ウイスキーと昔話と父親達
虫の声さえも静まりかえった深夜。
夜の仕事である酒場の営業も終わってしまったこの時間、店の灯りもランタンがひとつあるのみ。随分煤けてしまっていて、その灯りもどこかぼんやりしているが、それもそのはずで、このランタンはガレットが現役冒険者だった頃に使っていた品だ。自分がそういった物を見て昔の感傷に浸るような男ではない事をガレットは理解しているが、こういった物はなんとなく捨てづらい。それでも、使えなくなった物は容赦なく捨てているので冒険者時代の品は少しずつ減ってきている。この骨董品はまだしぶとく生き残っているうちのひとつだ。
このいつもとは少し雰囲気の違う薄暗い店内に、3人の男が集まって酒を飲んでいた。
そのうちの1人、カウンターを挟んでガレットの正面に座る男が、薄汚れたランタンの笠を一瞥してから口を開く。何か嫌味でも言ってやろうと思っているに違いないとガレットの勘は告げていたが、やはりその通りだった。
「ランタンくらい買い換えたらどうだ。それとも、そんな金も工面出来ない程切羽詰まっているのか」
これがもし普通の客だったら、とりあえず頭でも掴んで揺さぶってやって、正気かどうか確かめてみるところだった。目の前に座る男は、それくらいしてもとりあえず生きてはいられるだろう程度には逞しい体つきをしている。それどころか、自分のプレッシャーを易々と受け止められる図太さも持ち合わせている。初めて会った時には、なかなか芯の通った男だと感心したものだが、それがどうして学者の真似事などをしているのか、未だに不思議でならない。
その男、ハワードの表情は、この暗がりのせいもあってかいつもよりもさらに鋭く精悍で、その眼光は最初会った時と比べても全く衰えていない。
水割りのウイスキーをあおってから、ガレットは努めて淡々と答えた。
「少なくとも、てめえよりは儲かってるだろうよ」
ハワードも表情ひとつ変えないが、心中穏やかとは言えないのは見るだけで分かる。
「お前が儲けたように言うな。今のこの店があるのは、お前には出来過ぎの女房と、そのご両親があってこそだ。お前もそこそこやっているようだがな、先代に比べればまだまだ足下にも及ばん」
「てめえに言われるまでもねえ」
「口だけなら何とでも言える。だが実際はどうだ。そう言うなら少しは賢くなってみせろ。今回の件も、俺が出て行かなかったら、それこそ全員袋叩きにしていただろうが」
ガレットはグラスにウイスキーを注ぎながら、当たり前のように答える
「そんな半端で済ますわけがねえ」
話題になっているのは、ステラに手を出した連中の事だ。
ああいう連中を見かけたら、問答無用で葬り去るべきだとガレットは考えている。現役冒険者だった頃には、それこそ星の数ほどあの手の悪人を見かけたものだ。
まだ若かったあの頃は、ハワードが言うように袋叩きにしていたのだが、そうなると報復があるという事をその頃の自分は知らなかった。その報復も撃退したのだが、やはり面倒だという印象は否めなかった。
それに、あの頃は独り身だったからいいが、今は家族もいる。腕が立つとはいえ、年頃の娘もいる。その娘には当然友人もいるし、そもそもこの町に店を構えている時点で、報復対象に誰が選ばれたとしても不思議ではない。そういった危険を皆で対策し、防犯するのが社会というものだが、それでもやはり気分は良くない。
ガレットがハワードに協力を要請したのは、そういう経緯があったからだ。ただし、町の人に迷惑をかけたくないからという意味ではない。
あの腐った連中を、残らず炙り出す為である。
目の前に座るこの男は、そういった知恵を働かせる事も出来る。多少面白くはなかったが、この際それには目を瞑って、この男に相手の組織や構成を突き止めて貰い、その後で自分が二度と再起出来ないようにしてやる。これでこそ後顧の憂いを立つ事が出来るというものだ。
もっとも、今回はその必要すらなかった。既に十分過ぎる程炙り出されていたのだ。諜報員が紛れ込んでいたのだから当然とも言えるが。
ハワードも勝手にボトルから酒を注ぎながら言った。
「今回は特に、ステラの親戚の部下にまで食ってかかったそうだな。それで済んだからまだいいがな、お前があの綺麗なご婦人の骨でも折っていたらと思うと・・・さすがにそうなったら、俺も愛想が尽きただろうな。裏の顔がどうかは知らないが、彼女は有力な商家の奥方だぞ。そんな女性に傷を付けたとなったら、お前の店どころか、この町の景気が冷え込んだだろうな」
つまらない話だ。
そう思ったガレットは、ハワードの隣で黙々と酒を飲む男に声をかけた。
「おい、てめえも何か言いやがれ」
その男はちらりとこちらを見たものの、結局何も言わなかった。特に不機嫌とか調子が悪いとかそういうわけではなく、いつもこの調子なのだ。若い頃は今ほど無口ではなかったのだが、ここ数年は彼の声を聞いた記憶がない。もしかしたら、年老いて喋れなくなってしまったのだろうかと勘違い出来るくらいに老けた容姿をしている彼だが、これでもガレットよりも年下である。
鍛冶職人ジェフ。伝説の冒険者であるサイレントコールドを除けば、この町で最も有名なのは彼だろう。サイレントコールドは厳密にはこの町の出身ではないため、もしかしたらユースアイで初めての有名人という事になるのかもしれない。
しかし、彼は風格や威厳のようなものが乏しく、見た目の特徴を一言で表現するなら、ずばり小柄な老人だろう。現在40代の彼に髪はほとんどないし、顔も皺が多くて、目は眠っているように見える程細められている。
それでも、世界でも指折りの実力を持った鍛冶職人である彼の元には、多くの冒険者達が最高級の武器や鎧を求めてやってくる。かく言うガレットも、実は現役時代最後の武器と鎧を彼に製作して貰っていた。その頃はまだ20代だったジェフだが、既に父親を凌ぐ程の腕前を持っていたのである。この3人の中で一番儲けているのは、間違いなくこの男だ。
彼が王室から表彰されたのは、ガレットが製作を依頼した2年後。そしてその年に彼は結婚した。表彰の知らせを聞いてこの町に立ち寄ったガレットは、まずその事実に驚いた。聞けば、前々から婚約していた女性がいたらしく、一人前になれたら結婚しようという約束だったらしい。その奥さんにもガレットはもちろん会った事があるが、初めて会った時にはまた驚いた。その理由については、彼の娘であるリディアを見れば分かるだろう。彼女の髪や瞳、そして雰囲気は母親譲りなのだから。
いったいどんな縁があったのか、どうやって口説いたのか、ガレットにしてみれば謎でしかない。彼の口数から言えば、愛してるとか、結婚しようよりも長い言葉は発声出来ない気がする。しかし、案外それくらいの方がストレートでいいのかもしれない。
いずれにしても、変わり者なのは間違いない。そして、彼もまたガレットの威圧感など涼しい風で受け流せる人物でもある。怖いとか恐ろしいという感情を超越してしまっている可能性すらある。
今もまた、彼はただ酒を飲んでいるだけ。今日も一言も喋っていない。毎年祭りが終わった後はこの3人で酒を飲んでいるのだが、この集いが楽しいのか、或いは不満があるのか、全く分からない。
そんなジェフを見ながら、ガレットは半ば呆れ気味に言った。
「・・・よく結婚出来たな」
あくまでも聞いた話だが、ジェフ夫妻は幼なじみで、傍目から見ても恥ずかしくなるような両思いだったらしい。本当に、縁というものはよく分からない。
そこでまたハワードが口を挟んでくる。
「お前のようにフラフラしていなかったからな。若い頃からずっと鍛冶一筋だ。そんな実直な生き方をしていれば、惚れる女の1人や2人いたところで不思議じゃない。ベンとリディアも立派に育っているし、本当にいい家族だな。どこぞの元冒険者にも見習って欲しいところだ」
さすがに腹が立ったので、ガレットはハワードを睨む。
「うちの家庭に文句があるってのか?随分な口をきくがな、そう言うてめえの息子こそフラフラしてるみてえじゃねえか」
動じた様子もなく水割りを飲むハワード。
「お前の奥さんも娘さんも気遣い出来る優しい人なのに、どうしてお前はその愚直な性格が直らないのかと言っているんだ。全く・・・こんな男のどこが良かったんだ?」
その呟きに意表を突かれたガレットだったが、急に顔がにやけてきた。
「・・・もしかして、てめえ、惚れてたのか?」
やたら突っかかってくると思っていたら、そういう事情があったのか。いい年の大人がみっともない事ではあるが、いつも真面目なこの男にしてみれば、ある意味微笑ましい。
ところが、ハワードは気まずい素振りなど全く見せずに言い返してくる。
「お前は知らないだろうがな・・・若い頃の彼女は、この町の娘と言ってもいい存在だった。彼女の父親とフレデリックさんは、この町を発展させようと尽力して下さった方々だ。今のこの町があるのは、お二方のお陰と言ってもいい。そんな人の娘というだけでなく、彼女は誰にでも優しくて、大人しいが明るくて、そして芯をしっかり持った少女だった。町の人で彼女が嫌いだった人などあり得ないし、そしてこういう言い方もなんだが、彼女に惚れなかった男などいない」
「つまり、結局てめえも惚れてたんじゃねえか」
ハワードは少し視線を逸らして、どこか遠い目をする。
「まあな。だが・・・フレデリックさんの息子は相当本気だったな」
「何?」
初めて聞く話に、ガレットは戸惑う。こういった感情は久しぶりだ。
そんなガレットに、ハワードは口元を上げる。
「お前には言わないでくれと彼女から口止めされていたんだがな。しかしもう時効だろう。具体的な事は教えてくれなかったが、恐らく婚約してくれと言われていたんだろうな。少なくとも、彼が彼女に気があったのは疑いようがない。というより、男はみんなそうだった。その中では彼が最有力候補だったわけだ。フレデリック家がこの町で一番権威がある家なのは疑いようがないし、彼女は他の町には嫁ぎたくないと公言していたしな。その条件下では、彼が最高の環境を用意出来る立場だったというわけだ」
いつの間にか、ガレットはハワードの顔を凝視していた。
夫の立場だからこそ言わせて貰うが、自分の妻は最高の女性だと思う。誰かに言われるまでもなく、自分にはもったいない存在だと分かっている。
最初にこの町に立ち寄った時、酒場で応対してくれた彼女にガレットは一目惚れした。今のベティと同じ年頃だった彼女だが、どちらかというと人見知りで、その頃には既に人一倍大柄だったガレットには、どこか引け目がちに微笑みかけてきたものだった。
しかし、彼女には他の少女とは違う何かがあった。
初対面で自分が見入ったのはその深いブラウンの瞳だったが、特に特徴的な瞳だったわけではない。その晩、ベッドの中でその瞳の色を思い出しながら、どうしてここまで鮮明に焼き付いているのかを考えた。
これが恋だという事に気付くのに、それほど時間はかからなかった。
気付くには気付いたのだが、ガレットは結局彼女には何も告げなかった。武器と鎧の注文の為に立ち寄っただけだったので、すぐに仲間と合流する為に出発しなければならなかった。その武器と鎧もギルドが配達してくれる手筈だったので、もうこの町に立ち寄る事もないだろう。
それに、冒険者という立場の自分が何か言ったところで、彼女との関係がいい方向に進展するとは思えない。ただ親密になれればいいというわけでもないのだ。自分なんかの為に待っててくれとは言えない。それどころか、いつ死ぬか分からない職業なのである。そんな約束が出来たとして、もし彼女が一生待ち続ける羽目になったらどうするのか。自分のようなろくでなし以外にも、彼女を幸せにしてくれる人間はいくらでもいるだろう。
ところが、それから2年後だった。
あの町の鍛冶職人が、王室から表彰されたという噂を偶然耳にした。別に特別親しい知り合いというわけでもないのに、ガレットはなんとなく訪ねてみる気になった。祝福の言葉でもかけてやろう。そして、はっきりと認識こそしなかったが、やはり彼女にもう一度会ってみたいと思っていたのかもしれない。
その頃のガレットは、冒険者としての実力に限界を感じ始めていた。冒険者の中でも、確かに自分は強い。しかし、伝説の冒険者にはやはりなれない。彼らはあまりにも遠過ぎる。その差を作っている要因にも、心の底では薄々気付いていた。しかし、今更気付いても遅過ぎる。自分には自分の生き方というものがあり、冒険者としての生き様というものもある。それを変えなければ、伝説となった彼らには追いつけない。しかし、一瞬で変えられるようなものでもないのだ。もう幾年も冒険者として過ごしてきたという重みの分だけ、他の方角を向くのは難しい。
そんな思いを抱きながら立ち寄った鍛冶屋に、彼女はいた。
2年ぶりに会った彼女は、以前よりもずっと女性らしく成長していた。以前の人見知りもなりを潜めて、落ち着いた慎ましい女性に見えた。
そして、彼女は最初にこう言った。
良かった。2年も姿が見えないから心配していました。
彼女は自分の事を覚えていた。その事自体は不自然ではない。自分くらい特徴的な人間を見たら、数年経っても記憶には残っているものだ。
しかし、普通酒場の娘が冒険者の帰りをいちいち心配したりはしない。例えダンジョンから生還したとして、また同じ町に帰ってくる保証などない。死んでいたら尚更だ。
まして、ガレットがこの町に来たのは一度だけ。
そんな自分の事を心配してくれていたのか。
この時彼女が教えてくれたのは、恋ではなかった。
ただこの人と家庭を持ちたい。こんな優しい人と一緒に人生を歩んでみたい。
教えてくれたのは、自分が見た事のない未来。
鍛冶屋には彼女以外には誰もいなかった。それを一瞬で確認したガレットは、今でも不思議なのだが、何の前置きもなく告げていた。
一目会った時から、貴女の事が好きでした。
すると驚いた事に、彼女は優しく笑って答えた。
初恋の人から告白されるなんて、夢みたい。
その時の喜びを、ガレットは今でも忘れられない。20年以上経った今でも、その時の気持ちと彼女の姿は鮮明に思い出せる。運命の存在も、未来の尊さも、家族の優しさも、彼女がその時に教えてくれた。冒険者として死ぬしかないと思っていた自分の人生を、本当に一瞬で変えてしまった。
その後ほどなくして、ガレットは冒険者を引退した。そして、彼女の家に住み込んで酒場の仕事を覚えた。接客など、人生で一度たりともした事はなかった。しかし、彼女が、実は私も苦手だと言った時、自分がやらなければいけないと思った。彼女は料理や掃除など、裏方の仕事が好きなのだ。穏やかで優しくて慎ましい、そんな女性。彼女と幸せな家庭を作る為なら、どんな事でも出来る。
そんな生活が2年続いて、2人は結婚した。その一年後には女の子が生まれた。その子は自分のように逞しく、そして彼女のように優しく育っている。冒険者として、ただ高みを目指していた時の自分には考えられないような幸せな家庭。
全てを与えてくれた人。
最愛の女性。
自分にとって、彼女が特別な女性なのは疑うべくもない。しかし、他の人間にとってどうなのか、それは考えた事もなかった。自分を初恋の人だと言ってくれた。それが他の事を忘れさせるのに十分過ぎるくらいの幸せをくれたのだ。
「いかに自分が恐れ多いものを得たか、少しは自覚出来たか?この果報者が」
気付くとハワードがグラスを口につけているところだった。いつもの精悍な顔つきに戻っている。
この男にとっても、彼女は特別だった。
今はその事が不思議と理解出来る。
しかし、今更何も遠慮する必要はない。この男はそんな未練がましい男ではない。何か波風を立てたいと思っている程子供でもない。そんなくだらない男はこの町にはいない。
彼女は俺の伴侶。
俺が幸せにする。俺と幸せになる。
ガレットは口元を上げた。
「てめえら、もう帰りやがれ」
するとハワードは笑う。
「それが愚直だと言っている。たまには一緒に酒でも飲もうというのはいいが、今から叩き起こす気か?ようやく祭りが終わって、疲れ果てているだろうに」
まさに正論なので面白くなかったが、ガレットも笑った。
「そうだな。たまにはてめえの言う事を聞くのもいいだろ」
「しかし・・・そうか。そういえば、お前のような愚直な男はこの町にはいない。そういったところがよかったのかもしれないな。怪我の功名というか、愚かというのも捨てたものではないのか」
「うるせえよ。だいたい、そういうてめえは一番結婚が遅かっただろうが」
「それはお前が性急過ぎただけだ。こちらは7年以上付き合ったからな。普通はもっと時間を重ねてから、次第に互いの気持ちを・・・」
その時、急にジェフが立ち上がった。特に発言したかったわけではなく、氷を取りたかっただけのようだ。彼だけロックで飲んでいる。
ただ、ガレットとハワードは急に黙りこくった。
よく考えてみれば、彼は結婚も早かったし、付き合いの期間も尋常ではなく長い。幼い頃からだから、お互いの事はほとんど知り尽くしているだろう。
俺に比べれば2人とも大した事はない。
暗にそう言われているような、そんなタイミングの動作だった。
一応ガレットはジェフに視線を送る。しかし当の本人は全く気にした様子もなかった。深い意図はないという事なのか。しかしとてもそうは思えないタイミングだ。
気まずい空気の中、酒を飲む男3人。
やがて、やっと話題を見つけたといった様子のハワードは口を開いた。
「そういえば・・・ステラの様子はどうだ?いや、大丈夫とは聞いているんだが、一応年長者としての意見を聞いておこうと思ってな」
ガレットは軽く頷く、愉快な話題とは言えないが、また結婚関係の話題をされるよりは遙かにましだ。
「問題ねえだろ。多少ストイック過ぎるというか、生真面目な性格なんだと思うが、今回の事でも皆に迷惑かけたって落ち込んではいたな。それでも、結局はその程度の話だ。そのまま何もかも投げ出すような娘じゃねえ。これは俺の勘だが・・・敢えて投げ出せねえように、こんな遠い場所まで来たのかもしれねえな。サイレントコールドがどうとか言ってはいたし、もしかしたら無意識に考えただけかもしれねえが、それでも、ステラは自分の事がよく分かってる。そういう意味では、レオンと正反対だろうよ」
ハワードはグラスを揺らす。
「・・・お前にしてはよく見えているな」
「年の功ってやつだろ」
「だが、2人を引き合わせたのもお前か?そうだとしたら、お前にしては深慮と言わざるを得ないが」
「いや・・・あれはうちの馬鹿娘だ。深慮じゃなくて、たまたまだろうがな。もしかしたら、無意識にって事もあるかもしれねえが、そうだとしたら、女の勘っても捨てたものじゃねえな」
笑い飛ばすガレットに、ハワードも口だけで微笑んでみせる。
「まあ・・・多少手が出る時もあるが、父親がこれでは仕方ないだろうな。むしろあの程度で済んだのは、やはり母親の影響だろう」
「言ってろ」
「そういえば、ベティが随分いいムードで歩いているのを見たと聞いたが・・・とうとう嫁にやる気になったのか?」
ガレットは鼻で笑う。
「あいつも年頃だからな。誰と歩こうが知った事じゃねえ。それに、あいつの母親を知ってるだろうが。酒場の娘がどういう仕事か、冒険者と一緒になるってのがどういう意味なのか、しっかり聞かされて理解してるだろうよ。あいつも一線は弁えて・・・」
ところが、ハワードは怪訝な顔をする。
「冒険者・・・もしかしてレオンの事か?」
今度はガレットが驚く番だった。片眉が上がる。
「違うのか?」
「全然違う。なんだ・・・父親のくせに知らないのか」
「知らねえ。何の話だ?」
ハワードは呆れたようだった。
「夕食時に話くらいしないのか?」
多少むっときたガレットだが、淡々と言い返すにとどめた。
「夕食時は忙しいんでな。今日は疲れたって言ってとっとと寝ちまったし」
「母親は多分知っているぞ。なんだ。寂しい父親だな」
「うるせえ」
「まあいい。という事は、いよいよ結婚かと思ったのは勘違いか」
「納得したんなら、とっとと話せ」
何故か口元に笑みを浮かべるハワード。何か馬鹿にされたような気がしたが、情報を得る為なら仕方ない。
ところが、ハワードは急に溜息を吐いてそっぽを向く。
「・・・いや、やはりベティのプライベートな事だ。後で本人から聞くんだな」
さすがにガレットの我慢もここまでだった。
「・・・てめえな。黙って聞いてりゃいい気になりやがって」
視線による威圧を試みるが、忌々しい事にハワードは余裕の表情である。
「この目で見たわけではないんだが、随分幸せそうだったらしいぞ。駆け落ちされないように、せいぜい気をつけるんだな」
「だからどこの誰だ!?さくっと吐きやがれ!」
「別にそこまで気にする事はないと思うが・・・本人の幸せが一番だろう」
余裕の態度で冷静に告げるハワード。
押しだけでは勝てないと悟ったガレットは、搦め手を試す事にした。
「・・・そういうてめえの息子は、随分幸せそうじゃねえか。てめえも好きにさせてやったらどうだ?まあ、そのうちどこかの小娘と駆け落ちするかもしれねえがな」
表面上は平静さを崩さないハワードだったが、その雰囲気が少し変わったのをガレットは見逃さない。
そこでガレットは、今日レオン達と一緒に帰ってきた飛び入りの宿泊客の片割れを思い出す。
「そういえば・・・うちで泊まってる客なんだが、なんでもブレットの奴と一緒にダンジョンに行った仲とかで、随分仲良くしてたらしいな。まあ、俺が見たわけじゃねえんだけどよ」
まだ虚勢を張るハワード。
「・・・そんな都合のいい話が、そうそうあるとも思えないな」
「確か、名前はシャロンだったか・・・」
一瞬停止するハワード。
どうやら聞き覚えのある名前だったらしい。いい気味だと思いつつ、ガレットはさらなる追撃を試みる。
だが、その時だった。
突然またジェフが立ち上がったのだ。
今度は何だろうかと思ったが、どうやらまた氷を補充したかっただけらしい。しかし、何故か数秒間だけこちらを向いて、意味深な視線を送ってくる。それも単に、こちらの会話が止まった事を訝しんだだけかもしれないが。
ガレットはふと気付かされた。
彼には2人の子供、ベンとリディアがいる。どちらも既に父親の仕事を十分に手伝える程の実力者だ。
何より、浮ついた話は全くない。とても真面目な兄妹である。
よくよく考えれば、ジェフは稼ぎも唸るほどあるだろうし、仕事も立派にこなしているし、その上幼なじみとの恋を実らせている。それで結婚生活が上手く行かないわけもなく、子供達も非の打ち所がない。
俺の家庭を見習え。
暗にそう言われているような気がしないでもない、そんなタイミング。
「・・・てめえ、わざとじゃねえだろうな?」
今度は尋ねてみたガレット。
しかしながら、やはりジェフはこちらこそ向いたものの、結局何も言わなかった。
被害妄想かもしれないが、馬鹿馬鹿しい会話だと言われている気がしないでもない。
また居たたまれなくなったガレットとハワード。
「・・・シャロンってのは、ただ武器の注文に来ただけらしい。てめえの馬鹿息子に用があったわけじゃねえんだとよ」
「・・・お前の馬鹿娘の相手はホレスだから心配いらない。しかもプロポーズの為ではなくて、単にガイが面白がって正装させただけらしい。その程度の話だ」
力ない情報交換。意地を張っているのが虚しくなったからだが、それでも互いの子供に馬鹿を付けあっているのだから、完全に気を許したわけでもない。
まるで子供みたいな大人の時間。
それでも少しずつ朝は近付いている。
ユースアイの夏祭りは、毎年この酒場の一角でひっそりと幕を下ろしていくのだった。




