ブラック・クローク
空は靄がかかったようにくすんでいて、この時期特有の寂しさを忍ばせ始めているように見えた。レオンにとって、冬の足音を感じるには十分過ぎる兆候である。
ユースアイの大通りを、レオンとステラは並んで歩いていた。昼過ぎに目覚めたステラとランチを食べた後だったから、今が一番暖かい時間帯かもしれないが、時折思い出したように冷たい風が吹くので、早朝と錯覚出来そうでもある。レオンはいつも通りの普段着なのに、どういうわけか、ステラは白地に紫装飾の入ったいつもの魔導衣に着替えていた。その上にマント、さらにその上にソフィという出で立ちなので、傍目にも暖かい格好だ。
「どうしてその格好なの?」
歩きながら尋ねてみると、ステラは柔らかいブロンドの髪を揺らしながら、ゆっくりと首を横に振った。少し前の会話とは大違いの、自然な笑みを浮かべている。
「意味は特にありません。ただ、着たかったからです」
そう言われるとそれ以上突っ込みようもない。よく分からないが、本人がそう言うのならそうなのだろう。
ステラはそこで青い瞳を瞬かせてから、尋ねてくる。
「それよりも・・・どこに行きます?」
そう尋ねられると、レオンも困るのだ。
皆に会いに行こうと提案したのはステラであって、自分もそれに同意したものの、具体的な案は彼女にも無いらしい。それに、今は大抵の人が一番忙しい時間帯な気がする。大した用事もないのにいきなり行ったところで、ろくに話も出来ない可能性もあった。
そういうわけで、なんとなく外に出てきたものの、特に行く当てもなくブラブラしているだけの2人だった。
しかし、また明日にしようという気にもなれない。今日じゃないと、今じゃないといけないような、半ば強迫観念のような予感がするのだ。それだけ先程の会話が大きかったという事なのだろうか。
それでいてどこに行くのか決められないというのも、なかなかもどかしいが、不思議と嫌な感じはしない。よく考えてみると、こうやってステラとゆっくり歩くというのは、夏祭りの最終日以来かもしれない。あの時も結局、なんだかんだで色々あったから、本当にただ歩いているだけなのは、今日が初めてだと言える。
「あの・・・」
隣を歩くステラが呟くように言ったので、レオンはそちらを見た。
彼女はどこか怖ず怖ずといった様子だ。
「レオンさんがこの町に来た日・・・最初はどこに行きました?」
唐突な質問ながらも、レオンは当然ながらよく覚えているので、すぐに答えた。
「えっと・・・ギルドだよね。迷子になるんじゃないかって、ドキドキしながら歩いたのをよく覚えてる」
今となっては懐かしい思い出だ。
「その次は、ガレットさんのところですか?」
「うん。その後ベティに案内して貰って、鍛冶屋と伝承者のところに挨拶に行ったんだ。そういえば・・・ジェフさんやフレデリックさんに、あれ以来ちゃんと挨拶してない気がする」
もし村に帰るとしても、挨拶くらいはちゃんとしておきたい。心の中でこっそりそう思っていると、ステラが何度か頷きながら提案した。
「それなら、今日は逆に回りませんか?」
「え?」
「その日と逆に回って、それでも駄目だったら、最後にギルドに行きましょう。その・・・手続きをしましょう。それなら、私も諦めます」
ステラは微笑んでみせた。少し前に、泣きそうになりながら怒っていたとは思えないほど、柔らかい表情だ。
先の表情を思い出して、それで少なからずレオンの気が沈んだが、とにもかくにも、彼女の提案に不満はなかった。少なくとも、先の破滅的な提案よりはずっと穏やかだ。
「分かった」
頷くレオンに、ステラは少しだけ緊張を忍ばせて尋ねる。
「今でも、戦いたくないですか?」
どうだろうと、レオンは自分に問いかける。
本当のところは、迷っているのかもしれない。だけど、やはり今のままで戦うのは、仲間を危険に晒すのは、どうしても許せない。
「・・・うん」
それっきり、彼女は口を噤んだ。
無言のまま並んで歩く2人。不思議と寂しくはないとレオンには思える。しかし、ステラはどうなのだろうと考えてみると、やはり知らず知らずに傷つけているのだろうと思わずにはいられなかった。
それでも、何も言わずに、レオンは歩くしかなかった。
ステラも黙ってそれに従う。レオンがこの町にやってきた日、最後に行ったのはニコルのところだったけれど、そこまでは彼女に説明していない。だから、具体的な行き先を知っているのはレオンだけである。
ところが、ニコルの家まであと少しというところで、意外な人物を見つけた。
2人の前を同じ方角に歩いているのは、白と青のコントラストが鮮やかな、まるで人形のような可愛らしいワンピース姿の女の子。その服装から言っても、背格好から考えても、明らかにまだ10歳前後の子供にしか見えないものの、そう口にしたとある旅人の事を未だに目の敵にしているらしいので、迂闊にそんな感想は絶対に漏らしてはいけない。
いずれにしても、明らかに知り合いだ。長い艶やかな黒髪と悠長な歩き方から見ても、まず間違いない。
一度ステラと視線を交わしてから、2人は彼女に声をかけた。追いかける間でもなく、普通に歩いているだけで簡単に追いついた。
「シャーロット」
そのレオンの声に、彼女はすぐに立ち止まって、それから勿体つけたようにゆっくりと振り返る。
相変わらずニコリともしない。しかし、明るい大きな瞳が遠慮なくこちらを捉えているので、全くの無関心というわけではない。
開口一番、シャーロットは尋ねた。
「デート中?」
咳込むレオン。久しぶりだったので、止まるのに少し時間がかかった。
そのレオンの背中をさすりながらも、やや乱れた声でステラが答える。
「いえ、そういうわけじゃ・・・」
そんな2人を交互に観察してから、シャーロットは淡々と尋ねる。
「もしかして、もうそんな段階じゃない?」
この子はいったい何を言い出すのだろうと、レオンは内心戦慄した。
しかし、シャーロットの口は止まらない。
「怪我をしたって聞いたから心配していたけど、とりあえず元気そうで安心した。ただ、元気過ぎても、それはそれで近所迷惑だから、日が高いうちは慎んだ方が・・・」
「わー!わー!」
慌てて叫んだレオンの必死さが伝わったのか、ようやくシャーロットは黙る。
隣のステラは少しだけ頬を紅潮させて、気まずそうに黙っている。
それほど多くはないが、道行く人の視線が痛かった。
「・・・それで、シャーロットはどこに行くところ?」
なんとか話題を変えるレオン。
彼女はすぐさま問い返してくる。
「そちらは?」
「あ、うん。ニコルのところに、ちょっとね」
「ステラも?」
シャーロットの疑問はもっともだ。アスリートではないステラがニコルに用があるとは考えにくいし、そもそも、ニコルはほとんど他人に会わない生活をしている。
「うん。まあ・・・」
どう説明したものかと迷ったが、結局、レオンの口から出てきたのは、そんな曖昧な返事だった。
再びシャーロットは2人の顔を交互に見る。
そこでしばし、十数秒間の沈黙。
この間はいったい何だろうと思い始めたところで、シャーロットの唐突な言葉が耳に飛び込んでくる。
「私も行く」
反射的に頷きそうになったレオンは、そこで固まった。
「・・・はい?」
「だから、私も行く」
「えっと・・・どこに?」
馬鹿みたいな質問だとは思ったが、聞かずにはいられなかった。
ステラも少なからず驚いた様子で、青い瞳を大きくしている。
しかし、ただ1人、シャーロットだけはいつも通りだった。
「ニコルのところ。大丈夫。これでも一応、結構親しい関係のはずだから」
「結構親しいって・・・」
そこで、突然ステラが思い出したように言った。
「あ・・・そういえば、小さい頃はフィオナさんやシャーロットと仲が良かったみたいだって、そう聞きましたよね」
「え?」
「ほら、いつだったかギルドで、ケイトさんに」
「ああ・・・」
そう言われてみると、確かにそんな話を聞いた気がする。
小刻みに頷くレオンだったが、その時には既にシャーロットは身体を翻していて、ニコルの家に向かって歩き出していた。
「ちょっと・・・」
呼び止めたが、彼女は全く聞く耳を持たずに歩みを止めない。
また顔を見合わせるレオンとステラ。
しかし、そこまで強固に断る理由もないので、結局2人はその後を黙って着いていった。
そして、数分後。
「やあ、シャーロット」
突然の3人の来客に対し、ガレージの床に座り込んで何やら工作作業中だったニコルは、その一言だけを口にした。
それ以外に、特に感想らしき言葉はない。
意表を突かれたレオンとステラをよそに、当のシャーロットはスタスタと奥まで歩いていき、この部屋唯一のイスに堂々と腰掛けた。そのままデスクの上で丸まっていた黒い妖精を断りもなく抱え上げて膝の上に置く。クロの方も文句はないのか、それとも、あまりに眠過ぎてそれどころではないのか、シャーロットの膝の上で微動だにしない。
この慣れた感じは何だろう。
そんな事を内心考えていると、そこでニコルの声がかかる。
「とりあえず、そんなところに立ってないで、こっちまで来たら?まあ、もうイスは埋まったみたいだけど」
その声にレオンが反応した頃には、ニコルは既に工作作業に没頭中だった。詳しくは分からないが、いつか使わせて貰っていたガジェットのような、水筒状の装置を組立中のようだ。
まだ戸惑い半分ながらも、レオンとステラもニコルの傍まで行く。
そこには既に古びた毛布らしき物が敷いてあったので、とりあえずレオンはそこに腰掛けてみた。遅れてステラも、怖ず怖ずといった感じで座る。彼女の肩の上にいるソフィは、ここに来た時からずっと、シャーロットが撫でている妖精を紅い双眸で見つめていた。
しばらく、誰も喋らなかった。
こちらに見向きもせず、一心不乱に工作しているニコルと、やはり妖精の手触りを楽しむ事に忙しいシャーロット。そのどちらも、積極的に構ってくれる気はこれっぽっちもないようだ。双子と言ってもいいくらいよく似ている2人だが、ある意味性格もそっくりだった。
このまま黙っていても仕方ないので、意を決して、レオンは声をかけた。
「えっと・・・」
「怪我したんだってね」
声を被せるように、ニコルが言った。
そこでようやく、こちらを見据える。大きな瞳はシャーロットそっくりだったけれど、今はその本人が同じ部屋にいるせいか、いつもよりも男性的な印象が強い。
ややあって、レオンは頷きながら答える。
「あ・・・うん。まあ」
「思ったより元気そうだけど、怪我の具合は?」
その問いは、いつもと同じ口調に聞こえる。でも、それなりに付き合いがあるレオンには、表面には出ない微妙な変化が感じ取れるようになっていた。
今も、どこか不安げに見えない事もない。
溜息が出る。
そうか。
やっぱり、心配させていたみたいだ。
さらに、その上で何もかも投げ出そうとしているのだから、本当に合わせる顔がない。
俯くレオン。
さすがに気になったのか、ニコルも、そしてクロを愛でていたシャーロットも、こちらをじっと見つめていた。
しばらくして静かに答えたのは、ステラだった。
「怪我は大丈夫です」
再び沈黙。
それだけしか言わない。怪我は、という言い方をする。それらによって暗に意味を持たせている言葉だった。
どうしよう、とレオンは悩む。
こうしていざ来てみると、今まで自分の為にいろいろ力を貸してくれた人なだけに、その人の思いを裏切ろうとしている自分が益々情けなく思える。だからといって、他の選択肢が思いつかないだけに、尚更どうしようもない。
重苦しい空気が場を満たそうとしていた、その時だった。
「仕方ないなあ・・・」
ニコルらしからぬ明るい声に、レオンは顔を上げる。
すると、苦々しいながらも笑っているニコルの顔が目の前にあった。
「一応言っておくけど、レオンだから見せるんだよ。そこのところを忘れないでよね。すぐにとは言わないけど、後で何か、感謝の気持ちを示して欲しいな。あ、出来たら、金属系のドロップアイテムとかで」
「・・・はい?」
戸惑うレオンをよそに、ニコルは右手を無造作にこちらへと差し出した。
もちろん、何も握られていない。手だけなら間違いなく女の子に見えるほど綺麗な形をしている。
これは何の謎かけだろう。
そう思った瞬間、突如、真っ黒な影がその手の上に飛来する。
中からこちらを見据える、アメジストのような瞳。
その正体にレオンが気付いた瞬間、その妖精はこちらに飛びかかってきた。
しかし、レオンは自分でも驚くほど戸惑わなかった。勢いの割に、全く敵意を感じなからだった。
そして、その羽根のように軽い身体が頭を捉えた直後。
減速する時間。
粘体のように歪むガレージ内。
驚きはしたが、初めてではないので慣れていた。
レオンは目を閉じる。
精神が浮き上がるような感覚の後、それはようやく見えた。
時は深夜。
場所は、どこかの街角だろう。ユースアイの物よりもずっと大きな建物が沢山ある。
その陰になっている裏路地のような場所、その先に、背の高い青年が立っている。
「まだ悪党のような真似をしてるのか?」
どうやら、質問されているらしい。
答えは思いの外早かった。
「悪党のよう、なんじゃないよ。悪党なの」
かなり若い、幼いと言ってもいいくらいの、可愛らしい少女の声だった。
すぐに理解する。
これが、あの伝説の、スニークの声らしい。
「どうして止めない?もう昔とは違う。金に困っているわけがない」
「金に困ってなかったら、何なの?」
声が冷たくなる。
スニークの答えは淀みなく語られた。
「私が貧しい身の上に生まれた可哀相な盗賊でも、或いは災厄を退けた伝説の冒険者でも、それが何か私に関係ある?どちらも、周りが勝手にそう呼んでるだけ。そんなの、別に好きにしたらいいよ。その代わり、私も好きにさせて貰うだけ。あんたも、私が悪党に見えるなら、捕まえるなりすればいい。それとも、まだ私がいい女に見えるなら、それらしい言葉でもかけてみるか、それとももっと強引に、力ずくでものにすればいい。結局どう見えたところで、あんたがする事に大して違いはないよ」
そこで、静寂。
男との距離はそれほど離れてはいない。彼は腰に剣を下げているから、攻撃しようとすればすぐに出来る距離だ。
しかし、言いようのない距離感がそこにはあるようだ。
彼は苦々しい口調で呟く。
「・・・そんなに独りがいいのか」
「違うね」
スニークは微笑んだようだ。
「友達は沢山いた方がいいとか、他人に親切にした方がいいとか、あんたたちの、そういう根拠のない幻想に付き合えないだけ。まあ・・・生まれた場所が悪かったんだろうけど、私は、この生き方しか出来ない。私は私のしたい事をして、それで周りが、私を親切な奴だとか、悪党だとか、或いは伝説級の冒険者だとか言っても、決して文句を言わない。その結果、どこぞの貴族に恨まれて殺されても、誰とも友達になれなくても、そして、あんたと一緒になれなかったとしても、それでいい」
「そんな生き方をして、後悔しないか?」
「しないね」
そこでスニークの右肩に力が入る。何か武器を用意しているのが、レオンには分かった。
「それだけは絶対に言える。私が私でいる為に、他の道はなかった。というか・・・人生に後悔なんてしても、意味がないと思うけど。昔は昔で、まあ今よりは馬鹿だったけど、それでも最善だと思った事をしたんだ。だから、この現実が一番いい道のはずだよ。まあ、そうだね」
言葉を切ったスニークは、広げた右手を男に見せる。
その指には、かなり小型のナイフが二振り、挟まれていた。
そして、微笑みながら続ける。
「私を前世にした奴が、反面教師にでもしてくれたらいい」
男はしばらく直立したまま、伝説の少女をじっと見つめていた。
スニークも動かない。
「・・・どうする?」
彼女の声。
そこで、男は一度目を閉じる。
その瞳がすぐに開かれると、男は口元に笑みを浮かべていた。
「悪いな・・・やはり、私も自分の生き方は変えられない」
「そうだろうね」
「勘違いするな」
石の壁を断ち切れそうなほど、鋭利な声だった。
そのまま男は腰を少し落とし、剣の柄に手を掛ける。
じっとそれを見つめるスニーク。
「私は、いや、俺は冒険者だ。貴族の飼い犬なんか性に合わねえな。そして・・・」
彼は静かに笑った。
「冒険者なだけに、結構諦めが悪い質なんでね。例え相手が天下のスニーク様だろうが、そんな理屈を聞いた程度で終われるかよ。こうなりゃ、意地でも捕まえて、俺の色に染め上げてやるから、覚悟しとけ」
スニークは数回瞬きする。
「・・・あんた、それ、キメたつもりかもしれないけど、言ってる事は相当アクドくない?」
「うるせえ。別にいいんだよ。そこら辺の一般人ならともかく、伝説の冒険者が相手なんだからな。これくらい気合い入れとかねえと」
男の殺気が撫でるように漂ってくる。
しかし、スニークはそこで笑った。
「なんだかなあ。うん、でも・・・そういうの、嫌いじゃないよ」
確かに、彼女の心は、戦闘中とは思えないほど穏やかだった。
どうしてだろう。
レオンがそう考えているうちに、スニークが見事な動作でナイフを投擲し、それを男は剣の一振りで叩き落とす。
そして、2人は接近していく。
戦うため。
でも、それ以外の何かのために。
そこで、また景色が歪む。
半ば混濁する意識を味わった後、レオンの意識はガレージに戻っていた。
目の前には、下を向いて作業中のニコル。
しばらく呆然としていると、何の躊躇もなく近づいてきたシャーロットがすぐ脇に立つなり、こちらの頭上に両手を伸ばして、そのままスタスタとデスクの方へ戻っていく。
その両手には、漆黒のカーバンクル。
自分の頭上にクロがいた事をすっかり忘れてしまっていたが、用が済むなり自分のところに連れて帰るシャーロットは全くのいつも通りの様子で、それが堂々としているというかマイペースというか、いずれにしてもさすがといった行動だった。
彼女は再びイスに腰掛けて、妖精を膝の上に乗せる。その時には既に、クロの紫の双眸は閉じられてしまっていた。そちらもある意味いつも通りだ。
ふと横を見る。ステラの青い瞳とソフィの紅い双眸がどちらもこちらを捉えている。
それを確認して、再び正面を向く。
ニコルだけは、少しだけいつもと違うような気がした。
「・・・えっと」
何か言おうとした時、またも被せるようにニコルが告げる。
「反面教師にしてくれたらいい」
目を見開いて黙るレオンに、ようやくニコルは顔を上げる。
どういうわけか、照れくさそうだった。
「そう言ってなかった?」
「え?・・・あ、うん」
「だから、そうしてくれたらいいよ。他には、何も聞かないで欲しい。確かに、僕は子供の頃からずっとそんな感じの記憶を見てきて、それが今までの生き方に影響を与えなかったとは言えない。それでも、僕は彼女とは違う。それと同じように、レオンもレオンなりにそれを昇華して、自分の為に役立ててくれたらいいよ」
「いや、まあ、それはそうかもしれないけど・・・」
唐突な言葉に思えて、レオンはしばらく戸惑った。
再びニコルは組立作業に戻ってしまう。こちらの視線を避けているような気がして、その様子にも少なからず違和感があった。
そこで今度は、シャーロットが淡々と口を挟む。
「気にしなくていいと思う」
「・・・はい?」
ややあって聞き返すレオン。
シャーロットはこちらを見ておらず、ただ無表情で、膝の上の妖精を撫でながら、その背中を見つめていた。
「だから、気にしなくていい。ニコルにしてみれば、単純に自分の一部を人に見せるのが恥ずかしいだけだから。本人的には、スニークの記憶があまり健全なものばかりではないという言い訳をしているけど、それははっきり言って小事。要するに、シャイなだけ」
「そうなの?」
ニコルに尋ねてみるが、どういうわけか返事はなかった。
よく分からない。分からないけれど、しっかり否定しないところを見ると、もしかしたらその通りなのかもしれないと思えてくる。
恥ずかしいのを押して、自分の前世を見せてくれたのだ。
「・・・ありがとう」
その言葉にもニコルの返事はなかったが、口元が一瞬だけ綻んだような気がした。
それはそれとして、レオンはもうひとつ気になる事があったので、今度はシャーロットに尋ねてみる。
「ところで、その、僕に悩み事があるって、ひょっとして分かってた?」
確かに一瞬、部屋の空気が止まった。
その反応に驚いたレオンに、シャーロットは酷く素っ気なく答える。
「・・・分からない人はいない」
反射的にステラを見てみると、彼女は狼狽えたように視線を逸らした。ついでにソフィを見てみると、既にこちらは見ておらず、漆黒のカーバンクルを見つめていたようだった。
いずれにしても、どうやら自分は相当分かり易いらしい。
自覚がないわけではなかったが、なかなか寂しいものがあった。
また嫌な沈黙が漂いかけたところで、ステラが気を遣ったらしく、話題を作った。
「あ、えっと・・・そ、そういえば、結構ここに慣れてるみたいだけど、もしかして、ニコルさんと仲がいいの?」
当然ながら、シャーロットに対する質問だ。本当にたわいもない会話のつもりだっただろう。
ところが、どういうわけか、その質問は完璧に無視された。
さすがにそのリアクションは想定外だったらしく、ステラはレオンやニコルにも視線をさまよわせる。しかし、レオンもまさに戸惑っている最中だったし、ニコルもさっぱり答える気がないようだった。
何か、聞いてはいけない事を聞いたのだろうか。助けを求めるようにこちらを見てくるステラの表情から、その懸念を感じ取る。
そこで、不意にぽつりと、ニコルが言った。
「そういえば・・・僕とシャーロットって、似てるけど兄妹じゃないんだよね」
「・・・はい?」
「よく考えてみたら、血の繋がりがないのにこんなそっくりな人間が同じ町に生まれるなんて、結構凄い偶然だよね」
「・・・そうだけど」
この会話は何だろう。
よく分からないが、意味深過ぎる。
何か、とんでもない秘密があるのだろうか。ニコルとシャーロットの両親とか、生い立ちとかには、何か複雑な事情があったのだろうか。あまり考えたくはないが、もしかしたら聞いて欲しいのだろうか。
とにかく、猛烈に気になって仕方なかった。
「そう思わない?シャーロット」
そのニコルの質問に誘われるように、レオンとステラはシャーロットを見る。
彼女はやっぱり何も答えない。
どうしてだろう。
やっぱり、何かあるのだろうか。
2人は人形のような服装をした少女から、目が離せなくなる。
しかし、この場でただひとり、からかってみただけだと分かっているニコルだけは、その様子をこっそり見ては、ほんの少しだけ口元を綻ばせていた。




