17 小姓は飛んで火にいる夏の虫になりました
エルにはグレン様以外にも困難がいっぱいです。若干R15なのでご注意ください。
一度に過剰な訓練をしても筋肉を傷めるだけだから引き際が大事だと諭され、僕は自室に戻った。ヨンサムはもう一訓練してくるらしい。悔しいけれど騎士課男子との体力の違いは歴然だ。
「下着と肌着とタオルと替えのシャツと……あと報告書も持ったな、うん、よし!」
部屋を出る前にチコがもぞもぞと動き出していたので、保存しておいた僕のおやつの干しブドウをあげ、よく休むように伝えてから部屋を出て大きくため息をつく。
大会に備えて体力が尽きるまで訓練をするようになった僕に生まれた一番の悩みは、忙しいことでも、重度の筋肉痛でも、グレン様の嫌がらせですらない。
「あ――落ち着いて風呂に入りたい……」
はい、お風呂です。
洗濯だけなら自室でできるが、湯浴みとなるとそうもいかない。かと言って長いこと入らないと匂いが気になるし、清めの魔法も万能ではないので、いずれ入らなければならない。
しかし、ナタリアが姉様の侍女として王城に出仕することになって学園の淑女課を中途退学してしまったため、今の僕には男子風呂に入るしか手が残されていない。しかも、大会が目前に迫った今、休暇だというのに寮には学生がたくさん残っている。そして夜遅くまで訓練に励む学生が多いから、風呂には絶えず人がいる状態だ。
なるべく人がいない深夜一刻過ぎを狙って入り、それでも必ず何人かと一緒に入浴することになるという、年頃の令嬢にあるまじき事態になっている今、いつ性別がばれてもおかしくない。
そんな僕の入浴は今や完全に幻術頼りで、かつ気を張っていないと誤魔化せないので、入浴時の僕からは緊張感と不安がみなぎっており、風呂後には周りから顔が真っ青だと心配されるほどだ。
魔力の消費が激しかった日なんて、腹をすかせたオオカミの群れの巣に迷い込んだウサギの気持ちになれるので、日ごろの生活にスパイスを加えたい人だけにおススメしたい。
こうして、ナタリアが退学した後、緊迫感溢れる入浴生活をしておよそ半年経ったついこの二、三日前のこと。僕はついに九死に一生体験をやらかした。
下位貴族は寮生活において個人に使用人をつけることを禁じられているため、自分のことは自分でやることになる。他人に身体を洗ってもらったり、使用人が全て準備してくれるのを当然と思っている金持ちのお坊ちゃまたちは、最初はこれに狼狽え、困惑するものなのだが、まぁ人間慣れて来るもんだ。そんなこんなで長年の寮生活をしていると、貴族としての節度や振る舞いをついうっかりどこかに置き忘れてしまう。
これを置き忘れて風化させた年頃の男子たちの悪ノリってやつはげに恐ろしい。
タオルや泡でしっかりと体を隠し、絶えず周りに視線を配りながら、隅っこで隠れるように洗って、ろくに湯船に浸かりもせずに烏の行水状態になっている僕の姿が、「恥ずかしがっている」ように見えたのも、きっと不自然でよくなかったのだろう。
「お、特殊課のアッシュリートンじゃないか!どうした?もう出るのか?」
「……はい。僕、お風呂あんまり好きじゃないんで」
「ちゃんと洗わないと汚いぞ!」
「そうだ、背中を流してやろう!」
「えぇっ!?けけけけ結構です!そそそ、そうです!先輩方に使用人がするようなことさせられません!」
「なぁに、構わないぜ!裸の付き合いって言うだろう!」
「いや、裸の付き合いをするほど先輩方と面識はなかったはずなんですが……!失礼ながらお名前も存じ上げないですし……!」
「だからこそ、ここで交流を深めてだな……!」
「深めてなんなんですか!?なんか迫り方が怖いんで、あの、僕、失礼します!」
「待て待て、逃げなくてもいいだろう!普段と違ってなんでそんなに内気そうなんだ」
「なにか隠さなきゃいけないことでもあるのか」
ほとんど話したことのない先輩方にこんな感じで隅に追いやられ(その時絡んできた上級生の鼻息が荒かったなんてことはない、はずだ)身の危険を感じて慌てて逃げ出すも間に合わず、タオルを掴まれた僕は―――
「……そうか……なるほど……」
「まぁ確かにエルドレッド君ならありえるな……」
「……あ、あは、はははは!じ、実はそうなんですーお子様ですみませーん」
「大丈夫だ、そこが可愛い」
「あぁ。清純だよな……」
「アルコット様のお手はついていないということか……!」
「しかしエルドレッド君もそろそろ17だろう?……遅すぎないか?」
「でででで、出会いがないのでっ」
「よければいい店を紹介してやるが」
「いえいえいえいえっ結構ですー!お気遣いいただきありがとうございますっ、先輩方のお優しさをこの胸にしかと刻んでおきますっ!」
敗因は幻術のイメージの更新を二年前から怠っていたことによる。あんな場面でも幻術が切れなかった僕の精神力に自分で祝杯をあげたかった。
「大人の男になっていないお子様への哀れみ」からか、あの場ではすぐに解放されたけれど、グレン様のお仕置きで命の危険が生じた時とはまた違った九死に一生を得る体験に、全身から冷や汗がどばっと出て止まらなかった。その日は悪夢で風呂に入った意味がほとんどなくなるくらい寝汗をかいた。
そんな体験をした後、初めての入浴になる僕の気が重いのは、分かっていただけただろうか。
あぁ、思い出せば、今日も不安で胃に穴が空きそうだ。最近の僕の生活は胃に大層優しくない。小姓になったばかりの時を思いだす胃痛の具合だ。
「……ひとまずグレン様に報告書を届けてからにしよう……」
僕は上位貴族寮の方に足を向け、とぼとぼと歩を進めた。
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グレン様はお部屋にいて、書類をめくってはたまに羽ペンを動かしてメモをとっていた。
「グレン様、お忙しいところ失礼いたします。例の操作系の呪術についての報告レポートが出来たので持ってきました。関連文献から集めた情報と、僕がこの前のことを見て考察した内容が入ってます」
「見せて」
目を通していた書類を片付け、すぐに僕の渡した報告書をパラパラとめくっているので、その間に新しい紅茶を淹れて渡す。
「解呪の方法も載せておきましたが、これらについては分かっていないことが多いので、とりあえず参考になりそうな資料だけまとめました。……お茶をどうぞ」
「ん」
例え執務机ではなく、ソファの傍に置かれた肘掛け付きの豪奢な椅子にかったるそうに体を投げ出して横座りしていても、肘掛けから足を投げ出してぶらぶらさせていても、目が書類の上を忙しく移動して離れないから内容を精査しているのは分かる。
「何か疑問点など、補足で必要なことがあればお申し付けください」
「うん、足りない」
「申し訳ございません。やっぱり、動物たちの意識を奪った状態で行う術と半覚醒状態のまま幻覚を見せて操る呪術の違いについてはもっと調べるべきですか?」
「うん、まぁそこももう少し記述を増やした方がいい」
「も?他にあれば今仰っていただければ。あ、資料持ってまいりますね!部屋に借り出した本があるので――」
「昼に熱烈な公開告白をした相手に何か言うことはないの?」
お茶を口に運んでいるのを見届け、自室に戻るために返した踵をひねった。
首を向ける動作に、ギリギリと音がしそうなほどの抵抗感があるのは、きっと筋肉痛のせいじゃない。
大会のことや風呂の恐怖で頭がいっぱいになってて昼の自分の極寒発言のことをすっかり忘れてた……!
「……なんのお話でしょう?」
「僕たちって、誰の介入も許さないくらい熱々なんだってね?」
「一体誰がそんな嘘八百を言ったんでしょうねぇあはははは」
「相思相愛の程度を大会の結果で証明してくれるつもりだなんて知らなかったなぁ」
一番知られちゃいけない人に早速ばれてる!しかも詳細に!
命が第一!貞操第二!
よし、ここはひとまず退散だ!
捻った足首を庇ってそのまま猛然とダッシュしようとしたら、見えない何かに足がひっかかって床に顔面を強打した。
「いったぁ」
「どうして僕に最初に告ってくれなかったのか、お前に是非直接聞きたいと思っていたところだったんだ。僕に熱い愛を語ってくれるんだよね?エル」
座り込んで鼻をさすっている僕の背後で、いたぶる獲物を見つけた幸福そうな悪魔の声が聞こえた。
あ。僕、大会を迎える前に終わった気がする。




