番外編 女子会も戦いだ
グレン様との新婚生活もやっとのことでほんの少ーし落ち着く……なんてことはなく、僕が土下座する勢いでグレン様に外泊を頼み込み、グレン様の要望を何でも一つ聞き入れるという恐怖しかない条件と引き換えにすることで、初めて外泊を許されたある夜。
僕が、王城の重厚な部屋のドアをノックすると、中からお迎えの侍女の方が出てきて僕を招き入れてくれた。
「お待ちしておりました、エレイン様。妃殿下がお待ちです」
最初は、爵位だけなら自分より上の侍女見習いのご令嬢に様付けされるとこそばゆくってしょうがなかったが、それもこれも姉様が殿下の妃になった以上仕方がない。
未だに慣れないドレス姿で何度か訪れたことのある部屋の奥に進むと、鈴を転がすような可愛らしい声が僕を出迎えてくれた。
「エレイン・アッシュリートン嬢、よく来てくれましたね」
声の先には、花のような笑顔で僕を迎えてくれる姉様とすました笑顔のナタリアの姿があり、ついつい駆け寄りたくなってしまうが、僕を案内した侍女がいるのでぐっと堪え、姉様の前でドレスの裾を持ち上げ、腰を落とし、淑女の礼をとる。
イメージは、以前僕の中で見たりーの綺麗な礼だ。
――仮想空間の中で人間ですらない可愛い魔獣の子が取った礼を参考にすることについては突っ込まないでほしい。今の僕よりよっぽど令嬢らしかったのだから仕方ないんだ。
「今宵はお招きいただき光栄にございます」
「こちらこそありがとう。堅苦しい挨拶はそこまでで結構です、そこにかけてくださいね」
「失礼いたします」
侍女の手前、さらりと他人行儀な挨拶を交わし、僕が姉様の案内した席に座ると、ナタリアが、案内役の侍女から「後は私が」と言って仕事を引きとって僕の簡素すぎる挨拶に若干顔をしかめた侍女を体よく外に追い出した。
ちなみに、公式に王家とお茶会をする際の挨拶だったら、長ったらしい比喩盛りだくさんの美辞麗句を並び立てていくところなのだけれど、今夜は事実上姉様とナタリアの3人でのお茶会ならぬ女子会なので遠慮はいらない。
「……ナタリア、もういい?」
「はい、オッケーよ。お疲れ様」
「わー!しんどかった!ご令嬢の挨拶ってめんどくさくていやだ!姉様たちに会いに来ただけだっていうのに」
ナタリアに侍女の退散を告げられるや、僕が唇をとんがらせると、姉様は相変わらずの美貌で僕に困ったような笑顔をくれる。
「ごめんね、エル。不便をかけてしまうわね」
「あ、違う違う。姉様に不満が言いたかったんじゃない。そんなことは分かってたことだし」
僕が、跪きながら椅子に座った姉様に飛び込んで、姉様の胸に顔を埋め、お腹あたりをぎゅーっと抱きしめると、姉様も昔のように優しく僕の頭を撫でてくれる。
「わー変わらない姉様の香り~」
「ふふ、エルは大きくなったのに甘えん坊さんね」
「だぁってなかなか会えないし、見かけられても近づけないんだもん」
姉様は殿下と婚姻し、王家に入った。姉様は王家の人間になったのだ。
そのことは、例え実の姉妹とはいえ、公式の場では、もう僕と気軽に話すことすら許されない身分になってしまったということでもある。こういう機会でもなければ姉様に抱きつくなんてできない。
ちなみにこんなことが外にばれようものなら一番に嫉妬に狂った殿下に嬲り殺しにされかねないので「姉様、殿下には内緒にしてね?」と口止めも忘れない。
「まったくもう、エルったら。私がいるじゃない」
「もちろんだよ、ナタリアお姉様?ナタリアのおかげで僕の寂しさが大分癒されてるんだから」
それに比べて侍女であるナタリアは、学園にいた以前よりも頻繁に会うことができるようになった。
エルドレッドを辞めたせいで、僕は単なるアッシュリートンの次女、見習い宮廷獣医師となった。その関係で、ほとんど繋がりがないはずのヨンサムやイアン様とも軽く言葉を交わすことは難しい。
こういう風に、姉様や殿下、グレン様の私室に入ったときくらいしか、以前の僕として楽しめる場所はなくなったのだ。
そんな日々を実感するたびに、後悔はないものの、一抹の寂しさを感じる。
「こういう立場になったからこそ頻繁に会えるようになったナタリアと兄様の存在がどれだけありがたいか」
「それならよし」
ナタリアは、冗談めかして上から目線で僕を許した後、くすっと笑って、夜食の準備をしている僕たちが座るテーブルにやってきて一緒に腰かけた。
テーブルの上には、見るだけで涎がわきそうな美味しそうな夜食やお酒が並べられている。
僕と一緒にやってきたチコがいつの間にかドレスから飛び出して鼻をひくひく動かし、つやつやな目と鼻を輝かせているから、全て安全なものであることは間違いない。
「チコの分もあるからちょっと待ってね」
食いしん坊ねずみの本性にあるまじきお利巧さんっぷりを発揮するチコを一撫でしてから、チコ用のお皿に料理を取り分けていく。勝手に人間の食卓に上がらず、僕の側で「待て」をしているチコにナタリアが感嘆の息を漏らした。
「前から思ってたけど、エルといつも一緒にいるその子、とっても賢いわね。メグ姉様の側に欲しいくらい!」
「外遊のときとか、どれだけ頑張っても暗殺とかの危険怖いしね。でもチコは野生の魔獣だからなぁ。僕が命じられる関係じゃないし、チコの意志に――」
「きゅ!」
「あ、美味しいものくれればいいっぽい」
「可愛い子ね」
姉様に撫でられたチコは僕の膝の上でお腹を見せころりと転がり、円らな瞳で姉様に再度のなでなでをねだっている。野生の魔獣がここまで人に慣れていいのだろうか。本当に今更だけど。
ナタリアが僕の隣の机の上にチコ用のお皿を置くと、チコはむくりと起き上がり、そっとテーブルの端に上るとそこできちんとコンパクトにおすわりをして見せた。
「ボクはきちんとした魔獣なので」というきりりとした顔つきで人間の乾杯を今か今かと待っている様子を見て、姉様が顔をほころばせ、ナタリアに声をかけた。
「じゃあ、ナタリア、よろしくね」
グレン様が作ったという首飾りのおかげで魔力変換されて出るようになった姉様の声は体に染み入るように心地いい。
姉様に任されたナタリアは、こほんとわざとらしく咳ばらいをしてから泡の出ている琥珀色の酒入りのグラスを持ち上げる。
「それでは、正式に姉妹となったことを祝して姉妹の夜食会こと女子会を開催しまーす。乾杯」
「乾杯」
####
最近の城内の様子やご令嬢方の動き、それぞれのなすべき執務の状況、仕事が充実していること――色んな現状報告や、昔話に花を咲かせるうちにお酒も進む。
とろんとした瞳の姉様は、満腹になってぽこんとしたお腹を無防備に見せたままくーすか寝ているチコを撫でながら、主に僕とナタリアの話を聞く体勢に入ったみたいだ。
「姉様がものすごく色っぽい表情をしてるんだけど……このお顔を殿下の前でもしてるとしたら、殿下、たまらないだろうなー」
「エル、目線が完全に男よ、それ」
「そう?まぁ長年そういう連中に囲まれて生活して来たから一朝一夕には変わらないよ。そもそも姉様に疚しい気持ちを持った輩をいち早く見つけて近づかせないっていうのも昔から僕と兄様の役目だったしね」
「懐かしいわ。それにしても、エルは相変わらずお酒に強いのね」
「うん、兄様と父様と飲むときは潰されるけど、まぁその時以外はおおむね――」
あぁ、そういや、グレン様との結婚前に一回酔いつぶれたことあったな。あのときってどうしたんだっけ?グレン様の介抱は誰がやってくれたんだろ?
「エル?」
「いや、なんでもない。そういえば、今日のことは兄様にも話してるの?」
「もちろん知ってるわ。ごゆっくりって。そうそう、ユージーンもちょうど今夜、殿下に呼ばれたらしいの」
「え?兄様が殿下に?」
「えぇ。十中八九ものすごくくだらない理由だと思うって言ってたわ。嫌々そうな文面で行ってくるって伝達魔法が来てたの」
殿下が呼ばれたってことは、きっと護衛でイアン様、グレン様、キール様もいらっしゃるんだろう。
兄様、小姓時代からグレン様と馬が合わなかったけど、大丈夫かな?
何話してるかすっごく気になるから後でグレン様――に聞いても素直な回答は返って来なさそうだから兄様に聞くかな。
「ナタリアは最近兄様とはどうなの?」
「仲良くやってるわよ」
ナタリアは余裕の笑みだ。
「そりゃそうか。兄様は昔っからナタリアにべた惚れだしね。ナタリアのためにアッシュリートンから抜けるって聞いた時にはびっくりしたけど、兄様らしいとも思ったよ。愛されてるねーナタリア姉様」
僕がワイングラスを揺らしながらいつものお返しとばかりににやりとすると、ナタリアは動じた様子もなく僕の3倍は悪い笑顔をして聞いてきた。
「それを言うならエルじゃない?今日もよく出てこられたわね。あのグレン様が結婚してそれほど日が経ってない段階でエルの外泊を許すなんて」
これくらいは来ると思ってたさ!
「姉様のところに行くって言ってあるし、グレン様ならその裏も取ってるだろうからね」
「それにしても、よ。あのグレン様がようやく手に入れたエルを例えメグ姉様や私とだとしてもこの時期に外に出すなんて、ねぇ?私の予想だと、何か無理な交換条件くらいは突きつけられてるんじゃないかなぁと思うのだけど。そうね、例えば――なんでも一個言うこと聞きいれる、とか!」
「ぶっふ」
ナタリアの読みが鋭すぎて飲みかけていたワインを盛大に吹いた。グラスの中で良かった。
「あらぁ、図星?」
「げっほ、ごほ……ご、ご想像にお任せします」
「ご想像ついでにグレン様の『お仕置き』は今も続いているのかしら?イタイお仕置きからあまーいお仕置きに変わってそうなんだけどなぁ」
「の、ノーコメントで」
「えーつまらない。ちょっとくらいいいじゃない。ここには私たちしかいないのよ?メグ姉様だってすっごく聞きたそうだし」
「まさか。姉様はそんなこと……姉様?」
姉様は、さきほどのとろんとした瞳のまま、よりにこにこ笑顔を深めて、僕に向かって話の続きを待ちわびるように小首をかしげてきた。
その表情だけで分かる。姉様がものすごく聞きたがっている。
うっ……姉様に弱い僕にその攻撃はずるいよ姉様。
「え、えーっと。な、仲良くやってます……?」
「ほほう、疑問形と」
「いや、ほら、グレン様と僕って、こ、こういう関係になっても絶対的な上下関係あるし、グレン様も相変わらずとんでもなく捻くれた性格だから……でも、例えば、グレン様の前では今までどおり、僕って自称し続けてるけど何も言われないし、その、僕が男として生き続けてきたから大分ずれてるところがあるのも分かってくれてるところというか、主に精神面での成長が遅れているというか、なんていうの?その、つ……じょ、女性として至らないところとか、そういう面については想像してたよりもずっと寛容だったなぁという」
「ふむふむ、つまり慣れない妻と夫としての付き合いの中では、グレン様が絶対的な上位から手取り足取り優しく教えてくれていると」
「どこでどういう変換が起こったらさっきの僕の言葉がそういう風に訳されるの!?」
「そりゃ、私もエルとの付き合い長いもの。違うの?」
「――っ!」
いやだっておかしいもん。僕だって、さすがに、グレン様にある程度「お預け」を食らわせた自覚はある。これまた土下座せんばかりの勢いで猶予期間を懇願したときのあの不機嫌そうなお顔からして、グレン様のことだ。反動でもろもろ酷い目に遭わされることは覚悟してたし、なんなら準備と対策もしてた。
何があったかは絶対に言えない。
言えないけど、そういう面では、グレン様は思ったよりも僕のことをいたわってくれたし、(多分)セーブもしてくれてたし、何より表情とか手つきとかがとんでもなく優しかった。かつて仕事で女性を落としにかかっていたときの外行きの顔とはまた違っていて、なんだろう、表情も仕草も顔も、ありえないくらい甘くて心臓止まるかと思った。特になんであんな顔で名前を――あぁだめだ!
婚姻初夜以降のあれこれが一瞬頭を駆け巡って、頭がパンクしそうになる。
「エル、顔真っ赤だけどぉ?大丈夫?」
「酔ったんです。そんなさ?他人ののろけみたいなもの聞いたってつまんないでしょ?」
「あらぁ。のろけみたいな話が聞けちゃうの?楽しみだわ」
やだナタリア怖い。専門の尋問官に転職できちゃうよ。
「あのグレン様がエルにだけはものすっごく甘い顔をして、あんなことやこんなことをしてるんだろうなぁって想像するだけでたっくさん妄想できちゃうのよねぇ。色んなところに需要がありそうだしネタにもなるのよ?」
「ナタリア、よだれと本音が漏れ出てるから」
「あらごめんなさいつい私ったら」
「それにそんなこと話せるわけないでしょ?」
「寝屋でのことを事細かく話せって言ってるんじゃないの。胸がきゅんってするようなことをいっぱい教えてくれればいいのよ?」
「さりげなくいっぱいになってるんですけど!?それにさ、グレン様と僕のことじゃなくて、自分のこととか、姉様のことでもいいでしょう?」
「殿下がメグ姉様に甘々なのは日頃から駄々洩れてるから既にネタになってるし、グレン様とエルが、一番ギャップがあって萌えそうなんだもの。姉様だってこんな顔をして待ってるわ」
姉様、さっきより心なし目がキラキラ輝いてるね。あ、お茶まで出しちゃって聞く体勢に入らなくていいから。
「も、黙秘権を行使します!」
「日頃王城で女性同士の探り合いに疲弊している私とメグ姉様に多少の娯楽と癒しがあってもバチは当たらないと思うの。だめかしら?」
「う……」
「エル、時間はたっぷりあるわ」
その日のその後は、日が昇るまで、ナタリアの巧みな尋問と姉様の期待に満ちた瞳との戦いになった。
ギリギリのところできわどいことについて口を滑らせるのは回避できたけれど、代わりに提供した話は根掘り葉掘り聞かれ、翌朝の僕は疲労困憊状態だった。
翌日が休暇でなかったら仕事にも支障が出ていたくらい疲れた。
おかしいな、女子会ってもっと平和にきゃっきゃうふふする和やかな場だと思ってたんだけど。
次からはもっと気合を入れて防衛しなければと僕は気持ちを固めたのだった。
おしまい。
※※おまけだよ(翌日帰宅後)※※
「口を割ったの?」
「何のことでしょう?」
「ナタリア嬢のことだから色々聞かれたんでしょ?」
「お見通しですか。もちろん、死守しましたとも」
「ふぅんつまらない、それをネタにお前を脅そうと思ってたのに」
「グレン様?妻を脅すっていう発言そのものがおかしいと思いませんか?」
「あぁでも成長したんだね」
「へ?何がですか?」
「妻って、照れずに言えるようになってるから」
「っ!それはっ――!」
「そのことを意識して照れるのもそれはそれで良かったけど、それくらいで照れてるようじゃ今後大変だしね。そのことにはご褒美あげよっか」
「え、ちょ、待ってくださいなんで近づいてくるんです?僕一晩中起きてたんですよ?疲れてるんで寝たいです」
「寝に行く、でしょ?」
「僕とグレン様だと同じ言葉に含んでいる意味が違うと思うんです、ぎゃあ、抱き上げるな!」
「色気ないなー。僕、何も言ってないけど?なんだ期待してるのか」
「騙されないですよそういう言質取りには――って聞いてくださいってば!」
「可愛い新妻の期待に応えるのが夫の務めだって殿下からも念押しされたから忠実な部下としては主の命は全うしないといけないよね」
「殿下のばかー!」
ごちそうさまでしたなおしまい。
※本文を一部だけ訂正しました(2023/11/3)。




