13 小姓へのお仕置きの過酷さは段違いなのです
僕の前でキール様とヨンサムが向かい合っている。二人とも長身だから至近距離で睨み合っていると迫力がある。
「……セネット男爵子息のヨンサム殿か。そこをどけ。貴様に話はない」
「どけません。どなたか存じませんが、エルに手を出さないとお約束ください」
「下位貴族の分際で――」
「僭越ながら。そのようなお言葉は、ここではお控えした方がよろしいかと諫言いたします。ここは下位貴族の寮ですから」
遅れて、戻ってきたらしいリッツが一触即発で睨み合うヨンサムとキール様の間に悠々と割って入り、煮ても焼いても食えない顔で更に両者を引き離す。
貴族の上下関係は当然のものだけど、分際呼ばわりされていい気はしない。キール様の方も、あたりの目が冷ややかなものになったことに気付いたのか、いくらか冷静さを取り戻したらしく、僕を一度睨みつけてからリッツと向き直った。
「……リッツ殿か」
「はいー。特別選抜授業ではお世話になっております」
優等生のリッツは教養と魔法の座学で選抜クラスの授業を受けている関係で面識があるようだ。
「今日はどうされました?あ、大丈夫です。キール様のお手を煩わせるまでもございません。こいつに説明させますんでー。エル、何があったか1分で説明してみなー」
リッツはへらへらとした緊張感のない表情を平常装備しているくせに、こういう揉め事の際にはどこか違う雰囲気になる。そのせいなのか、いきり立っていたキール様も落ち着きを取り戻し、特に異議を述べることなく頷いてくれた。
「クロフティン様がさっきそこで僕を呼び止められて、グレン様の小姓かって仰ったから、はいって答えた。僕なんかがグレン様の小姓を務めていることにお怒りだったところに、僕がクロフティン様のファーストネームを呼ぶなんて非礼を働いたものだから、クロフティン様が僕の胸倉をつかんで……それにチコが怒って噛みついたんだ。制裁として、チコが気を失うくらいに痛ぶられて、それに僕が切れてクロフティン様の気になさっているところを煽った」
なるべく客観的に起こったことだけを説明し終えた(つもりだ)後、どうしても止められない怒りが混ざって僕は口を滑らせた。
「国の法がどうであれ、生き物を安易に傷つけることに何の罪悪感も持たない人間なんて最低だ」
すると、僕を睨みつけていたキール様は不可解極まりない、と言うように、わずかに眉間に皺を寄せた。
「罪悪感?なぜそんなものを感じなければならない?魔獣は人に害をなす存在だ」
「先ほどチコがあなた様を傷つけたのは、あなた様が僕を傷つけたからです。何の理由もなく襲ったわけではありません」
「本来下位にあるお前にあの程度の行動は許されるはずだ。それを理由に私に噛みつかせた時点で理由なく襲わせたも同義だろう」
あぁ、そっか。この方はチコが僕の契約魔獣だと思っているのか。
「チコは僕の契約魔獣ではありませんから、僕の考えていることも分からないし、僕の命令も聞きませんよ。友達の僕が傷つけられたから僕を助けようとしてくれた、それだけです」
「なに?……先ほどから聞いていると、貴様の中で魔獣と人間の地位が同列で、友情などというものが成立するなどと世迷い事を言っているように聞こえるのだが、私の気のせいか?」
「同列だと思っていますし、友情も成立しますよ。彼らは人と同じように痛みも苦しみも感じますし、親子の情も、許しすら知る生き物です。そんな彼らを痛めつけることに少しの躊躇も覚えませんか?」
「情?親子?何を馬鹿なことを言っている?ならばお前は、そのあたりで飛んでいる羽虫や、足元の蟻にも同じ情けをかけるのか?」
「そうではありませんが……」
「そもそも魔獣など、殺して然るべき存在だろう?躊躇いなど無用の長物だ」
自分たちに害があるとされる存在なら、殺していい。キール様は心からそう思っている。
動物たちも魔獣も、襲う時には本気の殺意を持って襲うけど、それは相手の命を自分の命の糧にするためか、自分の身を守るためだ。魔獣は、確かに人間に対し友好的な感情は持っていない。けれど、必要に迫られない限りむやみやたらに人間を殺そうともしない。
「危険な可能性がある」というだけで種族全てを駆逐することを当然と考える自分勝手で無慈悲で残酷で傲慢なルールは、人間だけがもつ価値観で、そしてそれは人間には常識になってしまった。
だからキール様の言っていることは、一般の人たちから見ればおかしなことでもなんでもないし、どちらかと言えば、おかしいのは僕なんだろう。
でも。
「……少なくとも、苦しんで悲痛な叫びを上げる動物を目の前にして、行動を躊躇うくらいの良心くらいは、あってもいいのではありませんか?」
「獣と魔獣は違う。私は、種族を狩られることで恐怖を覚えた魔獣が人間を襲うことがなくなるのなら、むしろ積極的に行うべきだとさえ思う。卵の段階で潰し魔獣の殲滅を図る案や、もしくは子供を狩り、数を減らす案が政策会議で有力に主張されていることくらい、貴様だって知っているだろう」
「現国王陛下はその案を許されていないはずです」
「今のところ『できない』から陛下もそう仰っているだけだろう。有能な騎士や魔術師が集まれば、それも夢ではない。そうなれば話も変わってくる」
僕とキール様の論争を聞いていたリッツとヨンサムが、
「あーやべー。どうでもいいよーな浅いところで争ってるのかと思ったらもっと根源的な、深い価値観のレベルで対立してるー完全に藪蛇だったわー」
「エルとは絶対に交わらない考え方なのは間違いねぇな」
と周りに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でぶつぶつと呟いている。
顔を上げて、正面から、立っているだけで麗しさを兼ね備えた目の前の青年の目を睨みつける。目の前の青年も、震える拳を押さえつけるように握りしめ、その熟れたベリーのような瞳を鋭くし、真っ向から僕の視線を受け止め、僕にその敵意を叩き付ける。
「……だからこそ余計に!お前なぞがあのグレン様のお近くにいることが私には許せない!」
「どういう意味です?」
キール様がそんなことも分からないのか、と眉を跳ね上げ、そこからやや陶然とした表情で語り始めた。
「グレン様は、齢10歳にしてフレデリック殿下にお仕えし、その才能を開花された若手魔術師の期待……いや、今や宮廷魔術師全体を引っ張っていく存在だ。魔力だけではない、あの魔法鍛錬力の高さ、芸術的ともいうべき発想の豊かさ……お前は、それがいかに人並み外れたものか、分かっているのか」
「もちろん分かっておりますとも」
グレン様が人外であると言うのは僕の十八番。魔法を使って他人をおもちゃにすることにあれだけ長けた人なのだから分かっていないはずがない。
「あの方にとって、魔法はのめり込むものではなく、ただの手段にすぎないのだ。あれだけの才能を有しながらそう考えることがいかに難しいか、貴様には分からないだろうな!……貴族男子として備えるべき技量を越えた武術剣術も当然身に着けておられるし、それらを補助として戦闘に生かす術も素晴らしい。あの方の、異質多元素複合型理論実用モデルの将来の展望性についてお前がどれほど理解しているのか知りたいところだ」
「異質多元素複合型理論……?」
「……もしや単語の意味すら分からないというわけじゃないだろうな」
「えぇっと……」
どんどん剣呑になっていく空気に耐えられなくなったのか、だらだらと背中に冷や汗を流す僕を見かねたリッツがこそっと耳打ちして教えてくれた。
「お前が試験前に一番ぶぅぶぅ文句言ってた『水で消えない火』のことじゃねー?」
「あぁ!あの性格のねじ曲がったお仕置きのことか!」
僕がアホではないということの証明のために、この世界の魔法現象についてざっくりと説明しておこうと思う。ちょっと面倒だけど、聞いてほしい。
この世界で、魔法を発現させるための理論は前に簡単に説明した通りなのだが、発現した魔法現象には大きく分けて二つの「状態」がある。
一つは、不純魔法状態。実体世界にある物に力としての魔力を作用させて望む状態を作ることを言う。もう一つは、純粋魔法状態と言って、体内に有する魔力だけで望む状態を作ることだ。
これだけ言っても意味不明なので、例を挙げよう。
例えば、「火」を発現させたいと思ったとき、やり方は二つある。一つは、木くず、紙くず、もしくは空気中の塵でもいいけど、そういう着火剤になる材料と、空気中の酸素を用意し、これらに魔力で衝撃を与える方法――これが不純魔法状態だ(ちなみにこの中の一部を補助魔法って形で分類できるんだけど、それはおいておく)。もう一つは、着火剤や酸素なく、純粋に、体内魔力をそのまま「火」という力に変える方法――これが純粋魔法状態。
いずれのやり方をとっても、「火」は起こせるのだけど、違いは大きい。前者の場合、周囲に一定の条件(例でいえば、酸素や着火剤)が不可欠だ。その代り、既に世界にある物に働きかけるだけだから、必要な魔力量は少量で足りるし、注ぐ魔力量が少ないからコントロールもしやすい。逆に後者の場合、周囲に一定の条件がなくても――つまり、周りに酸素がなくても、着火剤がなくても――現象が起こせる。その代わり、魔力をそのまま変換するから必要魔力量は前者に比べて過大になるし、威力の調整は難しい。
特に一番大きな違いは、起きた現象を消すやり方に現れる。自分で消したいときは、魔力供給をやめればいいので、変わりはないが、他人が消す場合はここがキーポイントになる。
前者だったら条件を無くす(つまり、酸素や着火剤の供給を断つ、温度を下げるなど)か、相手の体を直接攻撃するなどして魔力供給を断たせれば消せる。一方、後者の場合、相手の魔力を消費しつくさせるか、もしくは自分が反対の性質を有する現象を純粋魔法状態で起こさなければならない。つまり、純粋魔法状態で起こされた火を消すには、純粋魔法状態で起こした水をぶつけなければいけないということだ。
魔力の回復手段が、(小姓契約という反則技を除けば)寝食をきちんととった上での時間の経過に限られるこの世界において、魔力をどのタイミングで、どの量、どの力として使うかは魔法を用いた生活の基本になる。だから、この二つの現象の使い分けは基本中の基本として学園で叩き込まれる。
戦闘ではそれが顕著で、いかに魔力を豊富に有している人でも、その見極めができない人に、魔術師としての素養はない。そして、相手の起こした魔法現象が純粋魔法状態なのか、それとも不純魔法状態なのかの見極めも使い分けと同じくらい魔法を使う際の基本要素になる。だから、これら原理と、使い分け、見極めについて、僕たちは、基礎課程二年間で徹底的に叩き込まれる。実際のところ、見極めは、詠唱の違いや腕の動作型で分かるから、学園に所属している学生たちは基本的にこの過程はクリアしている。
詠唱や動作は、「鍛錬」の助けとして、魔力消費量を抑え、威力を高めることができる代わりに、発現までに一定の時間を取られること、なにより相手に自分の使う魔法を教え、対策を容易にとられてしまうことにもつながるリスクのある行為になる。逆に言えば、無詠唱・無動作の相手であるというだけで、相手がどんな現象を起こすのか、それが純粋なのか、不純粋なのかが一見して分からなくなるため、対策の難易度が格段に跳ね上がるのだ。
だからこそ、魔術師志望者たちにとっては「無詠唱無動作」が必須要素になってくるというわけ。
僕がグレン様の小姓になった際に真っ先にしごかれたのもこのあたりだし。
結果?――今日に至るまでの僕の対人用の回復魔法が抜群に上達したと言えばお察しいただけることと思う。
これら、発動、見極めといった基本に加え、起こした現象の動作点、動かし方、相手のタイプ(対人か、対魔獣相手か。対魔術師か、荒くれ兵士か、暴動中の平民か、など)を加味し、戦闘時間と魔力の分配の戦略を組み入れて戦闘を行うのが「魔術師」たちだ。
そして、その中のエリートが「宮廷魔術師」。
爵位の上下、すなわち魔力の多寡で安易に魔術師になれるか否かが決まらない理由が分かっていただけただろうか?
あー疲れたー。ものすごく話がそれてしまった。グレン様の外道なお仕置きのことに話を戻そう。
「水で消えない火」なんて言う時点で、不純魔法状態じゃないのは分かると思う。消えちゃうからね。だからこれは、純粋魔法状態ではあるんだけど、その中でも特殊な状態だ。
魔法現象は、上で言ったその他もろもろの要素を考え、鍛錬した結果起こすものなのだけど、基本的にその現象は単一で起こるのが原則だ。簡単に言うなら、「火」の中に「土」は混ざってないし、「風」も入ってない。
「水で消えない火」――さっきキール様が言った、「異質多元素複合なんちゃら」は、その原則の例外で、理論上は可能と言われていた、これら現象を組み合わせた現象を現実化したもの。つまり、純粋魔法状態で起こした火の周囲に、唯一の対抗策である「純粋魔法状態で起こした水」に耐久性の高い元素を組み合わせて現象化した物のこと。
簡単に聞こえるかもしれないけど、実際には「耐水物質」を魔法で作りだすのも難しいし、「火」と「耐水物質」の調和を図るために注ぐ魔力量を調整しなければならない。他にも僕にはよく分からない難しい過程の鍛錬をするわけで、僕なら頭が爆発しそうなものだ。
それを実用化したグレン様は確かにすごいんだろう。
すごいんだろうけど。
「性格のねじ曲がった……?いかに優秀か――」
「確かにすごいです、すごいですよほんと!あの方の外道っぷりは!」
「何を言う――」
「本当に熱かったし、痛かったし、苦しかったし!何度火傷したか、どれだけ逃げ回ったか、どれだけ怖かったか……!実験台の縁の下の苦労が分からないから素直に賛美できるんですよ本当に羨ましいことです」
ある程度実験して完成した最終段階の動物実験に僕を使ったんだからなあの人は!ようやく無詠唱無動作での見極め、発動を自由に使えるくらいに習得できたばかりの人間が、未知の物質に追い駆け回されたのだ!対抗できるわけがないのに!
そしてそんな御大層なもんを作りだした理由が「えー?お仕置きは常に新しい方がお前も飽きないでしょ?」だったんだから泣ける。
思い出して涙目になった僕の背を、ヨンサムが無言でぽんぽん、と叩いてきた。
ありがとうヨンサム。さすが、僕の友達だ。よく分かってくれている。
※ グレンの「水で消えない火」は、連載版のその時が来るまで・後編の手紙の中に出てきていますー




