アンスマイリー・テキスト
レオンが新しい武器の訓練をしている間、自分は何をするべきなのか。そう考えた時にステラが思い至ったのは、基礎から勉強し直そうという事だった。
思えば、自分は最初からレオンが一緒にいてくれた。彼は既にビギナーズ・アイをソロでクリアしていて、自分が初めてクリアした時は、いわばダンジョンに慣れる為だけについて来てくれたようなものだ。
だから、特に念入りに準備したわけでもない。生き残れるように訓練したわけでもない。
それなら、自分はこの2週間でその訓練をしよう。そして、時間があればビギナーズ・アイをソロでクリア出来ればいい。仮にそれが出来なくても、せめて自分の身を自分で守れるようにはなりたい。その糸口だけでも掴みたい。
たった2週間では、そんなに劇的な進展は望めないだろうけれど、それは新しい武器を会得しようとしているレオンも同じ。今のままではダメだという認識も同じ。そして、それでも2人で頑張りたい、2人でもっと強くなりたいと考えているのも同じ。2人の気持ちが同じだという事を、この間レオンとステラは確かめ合ったばかりだった。半日かけて話をしたその時間が、今のステラを支えてくれているのは間違いない。
もしかしたら、それはステラの方だけかもしれないと思う事が時々ある。彼はそんなものがなくても立っていられる、とても強い人だからだ。それでも、今のステラはそれでいいと思える。そんな自分でも認めてくれると、彼が言ってくれるはずだから。
今は弱い自分。それでも、叔母が言ってくれたように、自分を支えてくれる人の為に、自分で立たないといけない。周りの人は手助けこそしてくれるけれど、それに応えられるのは自分しかいない。自分が立たなければ、支えてくれた人の思いが無駄になってしまう。
ただ、それで具体的にどうするのか。
ステラはまず、自分の最大の武器、つまり魔法についてもっと理解を深めるべきだと考えた。ステラは未だかつて、魔法について誰かに師事した事がない。自分が持っている知識のほとんどは、ほぼ独学で得たものだ。というより、夢の中でサイレントコールドが使っていた魔法を自分なりに再現してみただけの事で、およそ知識と呼べるようなものではない。実際のところ、伝説のジーニアスである彼女の知識や感覚というものは、自分のキャパシティーを遙かに越えているから、本当に雲を掴むような、握って手を開いてみたら水滴が僅かに残っているだけの、その程度しか自分は掌握出来ていない。難しい言語で書かれた本を読んだ感じに近いかもしれない。挿し絵のお陰で辛うじてテーマくらいは分かる。本当にその程度なのだ。
特に、治癒魔法と呼ばれる魔法についてステラの能力が貧弱なのは、サイレントコールドがほとんど無意識に使ってしまっているからでもある。夢の中で、彼女が改まって治癒魔法を使った事は一度もない。本当に一瞬意識を集中しただけ。それだけで、灼熱でも極寒でも、或いは水の中でも、どんな場所でも平気な顔をしていられる。彼女にとって、そういった魔法はその程度の事なのだ。時に空を飛んだり水面を歩いたりといった事もするもの、彼女の魔法は兆候が目で追えない程発動が速く、それ故、彼女の意識も瞬間的に膨大な加速をする。今のステラではとてもついていけない。触れようと思った瞬間には終わっている。自分の悠長な意識を完全に振り切ってしまうような速さで、彼女は難解な魔法を発動させてしまう。
逆に攻撃魔法の場合は、サイレントコールドが時に甚大な規模の魔法を使う事があるので、その際に辛うじて一端を把握出来る。しかし、それも本当に一端で、単純に規模で考えても、彼女の魔法の余波程度のものでしかない。その上、彼女の魔法は発動も速いし、しかも、稀に連発する事もある。今のステラが同じ事をしたら、恐らく無茶という程度では済まない。文字通り命を削る事になるかもしれない。逆に、今のステラの魔法程度なら、彼女は一秒間でも相当な数が発動出来るはずだ。
本当に伝説。
自分にとって、本当に夢の人。
それでも、そんな雲の上の人とでも呼ぶべき伝説のジーニアスの記憶に触れられるのはアドバンテージのはずだ。これ以上ないくらい、緻密で難解な魔法を放つ感覚を体感出来るのだから。
今の自分にはそれがあまりに速過ぎて、ほとんど理解出来ないのが問題ではあるけれど、それも知識があれば補えるかもしれない。言語や内容が難しい本であっても、それに相応しい知識を補っていけば、少しずつ理解を深めていけるはずだ。
というわけで、ステラはまずハワードに相談しに行った。学問としての魔法。その基礎を作ったのは、彼の前世であるアナライザーだと言われている。ハワードもまた、教師や伝承者の傍らに学者をしていて、そういった知識にも詳しいはずだ。
「お忙しいと思いますけど、2週間だけでいいので、少しだけでいいので、時間を割いていただけませんか?」
そう言って頭を下げたステラに、水やりをしていたハワードは苦笑しながら快諾してくれた。
「それが仕事だからな。そんなにかしこまる事はないが・・・だが、前にも言ったと思うが、私にそこまで特別な才能があるというわけではない。魔法の事なら、他に適任者がいるだろう」
顔を上げて、ステラは答える。
「フィオナさんにも、もちろんお世話になっています。でも、感覚的な事だけだと、フィオナさんの言っている事を理解するのにも、やっぱり限界が・・・」
そこでハワードは言葉を遮った。苦笑というよりも、優しい笑みに見える。
「いや、そうじゃない。まあ・・・そうだな。とりあえず、本を読んでみなさい。それで分からない事があれば、私なりに助言しよう。それくらいの事なら、遠慮せずにいつでも尋ねて来なさい。しかし、私が言いたいのは別の事だ」
「はい?」
「一方からだけではなくて、多面的に理解を深めようというのは間違いではない。その考えを認めた上で、私よりも適任者がいると言ったんだ」
誰の事を言っているのか、ステラには心当たりがなかった。
首を傾げるステラに微笑みながら、ハワードは告げる。
「彼女はジーニアスではないが、魔法やルーンについての知識を人一倍持っている。フィオナの為と言って、幼い頃からよく勉強していたからな。今でも、暇さえあればそれ関係の本を読んでいるようだ。そういった本はまだ彼女が持っているから、まず彼女を尋ねなさい。実際に一から学んだ経験者だから、分かり易い本を見繕ってくれるだろう」
「あ・・・」
やっとステラが気付くと、ハワードは水やりを再開しながら告げる。
「ついでに、ルーンついても調整し直してみるといい。新しい知識があれば、新しい戦術が得られるかもしれないしな」
その後お礼を言ってから、ステラは真っ直ぐに目的地に向かった。
彼が言っていた人物。彼女の行動範囲はそれほど広くない。自宅かフィオナの家か、或いはその道中かくらいしか思い浮かばなかった。だから、まず自宅を尋ねて、いなかったらフィオナの家に向かえばいい。それでほぼ確実に会えるに違いない。
程なくして、ステラは彼女の自宅にたどり着く。
商店通りの一角。何の変哲もない木造の民家にしか見えないものの、この辺りにしては珍しい建物だと言える。他の店は一階が見るからに商店だったり、分かり易い位置に看板があったりするのに、この建物は本当にただの民家にしか見えない。そういう意味で目立つ建物。それが何か利点になっているのだろうかと、ステラは何度か考えた事があるものの、結局何か思い付いた事は一度もない。むしろ、普通の家にしか見えないから入りにくい。商店としては不利な外観としか思えない。
ただ、そもそもここの店主にそういった経済観念があるとも思えない。商売というのは二の次で、ただ純粋に大好きなフィオナの為に勉強をした、その副産物として営業しているだけといった可能性が、全くないとは言えない。
それはともかく、ステラがその店の玄関前に立った時、中から話し声が聞こえてきた。ルーンの事で何度かお世話になっているものの、他のお客がいるのを見た事はほとんどない。だから、ステラは少し驚いた。
自分はお客とも言えないわけだから、出直した方がいいかもしれない。
そんな事を考えたものの、そこでふと気付く。話し声に聞き覚えがあるのだ。
かなり高音の、明るい声。
ステラはすぐにドアを開けた。
「可愛いー!」
開けるや否や、聞こえてきた第一声はそれだった。
この魔法用品店は、いつ来てもきちんと整頓されている。店主が几帳面だからなのか、或いは商品の出入りがほとんどないからなのかは分からないものの、ステラとしては、それがこの店にいい印象を抱く一因でもある。両サイドに棚があって、種類ごとに商品が区分けされているこういった風景は、ステラが育った都会では標準的なものだ。そこに親近感がわくというか、少し落ち着く。もちろん、この町の雰囲気が嫌いというわけではなく、むしろ好ましいと思ってはいるくらいだけれど、幼い頃から染み着いた都会気質のようなものだから仕方ない。隣の道具屋のような乱雑な風景を見ると、どこか落ち着かなくなるのもまた確かだった。
その整然とした店の奥、カウンター越しに置いてあるイスの上に、この店の主人であるシャーロットは座っていた。
いつもなら、そのカウンターの陰に座り込んで読書しているのが普通だから、彼女にしては珍しい事だと言える。しかし、今日の彼女はどうやらそれどころではないようだった。
イスに座った彼女に横から抱きついて、頬を擦り寄せている女の子がいるからだ。
その少女はこちらを見なかったが、シャーロットの方は憮然とした視線をこちらに向ける。
そして、何よりもまず尋ねてきた。
「・・・誰?」
子供みたいな憮然とした表情。もちろん、ステラの事を聞いているわけではない。とりあえず言えるのは、どうらや自己紹介もしないままこの状況になってしまったらしいという事だった。
玄関の位置で止まっていたステラは、どう答えたものか、少し悩んだものの、仕方ないので中に入る事にする。そのままカウンターの前まで進み出たものの、少女の愛情表現は止まりそうもなかった。
彼女も小柄だから、ほとんどイスにしがみついている状態と言ってもいい。かなりの短髪で、一見すると男の子に見えるものの、声はかなり高いし、顔の作りや指の細さなどは女の子のものだ。髪や服で誤魔化しているけれど、普通にしていれば、割と大人しい印象の少女に見える気がすると、ステラは勝手に想像している。髪も瞳も濃いし、顔立ちも控えめで、ひいき目に見ても整っているからだ。ただ、それを補ってあまりあるほど、彼女は明るくて、そして身体がまず動いてしまう性質のようだった。そういう意味ではベティに似ているかもしれない。
彼女の名前はエマ。
先週の夏祭りでこの町を訪れた彼女と、ステラ達はたまたま知り合った。その際にいろいろとあって、結局今は、ガレット宿場でシャロンと同じ部屋に泊まっている。そのシャロンという女性とも特に友人というわけではなく、お祭りで偶然気があっただけという仲。それくらい気まぐれというか、いい意味でも悪い意味でも、自分の感情に素直な人物。ステラ達の間では、おおよそそういう評価でまとまっている。
そして、どうやら今は、その気質が悪い方に出てしまっているようだ。
「えっと・・・まあ、画家さんというか、旅人らしいんですけど」
一応そう告げたものの、それでは何の助けにもならないだろうなとステラは思った。とにかくこの子を引き剥がしてくれと、シャーロットの顔には書いてある。
憮然としたシャーロットとは対照的に、エマは顔から喜びが溢れ出ている。
「可愛いー!お人形みたい!これ、絵を描きたいっていうか、もう、このまま石膏にして持って帰りたいよねー」
「それはちょっと・・・」
本当にしでかしそうな気がして、ステラは控えめに声を上げる。
そこでようやく、エマはこちらの存在に気付いたようだった。シャーロットから顔を離して、視線を向けてくる。
「あれ・・・ステラー。いつ来てたの?」
仕方ないので、ステラは困りながらも微笑む。
「ついさっきですけど・・・」
「そっかー。あ、お友達?うわあ・・・それって、もう、なんていうか、凄い奇跡だよね」
「・・・奇跡?」
相変わらず言っている意味がよく分からない。彼女が芸術家だからなのか、それとも単に言葉が足りないだけなのか、時折突飛な発言をする事があるエマだった。
そこでシャーロットが、ここぞとばかりに口を開く。
「仕事?」
彼女は最初からこちらを見ている。どうやら、エマの方は意識的に見ないようにしているようだった。
少し遅れて、ステラは答える。
「あ、えっと・・・仕事というか、あの、魔法やルーンの事で相談があって」
軽く頷いたシャーロットは、すぐさまエマの方を横目で一瞥する。お世辞にも、温かい視線とは言えなかった。
「仕事だから離れて」
ところが、エマは何故か嬉しそうに足をバタバタさせる。
「またそんな事言ってー。お父さんかお母さんを呼びにいくだけでしょー?ホント、そういところも健気で可愛いなー」
「いいからどいて」
「それくらいなら私が代わりに呼んであげるよー。だから、もうちょっとだけ・・・」
また頬を当てるエマ。どうやら、この調子の会話が続いているようだった。
こちらを真っ直ぐに見て、シャーロットは言い切った。
「邪魔だから凍らせて」
どこかで聞いたような言葉だとステラは思った。しかし、具体的にいつ聞いたのかは思い出せなかった。
それでも、そんなわけにはいかないので、ステラは怖ず怖ずとエマの方に頼んでみる。
「あの・・・ちょっとだけ、その、離れて貰えませんか?」
すると、すぐにエマはこちらを向いた。
「何で?ほら、私はこの子と遊んでるから、店員さんか誰かを呼んできたら済む話だし」
どうやら、本当にシャーロットがこの店の主人だと信じていないらしい。無理もないかもしれないとは思ったものの、それで引き下がるわけにはいかない。
「そうじゃなくて、私はいつも、シャーロットにルーンを・・・」
突然また頬擦りを始めるエマ。
「シャーロットって言うんだー!可愛い!もう、聞いても全然教えてくれないから、もしかしたら厳めしい名前かもしれないとか思ったけど、すっごい可愛い名前!どうして教えてくれなかったのー?またまた恥ずかしがっちゃって・・・でも、そういうところがまたいいなー。むすっとしたところがまた、たまんなくキュートだよねー」
どんどん絶好調になっていくエマ。
しかも、どうやら自分は、不用意にもシャーロットの名前を教えてしまったらしい。こちらを向いたままのシャーロットの視線が、どこか冷たい。
自分の手には余ると感じ始めたステラに、仕方ないといった感じでシャーロットは告げた。
「・・・もうこのままでいい。用件は?」
いつも決して機嫌が良さそうには見えないシャーロットとはいえ、この時はさすがに本気で不機嫌だったに違いない。それでも仕事はしようとしているのだから、ステラはちょっと感心してしまった。本当に子供だったら、拗ねて何もかも投げ出す子だっているはずだ。
ただ、純粋に仕事を頼みに来たとは言えないので、多少申し訳ない気がしながらも、ステラは控えめに答える。
「実は、魔法やルーンの事を勉強し直したいんです。それでハワード先生のところに相談に行ったら、そういった事ならシャーロットの方が詳しいし、それ関係の本もだいたいはそこにあるからって・・・」
そこまで言ったところで、何故かシャーロットは溜息を吐いた。
さすがに迷惑だっただろうかと思っていると、シャーロットは淡々と言った。
「確かに、魔法関連の本は私がハワード先生から借りている。元々先生の物だから、私が断る理由はない。私としても、そういう事なら協力してあげてもいい。私はルーンが好きだから勉強したわけじゃなくて、自分の為に必要だと思ったからしただけ。それは多分ステラも同じだと思うから、出来れば苦労を軽くしてあげたいところ」
彼女の場合、自分の為というよりも、間違いなくフィオナの為だったに違いない。目が見えない大切な人の生活を少しでも楽にしてあげようと思った。彼女は決してそんな事は言わないけれど、それはまず間違いない。大切な人が笑ってくれればそれが自分の為になると、そういう事なのかもしれない。そういう意味では、ステラも確かに自分の為だ。自分と彼がもっと強くなれるように、その為に勉強したいと思ったのだから。
しかし、その割にはシャーロットの口調はどこか乗り気ではない。
「何かダメな事情があるんですか?」
尋ねたステラに、シャーロットは少し間を作ってから答えた。
「・・・ここから脱出出来ないと、本を取りにいけない」
妙な沈黙があった。
何か裏事情があるのかもしれないと思ったのは取り越し苦労で、どうやらもっと分かり易い障害があっただけのようだ。ただ、分かり易いからといって、解決し易いわけではないのが難しいところだ。
これはもしかしたら、今日は出直した方がいいのかもしれない。ステラが本気でそう考え始めていると、不意にエマが何かに気付いたようにカウンターの下を向いた。
「あ、本って、ここにいっぱいあるやつ?」
シャーロットを愛でてご満悦だったエマは、一応ちゃんと話を聞いていたらしい。
そこに本があるのは知っているステラだったものの、目的の本があるのかは分からなかったので黙っていると、シャーロットが淡々と答えた。
「そう。だからどいて」
すると、エマは笑いながらもシャーロットから離れた。あまりにあっさりとしていたので、ステラは内心驚く。
そのまましゃがみ込んだエマは、ガサゴソと音を立てながら告げる。
「なんだー、要は本を借りに来たんだね。よしよし、お姉さんが代わりに取ってあげよう。えっと・・・うわ、また難しそうな本だなー。で、どれ?」
黙ったままシャーロットは指で示す。
「これー?あ、これか・・・って、重っ。これ、本当に本か?そういう形の石碑じゃない?あ、こっちじゃなくて、そっち?はいはい。あ、軽っ。っていうか、薄っ。これ、本って名乗るには半人前じゃない?本って言うからには、もうちょっと威厳ってものが必要な気がするけどなー」
好き勝手な事を言うエマ。しかし、何か文句があるというわけではなくて、単純に喋らないと落ち着かないだけのようだった。
そのエマに、イスの上からただ指一本で指示を出すシャーロット。
しばらくその光景が続いてから、ようやくエマは、カウンターの陰から4冊もの本を抱えて顔を出す。そして、それらをカウンターの上に置いた。大判が1冊。それより一回り小さいのが1冊。さらに小さくて、薄いのと厚いのが1冊ずつだった。
一仕事終えたと言わんばかりに額を拭うエマ。その額が汚れたのを見て、ステラは慌てて言った。
「あ、頭のところが汚れてます。多分、埃か何かで・・・」
よく見れば服も汚れているエマだった。しかし、彼女はそれを申し訳程度に確認しただけで笑い飛ばす。
「いいのいいの。あ、でも、もうシャーロットに抱きつけないなー。まあ、また今度でいっか」
「すみません。私も手伝えば良かったのに・・・」
「だからいいんだってー。私の服なんて、そんなに綺麗な物でもないしねー。ステラとかシャーロットの方が、よっぽどお洒落だし」
そこでシャーロットが発言する。エマの発言には全く触れないつもりのようだった。
「とりあえず、それが魔法とルーンについての初歩の本。他にもいろいろ初歩の本はあるけど、ステラはジーニアスだから、魔法が使えない人用の本は必要ないと思うし、それだけあれば十分だと思う。ただ、もうだいぶ前に読んだきりの本だから汚れてるかもしれない。よく拭いてから読んだ方がいいかも」
「あ、はい・・・ありがとうございます」
「人にもよるけど、ステラはちゃんとした教育を受けたみたいだし、すぐに読み終わるかもしれない。新しい本が必要になったら、またここに来てくれればいい」
いつも通りぶっきらぼうなシャーロット。それでも、いつもよりも少しだけ温かみが増しているような気がする。その理由は多分、少し前に本人の口が語ってくれた通りなのだろう。
そこで、なんとなくといった感じで、エマが一番上の小ぶりな本をめくってみた。
「へえ・・・ステラはこういう本も読まないといけないんだねー。ジーニアスも大変なんだ」
「まあ・・・」
実際には、こういう基礎をないがしろにしていたから、今慌てて勉強しているようなものだった。あまり誇った顔は出来ないステラである。
エマはあっけらかんと微笑む。
「私はこういう本はダメなんだよねー。まあ、絵とか笛とか、好きな事ばかりやってるからこんな生活に・・・って、あ、そうだ」
急に何か思い付いた様子のエマ。ニヤリと微笑んだ表情は、一見ベティに似ているように見えない事もない。ただ、自信に満ち溢れているベティに比べて、エマの場合は、子供が悪戯を思い付いたような、いい意味でも悪い意味でも、どこか軽い印象を抱かせる。
「あのさ、ステラの絵を描かせて欲しいんだけど」
その一言に、ステラの身体は自然と緊張した。
「そういうのはちょっと・・・」
まず恥ずかしい。それに、自分だけならともかく、エマの希望はベティ達を含めた4人で描きたいというものだった。その場合、ベティやデイジーはともかく、リディアはどう考えても気が進むようには思えない。そして彼女が嫌がった場合、他の2人が首を縦に振るわけがない。
いずれにしても、自分の一存で決められる事ではない。
ところが、エマの要求はいつもと違った。
「そうじゃなくて、とりあえず、ステラ1人の絵を描かせてくれない?ほら、それで腕前を見て貰えば、他の3人の気も変わるかもしれないし。まあ、絵は買い取って貰うけど大丈夫。安くしておくから」
簡単に言うエマ。
しかし、あまりステラにとって魅力的な話とは思えなかった。
はっきり断ろうとした次の瞬間、エマは切り札を出す。
「もちろん、これだとステラにとっていい話じゃないよね。でも、大丈夫。私が描きたいのは、ステラが笛を吹いているところなんだよ。笛の吹き方も教えるって事でどうかな?笛は笛でも、ただの笛じゃないよ。まあ、ジーニアスじゃなかったら、結局ただの笛なんだけど」
「え?」
思わず声が出るほど、ステラは驚いた。
それはどうやらシャーロットも同じだったらしく、彼女にしては珍しく、声に少しだけ感情がこもっていた。
「・・・魔笛が吹けるの?」
音に魔力の流れを干渉させる技術。口で言うのは簡単でも、それにはある種の神懸かり的な才能が必要だと言われている。魔法と音楽の両方に秀でていなければダメだとか、二重人格でなければ不可能だとか、そういった話をステラは聞いた事があるものの、結局確かなのは、今現在、魔笛が吹けるのは世界でもほんの数人。昔はサイレントコールドも吹けたと言われるその技術も年々継承者は減る一方で、もうすぐ絶滅間近だという話だった。
ステラは夢で聞かせて貰えなかったからもちろん、聞いた事のあるあのフィオナでさえも、難解過ぎて再現出来なかったと言っていた。それほどの技術。
そんな希少な技を、この旅人が持っているというのか。
ところが、エマは苦笑気味にあっさりと告げる。
「いや、私は吹けないんだけど・・・」
思いっきり脱力するステラとシャーロット。
ただ、エマの言葉には続きがあった。
「結構昔なんだけど、魔笛が吹けるお婆さんのところに住み込んでた事があったんだ。私も音楽が好きだったから気が合っちゃって、たまに珍しい曲とか教えてくれたりとかね。まあ、私はからっきし魔法の才能がなかったから、魔笛は教えてくれなかったんだけど。ただ、そろそろ次の町に行こうかなって時に、そのお婆さんが餞別にって教えてくれた曲があるんだ。それがまあ珍しいというか、少し変な曲だったから、お婆さんに聞いたんだよ。なんでこの曲が餞別なのかって。そしたら・・・」
エマは口元を上げる。
「お前には変な曲でも、ジーニアスが聞いたら特別な曲だと分かる。魔法を理解する助けにもなるだろうから、見習いの友達でも出来たら教えてあげなさい・・・ってね」
「へえ・・・」
興味深い話だとステラは思った。それに、ちょっといい話に思える。優しいお婆さんの姿が目に浮かぶようだった。
ところが、シャーロットはあっさり言い放った。
「・・・作り話としか思えない」
慌ててエマは振り返る。
「いやいや!・・・何で?」
「そんな都合のいい話を信じろっていうのが、そもそも無理な話」
「都合がいいって・・・こんな突拍子もない作り話、いくら私でも急に思い付かないって」
それでもシャーロットは淡々と返す。
「この場ですぐにその曲を聞かせられるなら信じてもいい。ステラが聞けば、本当に意味がある曲なのか分かるはずだし」
容赦ない正論に、エマは絶句したようだった。ただの子供だと思って侮っていたらしい。
やや間があってから、エマはゆっくりとこちらを向く。
「・・・この町の女子って、強いよね」
確かにそうかもしれない。ステラは自分の故郷とこの町の事しか知らないものの、どうやら色々な町を巡ってきた人から見ても、その印象は変わらないようだ。
シャーロットの言葉はなお続く。
「どうやら聞かせられないみたいだし、突拍子もない嘘吐きがいたという事で納得しておく」
冷たいというか辛口というか、とりつく島もないシャーロットの言葉だった。
それで話が終わってはさすがに困るのか、エマは慌てて答える。
「待った!聞かせる!聞かせるけど、ちょっと昔過ぎてちゃんと吹けるか怪しいから、明日でもいい?普段吹かないし変な曲だから、練習期間が・・・」
本当にシャーロットは容赦なかった。
「嘘なら嘘と言った方が、後で恥ずかしい思いをしなくて済む。だいたい、そんな必死に隠すほどの大した嘘とも思えない」
その言葉にはむしろステラが絶句したほどだった。いつも以上に辛口な気がする。もしかしたら、さっき散々抱きつかれたのを根に持っているのかもしれない。
しかし、気丈にもエマは頷いた。
「よし、分かった!じゃあ、明日。場所はここでいいよね?」
何故か間が出来る。
しばらくしてから、シャーロットは答える。ほんの少しだけ、声が控えめになっていた。
「・・・フィオナの家で。フィオナもジーニアスだし、事情を話せば協力してくれるはず」
やや戸惑いながらも、ほとんど反射的にエマは頷いた。
「オッケー。じゃあ明日、そのフィオナって人の家で」
それでも、さすがに気になったのか、すぐに振り返って聞いてくる。
「誰?フィオナって」
「・・・まあ、行けば分かります」
それだけ答えるのがステラにとっては精一杯だった。結局のところ、何かにかこつけてシャーロットはフィオナに会いに行きたいだけなのだから。




