね」
「……ありがとうございます」
これはこれからの過酷な戦いの前の思わぬ伏兵だ……!
だが、こういう状況を招いたのは僕だ……だから耐えねばならない……!
僕が、とんでもなく不名誉な状態であることとその経緯を思い出して顔に脂汗を浮かべ、現状に耐えていると、
「エルドレッド様、し、失礼いたしますね」
と控えめな声がして、まさかの精神攻撃軍団の中から見知った顔のご令嬢が出て来ると、少し背伸びをして僕の頬にハンカチを当ててくれる。
「お顔の色がよろしくないようで……とても心配ですわ」
「わぁ、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「あ、あ、あ、はいっ。お、覚えていてくださったんですか……?」
「もちろんですよ、ジュリア様」
そう言って、黒みがちな上目遣いでこちらを見上げてきたのは、ちょうど半年ほど前に一度お会いしたご令嬢――ケフレス伯爵家のジュリア様だった。




