第16話
「あや恋」はもはや社会現象の様相を呈していた。東京にいる彩香の妹などは、番組に出たのはわずかな時間であるにもかかわらず、人から声をかけられることもあるのだという。
シンガーソングライターの夢にも、一歩近づけていた。映像制作課題で作った楽曲がヒットしているのだ。音楽レーベルとも提携し、もうすぐ名のある音楽サブスクリプションで配信される予定にもなっていた。
沖縄の合宿所という特殊な孤立環境にいる中では、現実世界のブーム具合は実感できないが、SNSの中では「あや恋」の話題が席巻しているところだ。
番組が世間を賑わせている傍ら、沖縄の合宿所には台風が訪れていた。撮影もままならず、食料を買い込んでスタッフ共々合宿所に立て篭もる。
台風の影響か、彩香はひどい頭痛に襲われて寝込んでいる。
「彩香ちゃん、大丈夫?」
拓海がアイス枕を片手に彩香の見舞いへと訪れていた。合宿所の布団の中にくるまった彩香は、冷たい枕を頭に当てて、ふうと息をつく。
すっぴん姿を拓海に見られていることにさえ、気が回らないほどの頭痛だった。
「うん。低気圧のせいかなぁ。沖縄の台風はひどいってよく聞くけど、本当にすごい風だね」
「本当にね。今日は撮影もないし、ゆっくり寝てなよ」
「さっき痛み止め飲んだからもうすぐ大丈夫になると思う。……それよりさ」
彩香は布団から半分ほど顔を出しながら、拓海に話しかけた。
「もうすぐ最終告白イベントの撮影だよね。……歩夢くん、どうするんだろう。ちょっと気になってて」
歩夢はメンバー各個人とは仲良くしているものの、恋愛という感じには誰ともなっていない。歩夢は映像制作でも、理央と一緒に友情動画を作っていて、女子とは一定の距離を置いていた。
その上、先日歩夢は家族と電話していた際、怒鳴り声をあげていたのだ。「ふざけるなよ!」と。最近は何かイライラした様子を見せていることもあり、恋愛どころではない問題が起きているのであれば、力になりたいと思っていた。
この「あや恋」のメンバーは、全員が同じ闘病生活を乗り越えてきた仲間であるのだ。それ故にその友情も深いものがあった。
「そうだね。歩夢くん、大丈夫かな……。どうせ撮影もないんだし、ちょっと話を聞いてみようか」
「うん。痛み止め効いてきたら私も話聞く。あの時電話で話してた歩夢くん、すごく辛そうだった。気にかかるもん」
そうして、1時間ほど休んだのち、痛み止めが効いた彩香は元気に復活し、拓海とともに歩夢の元を訪れていた。歩夢が入り浸っているおやつ部屋、と呼ばれているその部屋は、さまざまなお菓子が棚の中に置かれていて、おやつを食べながらのんびりできるように整えられている場所だった。
「……なに? 桂木さん」
「いや、最近ちょっと元気なさそうだし、何かあったのかなって」
「ああ……」
歩夢は気のない返事をしたまま、しばらくむっつりと黙り込む。けれど、拓海と彩香の二人を見比べると、不意に話を変えた。
「二人はさ、前に俺が言ってたことに共感してたじゃん」
「えっ? ……ああ、あの、同じ病気の人と恋をするのは、失うかもしれない分怖いって話?」
「そう、それ。付き合ってて怖くないの?」
「そりゃあ、怖いけど、それでも一緒にいたいって、思ってるから」
照れながら拓海が答える。二人はもう、覚悟は決まっていた。拓海の再発リスクが高いことも含めて、話し合った上で一緒にいようと決めていたのだ。
「そっか。……俺はずっと、こんな自分を受け入れてくれって人に言うのは違うのかなって思ってたけど、それでも一緒にいたいって言うべきなのかな……」
「歩夢くんは、誰か気になっている人がいるの?」
歩夢以外のメンバーは、ほぼカップルが成立してしまっている。三角関係になって気まずくなるのではないかと心配した彩香が探りを入れると、歩夢は首を横に振った。
「いや、ここのメンバーじゃなくて、元カノ。……こないだ電話で兄貴から聞いたんだけどさ」
そう言って歩夢が語り出した内容は、彩香にとってはなかなかに受け入れ難い、理不尽な話だった。
「元カノが俺に別れを切り出したの、俺の親から別れるように迫られてだったらしいんだ。ウチ、いわゆる旧家で、あんまり家柄の良くない元カノのことを元々面白く思ってなかったらしい。それで、俺の闘病の邪魔になるから引き下がれって。その上別れるときは悪役を引き受けて……。俺は何にも気づかずにあいつのこと傷つけた」
「そんな、無理やり別れさせるなんてひどい……」
「頭固いんだよ、うちの親。だから、改めて話し合いたいなって思ったんだけど、俺こういう病気だし、元カノに連絡するのも迷惑かなって悩んだりしてて」
「そんな……、でも、元カノさんは歩夢くんの親御さんに言われたから別れただけで、本当は別れるつもりなかったのかもしれないでしょ? それなら、連絡とったら喜んでもらえるんじゃないかな」
あまり無責任なことは言えないけど……、と付け加えつつも、彩香は歩夢の恋を応援したい気持ちになっていた。病気ということで引け目を感じる気持ちもわかるが、家柄のことで親に無理やり別れさせられるなど、そんな悲恋で終わるのはあまりにも悲しすぎるからだ。
「俺は、連絡とったほうがいいと思う。ちゃんと自分の意思で話し合わないと、よりを戻す戻さないは関係なく、すれ違ったまま終わりなんて悲しすぎるよ」
「うん……、そうだよな。連絡とってみる。番組のこともあるし、今度の最終告白の時、元カノを対象にできないかって、壮治さんに相談してみようかな。こういうきっかけでもないと踏み出せなさそうだから。俺、今まで親の言いなりに生きてきたけど、俺の人生は俺のものだもんな。……やっぱり、未練があるんだ」
「うん! いいと思う! 私、応援するよ。それこそ私たちみたいな人間は、後悔しないように全力で生きなきゃ」
と話し合っていると、不意におやつ部屋のドアがノックされる。
「みんな、集まってだって。壮治さんが呼んでる」
結衣がこっちこっち、と手招きをして、ドアの外を指差した。
合宿所のリビングには、他の面々が思い思いに座っていた。今日は撮影はなかったはずなのに、なぜかカメラまで用意されている。
「改めて、みんなに伝えたいことがある」
壮治はプロジェクターの前、投影された真っ白な光を背後に立ちつつ、語り出した。
「うおー、なんだなんだー?」
理央が盛り上げ役よろしくはしゃいで見せ、それに愛菜が同調する。
一通りガヤが落ち着いた後、改めて重々しく壮治はパソコンを操作してプロジェクターの画面を切り替えた。
画面には『あや恋、チャリティーイベント開催決定! 場所:日比谷音楽堂』と書いてある。
「え、えっ? まじ?」
「チャリティーイベントって、何やるんだろう」
ざわざわと皆が動揺と興奮に彩られながら口々に話し合っていると、それを制すように大きな声で壮治は説明をし始めた。
曰く、骨髄バンク関連団体や白血病支援団体、それに生活用品や飲料関連の名だたる有名企業が協賛に名を連ねた、大規模チャリティーイベントが開催される運びとなった。
物販や、イベントの収益は全額白血病関連支援に回され、イベント会場ではドナー登録の案内なども行われる。「あや恋」出演者によるトークショーや、現在の白血病を取り巻く環境についての講演なども含めて、大規模に行われるという。
「そこでメインで依頼したいのが彩香と拓海だ。二人には現地で映像作品のBGMとして制作された楽曲『Life』のライブをやってほしい」
日比谷音楽堂といったら、有名な野外コンサート会場である。夢はシンガーソングライターとはいえ、いきなりそのような場でライブを行うなど、彩香は考えたこともなかった。
(怖い…………、けど、ものすごく誇らしい)
チャリティイベントには、番組のテーマソングを歌っている有名アーティストもゲストで訪れるという。あの武道館にも立った歌手と共演できるだなんて、と彩香は誇らしかった。
怯えか、武者震いか。判別のつかない手の震えを感じながらも、彩香はきっとやり遂げようと決意したのだった。




