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これから死ぬ女 √ もう死んだ男  作者: つこさん。


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1973年8月20日 月曜日 21:48

「リリ! リリ! 待って! 話を聞いて欲しい」


 ――あたしに黙って呼んだのね? 全部話したのね?


「落ち着いて、リリ。僕の考えを伝えたい」


 聞きたくもないわ! あんたを信用したあたしが馬鹿だった。契約はもうお終い。

 離婚しましょう。少しの間だったけれど、お世話になりました。


「リリ、とりあえず家に帰ろう。――そっちは逆方向だよ」


 何なの? あたしを笑い者にしたかったの? ずっとあたしを裏切っていたの? 最初から?


「全部説明するから。……車を持ってくる。ちょっとここで待っていて」



「……動かすよ。乗せるね。寒いから、ひざ掛けを使って」



「……ボンダイビーチに行ってみないか。夜も綺麗だと思うよ。行きたいって言ってただろ」


 じゃあ、それでお別れね。お勤めお疲れ様でした。


「離婚なんて、考えたくないよ」


 はっ、何を今更。


「本気なんだ、リリ。これは契約なんかじゃない。僕は本当に君と一緒に居たかったんだ」


 まあ、ありがとう。何とでも言えるわね。目的は何だったの? 結婚履歴があれば身分詐称がバレにくいから?


「違う。リリ、違う、そうじゃない」


 じゃあ何だってわけ? あたしのお願いした事、あんたは何か一つでも守ってくれた? まるで守ってないわよね? あたし、両親に知らせないでって最初に言って、あんたは約束した。なのにどうして来るわけ? しかも、アンまで!


「リリ、落ち着いて。体に障る。全部説明するから」


 聞きたくもないわ、言い訳なんて。あたしはあんたを信用して馬鹿を見た。それだけよ。


「……もうすぐ着くよ」



「……寒いから、このまま車の中にいようか」



「リリ。リリ。君の期待を裏切ったことはごめん。それについては、僕は何も言えない」


 ……言い訳すらないって、いっそ清々しいわね。


「君はオーストラリアで『別の人生』を選んだ事にしたかったんだろう? 御両親にも、アンにも悟られずに」


 よく理解しているじゃない。じゃあ、やっぱりあたしがピエロになるところが見たかったんだ?


「違う。君を一人にすることの方が、僕にはもっと残酷に思えた。たとえ一緒に居たって、君は僕に気持ちを許していないだろう?」


 当然でしょう。こんなことする人だもの。ああ、嫌になった! 何もかも全部!


「それは、最初からでしょう。ここに来る前から。嫌になって、投げ出して、怖くて。だから、どうでもいい僕を選んだ。一人になるために。違う?」


 ……知ったような口を利かないで! 何がわかるって言うのよ、あんたに。


「わかるよ。とても。死ぬかもしれないって怖いことだ。今日だろうか、明日だろうか、来週自分は生きているだろうかって、いつもそればかり考える。自分ではどうにも出来なくて、ただ目の前の事をやり過ごしてその場をしのぐ。死への恐怖が絶えずそこにある。知ってる? リリ、君は前みたいに笑わなくなった」


 ――何をどうしたら、笑えるって言うのよ? この状況を。

 あんたは自分を死んだ事にして、それでも生きてるじゃない。あたしは違う。もう生きられない。もう先がない。ただの不安じゃなくて確定事項なのよ。

 痛みにうなされて目が覚めて、モルヒネを飲んでやっと一日を過ごすの。死ぬために。ねえ、笑えると思う? あたしのこの状況。


「わかっているよ。だからこれは僕の我儘だ。君の笑顔が見たかったんだ。最後まで、君のままで居て欲しかった」


 あたしは、あたしよ!


「そうだよ。君はリリだ。マシューの店のカウンターで、つまらなそうな顔でジンリッキーを飲んでいる綺麗な女の子だ。知ってるよ。僕なんか全然眼中になくてさ。時々友達と騒いで、笑って。そんな子だった」


 ……何よ、それ。

 あんた、マシューの所、どれくらいから通ってたのよ。


「ロッド・スタイガーの『殺しの接吻』を映画館で観た後くらいからかな。グリーンマンは捕まっていたけれど、こんな綺麗な子が一人で出歩いて大丈夫かなって、ひやひやしていた」


 ――それはどうも。話したこともなかったと思うけれど。


「知ってるだろう。僕は奥手なんだ。一年くらい君の背中を見ていたけれど、運命の徴兵抽選で、忘れもしない12月1日に僕が指名されちゃってね。悲しかったよ。あの時のテレビ中継、観ていたかい?」


 もちろん。グロテスクな催しだったわ。……そうなの。あんたあの時に行ったのね。


「徴兵通知が来ていよいよだって時に、せめて最後、君に会いたくてさ。会えたら勇気を出して声を掛けるつもりだった。でも、君はその日来ていなかった」


 それはがっかりだったわね。知らなかったわよ、あんたがあたしを見てたなんて。


「でも、それで良かったんだ。じゃないと、今年僕が帰って来て、真っ先にマシューの店に行った時、君は僕に声を掛けたりしなかっただろう?」


 もちろんよ。ああ、恨めしいわね。あたしの判断ミスだわ。だってあんた、あたしに興味なさそうだったんだもの!


「それはがっかりだったね。興味津々だよ。でも取り繕えていたなら、ベトナムに行った甲斐はあったかな。君に格好良い姿を見せて、サッと立ち去る予定だったんだ」


 そこそこ様にはなってたわよ。今が最悪ってだけで。


「そうだろうね。ここからどう挽回しようか、今、高校時代の標準化試験以上に頭を動かしている」


 無駄よ。あんたはあたしとの約束を破って、あたしとの信頼関係を損なった。あたしとの試験には落第したの。それだけ。


「マシューの推薦状があっても駄目かい?」


 無理よ。もうあたしは、あんたを何も信用できないわ。家に戻りましょう。明日からの事を考えなくちゃ。


「予定通りで構わないよ。これからもあの家で一緒に住もう」


 あんたがそうしたいならどうぞ、あたしは出ていくわ。ああ、エミーの電話番号だけ後で教えて。それでいいわ。


「ねえ、リリ。聞いてよ。僕の本心だ。僕はね、ずっと君の事を考えていた。寝込みをベトコンに急襲された時も、友人が吹っ飛んだ時も。君が友達と一緒にいる時の、あの可愛い笑顔を思い浮かべてた。帰りたかったよ。帰ろうと思ったよ。何がなんでもさ。もう一度君の笑顔を見たかった。でもね、帰ってみたら君は、もしかして従軍したのかと思うくらいに表情を失くしていた。もう何もかもが嫌だって、全身で言ってた」


 ……余命告知されたら、誰だって、そうなるわよ。


「だろうね。ある程度、君の気持ちがわかるっていうのは本当。死ぬのを待つのは辛い。でも僕の中には君が居て、だから耐えられた」


 もういいわ、うんざりよ。今更なんだって言うの。


「君にとって僕は、どうでもいい人間なんだ。だから、僕じゃ君を笑顔にできないんだ」


 そうよ、よくわかっているじゃない。さあ、車を出して。もう横になりたいわ。何も考えたくない。


「僕のエゴだし僕の我儘だ。それを押し付けている自覚はあるよ。君に――何の為に生まれて来たんだろうなんて、思いながら死んで欲しくない」


 ……早く、車を出して。


「僕が出来ないなら、他の人にお願いするしかないじゃないか。それで、御両親に知らせた。君の事を誰よりも愛している人達に。……帰ろうか。僕達の家に」

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