20 主と小姓
「……あのさ、それで僕を騙せているつもりなの?」
「へ?グレン様、何言ってるんですか?僕は――」
「騙したくて仕方がないって顔してるから、乗ってやったけど……いい加減僕も飽きてきたんだけど?」
「……ばれてしまったか、つまらんな」
エル――いや、エルと同じ顔をしているだけの全くの別人は、僕の態度が揺るがないのを見て、ふっと表情を消した。
エルは、僕を見て半眼になったり、あえて無表情になったりするけれど、感情に合わせてころころとよく表情を変える。こうして表情を消すことは一度もなかった。いや、できないと言ってもいい。
だから目の前のエルもどきは、エルのようであってエルでない――エルの皮を被った別の化け物のようにしか見えない。
加えるなら、エルは文句を言わずに我慢したことはない。文句を目いっぱい言いながら我慢していたというのが正しい。
「え?ばれないとでも思っていたの?あれで騙すつもりだったんなら、もう一度演技の練習してきた方がいいんじゃない?」
僕が煽るだけ煽ったせいか、目の前のエルもどきは、その姿を掻き消し、次の瞬間には同じ場所に、二十代そこそこの若い美麗な男が姿を現した。
銀色のまっすぐな長髪に、彫刻めいた容姿。人のものとも思えない黄金の瞳には何の感情も浮かんでいない。
「ヒトの真似などするものではないな。余計に不快になったわ」
「僕への嫌がらせのつもりなら、残念ながら失敗だよ」
「ほう?我があのヒトの娘の姿でお前に告げた言葉で、お前の心は確かに揺らいだろう?」
「同じ姿をしているからね。本人にそう言われたら、って考えただけ。まぁ、エルなら、僕に絶対にそんなことを言わないだろうけれど」
「ふむ。このヒトの小娘はお前によくそのような文句を言っていたように思うが?」
「覗き見?嫌な趣味してるんだね、魔獣は」
「このヒトの小娘の中には我の番がいるのだぞ。見張らなくてどうする?」
もしこれを本物のエルが聞いたら、きっと、「うわぁ。ここにも、無自覚盗撮変質者がいるー」と嫌な顔をするだろうな。
「それで?僕の心を覗いてまで僕が嫌がることをしたかったわけ?」
「我の力を分不相応にも封じようとし、あまつさえ、番の魂と一体となろうとするヒトに懸想する忌々しいヒトのオスが無防備に我の元に来たのだ。憑り殺してくれなくてどうする?」
嫌がらせの類いも僕そっくりで嫌になる。
「それ、宣言しちゃっていいんだ」
「言わずとも、我が忌々しいお前を排除することは自明のこと」
「奇遇だね。僕もあんたが大っ嫌いだ」
正直、こいつにとって今の僕は、赤子の手をひねる――とすら言えないくらい、容易に殺せる相手だろう。
「ヒトごときにそのような感情を向けられること自体、虫唾が走る」
「じゃあ、あんたがもっと悔しがることを教えてあげる」
「なに?」
「僕、あんたが知りたくてたまらない番の名前、分かったよ」
その途端に、僕の体が金縛りにあったように動かなくなり、頭の中が探られ、弄られるような感触がする。抵抗も何もあったもんじゃない。例えるなら、その魔力の差は、太陽とマッチ棒のようなものだと肌で分かる。仮に僕の魔力が万全でも、台風の中の藁のように吹き飛ばされて終わるような、圧倒的な力の格差だ。
あえて抵抗もせず、僕の記憶を探らせていると、突如として、びりりと周囲にすさまじい衝撃が走った。
「……なぜだ」
「見つかった?」
「……なぜ我には番の名が分からぬのだ!お前の記憶を探っても出てこぬ!なぜ、なぜ出てこない!」
「それはあんたが『人』じゃないからさ」
「なに!?」
不愉快と言いながらもずっと顔に表情の欠片も浮かべなかった男が、初めて怒りというものを垣間見せた。目に見えない衝撃波のようなものが辺り一帯に広がっていく。それに当たったらここに来ている僕の意識なんて簡単に散り散りにさせられそうな、そんな剣幕だ。
段々と頭にかかってくる圧力が強くなり、意識の中にいるだけの存在だというのに、僕の顔に脂汗が浮かぶ。
まずいな、このままだと本当に僕自身が壊されそうだ。
「教えてやろうか」
僕の言葉に、魔獣はすさまじい怒りを僕に寄越した。人としての肉体を象るのもやめ、巨大な銀色の狼のような姿に変わり、僕に向かって唸りを上げる。
その剣幕だけで、皮膚が破けて全身から血が飛んでいくような心地になる。
それでも僕はやめない。
「ただし、2つ条件がある」
「……なに?」
「本物のエルの心を僕たち人間に返すこと――つまり、あんたの番の魂とエルの魂とを分けて、体をエル自身に返すこと、それから、僕とエルをここから無事に出すこと」
僕が左手の人差し指と中指を2本立てながら言う間も、魔獣は金色の瞳を爛々とさせ、今にも襲い掛かって来そうな気配で僕を威嚇している。
「あんたの番が傷つけられたときならいざ知らず、それからもう10年以上が経った段階で、あんたほどの魔獣が、人間ごときの魂と番の魂を分離することができないとは考えにくい。分離すれば、エルが助からないとして番が拒んだのだとしても、『ヒト』が大嫌いなあんたは今すぐにでもエルの魂と番の魂を分けたいと思っているはずだ。拒絶する番を説得したいはずだ。それをしていない――いや、それができないのは、番の名前がわからないからじゃないの?」
今の僕に肉体がなかったのは幸いだったかもしれない。もし生身の体でこの魔獣の剣幕にあてられれば、例え万全であったとしても、体は本能的に動けなくなっただろう。
そしてこの睨み一つで本当に体ごと散っていってしまうだろう。こうして相対してみれば、魔術で抵抗できるような相手でないのも分かる。
しかし、ここはあくまでエルの心の中。魔術も体術も何も使えないただの僕という一人の人間でありながら、この、明らかに格の違う魔獣とも、精神力さえあれば、物申すことができる。
僕を支える精神力はただ一つ――ここから生きてエルと帰ること。
それを果たしたいという気持ちのある限り、僕は抵抗できるはず。
「さっきの条件を聞いてもらえるなら、あんたの番の名前、教えてあげるよ」
僕の条件に、一瞬、あたりがしん、と静まり返った。
そして、次の瞬間、魔獣は、吠えるように呵呵大笑してから、ぎらりとした牙を覗かせた。
「笑止!ヒト如きが我に取引とな!?よかろう、我が全力を持ってお前の記憶を暴いてやる。か弱きヒトの命を奪うことなど造作もないわ」
僕の頭にかかる圧力がぐんとその威力を増した。
物理的に頭蓋骨を破壊してくるような強烈な力が加わり、頭がぼうっとしてきた。
「先に僕が死ねば、一生あんたは番の名前を分からないぞ……」
「ふん、忌々しい。そんなものなど必要ないわ。離せぬなら離せぬまで。ヒトの娘の体を奪えばよいこと。お前なぞ、そのまま壊れてしまえ!」
――くそっ。抵抗も何もあったもんじゃない。
脳みそが搾り取られるような、そんな感覚に抗おうという意思すら奪われそうになったその時、パキン!という乾いた音が鳴って頭への圧力がすっと退いていく。
「な……!?」
一番驚いているのは、目の前の魔獣のようだった。
りーん、りーん、と、涼し気な鈴の音がどこからともなく響いてきて、その音を聞くたび、ぼうっとした頭が冴えていく。
「番よ!なぜ庇う!このヒトのオスを!なぜ!なぜだ!」
魔獣は、無念さと激怒と嫉妬を込め、咆哮した。番に裏切られ、僕を庇われたことへの怒りに我を忘れ、それでも番に対する執着を捨てられない悲しい魔獣の性に、僕はなぜか共感した。
「アッシュリートン。お前の番、『りー』の名前の由来――いや、本当の名前は、『アッシュリートン』だ」
「だいせいかーい!」
ぱふんっという軽い音を立てて、咆哮する魔獣と僕の間に、一人の女性――いや、少女が現れた。
腰まで届きそうな直毛のはちみつブロンドに、長い睫毛に縁取られた円らな青い瞳。華奢で、色の白い手足はすらっと長い。童顔ではあるが、出るところがそれなりに出た体型には、子供とは思わせない、一人の大人の女性らしさを感じる。少女から大人への過渡期頃の年頃――ちょうど17歳から18歳頃か。
愛らしさと美しさを兼ね備えた整った容貌の少女は、楽し気にくるりとその場で回り、僕に向けてふんわりと広がるドレスの裾をつまんでお辞儀をして見せた。
「呼ばれて登場!はじめまして、りーです!」
僕も魔獣も、どちらもが様々な理由で言葉を発せずにいると、りーは「あれ?反応薄い?登場の仕方間違った?」と言ってうーんと唸り始める。
「……我の高貴なる番の魂は変質してしまった後だったか……!」
「さすがにその苦悩には同情する」
「ちょっとぉ、失礼しちゃう!せっかくこんなに可愛い姿で出てこられたのに――って言っても、りーがエルの中にいなかったら、今頃こうなっていただろうエルの姿を借りてるだけなんだけどね!もう、りーのエルったら、本当に可愛いんだもの!」
魔獣という存在に対する固定概念がガラガラと崩されていくことと、エルのいろんな意味での成長可能性に僕が真剣に戦慄いていると、りーは、僕に向けてにっこりと笑って見せた。
「大丈夫。あなたが呼べば、エルは起きるよ。エルは本当にあなたが大事なのね。さっきだって、ぐっすり眠っていたのに、あなたが危ないって感じ取って、あなたを守りたいと願ったのだもの。意識はないのに、よ?その気持ちに呼応して、りーの力が使われただけ。だからお礼はエルにしてあげてね」
それだけ言って、りーは、先ほどの彫刻のような人間の男の姿に戻って地べたに倒れ伏している番の元へ向かう。
僕はそれを聞いて、魔獣たちがいる方向とは逆の方向へと数歩歩いてから、呼んだ。
「エル、主であるこの僕が迎えに来てるのに、まだ起きないつもり?寝坊だなんて、いい度胸してるよね」
「はいっ!すみませんグレン様!寝過ぎました!」
僕が振り返れば、そこには、正座で頭を地面につけた、灰色の頭のいつもどおりの小姓が蹲っていた。




