完結お礼小話① それぞれの形(3/3)
エル視点です
グレン様に胴を半ば掴まれるようにしながら引っ張られてどこまで連れていかれたのやら。お腹をぎゅうぎゅう引っ張られるものだから目が回って途中から移動した階層を数えられなくなってしまった。
だがしかしこのドS男のこと。ここで僕が、「苦しい」だの「やめてくれ」だの言えば、調子に乗って更に腹を絞められかねない。ここは意地の見せ所だ!
僕が気合を入れ直した途端、バタンとドアが開けられて、周囲の壁がしなるんじゃないかと思うくらいの強さでそれが閉まった。
グレン様、そういう魔術の使い方は無駄遣いだと思うんです。と言う間もなく、ぽーんと宙に放られて、来たる地面との衝突に備えて防御魔法を編んだものの、思ったよりもずっと柔らかい、ぼふっとした感触の中に背中から倒れ込むことになった。
あ、これは魔獣の一種の、まふまふアヒルから取れる羽毛とアンゴーランスヤギの毛を組み合わせた高級羽毛布団だ。さすが、もふもふ、ふっかふか。体が沈み込んでも柔らかいし、包み込まれるみたい。
例え鬼のような元ご主人様が僕を押し倒したのであろうと、両手を抑えつけられていようとなんだろうと、このもふもふの幸せには抗いがたい――じゃない!僕、貞操の危機!
「ちょっと待った!グレン様、冷静になりましょう!」
「僕はいたって冷静だけれども?」
「お怒りなのは分かりました、僕も言葉を間違えました!が、誤解されていると思うんです!」
「あの言葉のどこら辺を誤解できるのか、教えてほしいな」
「はい、お教えします。それにはお話合いが必要です。なので、一旦僕の上からどいてもらっていいですか?」
「僕にはゆっくりと時間を取る余裕ないんだけど?どこかのアホな元小姓と気持ちが通じたのかな、なーんて思ってたら、それは僕の思い込みだったみたいだから、こうなったら実力行使で分からせるしかないかなって」
「そこですそこ!別に、僕、グレン様のこと、好きじゃないとか、そんなこと一言も申し上げてませんよ!心変わりがあったわけでもありません、だから僕のシャツに手を掛けるのは即刻やめてもらっていいですか!」
ここ、多分だけど、王城内のグレン様の私室だよね?こんなところを見つかったら色々エラいことになっちゃうから来ないでほしいけど、でも誰か来ないと何ともならなさそうだし――こういう時に一番来てくれる可能性が高くて、しかも問題にならずに済みそうな殿下が絶対に来てくれないというこの絶望感たるや、なかなかなものがある。
なお、僕のシャツのボタンは既に3個ほど犠牲になって飛んでいっている。シャツと肌着の間にもう一枚下着を着ておいてよかった、本当に良かった。
一瞬手を止めたグレン様の隙をついて、真剣に防衛しなければとシャツの前を片手で掻き合わせたまま片手でグレン様のシャツの胸元を押しとどめる。
グレン様は僕に跨ったまま、ルビー色の瞳を細めて僕を見下ろした。
「端的に、僕が納得できるように説明してくれるんだろうね?」
「もちろんです」
僕の本気の訴えが多少は通じたのか、グレン様は僕のシャツから手を放してくれた。
とはいえ、僕の上から退く気はないようなので、仕方なく押し倒されたままお話することとする。
「あのですね、僕、これでもお待ちしてたんです」
「何を?」
「そ……その――」
くっ、これを自分から言うのって、とっても恥ずかしいんだけど、背に腹は代えられない!
「グレン様にっ、こ、婚約を申し込んでいただけるのを、です!」
「……は?もうしたでしょ?」
「先ほども申し上げましたが、僕の中では、あれはノーカウントと申しますか、正式なものではないと思っていたんです。だって、あくまで疑似の代理ですし。『アルコットご嫡男』としてのグレン様の婚約者のお披露目会だったじゃないですか。……だから、グレン様がアッシュリートン家に入られることになった時に、正式に言ってくださるのかなー、なんて、ちょっぴり期待してたりしたんです、僕」
自他共に認める手が早いお人だ。……一応、こんな僕でも、このお方は「女」として気に入ってくださったということだし、そういうことかな?って思うじゃないか。
「でも、グレン様、アッシュリートン家に養子入りしてからもずっとこちらにいらっしゃらないし、僕とのことだって全然進まないし、それどころか一向に話すら出てこないし、どうしたのかなー……って」
僕も、異性として好きな人と両想いになったってことに、僕なりに喜んでたんだよ、こう見えてもね!
ただ現実に戻ったら、僕は僕で、グレン様はグレン様で、そんなこと言っていられないくらい忙しかったから、仕方ないかな、とも思ってた。
そうこうするうちに、碌に会うことすらできないままに半年くらいが経っちゃったんだ。
ものすごく捻くれた告白を、しかも僕の頭の中という訳の分からない状態で言われただけで、「はい、おしまい」みたいにされたら、どういうことかな、この後どうなるのかな、って気になっちゃうでしょ?
挙句の果てに、グレン様お得意の焦らしだとか、手のひらの上で僕というちっぽけな人間がもやもやうだうだしているのを楽しんで見てるんじゃないか、とか、そんな邪推までしちゃったくらいには、僕もすっきりしなかった。案外邪推じゃないかもしれないと今でもほんの少し疑ってたりする。
――これって僕がグレン様の正式な求婚を待ち望んでたってことに他ならないんだけど、それを本人にこうやって言わされる、しかも本人に押し倒されながらって、なんの罰ゲーム!
こんな恥ずかしいことを言わされている時点で別の意味で虐められているとしか思えないし、当然、会いたかったグレン様のお顔がそこにあったって見られやしない。穴が掘れるなら掘って埋まってしまいたい。
「……だから、僕、少しだけ、いじけていたんです」
「一人を謳歌してたんじゃないの?」
「してましたけどっ!楽しかったですけど!……でも、一緒に見たいな、食べたいな、って思うことがあったのもまた事実です」
「ふぅん、それは誰と?」
「あなた以外誰がいるんですか、言わせたいだけですよねそれ!」
恥ずかしくって涙目になりながら目の前のグレン様を睨んだら、グレン様の方は、さっきとは打って変わって、今度は楽しそうに笑っていた。貼り付けただけの凝り固まった笑顔じゃない。なんだろうこれ――あ、分かった。獲物を捕まえた肉食獣の目だ。嗜虐心が刺激されているに違いない。
しまった、僕としたことが。冷静にならねば。この人のペースに巻き込まれたら、あっという間にジ・エンドだ。
「なるほど。僕が、害虫駆除とか、アッシュリートンに入った手前持参しようと思っていたお土産を準備している間に、お前はそんなことを考えてたわけだ」
「この期間に一体何をされてたんです?害虫駆除って何のですか?」
「聞きたい?」
「いえ、嫌な予感しかしないので、謹んで遠慮申し上げます。それよりも、さっきのグレン様のお怒りが誤解だってことは分かっていただけましたか?」
「お前と僕の間に認識の齟齬があることと、お前が、僕が思ってた以上に僕に溺れてるってことは分かった」
「頭に数本お花が咲いたような考えが生まれたのはその通りですね。でも、僕はちゃんと理性もありますので、まだ溺れたとは言わせません」
「それならいつでも溺れさせてあげるよ?」
そこで艶めかしい表情するのやめてもらっていいですかね。ここ、曲がりなりにも王城の執務室の一室ですよね。グレン様、今の貴方は以前よりも王城で結構めんどくさい立場に置かれているの、分かってます?
「今は結構です。誤解が解けたようならどいてもらっていいですか?」
「今は、と来たか。ふぅん、楽しみだね」
「ちょっとした言葉のあやです」
「そういうところに人の本音って出るものなんだよ、エル」
「言い間違えというものがあることをご存知ですか、グレン様。なにより、未婚の男女として、この体勢はよろしくないと思います」
「主と小姓のときにも、僕はお前をよく押し倒してたと思うけど」
「そういう御自覚があるなら、ご自分の行動をよくよく反省してください」
「でもさ。そういうことなら、猶更、この状態がお前の今の希望には添えるんじゃない?」
「人の話を聞いてください。僕、物事には順番ってものがあると思うんです。これでも貴族の令嬢ですし?」
「血筋を守るために初夜に純潔の証明をってやつ?ふん、あんなの建前でしょ。偽装工作だらけだよ」
「そんな乱れた話は聞きたくなかった」
「僕には建前より実質の方が大事だな。どうして書面や誓約なんていうどうでもいいものにこだわるわけ?」
「書面も作りますし、誓約もしますけど、そうじゃなくて……その。ちゃんと言ってもらいたい、だけです」
そんでもって、この体勢からそろそろ解放してもらいたいです。
「お前にもそういうことに憧れる部分があったんだ」
「めんどくさそうな顔しないでくださいよ。この後一生こんな機会はないでしょうから」
「もう一度あるとでも?僕以外なら殺しちゃうよ?」
「物騒すぎる!ないからお願いしてるんです、一生に一度ですよ?」
下から見上げるようにして、お願いしてみる。
グレン様が表情を変えないまま僕を見下ろし、そのまま暫し時間が経った。
あれ。この間は一体。
お願いしてもダメそうなら、「なるほど、真剣な生涯の愛を誓うなんて、軽率な口先ばかりの愛を囁くことに慣れ過ぎたグレン様には難易度が高すぎましたね?」なんて煽ってみるかなーと思っていたら、グレン様は、ぐしゃっとご自分の前髪をかきあげて、ふぅとため息をついてから僕をご自分の下から引っ張り起こした。
僕、九死に一生を得る!主に貞操という意味で!ふはは、見たか!これが小姓歴約3年、元ご主人様たるグレン様からの難をかいくぐってきた経験の賜物だ!
「口は禍の元だからね。いつでも押し倒せるしむさぼれるし」
「何も口に出してないじゃないですか。あと表現が卑猥すぎて聞くに堪えません」
「口に出さなくなって相変わらず全部顔に出てるんだよ」
「くっ……」
僕が、表情がバレないように両手で頬を押して顔を変形させると、グレン様はアホの子を見る目そのもので僕の両手をつかんでから、一拍おき、僕の目を見て言った。
「僕と結婚するよね」
「僕に返事の余地を残してください」
「決まりきった答えを待つのって不合理じゃない?」
「いえ、僕の口で、直接、僕の気持ちをお応えする余地を残していただくべきだと思うんです。グレン様もお聞きになりたいのではありませんか?」
グレン様は僕の言葉に一瞬虚を突かれたような顔をして、それから、口元に手をやりながら一瞬僕から視線を逸らした。グレン様の白い頬が少し赤い。
グレン様の頭の中で、僕の言い分に乗りたい気持ちと、僕の言い分に踊らされる悔しさとが戦っている様が目に浮かぶ。
知ってる、こういう時のグレン様って、結構可愛いんだよね。ペースを乱されるのに弱いってことも、大分分かってきた。
「……お前は、僕と結婚するよね?」
「言葉にほとんど変化がありませんが」
「疑問形で訊いて答える余地を残したでしょ。調子に乗るなよ」
なるほど、天邪鬼なグレン様の妥協点はここまでだったか。
仕方がない、僕もこのあたりで勘弁してあげないと。
僕は掴まれた両手首をそっと外し、ベッドの上にその手を置いて自分の手を重ねたまま、グレン様のルビー色の瞳と正面から向かい合った。
小姓の時からずっとこうやって向かい合ってきて、いつだって、ルビー色のこの目の中には、僕が映っていた。グレン様はなんだかんだ、僕とちゃんと目を合わせてくれる人だったから。
「グレン様。僕は、小姓じゃなくなっても、あなたの隣にずっといますよ。……僕が死ぬ時まで、ずっとです」
ちょっと恥ずかしいけど、天邪鬼なご主人様――違うか。未来の旦那様には言えそうもないから、僕の方が言ってあげよう。
「愛してますよ、グレン様」
恥ずかしさで照れ笑いを浮かべながらになってしまったけれど、言ってよかった、とすぐに思えた。
だって、グレン様が、僕の言葉に目を見張った後すぐに、嬉しそうな、どこか泣いてしまいそうな笑顔を見せてくれたから。
僕の言葉でこの人がこういう表情をされるというのが、たまらなくくすぐったくて、嬉しい。
もう二十歳を越えたグレン様は立派な大人の男性だというのに、僕は、不意にグレン様が小さな子供のように見えてしまい、そっと頭に手を伸ばして、その頭を撫でてあげようと思ったのに、伸ばしかけた手は途中で再び捕まってしまった。
「エレイン」
指を絡めるようにして優しく手を包まれてどきりとする。
「はい」
「僕も、お前を愛している」
天変地異が起こった!と驚く間もなく、近づいてきたグレン様は、いつもにも増してずっと色気があった。
口を開いて何か言う前に「目、閉じなよ」と言われてしまった僕は、今度こそ目をちゃんと閉じてそれを自分の意志で受け入れた。
ふんわりと、グレン様の香りがした。
おしまい。
※※※と見せかけて、おまけだよ※※※
「魔性だ……魔性……この人ほんとに怖いいろんな意味で」
「たかだかキス程度でそこまで言う?」
「僕はこういうことに関して初心者なんです!」
「そうだね。仮にお前がそうじゃなかったら、その相手は今この世にいないんじゃない?想像しただけでも誰かを粉々にできそうだなー」
「しれっと恐ろしいことを言わないでください。いいですか?初心者の僕には、き、キスにも何にもステップが必要なんです!それをっ……いきなり、し、……言えない!僕にはとても口に出せない!」
「なに、そんなによかった?」
「違っ――」
「違う?あぁ、足りなかったの?じゃ、満足できるまでする?」
「いや、違いません!違いません!とっても、アレでした、そう!僕にはレベルが高すぎてついていけませんでした!強大な魔獣に枯れた木の棒1本で戦いを挑むようなもんでした、だから今はもう勘弁してください!そのお綺麗なお顔を近づけないでください!」
「あ、いいね。その泣き顔がそそるんだよなぁ」
「このっ、ドS鬼畜野郎!ここでこれ以上発情されるようでしたら、僕、蹴り上げますよ?愛を誓おうが何だろうが、僕、情け容赦なく蹴り上げますからね」
「好きな女を前にして、興奮しない男っているの?」
「っ……!」
「あはは、顔真っ赤!新しい遊びを見ーつけた。こういう表情を見ていきながら段々に慣らしていくのも面白いし、今日はこのあたりで解放してあげるよ」
おしまい
※※お砂糖ましまし。デレるエルを楽しんでいただけましたら幸いです※※




