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chase&avoid


「待って最上さん!」


 僕は階段を駆け上がっていく。

 先を行く最上さんは軽快に段を上がっていくけれども、僕はというと彼女のように素早くは駆け上がれなかった。三階に上がり切ったところで彼女の後姿を視界にとらえることはできたが、そのままフロアの中に消えていってしまった。

 逃がすまいと僕も躍起になって廊下に飛び出し、バテバテになった呼吸を深呼吸で整えてから叫んだ。


「最上さん!!」


 こんなの変だ。さっきまで名前を憶えてなかった人のことをこんな風に呼び止めるなんて。

 息を整えて脳に酸素が回りだすと途端に恥ずかしくなってきた。


 顔が熱い。

 と、最上さんは次の角を右に曲がろうとしていたところで僕の顔を見つけたのか、すぐにUターンにして走って戻ってきた。その勢いはまるでサバンナの川を超えるヌーのようで、迷いのないフォームで僕に向かって突進してくる。


「え、え? 止まって止まって!」


 僕の情けない要望も虚しく彼女は僕の両肩を両手でがっしり掴むとそのまま後ろの壁までそのままバック走させた。脚が彼女のペースで車輪のように回転しながら後ろに引いていくからいつもつれて転んでもおかしくはない。それよりも彼女の顔が近い。健康的な日に焼けた顔、丸い目の上に細くキリっとした眉、鼻先が僕の鼻先と触れ合いそうな距離にある。


 僕の心臓が再び走り出したことで――或いはバック走を強制される恐怖で――或いは彼女の顔との距離感で、不整脈を起こしそうなほど変な高鳴り方をしている。

 ゴン!と頭を打って壁にぶつかった。軽い痛みが頭蓋を揺らし、僕の脳も共振するように震える。心臓の音に気を取られていた僕はさらに衝撃が加わったことで上ずった驚きの声を出してしまった。さらに壁にそのまま押さえつけられたとおもったら、それは扉だったらしく彼女ともども僕はその扉に押し付けらえるように吸い込まれていった。宇宙の中に背中から沈んでいくようだった。

 世界が変わる。左に鏡があって、床は水色のタイル張り、宇宙じゃなくて良かった。


「ったぁ!」


 柔道の技でも決めた時のような雄たけびとともに彼女は僕の両肩をその空間に入った瞬間に突き飛ばした。

 僕は勢いを殺しきれず、まるでもつれた踊りを踊るようにそのまま後ろに下がっていき、そのまま正真正銘の壁に頭をぶつけた。


「いってぇ……」


 涙目になりながら仁王立ちする彼女を見る。さっきまで見ていた顔が嘘みたいに遠い。その分全身のスタイルの良さが強調されたような構図だ。

 目を擦って周囲をよく見ると、見慣れた光景だけれども、見慣れていないような感じがした。

 小便器の無いトイレ? いや、そうじゃない、ここは!


「ここ女子トイレじゃん!」


 僕はすぐに出ていこうと彼女の後ろにある扉から出ていこうとしたが、すぐさまに彼女に頭をアイアンクローのようにして掴まれてしまった。


「待って」


 彼女は真剣にそう言った。

 一方の僕はこんな風に頭を持たれてしまってはどうあれ待つほかない。


「待つよ。待つさ。こんな風に扱われたのは初めてだ。屈辱だよ」

「静かにして」


 僕は黙るほかなかった。

 冷静になってみるとこの状態で他の女子が入ってきたら大変なことになるんじゃないか?

 女子トイレにアイアンクローをされてて尚且つ呼吸も荒い男子生徒がいるなんて状況。

 嫌な汗がじっとりと背中を伝う。

 速く出たい。速く出たい。速く離して。

 と、そこで誰かの声が外から聞こえる。


「どこいった最上~!」


 そうだ、最上さんは体育教師の鈴木にも追われていたのだった。

 教師にも、委員長にも追われながらでは火の玉の解明もあったもんではなかったのだろう。

 声が遠のいて1秒、2秒、3秒。彼女はようやく僕の頭から手を除けた。

 おでこにきっと彼女の指跡が赤くついている気がする。

 久々に、と言ってもほんの十分前に見た彼女の顔と打って変わってその顔はすこし戦意を持ったような怖さがあった。


「よく来てくれたわ、ヒヅメくん。さすがヒヅメくんね」

「真狩でいいよ」

「あら、親密度が上がると苗字から下の名前を呼ぶようになっていくのに、逆パターン? 珍しい親密度の上がり方だわ」

「まだ親密になってないからじゃないかな? いや、疑問形で言ったけど今のは反語に近いからね」

「私のことはユウでいい。優勝まで行くと何に勝ったのって感じがするから」

「最上さん」

「あなたの我がそんなに強いとは想定外だわ」

「君はあの火の玉のこと知ってる風だった。だったら教えてよ。飛鳥くんを襲ったあの火は何なのか」


 自分でもなんでこんなに気になってるんだろうと、疑問が湧く。

 僕はあの火を恐れているんだろうか。

 彼女はすこし俯いてその眉間にしわを寄せた。手を口元に寄せて考えつつ、思案している。


「別に私はただの学生で、アレらを専門的に扱ってるような人じゃないの。それにもしかしたらヒヅメくんの見た火の玉というのが私の知っている現象ではないかもしれない」

「そんな前置きいいよ。知っていることがあるなら教えてほしい。わざわざ僕にだけ見せつけるようにアレは出てきたんだ。因縁のようなものを感じる」

「因縁、ね」


 彼女は目を細めて僕の心の底を見透かすように言った。

 僕は負けじと胸を張って口を一文字にきっぱりと閉じて真剣に向き合った。

 彼女は手を口元から降ろして、それから柔らかに笑うのだった。


「いいでしょう。私はアレらの類のものをよく追っているのよ。日常の裏に潜む魔を倒すヒーロー。それこそが私、最上(さいじょう)のヒーロー、最上優勝なの」


 最上さんはそう言ってどこぞの戦隊ものがしてそうな決めポーズをした。脚を曲げて、掌底を右斜め下におきながら指先はかぎ爪のように曲げたり、結構慣れたことをしているようだった。


「……君のことを紹介してほしいなんて言ってないよ」


 彼女が指をくにっくにっと動かしてリアクションを求めてきたので、僕は困りつつ冷ややかに斬りおとした。それに対して彼女は僕の味気ないリアクションに、ツマラナイ、という批評を表情で返す。


「必要なことよ。私の立場を理解してくれないとこれから話すことがどういうことか、よくわからなくなるはずだわ」

「分かったよ。最上さんはアレを倒すヒーロー、理解したよ」

「よろしい。それでヒヅメくんが見たもの、まだ確信できないけど、おそらく私が≪ディヴァイデッド≫と名付けた存在よ」


 ディヴァイデッド、と彼女がその言葉を口にした瞬間、火の玉が飛鳥を襲った後の時点にまで真狩蹄の記憶が巻き戻った。あの時ぼそりと呟くように聞こえた言葉は最上が呟いたものだったのだと思い至る。

 

 ディヴァイデッド

 Divided。Divideの過去形。或いは過去分詞形。

 それ1単語で意味を表すならば――分かたれた者?


「人の心は天秤。色々な葛藤や抑圧が心理のバランスを取るために揺れている。けれども、その天秤の片方が触れてしまったとき、もう片方もまた強く反応する。ディヴァイデッドとは、人から分け堕ちた心理の怪物よ」


 最上がそういったときに真狩は息をのんだ。彼女の言っている意味が分からなかったからではない。

 滔々と解説する彼女の背後から、彼女の説明を立証するがために現れたように火の玉が現れたからだ。

 また僕の前に現れた。まるでタイミングを見計らったかのように。


「最上さん、危ない!」


 咄嗟に真狩は彼女の体に抱き着いてそのまま右に転げる。水色のタイルの光沢にメラメラとした赤色が彗星のように横切った。最上を転がった判断は正しく、火球は僅かな時間差でその倒れる二人のわき腹を掠めて直進し、トイレの小窓を突き抜けて飛んでいった。


 うっ、トイレの床に転げることになるなんて最悪だ。

 

 そう思ったのも束の間、真狩はすぐさま振り返って火球の様子を伺った。

 まだ奴は窓の外の宙域で太陽に代わる赤々とした炎の渦を描いてけたたましい笑い声のような焦熱音を沸かせている。二撃目が来るか、と警戒する。咄嗟に立ち上がろうとするも、最上がまだ火球のことを認識しておらず、頭を擦っていた。庇った時に個室の扉に頭をぶつけたらしい。


「最上さん! ディヴァイデッドだ! あれが君の言うやつだろ!」


 窓の外を指しつつ、最上の脇の下から腕を通して起き上がらせようとするがハッとする。

 既に火球はもう一撃放つ態勢に入ったのだと直感的に理解する。あの火球は悠長に狙いを定めてから直進する。そういう行動パターンなのだとこれまでの二回で分かった。そして、窓枠の外で禍々しく燃え盛り、女子トイレの中を炎の赤色で染め出しているアレは今度は回避を用意できなかったやつから狙い撃とうとするだろう。


 後何秒の猶予がある? 最上さんを支えながら一か八か個室に入ってみるか? あの突進の威力は個室の薄い壁を破らないほどヤワなのか? 正解は――


 次の瞬間、火の玉は容赦なく冷酷に走り出した。

 考え抜いた真狩はある小説を思い出していた。


 

 












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