21 小姓は未来に期待を寄せるのです
僕を何度も優しく呼ぶ声がした。それが僕を呼ぶ懐かしい母様の声だと僕には確信できていた。根拠?ない、ない。ただそう思ったんだ。でも、母様にはもう会えないはず。だって、母様は死んでしまったのだから。でも母様の声だ。ってことは夢?
別に夢でもいいや……すっごく眠いし……ここ、あったかいし、ふかふかだし……。
――エル、あなたの大事なものが壊されそうよ――
大事なもの?なんだろ?母様が忠告してくれているのだから、それはとっても大切なもので、絶対に失っちゃいけないものであるはず。僕が自分を差し出しても守るべきもののはずだ。
誰だか知らないけど、壊さないで。
それにしても眠い。心ゆくまで眠りこけることができたらどんなに幸せだろう。でも、そろそろ起きないと。だって、もし僕が寝坊でもして、グレン様を遅刻なんてさせちゃったら、とんでもないお仕置きが待ってるから――ん?グレン様?
夢の中をうつらうつらしていた意識が、急速に覚醒した。
グレン様が僕を呼んでいる声がしているぞ!なんとなーくだけどご機嫌斜めっぽい。それはすなわち僕に命の危険があるってことだ!
気づいたら、僕は土下座をしていた。
寝ぼけた僕は、例え状況が分からなくても、脊椎反射でグレン様への謝罪を優先した。グレン様に対する謝罪が脳で考えなくても出てくる僕はすごいと思う。ん?僕というより、グレン様の鬼畜な体罰がすごいのか?ま、どっちでもいいや。
「おはようございます、グレン様。僕より早く起きていらして、しかも、服もお召しだなんて、珍しくいい寝起きですね。そんなに成長されたなんて感涙ものです。これからも同じように心がけていただけると、僕としても、とても嬉しいです」
「成長に驚かされたのは僕の方なんだけどなぁ」
「なんのことです?」
「あとで分かるさ。それよりも、起きて早々に僕を露出狂扱いとは、お前、まーだ寝ぼけてるみたいだね」
「なんか眠くて眠くて……ところで、ここ、どこです?」
辺りを見回しても白い靄、靄、靄。なんだこれ?
あれ?僕、どこでなにしてたんだっけ?えーっと、確か、今日は、お祭りに行って、リッツとヨシュアと遊んで、そんでいきなり襲撃されて、そこにピギーに乗ったキール様がやってきて……。
思い出せるところから思い出していったら、どんどん記憶が蘇っていく。
僕、一日に色々体験しすぎじゃない?一日の心の許容量を平然と越えてるし、そもそも僕、夜通し寝てないじゃないか。眠いわけだ。
そして記憶をたどれば、リッツを失った、思いだすだけで目の奥が疼いて泣きたくなる悲しいことも、グレン様が炎の中でぼろぼろになっていたことも、全てが現実だということも思い出した。
「って、グレン様!ご無事ですか!?」
ぱっと立ち上がり、目の前に立つグレン様の全身をくまなく確認しても、目立った傷はなかった。今だって、グレン様は両足でちゃんと立っている。
「あぁ……よかったぁ……グレン様の足がぐずぐずに崩れていったの、ほんと怖かった……ちゃんと治せたんだ……」
安心のあまり、僕がへなへなと足の間に腰を落として座り込むと、グレン様も僕の前にしゃがみこんで僕と視線を合わせた。
「まぁね。そのあたりはお前のおかげだよ、ありがとう」
「えっ、炎のせいでねじくれた根性まで溶かされちゃったんですか?いやに素直ですね…………。で。あの――」
「なに?」
「きょ、距離が近すぎませんか?」
「そう?このままお前がぼんやりしすぎるようなら一度目覚めのキスってやつでもしようかと思ってたんだけど」
「きっ……!?」
顔がかぁっと熱くなり、「い」の口のまま言葉を失うと、グレン様は、珍しいものを見たように、膝の上で頬杖をついたまま、僕をまじまじと見てくる。
「そういう反応を返すようになったか……へぇ」
「いやいやいや、日頃ならグレン様の戯言など一蹴で終わりなんですけどねっ?」
「顔、赤いよ?」
「こ、これはですねっ、つい先ほどのあの、僕のやらかしを思い出したからであって……!」
「つい先ほどのやらかしってなーに?」
「そりゃ、僕が、グレン様にっ!」
「お前が、僕になに?」
楽しくて仕方なさそうなグレン様のにやにや顔を見て、僕の頭もようやく冷静になっていった。
「あれは、やけくそです!」
「お前は僕がそれをしたらセクハラだ虐待だって騒いでなかった?」
「あーもう、逆セクハラってことでいいです!したくなっちゃったんです!でも相手が不快に思えばハラスメント!分かってますよ、それぐらい!」
「ふぅーん、お前、僕にキスしたくなっちゃったの」
「そ、それは――なりゆきっていうか、なんていうか……」
「ま、僕は、嫌がってもないし、不快にも思ってないんだけどね」
「そうそう、相手が嫌がったら――って、え?」
僕がその意味を頭の中で整理して、理解し、今更ながら猛烈な恥ずかしさに身悶えせんばかりになっているというのに、グレン様は口の端を上げて愉快そうにするものの、「そのへんはまたあとでね」と流してきた。後がいろんな意味で怖い。
「で、ここはどこっていうさっきのお前の質問に答えるなら、ここはお前の心の中だよ。頭の中っていってもいいか」
「僕のね、なるほど……って、はい?」
「あ!エル、起きたー?」
僕が辺りをきょろきょろしていると、白い靄の向こうの方から、同性の僕でも見惚れるようなえらく綺麗な女の子が満面の笑顔で走ってきた。うわ、可愛いなぁ。
「グレン様、あの姉様似の美人さん、お知り合いですか?」
「……僕というよりお前の知り合いだと思うけど」
「僕の周りには確かにお顔の整った方が多いですけど、関係者だってばれたら学園の悪友たちにタコ殴りにされるような関係者は姉様くらいです」
「エル、りーだよ!」
りー、という名前に、頭の奥がちかりと光ったような気がした。久々に活性化した脳細胞が遠い遠い記憶を引っ張りだす。
「えっ………りー?あの、魔獣の、りー?あの時にも綺麗な魔獣さんだなぁって思ってたけど、人の姿にもなれるの?」
僕がこれまで見た中でも抜群に綺麗な魔獣が、りーだった。すごく小さい時に会ったけれども、りーの銀色の毛並に黄金の瞳はぐんを抜いて神々しくて綺麗だったことは今でも鮮明に思い出せる。なのに、なんでついさっきまで、りーのこと思い出せなかったんだろ?
僕が、りーを褒めたたえていると、隣でグレンのため息が聞こえた。なぜ。
「今ね、りーはエルの姿を借りてるのよ」
「ちょっと待って。姉様を真似するならともかく、僕、そんなに発育よくない」
「お前がまず気にするのはそこなの?」
「色々僕とは似ても似つかないんですけど……やっぱり、ほら。僕はこの平原のような胸で男装生活を乗り切ってきたようなものですし、ここまでくるとこの絶壁も僕の特徴みたいになってくるじゃないですか」
僕の言葉に、グレン様が、隣で再び大きくため息をついているのが聞こえたけど気にしない。
「もし、りーがエルの体を借りてなければ、きっとエルは今頃こんな感じだったよ?」
「まさかー」
「ほんとだよー」
僕は、にこにこ顔のりーが本気でそう言っていると分かり、顎が外れるほどポカンとしてしまった。
「そんな……ばかな……!僕にもその要素があった、だと……!?……いやでも考えてみれば僕の家系、遡ってもそんなに貧相な人いないって聞いてたしなぁ……」
「エル、お前に任せると本質的な話が全く進まない。エルの体を借りてなければ、って言ってたけど、それは裏を返すと、エルの体にあんたがいたから、エルは肉体的な成長が遅かったってこと?」
「そう。ごめんね、エル。りーがエルの体の中にいたから、りーがエルの魔力だけじゃなくて、生命力――エルは成長期だったから、体の成長に回すべき力っていうのかな?そういうのも奪っちゃってたの」
話について行けずに僕が首を大きく捻ると、りーは両手を出して、僕の両手と重ね合わせ、こつんと僕にそのおでこをあててくる。
途端に一気に、過去の古い記憶が流れこんで来て、目の前がちかちかした。
僕がリーを庇おうとしたこと、それで剣で切られたこと、そしてりーの魂が僕と一体になったこと……
「エルの体の成長が遅いのは、りーの体を治すために、その生命力をりーが奪っちゃってたから。本当のエルはこれくらいになっていたはずなんだ」
「介入するけど、その話をするってことは、あんたはもうエルの体から出ていけるの?」
グレン様の質問に、りーは悲し気に首を横に振った。
「エルは、りーたちと同じような器の持ち主。運命がニンゲンの魂としてエルをこの世に浮かび上がらせただけで、魂だけ見れば、りーたちに近いから、普通のニンゲンと比べたら、とーっても大きな魂の器を持っているようなものなの。だから、りーの体が傷ついた時、エルはりーの魂をその体に入れることができたのよ」
「普通のヒトであれば、本来、番の魂をその身に受け入れた時点で破裂しているからな」
言葉に釣られて、りーの隣を見れば、これまた彫刻かな?と言いたくなるくらい整い過ぎた容貌の綺麗な男の人が立っていた。
殿下もイアン様も――あと、グレン様も中身を知らなければ――一家に一人置いておきたくなる、目の保養になる人たちだと思うけれど、目の前の男性は、なんというか、生身の人間っぽさがなく、その分、怖さも感じた。
「エルの器は規格外だったから入れたわ。でも、一方で、エルはあくまでニンゲン。だから、りーの魂と体を癒すには、魔力がとっても足りなかった。エルとりーだと、りーの方が強い。だから、りーが望んでなくても、エルの体にいるとき、りーは、エルの魔力と生命力を奪ってりーの体を治してきちゃった。――でも、それでも足りない。このままだと、りーはエルの生命力を吸い取っちゃう」
「それは言い方を変えると、あんたがエルの魂を吸収して、エルの体を乗っ取るってことだよね?」
グレン様の言葉に、りーが悲し気に頷いた。
それを見たグレン様は、眉根を寄せ、僕の肩を持ってご自分の方に僕を引寄せ、僕を後ろに追いやった。
「させないよ」
「そう、りーもしたくない。大事な大事なエルを失いたくないの。だからグレンサマ、あなたに提案があるんだ」
「……僕に?」
「りーに、グレンサマの魔力をちょうだい?」
りーの提案に、グレン様がぴくり、と柳眉を動かした。
「僕の魔力?」
「グレンサマの魔力は、ニンゲンにしてはとても大きいでしょ?りーはこれまで、ずっとエルの生命力をもらってりーの傷を癒してきた。あとは、グレンサマくらいのニンゲンの魔力をもらえれば、りー、自分の体を作れるから、エルから離れられるの」
「大変不本意ではあるが、そのヒトの娘と混ざっている今のお前の魔力なら、番は受け入れられよう」
「だめです!」
僕がグレン様の手を引いて、りーとグレン様の間に割って入ると、りーは困ったような顔をした。
「エル、このままだとエルは消えちゃうのよ?」
「でも、魔力がなくなったらグレン様が死んじゃうでしょ!?それは絶対ダメだよ!」
「エル、そんなことしないわ。りーは必要な魔力をもらうけれど、グレンサマが死なない程度には残せる。必要なところについては、根こそぎもらっちゃうから、その分は回復しなくなっちゃうけど……」
「どうせ有り余って自分の体を傷つけるような魔力だ。むしろありがたいくらいだね。他に何かまずい点はあるの?」
「あと、もう一つ、きっとエルが悲しむことがあって――」
りーは言いにくそうに、僕とグレン様を見ては俯き、隣の番の男の人を見やって、また目を伏せた。
睫が長くて、そんな姿も様になる。物憂げなため息もなにもかもが色っぽい。
これが僕の未来の姿(仮)とはとても信じられない。
「なに?」
「もしりーが、グレンサマから魔力をもらったら、エルとグレンサマの大事な絆を保てなくなっちゃう」
「絆?」
「それ」
りーが指さした先には、僕の左手首とグレン様の右手首に入った紋章があった。
「……小姓契約?」
僕が呟くと、りーはこくり、と小さく頷いた。
「そのコショウケイヤク?も、なくなっちゃう。それでも、いい?」
ガンガン更新してまいりましたが、あと2話ほどで、とうとう、とうとう、長かったこのお話も完結する予定です。
予定では、明日1話更新し、土日はお休みさせていただきます。本編完結話は、10日月曜日に投稿予定です。ずれたらごめんなさい(ありうる)。このまま完結させられるようにあと一息、頑張ります。お楽しみください。




